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「では、フェイはやはり妖精なんですか。幽霊ではなく」
これもまた、易者との会話だ。
「幽霊と妖精の差をはっきりとつけることは出来ませんが、亡くなったひとが現世にとらわれたわけではなく、彼女の場合は最初からそういう存在として生まれてきたのだと思われます。だから、妖精」
妖精と言ってもいろいろある。羽の生えた小人というイメージが一般には強いが、伝承の中には人と同じほどの背丈のものもいるし、アリやイモムシのようなものもいるし、馬や牛に似たものもいる。ドラゴンも広義に言えば妖精のひとつだ。
なかでもよく知られるフェアリーは、エルフやピクシーと並んで妖精の代名詞でもある。
そのフェアリーの語源がフランス語の「フェ」。更にさかのぼればラテン語の「ファトゥム」であり、これは「運命」という意味だ。
つまりフェイ=妖精であり、良治はフェイに向かって「妖精」「妖精」と呼びかけていたことになる。
人を呼ぶ時に「おい、そこの人間」と呼んでいたようなものだろう。
良治がそのことを言うと、易者は筮竹をつまんで振った。
「いやいや、それはちょっと違いますよ。彼女は物が持てるそうですし、かなり力の強い、古いタイプの妖精です。それこそ、種族名が自身の名前になってしまうほどに」
「つまり本名」
「本名です」
「なるほど、安心しました」
「安心してください」易者は笑う。「それにもし不愉快だったら、今頃酷い目に遭わされていますよ」
良治は納得した。
知っている民話の中には、不愉快な目に遭わされた妖精が、仕返しに一晩中身体をつねるというものがある。フェイなら同様なことをやりかねない。
と、ふいに疑問が湧いた。
「妖精というのはなんなのですか。物語や伝承に出てくる妖精については、多少なりとも知識はあります。しかし、あなたの言う妖精と、物語の妖精とでは、とらえ方が違うように感じます」
物語の妖精は、どこか肉体を感じさせる。こびとや動物など、しっかりとした形や肉体を持っている印象がある。
一方で易者は、「妖精が取り憑く」と、まるで幽霊のような、あいまいで、肉体のない存在のように言っているように感じられた。
「そうですねえ、私の場合、ある法則に即して現れた存在・現象を妖精と定義しています」
「どのような?」
「飯の種なので言えません。それに法則とは言いましたが、漠然とした、あいまいなものですよ。あまりきっちりと定義したところで、意味があるとは思えませんし、そもそも私の考えが正しいのかも分かりません。これ以上の詳しいことは、追加料金です」
それだけ言って、手にしていた筮竹を箱にしまった。
「……なるほど」
「いや、冗談ですからね。追加料金払われても答えませんからね」
易者が慌てて付け加えるが、良治は聞いていなかった。
「…………」
現象、なのか。
「……どうしました?」
易者が首を傾げる。
良治はしばらく悩み、ようやく口を開いた。
「彼女たちは、本当に、いるのですか?」
「いる、とは?」
「俺や、あなたには目に見える。しかし、だからといって本当に存在しているんでしょうか。彼女らに俺たちのような肉体はなく、そしてあなたは現象だという。もしかして、俺が見ている彼女たちは単なる幻ではないのか。本当はどこにもいなくて、それなのに俺が何かを勘違いして、いると思いこんでいるのではないでしょうか」
言葉が溢れた。
ずっと悩んでいたことだ。
フェイにもみずうみにも肉体がない。つまり二人とも、良治が見ている幻覚ではないのか。
もしそうなら、彼女らはこの世に存在しないことになる。
それは、嫌だ。絶対にいてほしい。
だが、もしかしたら、と不安になる。
いつの間にか二人は、良治にとってかけがえのない存在になっていた。
「だいぶ、つかれてますね」
易者はいたわるように言った。
「そのようですね。すみません、つまらないことを言ってしまいました」
良治は席を立とうと、腰を浮かした。
易者は扇をぱちんと鳴らした。
「良治君、私はここにいると思いますか?」
閉じた扇を自分に向けて訊く。
「……え? ええ、当然でしょう」
「当然なのですか」
「当然です」
易者にはちゃんと身体があり、そして今、目の前にいる。ここにいるのは当然のことだ。
「では、心は? 私に心はあるのでしょうか」
「あります」
「なぜ?」
「なぜって、当たり前でしょう」
理由は分からない。その問いに答えることは原理的に不可能だ。だが、ある。それは理屈を越えた、感覚的なものだ。
「なら、それで良いではありませんか」
易者は穏やかに笑った。そして扇を広げ、良治に向かってパタパタと風を送る。
良治は呆気にとられ、浮かしていた腰をストンと椅子に戻した。
そして、はっとする。
「同じ事ですよ。夢や幻の住人のように見えますが、彼女らにもちゃんと心があります。そのことは、あなたはよく分かっているはずです」
良治はゆっくりとうなずいた。
「確かにそこに『いる』のです。大切にしてあげてください」