第2章『武士道プラン異聞録編』
バトルエピソード4「瓦礫に降り立つ女帝」
ビルを抜け、廃墟が広がる工場跡地の中心にカーチャ、華。そして釈迦堂が互いに睨み合っていた。冷たい風と漆黒と呼べるほどの夜空が、より廃墟跡を一層不気味に仕立て上げている。
「やり合う前に聞きてぇんだが……嬢ちゃん、あんた一体何もんだ?」
どうも普通の子供には思えないと釈迦堂の勘がそう告げている。見た目は可愛らしい幼女にしか見えないが、釈迦堂には彼女の背後にある何かが潜んでいるように見えた。
……この女は、化け物の類だ。何かを隠し持っていると本能が警告している。
「生憎だけど、下郎に名乗る名前は持ち合わせていないの」
まるで汚いものでも見るように、カーチャは蔑みの眼差しで釈迦堂を一蹴した。最近のガキは可愛くねぇな、と歪に顔を歪ませる釈迦堂。
「か、カーチャ様……あいつは?」
ずっと疑問を抱いていた華が耳打ちする。カーチャは釈迦堂が何者なのか知っているようだが……華はただならぬ気配を感じ取っていた。
「釈迦堂刑部……川神院元師範代。川神院から破門されたはぐれものよ」
強さしか求めない、ただの戦闘狂とカーチャは述べる。圧倒的な強さを持つが、精神面を克服できなかったが為に川神院を追放された男である。
「好き放題言ってくれるじゃねぇか。一応俺にも事情ってもんがあるんだぜ?」
釈迦堂は笑みを崩さない。常に、飄々としている。この男からは何も読み取れない。まるで隙がないのだ……構えもしなければ緊張感もない。むしろ、この状況を楽しんでいるようにさえ、思える。
しかし否定はしない。何故ならば、それが釈迦堂自身の本性であり生き甲斐であるから。
「……まあ、戦闘狂ってのはあながち間違ってねぇかもな。お前みたいな奴を見ると、血が騒ぐんだよ。だって俺はなぁ――――」
空気が、がらりと一変する。背筋が一瞬にして凍り付くような緊張感。戦いの予兆。カーチャでさえも、悪寒を覚える程に。そして、
「――――戦いが、好きで好きでたまんねぇんだよ!!」
瞬間、釈迦堂が動き出した。釈迦堂はカーチャと一瞬にして距離を詰め、正拳突きを叩き込む。
(速い―――!?)
僅かな時間での先制攻撃。カーチャが気付いた頃には、既に釈迦堂が間近に迫っていた。それは刹那の如く、カーチャに襲いかかった。
だが、
(……何だ?手応えがねぇ)
この距離からの攻撃なら逃げられない。そう踏んでいた釈迦堂。しかし殴り付けた感触に手応えを感じない。無機質で冷たい何かが、釈迦堂とカーチャの間を隔てている。
それは紛れもない、銅である。無数の銅線が集束して障壁となり、釈迦堂の正拳突きを防いでいた。銅の壁は衝撃でぐにゃりと曲がり、歪に変形している。
まだまだね、とカーチャは笑みを零す。冷たい微笑み―――その高貴なる微笑みは、まさしく女王。
「さあ、始めましょう。女王の輪舞曲を―――ママ!」
カーチャの叫びと共に、カーチャの操る銅人形―――アナスタシアが瓦礫の地面を破るようにして現れ、カーチャ、そして華を抱きかかえて空中へ高く飛び上がる。
「華!」
「はいっ!」
抱えられたまま、華はカーチャに胸を差し出した。空中に浮いた状態で、カーチャはアクロバティックに華から聖乳を補給する。夜空には、華の喘ぐ声が響いていた。
―――アナスタシアが地上へと舞い降りる。絶頂した華を下ろし、カーチャとアナスタシアが釈迦堂の前へと歩み出る。釈迦堂はアナスタシアを興味深そうに眺めていた。
(見た感じは、人形遣いってとこか。一体どんな武術を使ってるか知らねぇが……こいつは面白くなってきやがったぜ)
釈迦堂の中の血が騒ぎ出す。敵を倒せ、強い敵を倒せと本能が命令する。更なる強さを求めて。高みへと登り続ける為に。
釈迦堂は地面を蹴り、カーチャとの距離を詰め始めた。だが、それを易々と許すようなカーチャではない。カーチャに二度目は通用しないのだから。
「медь―――――!!」
アナスタシアから射出される、複数の銅線。銅線は突貫する釈迦堂を捉えようと伸びていく。
「はっ、見えてんだよぉ!!」
迫り来る銅線を一つ一つを全て躱していく釈迦堂。否、実際に読んでいるのだ。攻撃から伝わる殺気を。釈迦堂はアナスタシアの猛攻を潜り抜けながら、徐々にカーチャへと距離を縮めていく。
「そう。じゃあ――――これは躱しきれるかしら?」
攻撃はさらに続く。釈迦堂のいる地面から複数の銅線が突出した。カーチャのさらなる追撃が行く手を阻む。鉄をも貫く程の鋭い銅線の尖端が、容赦無く釈迦堂に襲いかかる。
避ける隙間さえ与えない、アナスタシアの攻撃。釈迦堂は舌打ちをすると、再び距離を取ろうと地面から飛び退いた。
「逃がさないわ――――ママ!」
必ず仕留める……銅線が狙いを定め、執拗に釈迦堂を追い掛けていく。防戦一方の釈迦堂だが、このまま黙っている筈がない。
「付け上がるなよガキがあぁぁ!!!」
地面に着地した釈迦堂が、迫る銅線を迎え撃つ。無数の銅線全てを拳で弾き、捌いていく。そしてさらに、反撃するべく釈迦堂は両手で包むように気を込め始めた。
気は次第に形を成し、リング状の気弾となる。
まるで、天使の輪を思わせるかのような神々しい光。だがそれは、敵を断つ為の魔の光である。
「いけよ、リング!!!」
形成したリング弾を、釈迦堂はアナスタシアに向けて放った。リング弾はアナスタシア本体に向かって飛んでいく。攻撃後の隙を狙った反撃……回避は、当然間に合わない。
「くっ……!?」
やられた、とカーチャ。リング弾はアナスタシアの右腕を直撃し、その熱量によって粉々に吹き飛んでいた。再生してしまえばどうという事はないが……釈迦堂がそんな暇を与える筈がない。
「まずは一本!」
右腕は破壊した。次に狙うはどこだと、釈迦堂は上機嫌にリング弾を作り出す。カーチャに反撃させる暇を与えないように、次々とリング弾を発射していく。
体制を崩されたアナスタシアは、リング弾から逃れようと回避行動を取り続けた。
「どうしたぁ?逃げてばかりじゃ芸がねぇぞ!!」
下品に笑う釈迦堂。リング弾は無慈悲に瓦礫のビルのコンクリートを破壊していく。連続する釈迦堂の攻撃に、カーチャは未だ反撃ができずにいた。
しかし、いつまでも逃げられるわけではない。釈迦堂の攻撃頻度がエスカレートし、カーチャを追い詰める。
「そろそろ終わりにしようぜ、嬢ちゃんよぉ!!」
釈迦堂はリング弾の生成を繰り返す。一、二、三……複数のリング弾を同時に放ち、カーチャの逃げ場を奪い尽くしていく。
「しつこいわね……!」
瓦礫を破壊しながら向かってくるリング弾を避けながら、苦戦を強いられるカーチャ。反撃の隙を見つけなければ……正面を向いたその瞬間、待ち伏せしていたかのように別のリング弾が飛来する。
回避しきれない……辛うじて本体への直撃は免れたが、その代償としてアナスタシアの左腕が切断された。さらにリング弾は、追い打ちをかけるようにアナスタシアを補足している。
このままでは追いつかれるのも時間の問題だ……カーチャは両腕を失ったアナスタシアを使い、高く飛び上がると背部に残った銅線でリング弾を迎撃を試みた。
しかし、
(な――――)
カーチャは、その光景に目を疑った。リング弾は意思を持っているかのように銅線の隙間をすり抜け、掻い潜ってきたのである。
この男は、そんな芸達者な事さえも可能なのだろうか……もしくは、釈迦堂にしかできない荒技なのか。リング弾はアナスタシアとの距離を縮め、胴体に触れたその直後、眩い光と共に爆発した。
「うっ……!」
夜空に空中分解する、アナスタシアの断片。アナスタシアはリング弾の餌食となり、無残にも爆砕していく。
操っていたカーチャは……健在だった。地面に着地したカーチャ自身は幸いにも無傷である。
「勝負あったな」
勝利を確信した釈迦堂がカーチャの姿を見て笑う。アナスタシアを失った今、カーチャには戦う術がない。一方カーチャは悔しさで表情を歪ませる事もなく、釈迦堂に覚めた視線だけを送っていた。
あくまで強気の姿勢を見せるか……ますます可愛げのないガキだぜと釈迦堂は思った。
「安心しな、俺は年もいかねぇガキを殴り飛ばす趣味はねぇんだ。ただ―――」
そう言って、釈迦堂は衣服の懐から何かを取り出す。取り出したそれは拳銃だった。銃口をカーチャに向け、トリガーに手をかける。
「その代わり、こいつでぶっ飛ばしてやるよ」
覚悟しな、と釈迦堂。釈迦堂の向けた銃口は、しっかりとカーチャを捉えている。一歩でも動けば、命はない。凶器と言う名の銃弾がカーチャの身体を貫くだろう。
「カーチャ様……!」
カーチャの命が危ない、と隠れて見ていた華が身を乗り出そうとする。だがカーチャはそれを許さなかった。カーチャの視線が“黙って見ていなさい”と訴えている。
釈迦堂には、そのカーチャの姿勢が酷く滑稽で、潔く見えた。そろそろ終わりにしてやろう……この戦いに、幕を引こうと撃鉄を下ろす。
「あばよ、嬢ちゃん」
瞬間、拳銃のトリガーが引かれ、火薬の爆発する音と共に銃弾が発射された。銃弾は真っ直ぐカーチャへと伸び進んでいく。
カーチャは微動だにせず、ただ待ち続けていた。それは死に対する諦めなのかは分からない。目を逸らす事もなく、向かってくる銃弾を見つめている。
スローモーションのような時間が、カーチャと釈迦堂の間に流れていた。銃弾がカーチャまで辿り着くまでの時間が、酷く長く感じられる。
そして、銃弾は。ゆっくりとカーチャとの距離を縮め………。
か弱き少女の運命は、儚く散っていった。
――――――。
そう、その筈だった。
「……おい、どうなってんだよ。そりゃあ」
釈迦堂からは笑みが消えている。何故なら、釈迦堂の前で起きている現象が、あまりにも非現実的でありえないと思ったからである。
確かに、銃弾は完全にカーチャに狙いを定めていた。照準は完璧だった。外れる筈がない。
そう、外れてはいない。
――――だが。何故放った銃弾が、カーチャの差し出した手の平で止まっているのだろう。手の平で止められた鉛の弾は勢いを失い、ゆっくりと回転しながら減速していき、そして最後には虚しくカーチャの足下へと転がり落ちた。
「フルメタルジャケットを覆うのは銅の合金。つまり――――」
カーチャの口元が、歪に釣り上がる。銃の弾丸には、貫通力を増加させるためのジャケットが施されている。使われているのは銅。アナスタシアも銅である。
それが意味するものは、
「私の元素よ――――!」
銅のクェイサーであるカーチャに、銅を含む武器は通用しないという事である。
そしてカーチャが指を軽快に鳴らした瞬間、カーチャの周囲にあった瓦礫で埋まった地面が、突然盛り上がり始めた。地面からは大量の瓦礫が集まり、それぞれの形を成していく。
それは、先程の戦闘で破壊した瓦礫の山。それらの素材には銅が大量に含まれている。カーチャはその一つ一つを操っていた。
そしてそれが、釈迦堂の目の前で醜く変貌する。カーチャは最初から、こうなる事を分かっていたのだ。
自分が描いた、終焉という台本に。
やがて瓦礫は、壊されて放置された自分の存在を主張するかのように、上半身の人の姿へと形を変えた。
―――その姿は、巨人。瓦礫で作られた化け物。身体中コンクリートと鉄骨で剥き出しになっている。
まさに瓦礫の銅巨人と呼ぶに相応しい。醜く、苦痛と怨嗟に歪んだ巨人の顔が、釈迦堂という獲物を捉えていた。
「こりゃ、何の冗談だよ……」
釈迦堂を覆い尽くす、銅の巨人。その下には冷徹に微笑むカーチャの姿。まるで映画の中のワンシーンに放り込まれたような状況に釈迦堂が冷や汗をかきながら、叩きつけられた現実に表情を引きつらせていた。
「光栄に思いなさい。そして平伏しなさい――――」
そして、カーチャは高らかに告げる。釈迦堂に自ら審判を下すために。
「――――今から私が下す、女帝の鉄槌を!!」
終幕のベルが、今鳴り響く。