小説『Uninstall (ダブルエイチ)』
作者:月読 灰音(灰音ノ記憶)

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結局3回目の入院は2カ月で退院することができました

自主的にセミナーに参加したり、社会復帰しようとする努力が見れたということです
その間、両親、知人の面会は一度もありませんでした
退院の日、父が一人で車で迎えに来てくれていました

「おう」

とだけ父は言いました
後はまっすぐ前だけを見て運転していました
怒られも悲しまれもしませんでした
ごく普通に接してくれる父の優しさが伝わりました
車はマンションの方角ではなく田舎の実家に向かいました

「生活費の面倒はお父さんが見てやるから、しばらく田舎でゆっくり休め」
ハンドルを握る父はなんだかひどく寂しげでした

「また一人で暮らしてもいいの?」
僕はてっきり両親のもとで監視されながら暮らすのだと思っていたので
また実家で一人暮らしができるとは思っていませんでした

「お母さんをあんまり悲しませるな」
「…うん」
「お前が入院したときから家の中は触ってない。気ままに過ごしたらいい」
「…うん、ありがとう」
「あと、女の恰好はしばらく我慢してくれ」
「はい…」
「ちょっとだけでも男として暮らしてみてくれ」
「…うん」

舗装の悪い道で車がカタカタ揺れました
マンションで同居させてもらえないわけも何となくわかりました
世間体というやつだと思いました
優しいけど、同時に厳しさも持った父でした

「お父さんの膵臓は大丈夫なの?」
「まあ、あと10年ぐらいはいけるさ」
死にかかってたくせに…。

「それより○○(本名)、煙草吸いたくないか?」
「あ、吸いたい」
「次の自販で買ってこいよ」
「うん」
そういいながら父はポケットからシワシワの千円札を出しました

「全部買ってきていいぞ。どうせいるだろ?」
「うん」
『たばこ』の看板の下で車が止まりました
「何でもいい?」
「おう」
それを聞きながらセブンスターのボタンを押そうと思い、ふと考えて違う銘柄のメンソールを4つ買いました
まだたばこが250円だったころの話
座席に戻るとパッケージを破りました

「まさかお父さんは身体悪いし吸わないよね?」
「おいおい、そりゃあないだろ。お父さんも吸う!」
「いいの?」
「逝くときゃ逝くわ。早くくれよ。お母さんと一緒やったら全然吸えないんだぞ?」
父がすねた子供のような口調で言いました

シガーソケットを押し込むと僕の一本を抜き取るとパッケージごと父に渡しました
「メンソールか。セブンスターじゃないんだな」
「あ、きらい?」
「いや、ずっとお前セブンスターだったから。気分転換か?」
「うん……まあ、そんなもん」
「……そうか」
「お父さんもひと箱持ってたら?」
「いかんいかん、すぐばれる」
と言って一本取るとパッケージを投げて返してきました

「いいこと教えてやろうか○○。ただいまーって玄関入って家に戻るだろ?」
「うん」
「そしたら玄関まで来ておかえり??って抱きしめてくる女がいるだろ?」
「あーそうだね、お母さんとかするね」
「あれは愛情表現じゃないんだぞ…」
「えぇ?」
「ああやってほかの女のにおいが付いてないかとか臭いかいで色々チェックしてんだ」
「そうなんだ…怖い…」
「そうだぞ、怖いんだ。しかもポケットもさりげなく触ってボディーチェックもする」
「うそーー!?」
「いや、本当。そういうわけで煙草は君が持っていなさい」
「あ、はい。」

二人で煙をくゆらせながらそんな話をしていると、幼い頃からのわだかまりや虐待されていたことがなんだか許せるような気分になりました

実家に着くと家の中は綺麗に片付きすぐ住めるようになっていました

父は、これ少ないけど今月分、といって
10万円の入った封筒を僕に渡してくれました

「じゃあ、なんかあったら電話しろよ」
そう言い残すと父は何事もなかったように玄関を出ました
僕も見送りに父の後を追って玄関に出ました
プァン、というクラクションの合図とともに車をUターンさせて帰っていきました
思い出せば幼かった頃から父は、いつもその合図で出かけていました

玄関に出て小さくなっていく車の姿を追いながら、庭の白木蓮の樹をみるとまだつぼみがいくつも芽吹いていて、もう今にも固い殻を破って白い大きな花を咲かせそうでした

毎年、こうして白木蓮を見てヒロユキの死を受け入れ、花が散り桜の季節には出会った頃を思い出すのかな
そんな感傷にとらわれながら、僕は玄関の扉を開けて家に入った








白木蓮
Magnolia heptapeta

花言葉:自然への愛、持続性、崇敬、自然な愛情、恩恵、高潔な心

ハクモクレンは日が当たると開き、日の沈む夕方になると閉じます
これを繰り返し、徐々に大きく開いていき、めいいっぱい開ききった後に散っていきます




諒安(りょうあん)は霧の中、険しい山谷を苦労して歩いています。途中で誰かの歌う声が聞こえてきました。諒安は竜の髭の青い傾斜をかけおり、灌木につまずき、険しい灌木の崖をくろもじの枝にとりついて登り、枯草の頂上に出ました。そして、自分が渡ってきた方向を見ると一面にマグノリアの木の花が咲いていました。
 霧がはれると、二人の子供が歌っていました。
「サンタ、マグノリア、枝にいっぱいひかるはなんぞ。」
「天に飛びたつ銀の鳩。」
「セント、マグノリア、枝にいっぱいひかるはなんぞ。」
「天からおりた天の鳩。」
もう一人の人物が現れ、諒安は、相手であり、自分であるその人物と話し合いました。
「マグノリアの木は寂静印です。あの花びらは天の山羊の乳よりしめやかです。あのかおりは覚者たちの尊い偈(げ)を人に送ります。それは覚者の善で又私どもの善です。」
諒安とその人と二人は又恭しく礼をしました


宮澤賢治『マグノリアの木』より抜粋

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