第2章『武士道プラン異聞録編』
38話「鮮血と水銀」
「うおおおおおおおおお!!!」
「はあああああああああ!!!」
エヴァという元凶を断つ為、サーシャは武器を手に、百代は己の拳で立ち向かう。
しかしエヴァは微動だにしないまま、突貫する二人を見下しながら余裕の笑みを浮かべていた。
2人の攻撃がエヴァに届く直前、水銀による自動防御が発動する。水銀はエヴァの側面に幕を生成し、挟み撃ちを仕掛けたサーシャと百代の攻撃を拒絶した。
「自動防御だと……!?」
「そう、私が作り出した究極の芸術品。それに―――――」
そしてエヴァは水銀ロッドを、横一線に振り翳した。すると同時に周囲の水銀が剣に生成され、エヴァの動きと連動するようにサーシャと百代を薙ぎ払う。
「自動防御だけじゃないわ。攻撃も、防御も変幻自在。あなた達には私に触れる事すらできない」
攻防一体の水銀の鎧。これを突破しない限り、エヴァに一撃を与える事は皆無。また攻撃を仕掛ければ水銀の膜に阻まれ、さらには迫り来る敵を排除する刃となる。
「ならば―――――!」
攻撃を阻む膜を、水銀を凍結させればいい。固体になれば突破するのは容易。サーシャは分子振動で周囲の温度を下げ、エヴァを防護する水銀を固体化させる。
―――――だが、水銀は一向に凍る気配がなかった。
あり得ない。サーシャは疑問を抱くが、その疑問はすぐに解けた。
「そうか……水銀の温度を一定化させているのか」
エヴァの能力は第六階梯。だとするならば、水銀の温度を一定に保つ事など造作もない。
「だったら、その水銀ごと、ブチのめせばいいだけの話だ!!!」
百代が疾走し、エヴァを防護する水銀に向けて強烈な正拳突きを叩き込んだ。
次の瞬間水銀の膜が変化し、まるでハリネズミのような針の筵へと変わる。危険を察知した百代はピタリと拳を直前で止めた。
「言ったでしょう?あなた達では、私に触れる事すらできないとね」
針の筵が弾け飛び、無数の針の嵐となって百代に襲いかかる。
「―――――舐めるなぁ!!」
降り注ぐ銀の針を、百代は全て拳で撃ち落としていく。千本、万本単位の針を、纏めて全て撃ち落とす。さらに前進し、押し進むようにエヴァに接近。気を溜め込み、渾身の一撃を放つ。
「川神流・星殺――――!?」
突然、百代の動きが止まる。否、止められていた。百代の身体が、まるで何かに縛られているように動かない。
百代の身体中には、ピアノ線のような水銀の糸が絡みついていた。打ち払った水銀の針が変化したものだろう……百代の動きを封じ込めている。
「やってくれたな……だが、こんなもの――――!!」
百代は身体中に気を巡らせ、気の波動を発生させる。波動は絡み付いた水銀の糸を、まとめて強引に吹き飛ばした。
次の瞬間、
「ぐっ!?」
百代の足下から、無数の銀の針が隆起した。反応が遅れた百代は直ぐに後退するが、鋭く尖った針の先端は、百代の身体の皮膚を容赦なく抉っていた。
「くそ……瞬間回復!」
気を活性化させ、受けたダメージを回復する百代。自分の攻撃が通じない、鉄壁の能力。そして次から次へと連鎖の如く繰り出される攻撃。これまでにない強敵である。
なのに、今は喜べない。目の前にいるのは、仲間を傷付ける敵でしかないのだから。
サーシャもこれまでとは違うエヴァの能力に、苦戦していた。全てを退ける防御力。そして第六階梯の力。たとえ鮮血の剣を持ってしても、本体にダメージを与えるのは難しい。
(……今ので聖乳が切れた)
サーシャの聖乳も底を尽きかけていた。学園内での水銀人形との戦いで、殆ど消耗してしまっている。これ以上戦うには限界があった。
「サーシャ、今すぐ聖乳を――――!」
聖乳を補充させる為、まふゆはサーシャに駆け出した。
「―――――させると思って?Vorladung!!」
エヴァは水銀の塊をサーシャとまふゆの間に放った。塊から水銀人形が数体出現し、まふゆの前に立ちはだかる。
「これじゃあ、聖乳の補充が……!」
この水銀人形を倒さなければ、サーシャに聖乳を与えられない。倒したとしても、また復活してまふゆの行く手を阻むだろう。
「くっ……」
サーシャの表情には、疲労の色が浮かんでいる。このままでは防戦するのが精一杯……下手をすればそれすらも叶わない。
すると、
「サーシャ!」
突然、京がサーシャの元へ駆け寄ってきた。サーシャは京へと視線を向ける。
そして京はワイシャツのボタンを外し、さらに下着を捲り、素肌が露わになった乳房をサーシャに差し出した。
「私の……私の聖乳を吸って!」
「な……?」
その京の決断はサーシャだけでなく、まふゆや大和、キャップ達も驚愕した。あの京が、心を開かなかった京が、出会って間もないサーシャに聖乳を差し出した……驚くべき事である。
「私が力を貸すから……だからあいつを、エヴァ=シルバーを倒して!」
仲間に心を突き動かされた京。助けられた京。今度は私が助ける番だ……京の心は確かに今、“震えて”いた。サーシャは頷いて、京の身体をそっと抱き寄せる。
「分かった。力を借りるぞ、京!」
京の決断を、その思いを受け止めるように、差し出された京の乳房に口付けをするサーシャ。舌で乳房を触れ、吸い寄せるように聖乳の吸引を始めた。
「あっ……あうぅぅあ!?あ、は……う……んんぅ!!」
顔を真っ赤に染め上げ、悩ましい声を上げる京。感じる。サーシャに自分の中にある何かが吸い出されていくのが分かる。
力強く、そして優しいサーシャの口付け。身体が心地良さで震え、果てる頃には聖乳の補充は終わっていた。力が抜け落ち、京は床に座り込む。
「お前の決意……お前の力。確かに受け取った」
サーシャの傷口から溢れ出る、赤き鮮血。鮮血はサーシャの周囲を揺らめき、異端を滅ぼす鮮血の剣へと姿を変えていく。
左頬に刻まれた証が形を成す。サーシャは形成した鮮血の剣を掴み取ると、赤く研ぎ澄まされたその刃をエヴァに向けた。
「―――――俺の心は今、震えている!!」
聖乳を補充したサーシャの反撃が始まる。しかし戦況は未だ変わらないままだ。
だが、力を与えてくれた京の為にも負けられない。エヴァの水銀が阻むのならば、無理にでも切り開けばいい。
そう、この鮮血の剣で。
「斬り裂け!我が血の刃よ!!」
サーシャが剣を振るう。分子振動によって発生した赤い斬撃が、残像のように連続する。斬撃はエヴァの自動防御を瞬く間に切り裂いていく。
しかし斬り裂かれる度に水銀の障壁が再構成され、エヴァを防護する。やはり攻撃は届かない。
「あっははははははは!無駄よ、いくら攻撃を加えても――――」
「無駄かどうかは、この一撃を食らってから言え!!」
サーシャと入れ替わるように、百代がエヴァに急接近する。
「川神流・無双正拳突き乱れ打ち!」
百代は強力な正拳突きを乱射し、エヴァの水銀に叩き込んだ。障壁を叩き、破壊し、さらに叩き、破壊して前へと突き進む。
無駄だと言うのに、何故それが分からないのか……サーシャと百代の執拗な攻撃に、エヴァは苛立ち始めていた。
「うっとおしいガキ共が!2人まとめて失格よ!!!」
エヴァが水銀ロッドを再び振るう。エヴァの周囲に六本の十字剣が生成され、サーシャと百代に向けて放たれた。サーシャと百代は後退し、迫る六本の剣を弾き、破壊する。
何か打開策はないのか……このままではエヴァを倒せない。
「どいつもこいつも頭の悪いガキばかり。もういいわ、その沸いた頭ごと綺麗に潰してあげる!」
エヴァの身体の側面に水銀の外殻が現れる。恐らく、次の一撃でサーシャたちを葬るつもりだろう。サーシャと百代は身構えた。
一方、サーシャ達の戦いを見ていた京は。
(サーシャとモモ先輩でも、歯が立たないなんて……あの自動防御、本当に無敵―――あ)
ふと、ある事に気づく京。エヴァに攻撃を与える際、京は背後、側面を狙っていた。しかし、その攻撃も自動防御によって妨害されている。
ただ、一つだけ自動防御ではなくエヴァ自身が防いだ攻撃箇所があった。
それは、京がエヴァに対して最初に放った一撃―――正面である。あの時エヴァは攻撃を中断し、防御行動に移っていた。
自動防御ならば、エヴァが意識しなくても発動するはずだ。ならば何故、正面からの攻撃は自ら防御しなければならなかったのか。
答えは一つ、正面からの攻撃には自動防御は作動しないという事だ。
つまり自動防御は不完全。無敵ではない。
「―――2人とも正面を攻撃して!正面からの攻撃なら、あの自動防御は働かないはず!」
京の助言に、耳を傾けるサーシャと百代。実際、京はエヴァと一戦交えている。サーシャは百代と視線を合わせ、互いに頷いた。
後は仲間を――――京を信じて立ち向かうのみ。
「何をごちゃごちゃと!!千切れてしまいなさい!!!」
エヴァを覆う外殻から出現する、無数の触手。触手は暴れ狂うように、周囲を切り裂きながらサーシャたちに迫り来る。あれに巻き込まれれば、今度こそ終わりだ。
だが、終わらせない。百代が先陣を切り、切り裂く触手の群れに向け、
「食らえ、川神流・致死蛍!!!」
全身全霊をかけて、エヴァの“正面”に気弾を撃ち放った。気弾は触手の群れを纏めて蒸発させていく。しかしそれでもエヴァには届かない。一度目の攻撃を食い止めるのが限界だ。
だがこの僅かな瞬間にこそ、勝機はある。
「今だ、行けサーシャ!!」
百代の合図と共に、サーシャがエネルギーが拡散した空間へと全力疾走する。そう、致死蛍はフェイク。サーシャがエヴァに一撃を与える為の布石。
「うおおおおおおおおおおおおおおぉぉ!!!!!!!!!」
今なら届く。拡散する気の空間を潜り抜け、サーシャは剣を槍へと再錬成し、エヴァの正面へと斬り込んだ。奇襲のような予想だにしない攻撃に、エヴァは驚愕に顔を歪ませる。
(正面から!?まさか、さっきの気弾は囮――――!)
銀の鎧は、京の言う通り正面からの攻撃は、自動防御は作動しない。故に不完全。エヴァ自身で防御し補わなければならない。
僅かな時間で弱点を見抜かれた。エヴァは第二射の攻撃を中断、防御体制を測ろうとするが……間に合わない。サーシャの攻撃は自分の間近に迫り、
「が――――あっ!?」
そして、サーシャの赤き槍の一撃がエヴァの身体を貫いた。エヴァの身体は衝撃で貫通した槍ごと吹き飛ばされ、壁に打ち付けられて張り付けになる。
瞬間、まふゆを阻んでいた水銀人形が効力を失い、水のように崩れて弾け消える。
「まふゆ―――――!」
「うん!」
次の攻撃で、決める。サーシャは鮮血の剣を錬成、そして真紅の大鎌へと姿を変える。
「元素回路励起――――!」
さらにまふゆの剣の生神女の加護が加わり、サーシャの武器は万物を切り裂く刃となる。
エヴァは再生能力を持つクェイサー。細胞全てを切断し、二度と復活はさせない。
サーシャはエヴァに接近。大鎌を振り上げ、必殺の一撃を与える。
「――――罪人に贖いを」
まふゆは祈る。異端の者に魂の浄化を。そして贖罪を。
「――――終わりだ、エヴァ=シルバー!!」
サーシャの一撃が、エヴァの身体を真っ二つに斬り裂いた。剣の生神女の加護を受けた一撃は、エヴァを構成する細胞を、全て切断して破壊する。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!?」
断末魔と共に、エヴァの身体は赤く燃え上がり、大量の水銀を垂れ流して絶命した。これが復活したエヴァの、焚刑という名の末路。
狂気の魔女の復讐は、結果として同じ末路を辿った。
「地獄へと還れ、哀れな魔女よ。お前にはやはり焚刑が相応しい」
サーシャは手向けの言葉を告げ、燃え上がる魔女の亡骸に背を向ける。全て終わった。もう蘇る事はないだろう。これでエヴァは完全に消滅した。
――――消滅した、かに見えた。
「ふ……ふふ、ふふ」
燃え盛る業火の中から聞こえる、魔女の嘲笑。サーシャはもう一度魔女の亡骸へと振り返った。
川神学園裏庭前。
ついUとVを倒したマルギッテとクリス。
Vは身体を壁に打ち付けられ、血の入り混じった水銀を大量に吐き出し地面に伏している。
Uも身体を小刻みに痙攣させながら、意識を失っていた。もう彼女らは戦えまい。熾烈な戦いにようやく終わりが見える。
だが、そんな事はVが許さなかった。水銀を吐き出し、むせながらゆっくりと立ち上がる。
――――Vの保有している再生者の能力が発動する。身体に受けた傷が回復していく。
何度も攻撃を受けても幾度となく再生を繰り返す、不死身の力。だが、その能力はVにとっては耐え難い屈辱に他ならない。
何故なら彼女は、サディストであるから。
「――――ろす」
吐き出した水銀を揺らめかせながら、Vは独り言のように呟く。先程とは様子が違う……身構えるクリスとマルギッテ。
そして、身体を怒りと憎しみで震わせたVの感情が、弾けた。
「――――ころす。殺す!殺ス!殺す!殺す!殺す殺す殺す殺す殺ス殺す殺ス!!!」
まるで怨嗟のように、マルギッテとクリスに殺意を向けながら絶叫する。Vの怒りの感情に呼応するように水銀が荒れ狂い、ドリル状の鋭利な狂気に姿を変えた。
ダメージを受けた事により、Vの能力が格段に上がる。その力、第四階梯を上回る程に。
「ブチ殺す!抉り殺す!!嬲り殺す!てめぇらまとめて失格だ!!!」
Vが再び牙を剥く。ドリル状の凶器が2人に狙いを定めていた。獲物を狙う生き物のように。
また戦わなければならないのか……2人は連戦を覚悟した。
「――――そこまでよ、V」
突然、Vを呼ぶ声が聞こえる。呼び止めた声の正体は、さっきまで意識を失っていたはずのUの姿だった。Vは忌々しげにUを睨み付けるが、直ぐに表情を変える。
「おかあ……さま……」
瞳を震わせながら、Uの事を“おかあさま”と呼ぶV。
しかし、Uは意識を失ったままであった。無感情で、虚ろな瞳の。腹話術で命を吹き込まれた人形のようである。Uの向こう側に、別の誰かがVに語りかけていた。
Uは無感情のまま、ただ用件だけをVに伝える。
「退却よ」
「退却!?で、でもおかあさま――――!」
「用事は済ませたわ。ここに留まる理由はなくてよ。それとも私の言う事が聞けないのかしら?」
「くっ……」
目の前に獲物がいるというのに。しかし、命令には逆らえない。しばらくして、Vは背後に控えていた水銀を、ロッドに収めた。
同時にUの身体がふらりと、地面に倒れ込みそうになる。VはUの身体を拾い上げ、2人に背を向けて退却を図る。
「待てっ!」
後を追おうと駆け出すクリスとマルギッテ。しかしVは学園の壁を軽々と伝い、次第に姿は見えなくなっていた。
(あの双子……先程とはまるで別人だった)
今のは確かにUではない、別の人格であった。恐らく、あの双子を送り込んだ主犯格だろうとマルギッテは睨んでいる。
戦いが終わる。しかし、根本的な解決には……至らなかった。
「な、に………」
サーシャは燃え盛る魔女の亡骸に振り返った瞬間、目を見開き絶句した。
そこには確かにエヴァ=シルバーの死体があった。それなのに、サーシャが今目にしているのは、肉体が水銀となって崩れた“エヴァだったもの”だった。
肉体が崩れ去り、その本体が姿を表す。現れたのは、小柄の少女であった。
「……はず、れ。なのです」
桃色の髪の少女は、真っ二つになりながらも、ニヤリと笑いながらサーシャ達を嘲笑う。やがて少女の肉体は水銀の塊となって溶け、周囲に蔓延していた水銀とともに消えていった。
「馬鹿な……身代わりだと」
驚愕するサーシャ。倒したのはエヴァではない。察するに、エヴァが作り出したクローンで自分に擬態させたものだった。
今まで戦っていたエヴァは偽物……否、クローンを通じてエヴァと戦っていたと言った方が表現が正しいだろう。
「……やったのか?サーシャ」
百代の表情は晴れない。百代も感じていた。まだ、終わってはいない。
「あれはクローン体だ。だが、俺達が戦っていたのは、確かにエヴァ=シルバーだった」
エヴァのクローン。以前QとRという双子のクローンがいた。恐らく、それと同じ類のものである事は間違いない。つまり、あれはクローン体で作られた分身。
そして実際のエヴァは今戦ったクローンと同等の強さ、もしくはそれ以上である。ようやく戦いが終わりを告げたというのに……周囲に不穏な空気が流れ出す。
だが、それを拭い去るように声を上げたのは、キャップだった。
「そう暗くなんなって。みんな助かったんだ、ひとまずはそれでいいだろ?サーシャ」
言って、笑いながらサーシャの肩を叩く。確かにキャップの言う通り、危機は去った事に代わりはない。まずはその事を喜ぶべきだろう。サーシャはああと言って頷くのだった。
―――しばらくして、外からパトカーのサイレンが学園全体を包んだ。ユーリが手配したのだろう……今回の一件も、うまく誤魔化して隠蔽するつもりらしい。
こうして、学園全体を巻き込んだエヴァの襲撃事件は幕を閉じた。だが、これはまだ“始まり”に過ぎない事を、サーシャ達はまだ知らない。