第2章『武士道プラン異聞録編』
49話「願いを剣に変えて」
まゆっちに思いを託されたサーシャと、存在を示す為に妄執に駆られたクローン黛。二人の刃が激突し、互いの武器が激しく火花を散らす。
「私は……私は黛由紀江だ!本物は――――私だ!!」
私が本物になると、自分の存在意義の為に剣を取るクローン黛。その目にはもう何も映らない。彼女は黛由紀江としての生を欲している。
だがまゆっちが―――サーシャが望むのは、クローン黛自身としての新しい生である。その為には、クローン黛を縛るしがらみを断ち切らなければならない。
それはサーシャにしか出来ない。だからサーシャは戦う。願いを、剣に変えて。
「うおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
クローン黛の斬撃を払い除け、サーシャが反撃に映る。サーシャが繰り出す剣技は、クローン黛と引けを取らない程に互角の戦いを繰り広げていた。
「――――っ!」
サーシャとクローン黛の最後の斬撃が衝突し、反発して互いに吹き飛ばされていく。
地面には凄まじい剣圧で抉られた痕跡が残されていた。その衝撃が、威力の大きさを物語っている。
「致命者サーシャ……知っているぞ、鉄の元素使い!」
クローン黛の敵意が一層強さを増す。アデプトによって生み出されたクェイサーだ……知っていても不思議はない。
クローン黛は左手に持つロッドを振りかざし、周囲に水銀を発生させた。術者の殺意が込められた、液体金属という名の悪魔がサーシャに襲いかかる。
だが、エヴァと戦闘しているサーシャは水銀の特性は知り尽くしている。対処はできるが、相手はそれに加えてまゆっちそのものなのだ……油断はできない。
何故なら、今サーシャはエヴァとまゆっちを同時に相手にしているようなものなのだから。
「貫け!!我が血の楔よ!」
サーシャの血液で錬成した楔が、迫り来る水銀を迎え撃つ。楔は水銀に突き刺さり、水銀は固体となって砕け散る。
「見切ったぞ!」
その瞬間、次なる一手が待っていた。まるでサーシャの錬成から生まれる隙を狙うようにクローン黛の姿がサーシャの眼前に現れる。疾風の如き斬撃が、サーシャの頭を両断しようと振り下ろされるが……サーシャは寸前で日本刀で受け止めた。斬撃の衝撃と重みで身体が軋みを上げる。
それでもクローン黛の攻撃は終わらない。一撃、また一撃と剣戟を叩きつけ続ける。反撃の隙すら与えない彼女の技は、クローンといえども―――否、クローンであるが故に黛流そのものを体現している。
(くそ……隙がない!)
防戦一方のサーシャ。クローン黛の剣の重みで、錬成した日本刀の耐久度が失われていく。それ程の威力なのだ、鋼の如き鉄にも限界がある。
「砕けろおおぉぉ!!」
ついに、クローン黛の最後の一撃がサーシャの日本刀を粉砕した。日本刀は真っ二つに折れ、無残にも砕け散っていく。サーシャは次なる武器を錬成するが……この間合いでは間に合わない。連続する剣戟がサーシャの身体を切り刻み、衝撃で地面を転がっていく。
身体中には、無数の切り傷。サーシャは吐血しながら地面に伏していた。
黛流……想像していた以上に強いものだった。その姿を見下ろすように、クローン黛が狂ったように笑い出す。
「く……く、くくははははははははははははははは!これが、これが本物の力だ!私こそが本物だ!黛由紀江だ!!!!」
サーシャに一矢報いた事により、強さを示したクローン黛。それはクローン黛にとって、同時に自分が黛由紀江である事の証明だった。強さこそが、黛由紀江である証であると。
「……違う」
サーシャが小さく呟きながら、口についた血を拭いゆっくりと立ち上がる。それは、間違いであると彼女の全てを正すために。
「強さだけが――――あいつの……まゆっちの全てじゃない!!」
サーシャは再び日本刀を錬成し、もう一度クローン黛に向き直る。身体中は傷だらけだが、戦う事はできる。まだ立ち上がるか……とクローン黛の表情が歪む。地面に倒れ伏せていればいいものをと、目障りに思うように。
「俺は……お前を救ってみせる」
サーシャは負けられない。まゆっちと交わした、彼女を救うという約束を。そのサーシャの言葉にクローン黛は歯を食いしばり、怒りを露わにする。
「私は誰の救いもいらない。そんなものは―――必要ない!」
誰の助けもいらないと激情するクローン黛。だがサーシャは感じ取っていた。その感情の奥に潜む、クローン黛の悲鳴が。
彼女は今それを閉ざしている。こじ開けて壊さない限り、彼女は救えない。
「俺には聞こえる……お前の心の叫びが。お前の悲鳴が」
「何……?」
サーシャの言葉が、クローン黛の表情を一変させた。まるで心の内を見透かされたような感覚。何も思っていない……その筈なのに感じてしまう不快感。この不快感が、クローン黛をさらに苛立たせた。その苛立ちを無理やり怒りと憎悪で塗り潰す。
「黙れ……それ以上喋るな!」
クローン黛の刀を持つ手は、ふるふると怒りで震えていた。それは怒りだけではない、自分では気付かない恐怖から来るものであるとサーシャは勘付いていた。
自らが、黛由紀江という存在でなくなるという恐怖。彼女はその目的意識を必死に守り抜こうとしている。
それがなくなれば、彼女は崩壊してしまうだろう。
だからこそ……サーシャが終わらせなければならない。クローン黛を呪縛から解放する為に。
「俺は、あいつの願いを……この剣にかけて戦うと決めた」
サーシャの左頬の聖痕が紅く発光する。今、サーシャの心は震えていた。まゆっちに託された聖乳と思いが力となり、武器が、血が、そして心が研ぎ澄まされていく。
サーシャはもう一度日本刀を構え、再びクローン黛と対峙した。
「さらけ出せ……お前の心の震えを!」
彼女の閉ざされた心を開く……この一撃で、この刃で。クローン黛の全てを終わらせるべくサーシャは走り出した。
「黙れええええええええええええええええぇぇぇええ!!」
感情を爆発させながら、クローン黛も疾走する。互いに渾身の一撃をぶつけ、この戦いに終止符を打つ。徐々に距離が縮まり、二人の刃が交差する。
「―――――おおおおおおっ!」
「―――――はあああああっ!」
――――――その最中。
クローン黛の視界に、思わぬものが写り込んだ。
「あ―――――」
ほんの一瞬だけ、サーシャの姿に、まゆっちの姿が重なっているように見えた。幻覚か……ありえない。まゆっちの聖乳を吸い、本当に共に戦っているとでもいうのだろうか。
ただ一つ……クローン黛はそれを目にして始めて怖いという感情が生まれた。何故なら、自分のなろうとしていた黛由紀江があまりにも遠過ぎて、手の届かないものだと感じてしまった自分がいたから。
その時にはもう、動揺して剣が鈍り始めていた。
―――まゆっちの持つ、優しさ。
―――まゆっちの持つ、思いやり。
―――まゆっちの持つ、誰であろうと受け入れようとする心。
自分にはそれがあるだろうか……いや、ない。ただ一方的に本物を消し去り、自分が黛由紀江になろうとしていた自分。
果たして、黛由紀江の本来の姿なのか……そうではない。それは決して、黛由紀江という存在ではない。クローン黛は、改めて自覚した。
“自分は、黛由紀江にはなれないと”。
「―――――っ!?」
二人の刃が重なり合う。だがこの時点で、彼女は受け入れていた。この戦いは、初めからクローン黛の敗北であると確信する。
そしてサーシャの刃が迫る間際、クローン黛の脳裏にある言葉が浮かんできた。
“―――――変わらなきゃって、そう思ったんです”
ある日、黛由紀江になりすまし風間ファミリーに言った言葉。その言葉は、自分自身に向けてのものだったのかもしれない。
今ならば理解できる。本当の意味で変わりたい……生まれ変わりたいという、自分自身の心の叫びが。
(そう、か……)
自分は、誰かになろうという事以外を知らなかったのだ。他の誰でもない、新しい自分になればいい。それを教えてくれたのはまゆっち。そのの敵であるクローン黛にも手を差し伸べようとする優しさが、サーシャを通してクローン黛の心を“震わせた”のだった。
「――――――」
「――――――」
サーシャとクローン黛の刃が交差し、背を向けるような形になる。互いに静止したまま動かない。廃墟ビル内に冷たい風が吹き抜けていく。
しばらくこの間が続いたが、先に動きを見せたのはクローン黛だった。クローン黛は剣を落とし、力なく地面に倒れ伏せる。サーシャは彼女に背を向けたまま、
「――――――罪人に贖いを」
静かに、そう口にした。サーシャと、そして戦いを見届けていたまふゆは祈りを捧げる。彼女に巣食っていた呪縛が解き放たれる事を願って。
この戦いはサーシャと――――まゆっちの勝利に終わった。
一方、激戦を繰り広げていたカーチャと釈迦堂。この二人の戦いにも終わりが見え始めていた。
カーチャが瓦礫に埋まった銅を操り作り上げた瓦礫の巨人と、それを呆然と見上げる釈迦堂。カーチャは巨人を従え、釈迦堂という敵を討ち滅ぼさんと、女帝の審判を下そうとしている。
巨人はまるで呻き声を上げるように、瓦礫でできた身体の節々をギリギリと、不快な音を鳴らしていた。
「……く、くくく」
戦局が絶望的に押されていた釈迦堂。それにも関わらず、釈迦堂は笑っていた。それも心底楽しそうに。絶望さえも、快楽として楽しむように。
そして狂ったように、この状況に歓喜しながら。
「久々に身体中が震えたぜ……俺はこんなにも強えのに、周りはどいつもこいつも弱え奴ばっかりだったからな」
瓦礫の巨人、そしてカーチャという強敵が釈迦堂を倒そうとしている。そう考えただけで、愉快で堪らない。相手が強ければ強い程、捻り潰したくなるその感情は、戦闘狂だからこそ持つ、愉悦そのものである。
そんな釈迦堂を、カーチャは笑わせないでと嘲笑う。
「自分が強い?ふん、どこまでおめでたいのかしら……身の程を知りなさい」
カーチャの声に反応した巨人が動き出す。巨人は口を開け、奥から四つの柱が突出した。
それは――――電磁放射砲の役割を果たす瓦礫仕掛けの兵器だった。主砲が徐々に放電し、電力のチャージを開始する。
それが意味するものは、まさに死へのカウントダウン。
「受けなさい――――女帝の鉄槌を!」
充填完了。莫大な電力エネルギーが収束し、圧縮されていく。もはや兵器の域を超えた裁きの光。全てを撃ち抜くイワンの雷撃。釈迦堂の命は、カーチャによって握られていた。
「Вход――――――――!!!」
カーチャの掛け声と共に、電磁放射砲という女帝の一撃が釈迦堂に向けて解き放たれる。
だがその直前、
「……と、いいたいとこだが」
釈迦堂が口元を吊り上げながら呟いた瞬間、カーチャのいる上空から大きな気配が近づいてくる。カーチャが気付いた時にはもう、その気配の正体は巨人の首に致命的な一撃を与えていた。その衝撃で電磁放射砲の砲撃が停止する。
「―――――オラオラオラァ!ぶっちぎれろぉおおお!!!!!!」
その一撃はまるでチェーンソーの如く、禍々しい気を纏った細長い金属棒が、回転しながら巨人の首を切断していた。
やがて巨人の首を繋いでいた瓦礫が粉々に破壊され、同時にごとりと巨人の頭が落下していき、最後には跡形もなく崩れ去った。
そして巨人を狩り取った一人の影が、釈迦堂とカーチャの前に降り立ち、その姿を見せる。
現れたのはツインテールで、身長はカーチャより一回り上の小柄な少女だった。その手には首を切断したであろう、ゴルフクラブが握られている。恐らく釈迦堂の仲間か……余計な邪魔が入ったとカーチャは舌打ちをする。
「まあ、こういうわけだ。そろそろ潮時なんでな。ここいらで幕を引かせてもらうぜ」
残念だったなと、釈迦堂は笑う。このまま逃げるつもりか……それはカーチャが許すはずがない。するとツインテールの少女がカーチャの前に立ちはだかり、ゴルフクラブを回転させ始めた。
「なあ師匠。コイツぶったぎっていい?ウチの肩慣らしにはちょうどよさそうだし」
少女―――板垣天使の露出した左肩には紋章が刻まれていた。禍々しいオーラを纏った黒き紋章。世間を騒がせている謎の元素回路である。しかも今までとは違う……ワン子がつけていたものとは、力の濃度が明らかに増していた。
「余計なことすんじゃねぇ、さっさと引くぞ。そのうち思う存分暴れさせてやるからよ」
今日は楽しませてもらったぜ、とそう言って、釈迦堂はポケットから煙幕を取り出し、カーチャに向かって投げつけた。周囲に煙が広がり、一時的に視界が奪われる。煙が収まった頃にはもう、釈迦堂と天使の姿はなかった。
逃げられた……今更追った所で追いつけまいとカーチャは諦めた。またいずれ会う事になるだろうと、そう思いながら。
「……鉄のやつも終わったみたいね」
カーチャはサーシャたちのいる廃墟ビルの方角へと視線を向ける。クローン黛との戦いも終わりを迎えたようである。カーチャは隠れていた華を連れ、廃墟地を後にするのだった。
まゆっちやサーシャたちを巻き込んだ、クローン黛の事件。いずれは大和たちにも知らされる事になるだろう。
そしてカーチャたちの前に現れた釈迦堂の存在。謎の元素回路を装着した天使。隠されていた謎が、徐々に明らかになる。
事態は静かに収束していく。束の間の安息へと。