小説『vitamins』
作者:zenigon()

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 また来て四角

八甲田山のふもと、お猿さんの弥平がひっそりと暮らしていました。名前は辛気くさいのですがお年ごろ。
お出掛けのときには、小さく細長い葉をつんつんと揺らすオオシラビソの林を抜け、谷池温泉にザブンと飛び込み、山のにおいを消す、と無駄なことなんですが夢中でした。ヒトの暮らしにあこがれ、マチとかトカイに興味津々なのです。この最果ての地に訪れるたくさんの観光客の忘れ物、ゴミの中からたくさんの情報を真綿に水を湿らすような勢いで吸収していました。時折ですが、背後霊を御はらいし置き去りにするやからもいまして、さすがにその時は真っ青になって逃げました。

 秋に名残を惜しむ真っ赤な紅葉、その終わりを告げるころ、弥平はオオシラビソの林を散策していました。一歩、また一歩踏み出すたびに落ち葉が、がさがさと音をたてながら弥平の足元を優しく包んでいきます。と、そのときです。足の裏に硬い感触があり、座り込み両手を使って落ち葉をかき分けていくと赤くて四角いモノが出てきました。

 『 NTT DoCoMo FOMA N600i 』それは携帯電話、バッテリーはギンギンです。しかも落とし主はお金持ちなのか、まだ契約解除をしておらず、回線が生きています。アンテナマークは3本も立っていました。すでに小学五年生レベルの知識を獲得した弥平にとって夢にまでみたあこがれの文明利器。お金も無く、銀行口座を待たぬ弥平、まして携帯電話の契約なんて、この空の雲よりも高い望みだったのです。
 弥平のヒアリング能力は卓越しており、ヒトの言葉を理解できました。しかし話すことができません。夢中になって掛けた電話からは、
 「 アンタ ダレ? 黙ってないで何か言ってごらんよ。チョームカツク 」などとののしられ、少し落ち込みましたがへこたれません。なぜならば、この携帯電話はインターネットに接続できるのです。
 早速、落とし主が登録した『 お気に入り 』を次から次へとアクセス、ネットサーフィンと言うよりもネットスイングを繰り返していくと、なんだかヒトになれた気がして、うれしさのあまり目頭が熱くなってきます。
 この感動を誰かに伝えたい。西の空に沈む夕陽を眺めていると、弥平の思いはどんどん熱くなるばかりでした。

 辺りが闇に包まれていくと、携帯電話のキーボード、カラーの液晶が宝石のようにきらめき、仄かに光るイルミネーションとなって弥平を照らしてくれました。先ほどまでの興奮も落ち着き、じっくりサイトの内容を深く読み始めました。今、読んでいるのは、とあるサイトの超短編小説。カメさんにも小説が書けるなんて知らなかった。大発見です。
 感想を述べてみたい、なんて知的欲求が心の片隅から姿を現し徐々に大きくなっていきました。
 しかし、しかしなんです。漢字変換が思いのほか難しいのです。ヒトに優しい日本語エンドプロセッサATOKもお猿さんの弥平には優しくはありません。一時間以上を費やし考えて、考えぬいた感想をさらに一時間以上掛けて打ち込みました。バッテリー残量を示す縦の棒表示がロウソクの火を吹き消すかのように減っていきます。さぁ、たいへん、刻々とタイムリミットが弥平を追いかけてきました。
 心なしか指先が震えてきます。そして送信ボタンを選択し、真ん中の実行キーを押し込む。
 「 メールを送信完了いたしました 」とヒトの声が弥平に優しく語りかけ、液晶画面に空飛ぶ手紙がアニメーション表示されました。
 成功です。弥平の思いは今、何百キロ、もしかすると何千キロ、何万キロも離れたカメさんに向けて闇夜を切り開く光の矢となりました。
 「 やったー! 」と弥平が雄たけびを上げると同時にバッテリー切れの警告アラームが鳴り、やがてオオシラビソの林、いつもの闇へと戻りました。
 闇夜が連れて来た静寂は先ほどまでの楽しい時間をより明確に浮かび上がらせてくれます。
そしてもう一度、弥平はゆっくりとおおきな声で夜空に呼びかけました。

(ここは盛り上がりの部分です。次の科白を弥平といっしょに声を出してみましょう。)

「 まぁたぁきぃてぇ、しぃかぁくぅ! 」
(また来て四角、ご協力ありがとうございました。)

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