小説『vitamins』
作者:zenigon()

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    起承転転


   < 起 >

 現代社会は、立ち止まり思考する猶予さえも何ら与えず、かつ、油断をしていると奈落の底のような落とし穴があちらこちらの死角に潜んでいる。
 空想が現実を狂わせるのか、現実が空想を支配するのか。日常を装う奇妙な世界は闇に浮かび上がる野獣の目のごとく、未知の獲物をじっと観察している。


   < 承 >

 真夜中、正確にいうと午前二時三十四分。ぼくは妻に起こされた。

 「 ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるの 」

 ぼくの意識は、深い海の底から謎めいた気体に吹き上げられたかのように急浮上。明かりを消した寝室は仄(ほの)暗く、少ない光を最大限にとらえるべき反応、虹彩筋(こうさいきん)縮小による瞳孔拡大は、まだ、完了していない。声の方向に薄影色、妻のシルエットが徐々に浮かび上がる。

 「 わたしの、わたしがたいせつに隠していたものを探しているの 」

 どこかに隠された何かなんて、さっぱりわからない。オルフォイスの鈴にでも聞いてくれ、なんて思いながらも返事はうらはら。こう見えても、ぼくは紳士なのである。

 「 何を探しているの 」肺に吸い込んだ空気を少しずつはき出すように、ぼくは答えた。

 「 冷蔵庫奥にあるはずのプリンが無いの。あなたしかいない 」

 ぼくの記憶回路は、ぱらぱらと風でめくれるノートのように時間逆行しながらも、素直に謝るべきなのか、居直るべきかの判決を探しはじめる。このケースの場合、五秒以内に判決しなければならない。
もちろん、判決は日常生活における夫婦間の力関係が深く関与している。ぼくは素直に謝り、ブルージーンズ、RELIABLEの黒ジャケットに着替えたあと、自転車で真夜中のコンビニエンスストアへとプリンを買いに出掛けることとなる。
 プリンの名前は『No.17』、風変わりな製品名だ。

 ひっそりとした住宅街を抜けると、コンビニエンスストアへと続く県道が現れる。走行車両は無く、街灯さえも無い田畑に囲まれた県道、およそ四百メートル先のコンビニエンスストアが人工的な白色光に輝いていた。
草木も眠る丑(うし)三つ時、ぼくはプリンをめざして、自転車のペダルをひたすら踏み続ける。
 自転車をコンビニエンスストアの前に止めて、店内に入ると男性店員が一名、季節外れの日焼けをしており、髪型の特徴は、ジャマイカあたりで火炎放射器から間一髪、逃げ延びたように縮れていた。入店チャイムにびくりとしたあと、架空の砂時計から解放されたような顔つきに戻り、事務的に『 いらっしゃいませ 』と告げた。
 そして、ぼくは目的である製品名を厳かな面持ちで、店員へと告げる。

 「 No.17をください 」


   < 転 >

 「 ほんとうに、No.17でよろしいのでしょうか 」店員の声に緊迫感がこもり、表情が硬くなりつつある。

 「 No.17に間違いない。今すぐに必要なんだ 」ぼくが告げると店員はコードレスの電話を手に取り、どこかへ問い合わせをはじめた。近隣の在庫確認かと思ったが、言葉が違う。日本語ではない。
問い合わせが終了したあとで聞いてみたが、『 プラクリット語 』と店員は答えた。どちらにせよ、さっぱりわからない。

 突如、店内の奥からエンジン音が轟(とどろ)いたかと思うと蛍光灯が一瞬消え、すぐについた。店内を流れているメロディー、アコースティックのかろやかなBGMが途絶え、代わりに『 蛍の光 』が聞こえてきた。地球最後の夕焼けみたいなメロディーが店内を支配しはじめる。ぼくは両目を見開きながらも、無言の問いかけを店員へと投げつけていた。

 しばらくすると、店員がおずおずと話はじめた。「 当店は自家発電に切り替わり、お客さまのリクエストであるNo.17をめざして起動しました 」

 「 キドウ? キドウって何? よくわからないなぁ 」

 ぼくは、店内のフロア、地の底からの微振動が大きくなりつつある状況に戸惑いながら、非常事態におけるきまりごと、脱出すべきであろう入り口までの距離を、視線のみ動かしながら目測をしていた。
 やがて、地底空間への鋼鉄扉が開くような鈍い摩擦音、店内を流れるメロディー『 蛍の光 』を打ち消しながら轟(とどろ)いた。

 「お客さま、地震ではありません。No.17をめざして、この店は地下へと移動開始しました」
 と言い終えるまえに、コンビニエンスストアは地鳴りを引き連れながら、地底空間へと沈み始めた。店の上部外壁沿いに設置されたチェーン店特有のブルー照明は、沈み行く店から地上へと置き去りにされながら破壊され、電気配線ショートによる火花をまき散らしていた。その閃光きらめくなかで、ぼくの自転車は、哀愁漂う『 ドナドナ 』を唄うように、静かにたたずんでいたのである。
 思わずぼくは、声にはならない小さな叫びを上げた。「 マジですか!」

 コンビニエンスストアに乗せられて、地底空間へと潜りはじめてから、五時間が経過していた。次第に店内の温度は上昇しはじめ、我慢できずに清涼飲料水の冷蔵棚へ上半身を投じようとしたが、店員にしかられたので中止した。No.17への道のりは、銀河系の惑星探査よりも果てしない道のりを感じる。
 きっと、明日の朝刊トップには、『 コンビニエンスストアが突如消息を絶つ。店員と男性客Z氏が巻き添えか! 』なぁんて感じだろう。コンビニエンスストアが存在していたであろうぽっかりと開いた地底口、その上空にはマスコミ各社のヘリコプターが飛び交い、世間の好奇心を必要以上に煽(あお)りたて、視聴率アップを狙うのだろうなぁ。妻は心配しているだろうか。思案しどころ雨あられ、料金を請求され憤慨したけれど、温かいおでんを食べながらも、妻のたいせつなプリン、No.17を内緒で食べてしまった罪がこれほど重いのかと、ぼくは心底、嘆いていた。


   < 転 >

 まるで、無明の宇宙空間を漂うような地底潜行は唐突に終わりを迎えた。コンビニエンスストアが停止したのである。
 かすかに火山ガス、二酸化硫黄(にさんかいおう)のにおいがしており、店の外は地獄変の屏風(びょうぶ)みたいに、遠火消(とおびけ)しの火鏡に照らされているような赤い世界が拡がっていた。念のために店員の縮れた髪を見つめて、鬼の角が無いか確認したが幸いなことに彼は鬼ではなかった。
 唐突に入店チャイムが聞こえて、ほんとうにぼくは驚いた。ぼくの妻が立っていたのである。

 「 反省したかしら。わたしが手を三回たたくと、あなたは覚醒(かくせい)するの。おわかり 」

 妻が手を打ち、ぱん! そして二回目のぱん! と手の打つ音が続いた。おや、三回目が続かない?

 「 ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるの 」

 ぼくは、『 No.22 』という名前のチョコレート、身も心も溶けてしまいそうなくらい甘い味を思い出しながら、後悔しはじめたところである。

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