小説『Uninstall (ダブルエイチ)』
作者:月読 灰音(灰音ノ記憶)

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弘樹さんのショップで働いてる間は僕が一番安定していた時かもしれません

でも、その幸せな時間もそれほど長くは続きませんでした
父が膵臓を悪くして入院してしまったのです

父の病院へ看病に行き、ショップで働き、僕の精神はクタクタに疲れてしまいました
その生活が危うい僕の精神のバランスの均衡を崩してしまったのです

幸いにも父の入院は1か月ほどで終わり、あとは在宅でインシュリンの自己注射で何とかなるようになったのですが
僕は看病疲れから体調を崩してしまい、一週間ほど仕事を休んでしまいました

そのときにまた激欝状態が襲ってきたのです
看病して、働いている間は躁状態だったと思うので
それの揺り戻しが来たのだと思います

欝状態は2カ月以上続き、ショップでの仕事も以前のように忍耐力も集中力もなく
重い体を引きずるように出勤していました
見るに見かねた弘樹さんが、無期限の休暇をくれました
元気になったらまたおいで、と言ってくれました

また自宅での繭に閉じこもる日々が始まりました
一年に1回か2回、躁状態が2週間ほど続き
あとは延々欝の世界に閉じこもる
7年地中で過ごし、1週間命を散らすでセミのような生活でした

軽躁状態が恋しくてたまりませんでした
もういい加減人生に終止符を打ちたくなっていました

ある日意を決してホームセンターに行き、これならばといえる大きな鉈を買いました


それから毎日裏山に行き穴を少しずつ掘りました

体中どろだらけになって疲れたら戻って寝るという生活が1週間ほど続いて
やっと1m×2m、深さは僕の身長ほどの穴を掘り終えました

僕は自分の墓穴を掘っていたのです




その日は朝から快晴でとても気持ちのいい日でした
朝のシャワーを浴び、ミユキさんに頂いた黒留袖をきました
メイクも念入りに施し、鉈を持ち、草履をはいて穴に向かいました

草履が山道でなんども滑ってとてもあるきにくかったです
着物で穴に入るのは一苦労でしたが何とか潜りこむことができました


穴の壁にもたれてみあげた景色の美しかったこと

澄んだ青空、山鳥の啼く声

誰にも知られずここで生涯を閉じる事が無性にかなしかったです

遺書ぐらい残せばよかったな、と思いました

でも、もうためらう必要は全くありませんでした
準備は全部整っているのですから

手首を切ったぐらいでは死ねないのは知っていたので
右手で持った鉈を左腕の内側にためらいなく突き刺しました

ゴツンという骨に当たる感触がわかりました

そこからまだ切り開かねば大動脈まで切れないのでしたが
あまりの痛みに迂闊にも鉈を引き抜いてしまい
ビュービューと吹き出す血のために傷口が見えなくなりました
襦袢が真っ赤に染まり、黒い留袖も血を吸ってずしりと重くなりました

それ以上切り開く気力を失った僕は鉈を体の上に置くと
そのままずるずると穴に横たわり、意識が遠くなっていきました

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