小説『vitamins』
作者:zenigon()

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      飛行機雲にあこがれて

 とにかく、サイテーの一日が終わろうしていた。午後十一時四十八分。

アーネット・ヘンリーは、私よりもひとまわり年上の男性で、きれいな奥さんとかわいいお子さんがいて、そんでもって私の不倫相手でもあった。
プロヴァンスの恋、なんてしゃれた気分でアーネットと食事をしていたら、髪の毛を振り乱した奥さんが乗り込んで来た。
どん、落雷に直撃されたような気分。ドロボウネコとかニンゲンシッカクみたいなことを言われてムカツイタけれど、100パーセント、分が悪い。アーネットはオロオロして奥さんに謝るわ、二度と浮気はしないとか言っちゃって。私自身、中身の無い薄っぺらい紙みたいに思えて泣きそうになった。でも、泣かない。私の性悪な本領発揮である。
「 奥さん、名案です。頑丈な鎖でも首に巻きつけて、家の中に閉じこめておけば浮気はできませんよ 」
 わぁわぁと明日の朝には世界が崩壊するような大騒ぎを無視して、独り、店をあとにした。サンフランシスコの大学に留学して、その後はアルバイト暮らし。もう七年も過ぎたのか。私って何? 何なのかしら。気づけば昨日の出来事、午前零時二十三分。

 真夜中にベルは泣く

 どこかせつない着信メロディー『 ラ・カンパネラ 』、満たされぬ想いとかにおいのたちこめた小さな部屋に響いた。
アーネット? なんてトキメキが情けなかった。なんてことはない。幼なじみの仁美からの、日本からの電話だった。

 「 ちょっと、聞いてくれる。妹がね、結婚するなんて言い出してね、十九才で世間知らずの妹がだよ。信じられない。
相手の写真をみたらイケメンでさらにびっくり。私をさしおいて、結婚なんてお父さんもお母さんも慌てちゃってさ、たいへんなのよ 」
 仁美の妹とは久しく会っていない。小学生のまんまのイメージ、それしか浮かばない。だから『十年早いんだよ!』なんて言いそうになったが、すでに十年過ぎたのだなと気づき、言うのをやめた。わい雑で薄曇り色のトカイ、サンフランシスコに唇から足の指先まで染められた私のどこかがささやく。
『 仁美が奪っちゃえば 』 

すると、私がまだ少女であったころの情景が鮮やかな色彩を帯びて浮かび上がる。
あのころの、不安とか希望とか、よくわからない将来を探していたあのころ、淡いたそがれが空から降りてくると、誰も知らない放課後の教室をだいだいや黄色の光がやさしく満たしていった。そして、にっこりとほほ笑む仁美のうすい茶色の髪が風にゆれて、きらきらと金色に光っていた。くだらない。どうでもいい話で、どうしようもない真夜中の電話が、ものすごくせつなくて泣けてきた。

「 どうしたの? わかった。また不倫でもしてたんじゃない。そしてサイテーの結末。
そんなときはね、お酒とかさぁ、がんがん呑んじゃって忘れちゃえばいいんだよ! 」

びっくりするぐらいするどい。まるで隣の部屋からの電話に思えた。けれども、仁美とは数千キロも離れているんだな、なんて気づくと、今すぐ会いたくて、それなのに遠すぎて、それが悲しくて、涙は止まらなくて、大きな声でおいおいと泣いた。きれいな涙がアイシャドーを溶かし、幾つものラインを描いて私のほおをきれいに汚してくれた。

 情緒不安定
そうだ、想いだした。そんな状況下で小さな抵抗、あのころと同じように右目の下に人さし指を押さえ、さげる。そして舌をだしながら、日本できちんと暮らしている仁美へと言い返す。
 「あっかんべー!」

 私はゆがんじゃったけど、仁美は、仁美のままで変わらないで、なんて想いが電波になってまっすぐ空を飛んだ。何も見えない夜空と太平洋を越えて、届くかな、届くといいな。美しい国、日本の街で暮らす仁美まで届くよね。
 ちょっとだけ、元気になれた私はきれいなごほうびのお返しとばかりに毒づいてみせる。

 「 オトコなんてサイテーなんだよ! 」

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