第2章『武士道プラン異聞録編』
サブエピソード27「武士道プラン」
九鬼家、屋敷客間。
豪華な装飾とシャンデリアが部屋の中を彩り、ただの客間とは思えない程立派な空間である。
そこには背の高い長髪の美女、そして額の×印。九鬼英雄の姉・九鬼揚羽が腕を組み、窓の外を眺めていた。誰かを待っているのだろうか、時々腕時計を確認する仕草を見せている。
しばらくして、客間の扉をノックする音が部屋内に響いた。
『揚羽様、お客様をお連れしました』
「通せ」
揚羽の一言で、扉が開く。入ってきたのはメイドのあずみと、揚羽を訪ねた客人―――それは心とカーチャだった。あずみは失礼しますと言って部屋を去っていく。
心は客間の椅子に腰掛ける直前、カーチャに呼び止められた。
「心、おすわり」
「………」
だろうと思った、と心。きっとまた屈辱プレイをするつもりなのだろう。しかもあの九鬼財閥の人間の目の前で。耐えられない……心は無言で否定を訴える。
しかし、当然それで引き下がるカーチャではなかった。
「медь」
「――――!」
カーチャが小さく呟いた瞬間、心の身体がビクッと急に震え出した。頬を真っ赤に染め、何故か気持ち良さそうに溜息をつきながらへなへなと崩れ落ち、膝をついて四つん這いになった。
カーチャは心の背中を椅子変わりにし、足を組み座り込む。相変わらず揚羽は背を向けたままだ。
そしてようやく、溜息混じりに話を始めるのだった。
「……わざわざ不死川家の人間を動かさずとも、直接我を訪ねればよいものを」
カーチャは九鬼家を訪れる際、心を使って英雄に姉に会えないかと話を取り付けるよう命じていた。だが取越苦労だったようだ。揚羽の言葉にショックをうける心。
「関係ないわ。これはただの奴隷よ」
そしてカーチャの一言にさらに心はショックを受けるのだった。もはや立ち直れない……が、この主従関係も慣れた気がする。
「か、カーチャさま……そろそろ降りていただいてもよろし―――」
これ以上こんな格好をさせられれば、心が折れる(というよりもう折れている)。しかし心の精一杯の抵抗も虚しく、カーチャによってお尻を抓られた。
「にょわーーーー!!痛いのじゃーーーーーーーー!」
あまりの痛さに絶叫する心。
「今のお前は椅子よ。椅子が言葉を発していいのかしら?それともここは魔法とお菓子が飛び交うおとぎの国ですとでも言いたいの?心」
「あ……うぅ……」
次に口答えすれば今以上のお仕置きが待っている。しかも誰がいようがお構いなしに。心は何も言えずもどかしさを感じたが、従わざるを得なかった。そのやり取りを背中越しに聞きながら、揚羽は呆れ果てている。
「……そろそろ本題に入ってもらおうか。よもや、お前の奴隷とやらの躾けを披露しに来たわけではあるまい?アトスのクェイサー、いや―――」
長い髪を靡かせながら、揚羽はカーチャ達にようやく身体を向けるのだった。
「赤銅の人形遣い、エカテリーナ=クラエ」
凛々しく威厳のある眼光がカーチャたちを射抜くように視線を送っている。さすがは九鬼家の長女、思わず身がすくむ心だが、カーチャは動じない。ふん、と興味なさげに堂々としているだけだ。
そう、カーチャは九鬼家に興味はない。あるのはただ一つ。
「あんたに聞きたい事はただ一つよ、九鬼揚羽」
カーチャの視線に感情はない。ただ、そこからは冷酷な感情が伺える。しかし揚羽の態度は変わらない。
「いいだろう。申してみよ」
そう言って、揚羽はカーチャの回答を待つ。そしてカーチャは、この瞬間を待っていたようにニヤリと悪魔のような笑みを浮かべた。
「――――“武士道プラン”」
「………!」
その言葉に、揚羽はほんの一瞬だけ表情が変えた。当然、カーチャはその一瞬を見逃さなかった。しかし、揚羽は隠すつもりはなく肯定する。
「……何故それを知っている?あれは九鬼の人間と関係者意外知らない筈だ」
目を細めながら質問を返す揚羽。現代の人材不足を解消する為にマープルが提唱した偉人や英雄のクローンを誕生させる計画。アトスの情報網ならば、その程度の情報をつかむ事くらい造作もない。
「あのババアが一体何を企んでいるか知らないけど、私にはそんなもの興味ないわ。私が知りたいのは武士道プラン元研究員―――尼崎十四郎の事よ」
カーチャが望む情報。それは武士道プランの研究に携わっていたとされる人物、尼崎の事だった。
ここにいるんでしょ、本人に合わせなさいとカーチャは催促する。しかし揚羽から返ってきた言葉は意外なものだった。
「尼崎は正規のプランのチームから外され数日前に退職している。もうここにはいない」
尼崎はチーム内で口論を起こし、その末に、マープルに抗議した結果チームを追われてしまったのである。意にそぐわなかったのだろう……それを期に自己退職し、研究所を去ったらしい。
「その後の行方は?」
執拗に質問を重ねるカーチャ。しかし揚羽はそこまでは知らないと首を横に振るだけだった。
「……何故そこまで尼崎十四郎に拘る?」
何故カーチャは尼崎に拘るのだろう。疑問が浮くのは当然である。武士道プラン、尼崎十四郎。一体何を聞き出したいのか真意が分からない。カーチャは静かに答えた。
「おそらく尼崎は、今回の事件の主犯格の一人よ」
「な……」
つまり例の元素回路事件に関わっているという事である。さずかの揚羽も言葉が出てこない。何故彼が……理由はどうあれ、もしそれが本当ならば一大事だ。
すると、カーチャのポケットから携帯が鳴り出す。カーチャは携帯を取り、
「……そう。思ったより早かったわね」
軽く舌打ちをして電話を切ると、心の背中から降りて、行くわよと心のお尻を引っ叩いた。心は反応してピンと背筋を伸ばす。もう調教済みである。
「待て!どういう事だ、一体何が起きている?」
呼び止める揚羽。カーチャは振り向かぬまま立ち止まり、
「知りたいのなら、その目で確かめる事ね」
ただ一言だけ言い残していくのだった。真実を知りたければ、ついてこいという事だろうか。どちらにせよ、揚羽は黙って見ている訳にはいかなかった。九鬼家の人間として見過ごせぬ話ではない。
「……ならば、我も出向こう」
その目で真実を確かめる……揚羽はカーチャに同行を求め、カーチャは好きにすればいいわと承諾した。
武士道プランの裏側で何かが起きている……揚羽は立ち上がった。真実をこの目で見定める為に。