第2章『武士道プラン異聞録編』
サブエピソード26「最強の刺客」
川神市某地下研究所。
エヴァはいつになく上機嫌であった。椅子に腰掛けながら、紫色に輝くドロップ型のペンダントを弄んでいる。
黒と紫が混ざり、濁り切ったような邪悪な混色。そのペンダントのトップからは、禍々しくドロドロしたオーラが放たれていた。
これこそが、川神市内を騒がせている謎の元素回路である。
名を、『欲望の紋章』という。通常の元素回路とは違い、元素回路の二倍の効力を発揮する代物。装着した者が願えば願う程、力が膨れ上がっていく。
人間の中にある、底無しの欲望。尽きる事のない感情。故にこの名がついている。
だが作成工程は不明。唯一分かっている事は、それを流出している闇の売人がいるという事だけ。
第二の紋章屋と呼ばれているが、正体は分からないままである。
「――――サンプル回収は順調ですかな?ミス・エヴァ=シルバー」
エヴァの背後からやってきたのは尼崎。エヴァはペンダントをしまい、椅子を回転させて尼崎の方へと身体を向ける。
「ええ、おかげでパーツを一つ失ってしまったけどね。保険はかけておいて正解だったわ」
エヴァが体得した、第六階梯の能力……それは分身体の生成である。
自ら作り出したクローン体をベースに、身体に装着させた元素回路で精神を共有し、ほぼ同じ能力を保有した状態でエヴァ=シルバーとして再構成する……つまりクローンがいる限り、エヴァの身体はいくらでも代えが効く。わざわざエヴァ自身が戦う必要性はない。
分身体を利用した最強の戦術。階梯を上がり、エヴァはクェイサーとしての頂点の座を欲しいがままにしていた。
「――――じゃあお母様、Tを……Tを身代わりしたって言うんですか!?」
室内に高らかに響く、少女の声。やってきたのはVである。
Vはエヴァに対しての怒りを最小限に抑えながら、やはり姉であるTを使い捨てたという事実に激情を隠せずにいた。
そう、サーシャ達が倒したあれはクローン体のTであった。Vの問いに、エヴァは悪びれた様子もなく淡々と答える。
「ただ身代わりになった訳じゃないわ。サンプルの回収は予定通りよ……それよりもV、私に対してその反抗的な態度は何かしら?」
エヴァは冷たく笑い、指でなぞるように宙を描いた。瞬間、Vは頬をまるで平手打ちをされたような衝撃を受けた。頬は赤く腫れ上がり、ナイフで切りつけたような切り傷ができる。
水銀による、虐待という名の“お仕置き”であった。
「も……申し訳、ございません、でした。おかあ……さま」
声を震わせながら、目を俯かせたまま答えるV。エヴァは満足げに笑うと、研究室から出ていくよう命令する。Vは何も答えずに部屋の入口へと歩き出した。無言のまま、尼崎の隣を横切っていく。
すると尼崎がVを横目で舐めるように眺めながら答える。
「いけませんね。母親の言う事は聞かないと」
嫌味のように、憎らしく呟く尼崎。しかしVは尼崎には目もくれず、ただ冷淡に返答する。
「……汚ねえ口でしゃべんな。目玉抉るぞ、カス野郎が」
それだけ言い残して、Vは研究室から消えて行った。尼崎はその背中を眺めながらと力なく笑う。
「私も嫌われたものです」
別に好かれたいわけでもないのだが……年頃の娘は感情的になるから困ると苦笑する尼崎。
エヴァのクローン体はマゾヒストの性質を持つ筈だが、Vはエヴァと同じ性質のサディスト。欠陥品であると認識せざるを得なかった。
「そうかしら?あれはあれで最高の作品よ。ふふ……楽しみだわ。あの子の意識を奪い、身も心も屈服させる日が来るのを」
舌舐めずりしながら、いつかVを分身とする日を待ち望むエヴァの表情は、これまで以上に不気味でかつ冷酷だった。
エヴァは、V以上にサディストである。常人には理解できない、歪んだ芸術。化物め……と尼崎も心の中で軽蔑する。協力者とはいえやはり異端者。気味の悪い事この上ない。
「……ところでドクター。私の研究室に来たという事は、完成したのかしら?貴方の作品が」
話を変えて椅子から立ち上がり、エヴァは尼崎に問いかける。尼崎はくくくと不気味に笑い、背後を振り向き、研究室の入口へと視線を送る。
「ええ。私の最高傑作―――――最強のクローン、第一号がね」
かつ、かつと足音を立て、徐々に近付く影が一つ。尼崎が作り出した、最高の作品。
“それ”はエヴァと尼崎の前で立ち止まり、無言のまま立ち尽くしていた。エヴァは姿を眺め、悪くないわねと評価する。
「それで、これをどうするつもりなの?」
「頃合いを見て市内へ送り込みます。さぞ面白い事になるでしょう」
「ふふふ、期待してるわ」
二人は笑う。これから起きる、更なる戦いの予兆に。
――――“最強の刺客”が、川神市に舞い降りる。