第2章『武士道プラン異聞録編』
36話「抵抗する意志」
弓道部の部室にやってきた京。そして背後に感じる得体の知れない気配。京が振り返ったその先には、ブロンドの髪を靡かせた女性の姿があった。
「……誰?」
京には一切の見覚えがない。学園に新しく赴任してきた教師だろうか。学園に赴任する教師は、そう少なくはない。
それなのに……京がこの女性から感じているこの邪気は、一体何なのだろう。
「椎名京さん、だったかしら?」
女性はうふふと笑いながら、カツカツと靴音を立てて京に歩み寄る。
京の名前を知っている……この女性に名前を教えた覚えはない。気味が悪かった。
「あの……すみませんが。どちら様ですか?」
間に入るように、弓子が女性に尋ねる。弓子も怪しいと感じているのか、少し警戒している様子が見て取れた。
すると、女性は弓子やその他の生徒達を見渡し、にっこりと笑みを浮かべた。
「そういえば、自己紹介がまだだったわね。私は今日から川神学園弓道部顧問として赴任した、エヴァ=シルバーといいます」
言って、エヴァは自分の名前を告げた。弓道部の顧問……弓子や他の部員達も、そんな話は聞いていない。戸惑うばかりだった。
しかしただ一人、京だけがエヴァの名前に心当たりがあった。思考を巡らせながら、エヴァという名前を検索する。
しかし、何故か嫌な予感しかしない。京の心が、“思い出すな”と危険を警告している。
そしてしばらく思考した末、ある結果に辿り着く。まゆっちを襲った人間も、確かそんな名前ではなかったか………。
(………!アデプトのクェイサー、クイックシルバーの魔女……!)
瞬間、京の背筋が凍りついた。京の目の前にいるのは、紛れもないサーシャ達の敵。異能の力を持つ水銀のクェイサー。
(……?椎名、さん?)
京の表情が余程険しく見えたのだろう、隣で見ていた弓子の警戒が確信に変わった。
この女性は、危険だ。本能がそう告げるようになる。急に部室にやってきて弓道部顧問を名乗り、何より本心が見えない。仮面で素顔を隠している。
それに、弓道部の顧問になるならば、梅子も一緒にいるはずだ。ますますこの女性が怪しい。弓子はエヴァに向き直った。
「……事情は分かりました。では、まず前顧問を呼んできますね」
顧問である梅子に事実を確認しなければと、エヴァを横切って部室を出ようとする弓子。これが本当ならエヴァに対して失礼だが、もし虚実ならば……一体エヴァは、何をしにやって来たのだろう。
そんな疑問を抱えながら、弓子は歩み進む。
「――――あら、ダメじゃない」
小さく、そして悪意の篭ったエヴァの声が、微かにに聞こえた気がした。
この時、京はただならぬ殺気を感じ取った。
「主将、逃げて――――!」
危ないと、危険を告げる京。え?と、弓子は間の抜けたような声を出し、背後を振り返る。
だが振り返った時には既に遅く、弓子の身体は吹き飛ばされていた。
「うっ―――!?」
身体を壁に打ち付け、衝撃で弓子は気絶して倒れ込んでしまう。同時に他の部員達の悲鳴が上がる。
そして、弓子を吹き飛ばしたエヴァ。その手には水銀ロッド。
「―――もう授業は始まっています。勝手に出て行くのは、校則違反よ?」
さも当然のように、水銀ロッドを振るうエヴァ。弓子は気絶していて動かない。壁に身体を打っただけで大した怪我ではなさそうだが……教師のやる事ではない。
「け、警察……!」
部員の一人が携帯を取り出し、警察に電話をかけようと番号を入力する。
しかし、番号を入力してコールした瞬間、見えない銀の糸が迸った。部員の携帯がバラバラになり、一瞬にして鉄屑と化す。
「授業中は携帯禁止です。もし言う事が聞けないのなら、次はそのバラバラになった携帯が―――あなたたちの身体に変わります。言ってる意味が理解できるかしら?」
水銀ロッドの尖端を舐め、ニヤリと不気味に微笑むエヴァ。部員達は“ひぃ!”と悲鳴を上げた。殺される……これまで味わった事のない恐怖と危機感が、部員達を震え上がらせていた。
「さて――――」
部員達の“調教”を終えたエヴァは再び京に向き直る。恐怖で足が竦みそうになるが、京は堪えた。
「――――椎名京。椎名流弓術継承者。そして天下五弓の一人……こんな小娘がそれ程の実力者だなんて、にわかには信じ難いわね」
言って、京を小馬鹿にするように笑うエヴァ。口調は変わり、教師という仮面を剥がした殺戮者へと変貌していた。
何もかも知られている……本当に気味が悪い。
「エヴァ=シルバー。まゆっちを襲ったのも、全部……」
京は怯える部員達を庇うように、エヴァを睨み付ける。するとエヴァはまた不気味に笑う。
「あら、あの子のお友達かしら?ふふ、残念ね。貴方にも見せてあげたかったわ……あの子が恐怖に染まった顔を」
大切な仲間を傷付けた……京の怒りを誘うエヴァ。しかし、そんな挑発に乗る京ではない。怒りは狙いを鈍らせる。集中力が重要な弓術にとって、感情の揺らぎは致命的である。
京は側にあった弓一式を手に取ると、あくまで冷静にエヴァという敵を見据えた。
(もうすぐ助けが来る。それまで私が時間を稼げば……)
状況は時間が経てば変わる。しばらくすれば、異変を感じ取ったサーシャや百代達が駆け付けてくれるだろう。
だがしかし、エヴァはそんな京の思考を読み取ったように、
「助けが来るなんて――――思わない事ね」
指を警戒にパチンと慣らした。すると部室の入口が、窓が、水銀の幕で覆われていく。
完全なる密室空間。外界からの干渉は不可能。全てが遮断される。
「今頃は私の可愛い人形達と戯れている頃かしら。助けも来ないし……助けにも来られない」
「―――――!」
不吉な言葉が、密室の中で告げられる。それは今、この学園が異常に包まれている事を意味していた。
――――2−F教室。
水銀によって密閉された銀幕の空間の中。まふゆ達のいる教室では、突然出現した水銀人形と戦い続けていた。
倒しても倒しても復活する人形から逃げ惑う生徒を、まふゆ、ワン子、忠勝、ガクト、キャップが全力で守っている。
「……くそっ!これじゃキリがねぇ!」
迫り来る水銀人形を殴りつけながら、舌打ちをする忠勝。幾度も蘇る不死の人形……まるで悪夢でも見ているかのようだった。
「はあああああーーーー!!!」
ワン子は薙刀を振るい、風圧で水銀人形を吹き飛ばす。もう何体倒したかは覚えていない。気力を消耗し、次第に疲れが見え始めていた。
「無理すんな一子!お前の身体は……」
ワン子と背中合わせになりながら、ワン子の身を案じる忠勝。このまま続ければ、ワン子の気力が底を突くだろう。
「はぁ……はぁ……あたしなら、まだ大丈夫。たっちゃんは――――」
突然、ワン子の足元から狂犬の人形が出現し、ワン子に襲いかかった。気力を消耗して反応速度が低下し、反応できず身構える事すら許されない。
「―――一子ちゃん!!」
ワン子の頭が噛み砕れる間際、まふゆの竹刀の一閃が狂犬の人形を真っ二つにした。人形は水銀を飛び散らせながら壁にべとりとへばりつく。間一髪で、ワン子は水銀人形の凶刃から免れた。
「はぁ……はぁ……助かったわ、まふゆ」
「一子ちゃん、無理しちゃダメ。ここはあたし達が……!」
次々と襲いかかる水銀人形を、まふゆは蹴散らしていく。サーシャがいない今、このクラスの生徒達を守れるのはまふゆと、ワン子達だけである。
恐らく、サーシャは今この仕掛けを解く為に学園内を奔走しているはずだ。それまで何としても守り抜かなくてはならない。
信じてるから……まふゆはサーシャを信じ、全てが終わるまで剣を振り続けた。
――――1−C教室。
まゆっちとカーチャのいるクラスも、戦える生徒達数人が、水銀人形と戦っていた。
『まゆっち、後ろだ!』
「はいっ!」
まゆっちの剣捌きで、水銀人形を打ち倒していく。だが、数が多すぎる。おまけにどこから出て来るか予測できない。
或いは壁から。或いは床から。或いは天井から。まさに神出鬼没。
「みんな、カーチャ様をお守りするんだ!」
「「「はい!」」」
カーチャの親衛隊がカーチャの盾になり、それぞれ武器を構えて水銀人形に挑む。
が、しかし。
「うわーー!!!」
「ぷぎゃーー!?」
彼らは想像を絶する程弱かった。親衛隊達は次々と倒れていく。
「――――!?いけない、カーチャさん!」
カーチャの危機を察知し、まゆっちが飛び込み水銀人形を薙ぎ払うが、切り払ったのも束の間、次なる水銀人形の魔の手が忍び寄る。
「由紀江お姉さま、危ない!」
カーチャがまゆっちの身体に体当たりし、まゆっちは衝撃で仰向けに倒れ込む。カーチャはまゆっちの身体に覆い被さるような体勢になっていた。
「か、カーチャさん。ありが―――」
「―――お前の聖乳を貰うわ、黛由紀江」
「え」
どさくさに紛れ、カーチャはまゆっちの制服を引き剥がした。下着を外し、色白の胸が揺れて剥き出しになる。
「わーーー!?ちょ、ちょちょちょちょ!ななな何をするんですかいきなり!!」
強姦まがい(ほぼ強姦)な事をされ、顔を真っ赤にしながら戸惑うまゆっち。いくら他の生徒が見ていないからと言って、これはやりすぎである。
しかし、カーチャは有無を言わさない。女王であるが故に。
「他の連中じゃ始末に追えないみたいだし、ママを使って持ちこたえるわ。でもあいにくと聖乳が切れてるのよ、だから力を貸しなさい」
平然と言ってのけるカーチャ。確かにまゆっちと他生徒数人だけでは守り切るのに限界がある。カーチャの言っている事は正論だった。
「たたたたた確かにそそそうですがなんというかそのそんな破廉恥な行為は道徳に反するというか私初めてというか!!」
『そうだそうだ!まゆっちの始めてを捧げるのは生涯愛を誓った人だけだz――――』
「―――――」
まゆっちと松風の制止も虚しく、カーチャは華麗にスルーしてまゆっちの乳を吸い始めていた。
「あっ!?は―――――んんっ!んううううううぅぅぅぅ!?」
悩ましい声を出しながら、なるべく叫ぶのを堪えるまゆっち。自分の中のものが、カーチャによって吸い出されていく。誰も見ていない事を祈るしかない。
カーチャは乳首から口を離し、口の周りについた聖乳をペロリと舐め取る。
「ふふ……凄い聖乳の量ね。それになんて濃厚なのかしら」
意外と感じやすいのねとカーチャに言われ、まゆっちはさらに顔を赤くした。本当に誰も見ていない事を説に願いたい。
「―――――!?カーチャさん、後ろ!!」
まゆっちの視線の先には、カーチャの背後に迫る水銀の騎士の姿があった。剣を振り上げ、カーチャに向けて剣を振り下ろす。
「―――――медь!」
刹那、水銀人形は無数の銅線に串刺しにされ、最後には引きちぎられるように身を引き裂かれて消滅した。
――――アナスタシア。液体化して建造物の隙間を掻い潜り、銅を再構成して出現した。
これでしばらくは持ち堪える事ができるだろう。アナスタシアは銅線を射出し、複数の水銀人形を破壊していく。
(くっ……教室の外に出られれば!)
教室から脱出できれば、この仕掛けを作動させているコアを探し出して破壊できる。しかし、仮に教室を出れたとしても、その間に生徒達が水銀人形の餌食になるだろう。
(ああ、もう。めんどくさいわね―――――!)
舌打ちをするカーチャ。今はアナスタシアを操作し、この場を凌ぐ他なかった。
――――川神学園大会議室。
サーシャと百代は水銀人形の群れを掻い潜り、大会議室へと辿り着いた。
「この場所だ」
サーシャの左耳のイヤリングが強く発光している。この場所に、仕掛けのコアである元素回路が組み込まれているはずだ。
「……?サーシャ、もしかしてあれか?」
百代が天井を見上げる。その場所に、サーシャ達の求めているコアが存在していた。
天井の中心に根を張り、不気味に発光する黒い紋章。紋章はまるで人間の心臓のように強く脈打っていた。
これが恐らく、川神市を騒がせている“謎の元素回路”。ワン子に根付いていた時と同じ波動が、サーシャ達の身体を通して伝わる。
間違いない……サーシャは大鎌を構え、張り付いた元素回路を破壊を試みる。
だが、
「――――!?」
大きな気配を感じ取り、サーシャは後ろに大きく後退した。
会議室全体に水銀が満ち始め、サーシャと百代の前に収束していく。
やがてそれは人の形――――否、巨人のような異形の姿へと変貌した。その姿は、まるでゴーレムを連想させる。これを倒さない限り、元素回路は破壊できない、ということだろう。
無数の水銀人形。そしてトラップ。さらには水銀の巨人。謎の元素回路には、ここまでの力があるというのだろうか。
「なるほどな、こいつがここの門番ってわけか」
腕をバキバキと鳴らしながら、百代は目の前の強敵を前に武者奮いしていた。
もう一刻の猶予も許されない。この巨人を倒し、エヴァ=シルバーを探し出し、倒さなければ。
「百代―――――、」
「―――――サーシャ、」
互いに息を合わせ、サーシャと百代は水銀の巨人を迎え撃った。
「「―――――一瞬でかたをつけるぞ!!!」」
弓道部部室。
学園で起きている異常。サーシャ達も巻き込まれているという事は、応援はまず来ない。絶体絶命だが、京には確信があった。
――――それは、仲間を“信じる”という事。たとえ何が起きようとも、必ずサーシャ達は助けにやってくるだろう。
「私は……仲間を信じる。だから戦う。エヴァ=シルバー、お前は私が撃つ!!」
戦う意思は消えない。だからこそ京は武器を取る。信じる思いを力に変えて。
その揺るぎない意思が、京を突き動かしていた。
それに対してエヴァは滑稽ねと、クスクス笑っている。同時に彼女の殺意が――――京に対する嗜虐という名の殺意が膨れ上がっていた。
「そう――――なら遊んであげる。椎名流弓術、どれほどのものか見せて貰うわ」
水銀ロッドを振り翳し、エヴァの周囲に水銀が渦巻き始めた。全てを切り裂く銀の刃が、怪しく蠢いている。
京は臆さず力強く弓を引く。敵を撃つ、希望の矢となりて。
「――――川神学園2−F、椎名京。参る!」
「――――弾けなさい!至上の快楽と共に!」
京とエヴァの刃が、激突した。