【タクシードライバー編】
弱音ハクはタクシードライバーである。
毎日毎日色んな人を目的地に送り届け続ける日々。
結構ベテランである。
ある日、一人の二十代前半の青年から「海まで。代金なら払うから」と言われてかなり遠い道のりの海までなんとなく運ぶことにした。
「………」
「………」
ハクは基本的には自分から喋らない。
軽く対人関係にトラウマがあるのだ。
そんなことを知ってか知らずか、青年はハクに話しかけることなく外の景色をずっと見ていた。
だが、海まで行くには結構時間がかかる。
ハクはなぜ青年がわざわざタクシーで海まで行くのか気になってきて、思わず聞いてしまった。
「あの〜、なんで海までいくんですか?」
青年は意外にも笑顔で返してきた。
「なに、死ぬまでに一度、見てみたくてね。僕はすでに余命宣告されてるんだよ。タクシーで行こうと思ったのは、ゆっくり行きたいからかな」
「えっと」
かなり返しにくい答えだった。
青年はそれを察してか自ら話を始める。
「小さいころはよく明日死ぬなら何をする? なんて言ってよく考えたりしたけど実際に生の期限を決められると驚いたことにしたいことは何もなくてね」
「何も、ですか……やり残したこととか」
青年はきっぱりと、そしてはっきりと答えた。
「ないよ。いや、海を見ることがやり残したことかな」
「そう、ですか」
またしばらく無言の時間が過ぎる。
「なんで、やり残したことが海を見ること、なんですか?」
ハクはもう一度、言い方を変えて聞いみた。
青年は少し迷ったふうにした後、答えた。
「……さぁ?なんとなく、かな」
少し含みがある答えだったが、ハクは何も言わなかった。
そして、そこそこ長い時間をかけて海に着いた。
青年は「往復で料金を払うから待っていてくれないか?10分したら戻るから」と言ったのでハクは頷いて待つっていた。
しばらく待っても戻ってこず、防波堤の上に立つ青年の瞳が寂しげに揺れているのが気になって、ハクは車から降りて隣に立った。
黙って隣にいると、青年は唐突に語りだした。
「ずっと好きだった幼馴染みが居たんだ。僕らは互いに好き合ってて、でも怖くて一歩がなかなか踏み出せなかった。そして、そんな僕らが互いに勇気を振り絞って告白した場所が丁度ここだった。まさかドンピシャでここに来れるとはね………」
ハクは黙っていた。
「海で告白だったなんて、ロマンチックだろ?」
青年は少し笑ってハクに言った。
じっと青年を見つめていると、だんだんと青年の表情が変わっていく。
そして、青年の瞳から一筋の涙が流れた。
「彼女に、別れを告げたのは僕だった。あと一年も生きられない僕と一緒にいても心に傷を負うだけだから、と、そう言ったら殴られたよ。容赦無くね。病室の壁際までぶっ飛ぶ威力だった。彼女は一言僕に「馬鹿」と言って、それきり彼女とは会ってない。彼女の泣きそうな顔がまだ僕の記憶に残ってる。だから、ここに来たんだ」
青年は涙を拭うと海に背を向けて呟いた。
「僕はそれが、自分の言ったことが正しかったのか、わからないんだ」
青年の浮かべた笑みは、まだ泣いているままだった。
ハクと青年は車に乗り込んだ。
帰りは終始無言で、青年が車から降りて料金を払うときにハクは青年にずっと考えていたことを言った。
「正しい答えでは、なかったと思います。物語とかだと、死ぬまで一緒に、が正解だから。でも、それでも彼女さんの幸せを心の底から願ってないと言えない言葉だから、だから彼女さんも貴方の別れの言葉を受け入れたんだと、思います、たぶん、だけど」
青年は少しだけ笑って言った。
「そう、かもしれないね」
寂しさと満足感が半々こもった瞳でハクに
「死ぬ前に君に会えて良かった」
と告げて去って行った。
「あれで、よかったのかなぁ」
ハクは微妙な気持ちで一人悩んでいた。
自分の言ったことがとても不器用なことだとは自覚している。
だから、人との会話はトラウマなのだ。
ハクは改めてそう思った