小説『日常の中の非日常』
作者:つばさ()

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バッグからさっきも読んでいた本を取り出して、また本を開いた。

涼しい車内。たくさんの人が周りにいる中で、私は自分の世界に入りきっていた。


車内は、人のざわめきが聞こえない。それは、私が私だけの世界に入っているせいではない。元々静かなのだ。

電車の中にいる人々は、ほとんどが他人同士だ。友人同士で乗っていても、この静寂を壊さぬようにと、人々は小さな小さな声で会話する。
この静けさは、そんな人々の心遣いで保たれている。
読書をするには、ちょうど良い空間だった。


ガタンゴトンと揺らされて、十数分が過ぎた。


『次は、根岸。根岸』


アナウンスがかかる。私の最寄りの駅の名前が聞こえる。

ふと、本から目を放し顔を上げる。両隣に座っていた女性はいつの間にかいなくなり、私が乗っている車両は人がまばらになっていて、誰も座っていない寂しそうな席がたくさんあった。


『さぁ、そろそろ降りなければ』そう思ったが、どうしても立ち上がる気にはなれない。
『このまま、どこかへ行ってみようか』ふと、そんな考えが浮かんだ。

このまま、静かな電車の中で、本を読んでいようか。今日はこの後予定も無いし、駅にはまた乗り換えて戻ってくればいい。

車窓に映る景色が、どんどん移り変わる。だんだんスピードが落ちてきて、ついに、電車は根岸駅に止まった。扉が開いて、残った数人が電車から外の世界へと行く中、私は一人車内に残った。


何人かが私の乗る車両に入って来た。スーツを着ている人もいれば、ずいぶんカジュアルな服装の人もいる。
扉がゆっくりと閉まる。

私は、もう一度本の世界に入っていった。静かで閑散とした車内。

聞こえるのは、ガタンゴトンという電車が揺れる音と、私が本のページをめくる時に聞こえる、紙と紙が擦れる音だけ。


本の内容は、そんなに難しいものではない。ただの、日常の中の非日常を、なんとなく綴ってみた、というようなもの。


だが、それが私を惹きつける。その世界に引きずり込み、放そうとしない。


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