第2章『武士道プラン異聞録編』
サブエピソード28「不完全なるもの、散りゆく野望」
Vとともに地下研究所へと帰還したクローン黛は、研究室の壁に背中を預けながら、深夜の公園で起きた出来事を思い返していた。
(私は……完璧な、はずだ)
心の中で、何度も肯定を繰り返すクローン黛。自分はあらゆる面でオリジナルを凌駕している。現にまゆっちとの戦闘は自分が勝利を収めているのだ、これでそれが証明されたはずだ。
………それなのに。
“あなたは、絶対にまゆっちにはなれない”
あの時伊予が言った言葉が、耳から離れない。自分が本物になれないとは、どういう事だろうか。否定される道理が理解できない。彼女はオリジナルよりも優っている自分の姿を、すべてを目の当たりにしている。
何故、否定されなければならないのか。自分にはない、何かがあるとでもいうのか。それは考えられない。何故ならまゆっちにはない全てを、手にいれているはずなのだから。
唯一違いがあるとすれば、あのストラップの松風という存在。あれを見た瞬間、酷い吐き気に襲われた。真面に戦えなくなるくらいの嫌悪感が、クローン黛にとって予期せぬ最大の想定外だった。
永遠と自分に問いを投げ続ける。答えを見出せない苛立ちと、不完全という現実を突きつけられた絶望感が、彼女の心を板挟みしていた。
「ご気分が優れないようですね」
クローン黛にかけられた声と、気配のない一人の影。タロットカードを眺めながら、何時の間にかフールがクローン黛の側に立っていた。善意も悪意もないフールの笑みが、堪らなく気に入らない。
「……私は、黛由紀江だ。何もかもが、完璧なはずなのに……」
誰に向けている言葉でもなく、ただ独り言のように自問自答を繰り返す。するとフールは静かに、
「本人はこう言っていますが……ドクターの意見をお聞かせ願いたいですね」
もう一人の訪問者に投げかけた。尼崎である。側にはエヴァの姿もあった。尼崎の姿を目にしたクローン黛は目の色を変え、まるで縋り付くかのように訴える。
「尼崎!私は完璧じゃなかったのか!?黛由紀江を超えた、最強の存在じゃないのか!?」
オリジナルを超えた最強の存在として作られた、武士道プランの試作体。だがその最強という名は、伊予、そして松風というちっぽけなストラップによって崩されてしまった。
何故だと問いかけ続けるクローン黛に対し、尼崎はふむと静かに思考して、
「お前は私が作り上げた最強のクェイサーだ。私の研究に失敗はない」
あくまで研究成果を肯定した。当然、そんな解答ではクローン黛の納得がいくはずもない。
「じゃあ、あのストラップはなんだ!?あれを見た途端、私はおかしくなった!」
松風を目にした時の衝動。あれをどう説明すると尼崎に訴えるクローン黛。だが、尼崎から返ってくる言葉は変わらなかった。
「もう一度言おう。私の研究に失敗はない。確かにお前は最強だが、精神面では不完全という結果が生まれた。それだけの話だ」
『不完全』。尼崎から告げられる、冷たく鋭利で残酷な言葉。クローン黛が、もっとも聞きたくなかった言葉である。
「なん、だと……」
愕然とするクローン黛。そんな彼女を、尼崎は安心したまえと言って歪に笑う。
「お前は十分に役だった。この結果が、不完全要素を取り除くデータとなるだろう。これでより完全なクローン体を作る事ができる」
最後に、これが研究というものだと付け加えた。より完全なものへ。より高みへと目指す尼崎の研究。それは同時に、不完全なものは不必要だという事を意味していた。
「つまり私は……もうお払い箱というわけか」
クローン黛の表情が歪む。不完全の烙印を押され、さらには不要なものとしてボロ雑巾のように捨てられる、哀れな存在。尼崎は何も言わない。つまりクローン黛の言葉通りだった。
「お前の役目は終わった。だがその戦闘スキルをただ処分するには惜しい。私の新たなクローンの対戦相手になってもらうとしよう」
お前にできる事はせいぜいそれくらいだと、尼崎は告げる。
“黛由紀江としての存在を否定された”クローン黛は、この時点で何もかも失ってしまった。彼女に与えられたのは、戦うだけの道具という、意思も存在意義もないただの人形の役割だった。
(私は……私は……!)
クローン黛の感情が、頭の中で渦巻き始める。否定された事への怒り、悲しみ。そして、自分は一体何者なんだろうという不安。
自分が「黛由紀江」でなければ、一体自分は誰なんだろう。誰でもない自分。存在への疑問。自分のイメージが、音を立てて崩れていく。そして、
「ぁ………あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
言葉にならない感情が、ついには彼女の精神を押し潰した。悲痛な叫びを上げながら、クローン黛は部屋を抜け出し、ただがむしゃらに走り去っていく。
「ふふ、追い掛けなくていいのかしら?」
クローン黛の悲劇の末路を楽しみながら、エヴァが口を開く。
「好きにさせておきましょう。どの道あのクローンに居場所などない」
どこへでもいけばいいと、尼崎は他人事のように言った。彼にとって、不完全なものには興味がないのだろう。尼崎の研究は、更なる段階へと進むのだから。
「さて、これでデータは揃った。次の段階へ進むとしましょう」
次なるクローン体を作り出すために、尼崎は再び動き出す。研究の――自らの野望を叶えるために。
しかしそれは、フールの一言によって打ち砕かれた。
「確かにデータは揃いました。ですがドクター―――貴方の役目もここで終わりです」
一瞬、聞き間違いだろうと尼崎は誤認識したのだと思った。だが彼は“貴方の役目もここで終わり”と言った。それはどういう意味なのだろうか。尼崎の疑問に、フールの変わりにエヴァが受け答える。
「武士道プランの技術、データとこの施設は私達が責任をもって使わせてもらうわ。だから貴方は安心して休暇を過ごしなさい」
エヴァの持つ水銀ロッドから垂れる銀の液体が、まるで生きているように地面にのた打ち回る。そしてエヴァは悪意に満ちた笑みを尼崎に投げつけた。
「“永遠”という名の休暇をね」
瞬間、銀の液体が殺意と共にうねり、尼崎の右肩を引き裂いた。肩からは血飛沫を上がり、尼崎はひい!と悲鳴を上げる。
どうしてこうなると動揺が始まる。だが、考えても今は混乱するばかりだ。とにかく身の危険を感じた尼崎は気が付けば部屋から抜け出し、全力疾走していた。
「はぁ……はぁ……!」
息を荒げながら、肩から溢れ出す血を抑え、尼崎は施設内を走り続ける。向かう先は地上へと上がるエレベーター。フールとエヴァは追いかけてこない。地上へ上がれば、助けを呼べるはずだ。
「はぁ、はぁ……」
エレベーター前まで辿り着き、落ち着きを取り戻す尼崎。裏切られた……アデプトに。奴らと手を組むべきではなかったと後悔する。
結局は異端者、人間ではないのだ。信用した自分が、如何に愚かであったかを思い知らされる。
(だが……データはまだこちらにある)
それでも、尼崎は研究を諦めていなかった。こういう事態が起きた時の保険として、研究データの全てをUSBにバックアップしていた。彼の研究に対する執着は、もはや狂気である。
くくく、と不気味に笑いながら、エレベーターのロックを解除しようと手をかけた時だった。
「―――おじさま、どこへ行かれるのでございますか?」
背後から、幼い少女の声。恐る恐る振り返ると、UとVの姿がそこにあった。
「そ、それは……」
言葉が見つからない。正直に逃げると言えば、当然エヴァとフールに知らされるだろう。言い訳を考えていると、状況を察したVがニヤリと笑う。
「決まってんだろ豚姉。このオッさん、お前を凌辱して死ぬまで狂わせてやりてぇんだとよ」
「な――――」
そんな事は一言も言ってないと言いかける尼崎。Vには逃げようとしている事は見抜かれていた。故に、Uのマゾヒストとしてのスイッチを入れたのだ。Uの表情がみるみる明るく、そして恍惚になっていく。
「まあ……おじさまったら。それならそうと、そう言って頂ければいいのでございますのに」
そう言うと、Uはポーチの中からアダルトグッズを広げ、上目遣いで尼崎におねだりを始めた。だが尼崎は命の危険に晒され、逃げる事で精一杯なのだ。できるわけがなく、首を横に振る。
すると今度はVが前に出てきて、
「じゃあ、アタシがてめぇをめちゃくちゃにいたぶってやるよ。ちなみにアタシが満足するまでな」
凌辱される側になれと要求してきた。それこそできるわけがない。そんな事をされれば満足する前に体をバラバラにされてしまうだろう。尼崎はまた首を横に振り、
「む……無理だ、そんな事、できるわけがない!」
と全力で言い切るのだった。Uは残念そうに肩を落とし、Vは根性なしと尼崎を罵る。
だが……その選択は、彼女達にはタブーである事を尼崎は知らなかった。尼崎に突然悪寒が襲い始める。
「とても……とても残念なのでございます。じゃあ、おじさまはご主人様―――」
「まあ、どの道てめぇは―――」
UとVの周囲に、銀の凶器が浮かび上がる。それは、目の前の尼崎を食らいつきたいと言わんばかりに渦を巻いていた。
尼崎は気付いてしまった。これが、尼崎の下してしまった人生の最後の選択である事に。
「―――失格なのでございます!!」
「―――失格ってことだよなぁァァァァァ!!!!!」
尼崎の視界には、勢いよく噴き出される水銀。最後には下品に笑うVの笑い声と、尼崎の声にならない断末魔が、研究所内に虚しく響いていた。