弥七の恋
五箇山に住む鬼の弥七は、よく夢を見る。
人であった頃の生活、語らい、そして犯した罪の重さが去来したものであり苦しめられていた。
罪の重さゆえ、刀で命を絶とうと切りつけても醜いあざになるだけで死ぬ事すら許されない。
腹が減っては鼠を喰らい、寒ければ、穴蔵に潜り込む日々が続いていた。
ある日、平家の落人たちに襲われている村の娘を気まぐれで助けた。
目の見えぬ小夜という娘は、鬼の醜い姿がわからない。
美しい小夜の手を引き、村の近くまで送り届けた。
名残を惜しむ小夜の言葉が、忘れられない。
鬼にされてから初めて人の心を感じ涙がこぼれた。
逃げのびた平家の落人は、己の罪をすり替えて鬼退治への大義名分にした。
名声や金を求める武士、落人たちが大挙して五箇山をめざした。
そして森に火を放ち、奇声をあげながら鬼の弥七を追いかけた。
別に怖いわけではない。関わり合いたくない。ただ、それだけ。
分水嶺にたどり着いた頃、小夜の声が聞こえた。
「逃げてー 遠くへ逃げてー」悲痛な叫びは、こだまとなって野山を駆けめぐる。
弥七は、思った。
小夜の手をもう一度だけ握りしめたい。
かなわぬならば、せめて死んで人になりたい。
小夜と同じ人でありたい。
そして、鬼の弥七は燃えさかる狂気の五箇山へと静かに歩き始めた。