小説『vitamins』
作者:zenigon()

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     南国食堂



 もう、今日は帰ろう

 机の上、開いたままのノートパソコン、ディスプレーの両サイドへとびっしりと貼られた付箋のメモが、ぼくにリクエストをしている。『 もっと働きなさい 』と。
ぼくの所属するワンフロアの事務スペース、午後八時過ぎまでは昼間と変わらず、多くの仲間が働き活気に満ちている。でも夜が深くなるにつれ、蛍光灯が徐々に消されて、オセロゲームの黒が優位になるかのように、夜がぼくの廻りを包囲する。地球は二十四時間休むことなく廻り、日付変更線は、はるか高い空の上を通り過ぎて、ぼくだけが机の前、そんな気分だ。
 まぁ、そんなことを言っても状況はなんら変わらない。机の上を片づけながら、ノートパソコンへとリクエストのお返しとばかりに『 インターネットエキスプローラー 』を起動、そして『 お気に入り 』をクリック。
 わかりますよね。今のあなたと同じところ、自作小説投稿サイトをクリック。この広い世界に張りめぐらされた電子網、人々が電子交差点を行き交い、思考の光と影を感じながら、つかの間の空想旅行。さまざまな方々が描く短編小説がぼくのお気に入り。定期的に参加しているぼくは今回のプロット、『 南国食堂 』について、思考迷路の扉をノックすることとなる。

  ***

 『 南国食堂 』、第一の設定は昭和三十年代の沖縄、まだ日本に復帰しておらず米国の管理下に置かれ、不良米兵の蛮行や時代のフラストレーションなのか幼い子や女性が犠牲となる犯罪が横行、そのような激動の時代、セピアに染められた米軍カテナ基地からはじまる。
薄茶色の壁へと色あせた基地の映像が投影されたかと思うと、徐々にカラフルな色を取り戻しはじめ、緑草生い茂る基地沿いの国道がまっすぐ延びて、青空と交差するところに小さな点を見つける。

クローズアップ

 ひっそりと佇み、風化しはじめたような白壁が目立つ平屋の建物、そこが最初の舞台、『 南国食堂 』だ。さて、食堂で働く人の設定はどうするべきか。ここは趣向を変えてロシア人と日本人のハーフの女性、年齢は初老、とても元気だ。右の瞳はブラック、左の瞳はブルーライアット。見つめられると、青空にすいこまれそうなくらいきれいな瞳。すらりと伸びた体形は和食のおかげだろうか。銀色のきれいな髪はタオルで隠している。小琉球(台湾)出身のやせた男性と恋をし、実らせた。そして、今は亡き父と母から受け継いだ食堂を営んでいる。そんな女性を主人公にしよう。

 妙齢の彼女は無国籍、東京から来たさまざまな問題を調査している政府関係者への対応、はりつめた想いから解き放たれて、つかの間の沈黙へと身を預ける。相変わらずご主人は何も言わず、黙々と後片づけをしている。お皿を重ねるときには陶器の透きとおる音、水道の蛇口を開くと水流が自由を求めはじける音、どこか遠くから、母とはぐれた犬が泣いている。ゆるりと流れる時間の川に小さな船を浮かべ、心地よく流されていく。
 唐突に彼女は、父と母の出会いについて、ロシア語混じりのつたない日本語で話すきれいな母、モノクロニクルの映像を想い浮かべながら、はるか北にあるであろう凍土、見たことのないシベリアの街へと想いをはせる。

 時代をさかのぼること、明治三十九年の暮れ、日露戦争を敗北に屈した帝政ロシア。その屈辱も最果ての北の大地、チタの駅舎には届かない。
キツネが氷で家をつくり住んでいそうなくらい冷たい北風。ウクライナの南方結社が起草した憲法、ルースカヤ・プラウダでさえ、冷たい北風に悲鳴を上げている。
 新暦よりも遅いロシア暦でのクリスマス。チタの駅舎にはギリシャ正教会の鐘が鳴り響き、賛美歌のオルガンの音が家路を急ぐ人の波へと溶けてゆく。そして、満州側から汽笛を響かせながら、列車がチタ駅へとすべり込んできた。
 列車、最後方の貨車は客車と異なる様相、扉と言うべき入り口にはX字形に板が打ちつけられており、仄暗い箱と化していた。極北の流刑地、イルクーツクへと送り込まれる囚人たちが押し込められている。その中に日本人である男性が一人、妙齢の彼女の父、谷崎克也が息を潜めいていた。日露戦争、義勇軍として参戦した谷崎克也は、英雄の名をほしいままにしていた。やがて戦争が終わり、強制解散を命じられたとき、何人かの血の気の多い仲間とともに動乱さめやらぬ極東の大陸へと飛び出し、日本国籍を捨てて馬賊となった。ロシアから中国へと連なる国境の山岳地帯で、ロシア政府から中国の哈爾浜(ハルビン)銀行へと送られる巨額の極東管理資金を載せた現金輸送列車を襲撃、機関銃掃射を浴びて、彼以外の仲間はすべて死んだ。そして彼はとらわれの身、極北の流刑地、イルクーツクへと送り込まれることとなる。
 この街、チタの駅舎からイルクーツクまでは列車で五日間、ただ、ひたすら白い雪原を駈け抜けていくだけだ。脱走すなわち途中下車、それは死へと結びつく。それでも彼女の父は、南方に位置する日本の大地をめざし、脱走を画策する。

 彼女の母、ナスターシャは怪僧ラスプーチンの邪気があふれるロシア宮廷にて、美ぼうへの嫉妬なのか身に覚えのない罪へと落とし込まれて、弁解の余地のないまま、極北の流刑地へと送還が決まった。その場所の名は、イルクーツク。

 この時代のエネルギーは、多くの人々の運命を魔宮の迷路へと誘う。そして気まぐれなのか、ときおり運命の赤い糸を放り投げては、それを拾い上げた二人、谷崎克也とナスターシャへと運命のいたずらをそっと仕掛ける。イルクーツクに列車がたどりつくと、囚人たちは地上に降りることを許された。地の果てまで続く雪原、ひっそりとたたずむ土民の家とロシア政府の役所が白い太陽光にゆれている。谷崎克也は、白くよどんだ見えない明日を必死に追い求めながら、視界にナスターシャの姿を捕らえた。
 視界から侵入した恋の炎は、彼の体内を発熱しながら駆けめぐり、容赦ない欲望さえも恋へと変換させて、極北の大地を溶かす勢いで、二人を強く交差させていく。
それから、二人は強く手を結びながら脱走を試みる。動乱のアジア大陸をさまよいながら、恋の逃避行、二人だけの南下がはじまる。統制された軍隊の靴音が鳴り響く昭和初期、沖縄までたどりつき、粗末なバラックでつくりあげた『 南国食堂 』を開業、人々の生活へと目立たぬよう身を潜め、生活の糧とした。そして神さまからの贈りもの、天使のような子どもを授かった。
 さまざまな欲望をのせた列車が時代を駆けめぐり、世界を巻き込んだ争いのなかで、好奇の目や迫害めいた現実に直面しても、谷崎克也とナスターシャは、ひそやかに幸せを感じる人生を歩いた。


 回想シーンの映像が徐々に薄くなり、いつもの活気あふれる南国食堂、古びた店内の映像が鮮やかな色彩をおびて、現実世界として入れ替わる。
 「そろそろ店を閉めようか 」
 彼女の夫は手書きの大きい看板、『 南国食堂 』と書かれた看板を店の外へと取りに行く。そのやせた夫の背中を見つめながら、たいせつな幸せを見つめながら、母の口癖をそっとつぶやく。

「 わたしの幸せは、わたしが決めるの 」

  ***

 しんとした事務スペースへと着信メロディ『 ラ・カンパネラ 』が流れはじめた。ぼくのたいせつな妻からの着信だ。
「 仕事はおしまい。直ちに帰還せよ、なんてね。わたしはもう、寝ちゃうからね。冷蔵庫に料理をラップして入れてあるから、電子レンジでチンして食べて 」
「 了解! 現在位置は木星、ジュピターからの周回軌道を外れ、じゃなくてっと、会社から帰ります 」

 ぼくは、ぼくらの南国食堂、月明かりに照らされた家路を、ちょっと慌てながらも踏み外さぬように、歩きはじめる。


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 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

  お、遅いような感がありますが……(汗)



 

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