第2章『武士道プラン異聞録編』
28話「復活の魔女」
温泉旅行から帰ってきた風間ファミリー一同は、それぞれ残り僅かの夏休みを過ごしていた。
夏休みも後一日。日も沈み、夜空に星々が彩る中、まゆっちは寮へと戻ろうと帰り道を歩いている。
まゆっちは一日中、同じクラスの伊予と遊びに出かけていた。
遊びに夢中になったまゆっちは時間を忘れ、気が付けば夜になっていた。余程伊予と過ごすのが楽しかったのだろう。
「すっかり遅くなってしまいました……」
『成長したなまゆっち。また大人の階段を登ったぜ。昔のまゆっちだったら、夜遊びなんてしねーもんな』
「な、何を言うんですか松風!?わ、わわわ私はただ伊予ちゃんと遊んでただけですよ!」
松風と話しながら夜道を歩くまゆっちの姿は、まるで独り言のようで(というか完全に独り言)とても怪しく見えた。幸い、帰り道に人気はない。
(何だか人気が少ないですね……)
まゆっちは周囲を見渡す。確かに人気が少ない。というより、ないと言った方が正しいか。
まゆっち意外、誰もこの世にいない……そう思える程に不気味なくらい静かだった。
『いや、まゆっち……こいつは普通じゃねーぜ』
危険を感じ取ったのか、松風がまゆっちに警告をする。感じる……静かな闇で蠢く、敵意という名の気配が。
まゆっちは常備していた刀を抜いて、周囲を警戒する。だが、感じる敵意は未だ微動だにせず、静かにまゆっちの動きを待っていた。
「―――――――」
静かに目を閉じ、精神を研ぎ澄ませるまゆっち。目で見えぬのなら気配を辿り、察知するまで。
やがて敵の気配が大きくなり、まゆっちの身体にピリピリと殺気が伝わってくる。そしてその殺気はまゆっちの背後へと忍び寄ってきた。まゆっちは目を開き、
「―――――そこです!!」
振り向き様に刀を振り、横一文字に一閃した。
「………?」
だが斬れたという感覚はなく、手応えはなかった。形のない液体を斬ったような、そんな感覚。
否……まゆっちの斬った物体は、やはり液体そのものであった。斬られて飛び散った液体が、まゆっちの視界に入る。
(これは………?)
目に映るは、銀色に輝く液体。そう――――水銀であった。すると、斬った筈の飛散した水銀の粒が針状に変形し、まゆっちに向かって降り注いだ。
「―――――!!」
まゆっちは後退しながら水銀の針を躱していく。水銀の針は地面に無数に突き刺さっていた。避けていなければ、今頃は串刺しにされていただろう。
「いるのは分かっています。一体何者ですか!」
再び刀を構え、未だ姿を表さない敵に訴えかけるまゆっち。しかしその呼びかけも虚しく、返ってくるのは静寂だけである。
だが次の瞬間、
「―――――フフフ」
まゆっちの背後から、不気味な笑い声が聞こえてくる。まゆっちは咄嗟に後ろを振り向いた。いつの間に近付いていたのか、一人の女性が立っていた。
ブロンドの長い髪を靡かせ、ニヤリと冷徹な笑みを浮かべる女性。まゆっちは女性を睨みつけ、刀を構える。
「初めまして、ミス・ブシドー。いえ――――黛由紀江さん」
会いたかったわ、と言って女性はまた笑う。まゆっちを知っている……この女性は一体何者なのだろうか。
だが、まゆっちにもこの女性に思い当たる節があった。旅館でまふゆから聞いた、水銀を自在に操るクェイサー、アデプト12使徒の一人。
「クイックシルバーの魔女、エヴァ=シルバー……?」
独り言のように、まゆっちは呟く。すると、女性は意外そうな表情を浮かべたが、すぐに邪悪な笑みへと戻した。
「あら、私も随分と有名になったものね」
肯定。女性はエヴァ=シルバーであると認めた。だが、そこで疑問が生まれる。エヴァはサーシャとの戦いで倒されているはずだ。それなのに、何故生きているのかまるで理解できない。
「……貴方は、サーシャさんによって倒されたはずです」
まゆっちがサーシャの名前を出した瞬間、エヴァの表情が冷酷で歪な笑みに変わる。その笑みは、復讐の色に染まっていた。
「そうね、確かに私は死んだわ。でもそんな事は些細な問題よ」
言って、何故生きているのかは語ろうとはしない。だが、どちらにせよクェイサーという強敵がまゆっちの目の前にいる事は確かだ。
「目的は何ですか?」
警戒を解かず、真意を問うまゆっち。するとエヴァは長い髪をかきあげ、答える。
「ただのご挨拶よ。私達の出会いの、ね。それとも――――」
水銀ロッドを構え、エヴァがまゆっちにカツ、カツと足音を立てながら近付いてくる。
「――――別れの挨拶の方がいいかしら?」
瞬間、まゆっちにエヴァの殺気が迸った。エヴァは水銀ロッドを振りかざし、その先端から鞭のような形状の液体水銀がまゆっちを襲う。
「――――せやぁ!!」
まゆっちは迫り来る水銀を、剣戟で薙ぎ払った。一度に繰り出される無数の斬撃が剣圧を発生させ、水銀の鞭を跡形もなく斬り刻んでいく。
「――――な!?」
斬り刻んだ、はずだった。しかし水銀はこうなる事を予想していたかのように霧散し、気体となって昇華されていく。
――――“気化水銀”。高密度の水銀が蒸気となり、まゆっちの視界を奪った。
おまけに、一度吸えば人間の身体に害を及ぼす有毒性がある。まゆっちは息を止め、剣戟による剣圧で気化した水銀を吹き飛ばした。視界が一瞬でクリアになる。
だが、まゆっちの目の前にエヴァの姿はなかった。
(消えた!?一体どこに――――)
気配が探れず、見えない敵にまゆっちは焦りを覚えた。相手はアデプトのクェイサー、一瞬でも気を抜けば命を奪われる。
「――――貴方のその恐怖に満ちた表情、とっても素敵よ」
エヴァの声が聞こえる。前にいるのか、後ろにいるのか、気配を感じ取れない。
そして、
「――――いっそ、綺麗に解体してしまいたいくらい」
まゆっちの耳元で、突然エヴァの声が囁かれた。これまでに感じた事のない悪寒と恐怖が、背筋を凍り付かせていく。
まゆっちは背後から離れて距離を取り、振り向き様に剣戟を放った。その瞬間に無数の水銀の針が襲いかかるも、剣戟で全てを振り払う。
「さすがは黛十一段の娘ね。隙がまるでないわ」
まゆっちの剣捌きを、エヴァは賞賛しながら興味深そうに笑う。褒めているのだろうか……否、遊ばれている。それ程までに、このエヴァは強いとまゆっちは体感した。
「貴方も相当の使い手とお見受けしました。貴方のような方と剣を交える事ができるのは光栄です」
「随分と律儀なのね。それとも皮肉で言っているのかしら?」
「本心です。ですが……私は殺し合いは望みません」
エヴァを強者と認めるも、命をかけるような戦いはしないとまゆっちは訴える。それは戦士として、武士として……その志を持つ者としての信念だった。
するとエヴァは何を思ったのか、急にくすくすと笑い出した。
「貴方、本当に優しい子なのね」
“殺さずして戦う”。“殺さずして事を済ませる”。まゆっちのその考えの甘さに呆れ返るエヴァ。
だが、そんな生半可な意志で戦う事は死に繋がる。
「――――もういいわ。そんなに死ぬのが嫌なら、生きたまま壊してあげる」
エヴァの殺意と共に水銀の鞭が舞う。鞭はウォーターカッターの様に地面を削りながら、まゆっちに向かって迫り来る。
「黛流剣術―――――」
まゆっちは目を閉じて精神を集中する。敵の殺気を察知し、攻撃を見切り、そこから生まれた僅かな隙を突く。
戦いで焦りは命取りとなる。だからこそ冷静にならなければならない。
そして水銀の鞭が自分の範囲に入った瞬間、まゆっちは目を見開き、刀を捌いた。
「―――――“朧月”!」
まゆっちの繰り出した斬撃が満月のような軌跡を描き、水銀を弾き飛ばす。
「串刺しにおなりなさい!」
だがエヴァの水銀操作によって水銀は個体となり、無数の針となってまゆっちに襲いかかる。針は容赦なくまゆっちの身体に突き刺さっていった。
「―――――?」
おかしい、とエヴァ。水銀の針は確かにまゆっちに命中してはいるが、まゆっちは微動だにしない。むしろ姿が霞んで見え、水の波紋が広がるように歪んでいる。
(まさか、斬撃による幻影……!?)
と、エヴァが気付いた時にはもう遅かった。エヴァが攻撃したまゆっちの幻影が消え、眼前には本物のまゆっちの姿がある。
――――“朧月”。それはぼんやりと夜空に浮かぶ、霞んだ月の如く。初撃で気を纏った斬撃を放ち、自らの幻影を作り出す。そしてその隙に敵の懐に入り込み、二撃目を放つという黛流の奥義。
「終わりです!!」
まゆっちはエヴァの懐に入り、踏み込みで一撃を放つ。殺さない……だが、峰打ちなら気絶させる程度の威力はあるはずだ。まゆっちの刀が、エヴァの脇腹を狙う。
「なっ―――――」
その時、それは起こった。
まゆっちの峰打ちに対し、エヴァは身体をそのまま捻らせ、刀の刃の部分にわざと身体を食い込ませたのである。刃はエヴァの脇腹に深々とめり込み、バターのように綺麗に裂かれていく。
これが、人を斬るいう感触なのだろうか……肉が斬れていくという生々しい感覚が、刀を通してまゆっちの身体に伝わり、手がぶるっと震え出した。
だが次の瞬間、エヴァの身体が風船のように膨れ上がり、破裂して水銀となり周囲に拡散した。まゆっちは即座に後退するが、飛び散った水銀がまゆっちの左腕を斬り裂いた。
「くっ……!」
負傷した左腕を抱えるように押さえながら、痛みを堪えるまゆっち。傷口が深い……血が指まで伝い、ポタポタと流れている。
完全に予想外の行動だった。否、まゆっちが殺せないと分かった上での行動だったのだろう、その甘さに付け込まれた結果である。
エヴァの身体の水銀爆発。恐らく本体ではない。エヴァであった水銀体は、跡形もなく消え去っている。まゆっちはエヴァの気を探るが……何も感じなかった。
“――――また会いましょう。今日は楽しませてもらったわ”
どこからともなくエヴァの声が聞こえる。気配はない。恐らく逃げたのだとまゆっちは察した。
(エヴァ=シルバー……手強い相手でした)
エヴァと戦った時の感触、あれは本気ではない。本気であったなら、まゆっちも左腕の負傷だけでは済まなかっただろう。下手をすれば、今頃は四肢を解体されていたかもしれない。そう想うと、身体の奥底から恐怖が湧き上がってくる。
『まゆっち………こいつはマジでやべぇよ』
「はい……サーシャさん達に知らせましょう」
まゆっちは左腕にハンカチを巻きつけて止血し、応急処置をすると足早に寮へと戻っていった。
クイックシルバーの魔女、エヴァ=シルバーの復活。彼女の真意は未だに分からない。ただ一つ言える事は、この川神市に大きな異変が起きているという事だ。
謎の元素回路、そしてアデプトのクェイサー。川神市に潜む闇が、ついに音を立てて動き始めた。