小説『vitamins』
作者:zenigon()

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   百者騙り


 世間では、駿河湾沖、ときおり観測される鏡映蜃気楼(しんきろう)がトップニュースとなっている。
光学的ゆがみとは言い難い情景が忽然(こつぜん)と浮かび上がり、数時間ほどで消失していく。情景とは、校庭を駆け巡る子どもであったり、巨大なメリーゴーラウンド、花火を楽しむ家族とおぼしき人たち、実にさまざまである。

 テレビでは、気象予報士の資格を持つ女性アナウンサーが、視聴者からの問いかけに戸惑いながらも答えていた。

 『 光の屈折ではなく、時間が屈折したみたい…… 』

  *

 静岡県、沼津警察署の管轄エリア、八月、井田村(いたむら)で起きた放火事件。被疑者である坂口敬吾(五十二歳)は、燃えさかる屋敷のそばで呆然(ぼうぜん)と座り込んでおり、付近住民からの通報を受けた警察官が彼の身柄を拘束した。

  ” 警察捜査における取り調べ適正化指針より引用 ”

『 我が国の刑事手続きにおいて、被疑者の取り調べは、事案の真相究明に極めて重要な役割を果たしていることは、論を俟(ま)たないところである。しかしながら、昨今、その在り方が問われる深刻な無罪判決等が相次ぎ、取り調べを始めとする警察捜査における問題点が厳しく指摘された。警察としては、これらの点について深く反省し、今後の捜査にいかすべき事項を抽出し、再発防止に向けた緊急の対策を講じてきたところであるが、国民からの批判は依然として厳しく、警察捜査に対する信頼が大きく揺らいでいる。』

 井田村から沼津市平町(ひらまち)の警察本署へと移送された坂口敬吾の取り調べの担当はノンキャリア、三田村澪警部補(二十七歳)。彼女の予想していた坂口敬吾の動機、内在する鬱憤(うっぷん)、ストレスによる自暴自棄ではなく、実に奇妙な供述が報告された。

 以下は、三田村澪警部補のまとめた供述書を伝える。

 坂口敬吾> わたしには家族がいたのです。妻である仁美と、十二歳になる娘、さつき。ほんとうにたいせつな、いとおしい家族がいたのです。しかしながら、それを証明すべきことがすべて、消失しているのです。
 始まりは七月の暑い日のこと、昨夜、わたしがガソリンをふりまき、火を放ち復活を目論(もくろ)んだ屋敷、その屋敷の入り口に張られた紙切れの文言に惹かれたのです。

 『 あなたの想い出は大丈夫ですか? 消失する前に、保存をしませんか。
   VHSテープをDVDディスクにダビング、一枚あたり三百円より承ります。 zenigon 』

 その紙切れを読みながらもわたしは、はっと思いました。生まれたばかりのさつきの小さな手がわたしの人さし指をぎゅうと握りしめる。仁美のやさしいまなざし。校庭を駆け巡る成長したさつき。夏の夜、庭先での花火、照らされた仁美の横顔、とてもきれいでした。数えきれないほどの想い出。そうです。わたしはVHSカメラのファインダーを通して、家族時間を記録していたのです。磁気による記録は時間経過による劣化があり、たいせつな家族時間の記録が消失しまうかもしれない。ならば、と、記憶の延命を考えてしまい、広告主であるzenigonと名乗る男の屋敷へ踏み入れたのです。

 男の格好、髪はぼさぼさに伸ばしており、黒Tシャツにすり切れたジーンズ、年齢はそう、おそらく三十半ばあたりでしょうか。まともな仕事をしているとは思えませんでしたが、まぁ、そこは試してみよう、と思える価格設定でしたので、依頼しました。彼の言葉によると、想い出はあらゆる媒体に変換できる、そして、その想い出に立ち会うことが、ぼくの生きる糧でもある、と、奇妙な印象を受けましたが……

 試しの、三本のVHSテープを彼に託すと、翌日にはわたしの自宅へと色鮮やかに変換された想い出を持参して来たのです。正直驚きました。これほど早く、これほど鮮やかだとは思っていなかったのです。喜んだわたしは、すべての想い出、VHSテープを彼、zenigonに託しました。

 そして、そのことが、取り返しのつかない事態を引き起こしたのです。

 その夜、ひどい夢にうなされました。さつきが、『 おとうちゃん! 』と叫びながら、海底へと引きずり込まれていくのです。わたしは必死に手を伸ばし、さつきの手をとらえようとします。でも、どうしても、届かないのです。海底に沈みゆくさつき、あまりにも無力な自分、そして、妻に起こされました。

 夢のできごとを妻、仁美に話すと、不思議な表情をしながら、驚くべき言葉を告げました。

 『 さつきって、どこの子? 』

 さつきの存在は、妻の記憶ばかりではなく、翌日慌てて出掛けた村役場の、住民票からも、出生そのものが消失していたのです。仕事どころではありません。わたしは、ありとあらゆる人に、学校に、さつきが存在していた証(あか)しを捜(さが)しましたが見つからないのです。

 zenigon、そうだ、あいつに渡した想い出が証明になるはずだ。そう思うわたしは、zenigonなる男の屋敷へと駆けつけました。
 わたしの、異様なまでの形相に驚きもせず、zenigonは平然と言ったのです。

 『 さつきちゃんの想い出、おいしかったです。今宵は、仁美さんをいただきますね。
 想い出はたいせつに保存させていただきますので、いつでも再生してあげますよ。 』

 わたしがzenigonにつかみかかると、彼は煙のごとく消失したのです。残されたのは、数枚のDVDディスクだけ、だったのです。

 *

 沼津警察本署、三階の会議室にて、三田村澪警部補が銀色のDVDディスクを持ちながら、集まった署員一同に告げる。

「 現状わかっている情報を報告します。井田村での放火事件の被疑者、坂口敬吾さんについてですが、記録上、彼には妻も子どももいません。しかし、このDVDディスクには、存在が確認できない女性と女児が撮影されています。そして、ときおり挿入された音源から判断しますと、撮影者は坂口さん本人と断定されました。つまり、坂口さんには家族があり、そして、その記録、記憶が何らかの形で消失された、と判断されます。 」

 彼女は、DVDディスクをノートパソコンのドライブへと入れる。会議室に設置された120インチの液晶テレビへと音声、映像が配線を通して再生される。

 平和な家族、坂口敬吾一家の、なんでもない日の、なんでもないできごとが映しだされている。

 十五分ほど過ぎて、会議室にざわめきが起こる。画面端(はじ)に映し出された男が、徐々に画面中央へと近づいている。髪はぼさぼさに伸ばしており、黒Tシャツにすり切れたジーンズ、年齢は三十半ばあたり。やがて、120インチ画面いっぱいに映し出された男が告げる。

 『 警察諸君、zenigonです。坂口さんが供述していることは、すべて真実ですよ。まぁ、常識にとらわれた警察組織に、ぼくを捕まえることなどできないでしょう。
 燃え尽きた井田村の屋敷、ちゃんと検証しましたか? 焼け焦げた亀、そう、あれがぼくの実体だったのです。お気に入りだったのですが残念ですねぇ。
 そうそう、ぼくの携帯電話を連絡しておきます。090-****-**** 』

 三田村澪警部補、許せない、といいながらも電話番号を即座にプッシュする。
すると、画面に映し出されたzenigonより、着信メロディー ”la Campanella(ラ・カンパネラ)”が響きわたる。ジーンズのポケットより取り出したスマートフォン、この撮影時期には存在しないはずのアンドロイド端末を耳元によせる。そして応答する。

 『 あなたの想い出は大丈夫ですか? 消失する前に、保存をしませんか。
   想い出をDVDディスクにダビング、一枚あたり三百円より、承ります 』




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