Moonlight Serenade
* 東京都 子どもの権利ノートより
このメッセージは、あなたを応援する大人たちからのものです。
あなたは、この地球に一人しかいない、とっても大切な人です。
そんなあなたには、大きな夢や希望をもってほしいと思っています。そして、幸せになってほしいのです。
だから、あなたが、つらいとき、苦しいとき、悲しいとき、なやんでいるとき、どんなときでも、あなたのそばで、心配したり、おうえんしたりします。そして、うれしいときは、いっしょによろこびたいと思っています。
わたしたちは、心や体にしょうがいを持った人も、赤ちゃんも、子どもも、お年よりも、大切にしたいと思っています。
そして、みんなが平和で幸せだと思える社会にしたいとがんばっています。あなたも、あなたのやさしさや思いやりの心で、てつだってください。
みんなが平和で豊かな社会でくらせるように、あなたも、私たちといっしょに考えてください。あなたの力もかしてください。
* 動機について
まだ、養護施設(今では児童擁護施設)と呼ばれていたころ、僕と後藤くんは15才、年長であり、一般住宅を借り上げたところで他の子どもたちと一緒に暮らしていました。恩寵園事件のような児童虐待はなく、職員の方々は自らの仕事に誇りを持ち、そして誠心誠意、僕らと接してくれました。
十二月のある夜、いつものように食堂でわいわいとおいしい夕食をいただいていたのですが、テレビに映し出されたクリスマスのイルミネーション、賑わう街並み、そして楽しそうな家族連れ、束の間の沈黙が部屋を支配しました。重力を感じたというか、何か地の底に手足を引かれているような、とても長い数秒が過ぎたあと、何事もなく楽しい夕食が続きました。
部屋に戻り、僕は下のベット、後藤くんは上のベットにもぐり込み、さきほど見かけた映像について考えていました。僕らは何故? なんらかの理由が欲しかったのです。幾ら考えても理由なんて見つかりません。僕らはこの部屋にいて、僕は下のベット、後藤くんは上のベットにいる。それだけが現実であり、これからもその現実は続くのだろうなぁと考えたとき、やさしい、やさしさ、という言葉を疎ましく感じ、何か世間に僕らの存在を誇示したいと考えました。後藤くんは『 こころが痛い 』と表現し、僕は、あまりにも的確過ぎる言葉に、感嘆の声を上げたのです。
* 第一の計画、派出所を襲撃し拳銃を奪うこと
僕と後藤くんは、コンビニエンスストアで購入したサングラスをかけ、その眼鏡越しに見える色褪せた世界に安堵を覚えながらも、ひっそりと佇む派出所を見つけました。
そして仔細に観察を続けました。警察官が一人であること、拳銃を所持していること、そして人通りが少ないことを確認し、可能であることがわかると、これから実行しようとする映像が脳裏をよこぎり、身震いを感じたのです。僕らの計画では、その後、繁華街の目立つレストランへと侵入し、人質をとり、籠城することでした。多くの報道陣が集まり、全国中継される中で、互いに拳銃を使い死のうと考えたのです。これが僕らの考えた世間に誇示するというものでした。
* 計画の実行
みんなが寝静まったころを見計らい、寒いので何枚も重ね着をしたあと、僕と後藤くんは金属バットを背中に入れ、外に出ました。青白い月だけが僕らをじっと見つめています。金属バットのひんやりとした感触は、かつて感じたことのない悪寒となり身体の中を駈け抜けていきます。そして僕らは輝く月から逃げるように派出所をめざしました。はぁはぁと息が白く現れたかと思うと、すぅと空気に溶けてしまい、その存在があったことすら消えてしまったのです。僕らと一緒だなぁと気づいたときには、派出所が見えてきました。
人通りは途絶えており、警察官はひとり、呪われた風が僕らの背中を後押ししているようでした。
* 派出所侵入
僕らが派出所に侵入すると警察官は、やさしく尋ねてきました。
「 何か困ったことでもあるの? 」
「……」
さりげなく気配を感じた警察官は僕らに警戒しながらも、言葉を探していました。
「 もし、よくないことを考えているのなら、中止した方が良いと思う。
今なら、あともどりできるし僕も詮索しない 」
あまりにも雑多な計画であり、僕らはまだ、子どもでありました。そしてなによりも警察官であるまえに、人として投げかけられたやさしさが僕らの心臓を貫いたのです。
僕と後藤くんは、その場にすわりこみ、わんわんと大声で泣き始めました。何処にも行き場のない悲しみに、ほんとうに地の底へと連れて行かれるようであり、そして、そこから這い上がりたいのに、なにもかもがわからなくなったのです。
それから、僕と後藤くんは何事も無かったかのように、日常の生活へと戻りました。
ひとときの狂気を、しんとした街並みの雪化粧、真綿のようなやさしさに包まれて、その存在を封印したのです。後悔する日々をおくり、いつしか大人になっても、あのときに感じた痛いくらいのやさしさは、決して色褪せることなく記憶の中の光として、輝き続けているのです。