小説『とある賢妹愚兄の物語 第2章』
作者:夜草()

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正教闘争編 後ろ盾



喫茶店



あの後、美琴と別れた上条兄妹は、デパートへ買い物に―――ではなく。

部屋で『お腹が空いたんだよ!』と腹ペコシスターが待っているかもしれないが、少しくらいなら余裕はあるだろう。

駅前を歩き、2人が入ったのは、気をつけていないと見過ごしてしまうような喫茶店。

アンティークで飾られた、落ち着きのある空間で、仄かな電灯が店内の明かりになっている。

学園都市では珍しいこぢんまりとした個人経営の喫茶店かつ、パン屋も営んでおり、買ったパンをすぐに食べられるカフェ形式だ。

レジの横には『本日は三種類のベリーを載せた特製タルトがおすすめ』とか『メロンパンの焼き上がりは5時頃です』などと書かれた黒板が置かれ、棚には様々なパンが並んでいる。

美味しいものを食べたら、これまたシスターさんがうるさそうだが、お土産を買えば少しは許してくれるだろう。

という訳で、自家製コーヒーだけでは何だと、食べ盛りの学生の小腹と舌を満足してくれる特製タルトもトレイに乗せて、レジに向かい、そこで先んじて当麻は2人分の代金を払う。

いつも世話をかけている妹に偶には兄らしいところを見せなければ、とまあ、自己満足みたいなもの。

財布を取り出していた詩歌はきょとんと、次にはその意趣に気付き、クスクスと笑う。

その光景が仲睦まじく見えたのだろう。

レジにいた中年のマスターの奥さんが、『彼女ですか?』と質問。

それに当麻は即答。


「違います。俺達は兄妹です。な、詩歌」


「ええ、そうですね。当麻お兄ちゃん」


即答にちょっぴりツンツンになった詩歌。

2人の顔を見比べ、少し驚いたものの『ふふっ、可愛い妹さんね』と。

清算を済ませ、レジを離れると、2人は窓側の席へと腰を下ろす。

円形のテーブルが置かれ、カップルが好んで座りそうな目立つ位置。

客がほとんどいなかったのでどこに座ろうかと悩んでいた当麻を他所に、ぱぱっと詩歌が決めてしまったのだ。

もっとも。

甘酸っぱい言葉よりも、もっと地に足のついた言葉が似合いそうな兄妹ではあるが。

席についたところで、当麻はそれとなく店内を見渡す。

床や窓は清潔、空調も適温。

テーブル同士の距離も、窮屈過ぎない程度。

何故か客は少ないが、全体的に静かな雰囲気で、隠れ家的な感じだ。

中々悪くない、と感想を抱く当麻の正面では、詩歌が早速タルトに手を伸ばし、ん〜〜〜、おいし♪ とご機嫌に。

お口がふにゅふにゅである。

普段は多方面で大活躍で、そして………にも選ばれた妹だが、当麻と2人でいる時は、年相応の愛らしい女の子。

きっとそれだけリラックスしているのだろう、と。


「口元にクリームがついてるぞ」


「?」


妹の世話を焼くのは兄冥利に尽きる。

仕方ないな、と右の指先でクリームをとってやる―――と、詩歌はそれをぱくっと咥える


「ッ――!?」


ちゅるっと舌先で指を舐められ、


(う、わ……)


心臓が、強く高鳴る。

ちゅ、ちゅ、と切ない音は愛しげに二度続き、それから、かり、と甘い痛み。


(わ……あ、わ……)


鼓膜も皮膚も、その音と痛みに溶けてしまいそう。

唾液に濡れる感触。

味わうように触れる舌。

口腔の粘膜の温かさ。

不快ではなく、むしろ―――


「えっ……兄妹、なのよね……?」


ギョッ、と振り向くとそこには自家製コーヒを運んできた戸惑う店員。

目をパチクリパチクリと何度もしばたたかせている。

あまりのことに、当麻は中々声を出せないでいると、


「はい、おしまい。大変良いお味でした。こんなにおいしいクリームを拭いちゃうのは勿体無いですね」


「お、おおう。そうだな、詩歌! 今のはべ、別にイヤらしいことでも何でもありませんから! 変な誤解はしないでいただきたい!」


「へぇ、そうなの……」


女性の店員は、物凄く何か言いたそうな目でこちらを見ていたが、もう勢いで押し通し、トレイにあるコーヒーを奪うように受け取る。

店員さんは後ろ髪引かれるようにだが、奥へと行ってくれた。

誤解は人の世の常。

正しく理解している事の方が少ない。

それでも世界は回る。

人間社会はそういう所なのだ、と自分を慰める。

と、それはさて置いて、だ。


「舐めるの禁止ッ! おしぼりで手を拭いたとはいえ、ずっと草むしりしてたんだから、バイ菌とか入ってたらどうするんだ」


「まず言うのがそこですか」


「兄が妹の健康を第一に考えて何が悪い。で、その上で言わせてもらうが、そういう不意打ちは自重してくれ。人様に変な誤解されるだろうが」


「じゃあ、許可を取ったらいいんですか?」


「絶対に突っぱねるがな」


「いけずさんです。赤ん坊の頃の記憶では、詩歌さんは当麻さんの指をおしゃぶりにして育ったのに。つまり詩歌さんにとったらお袋の味のように欠かせぬ、兄の味です」


そう言って、携帯を操作し、まだよちよち歩きの幼い頃の一番古い写真、横に並んでちび当麻の右の指をおしゃぶりにするちび詩歌の写真を展開。


「もしかすると、これが初めての兄妹関係構成なのかも知れませんね」


「そうなのか。なら仕方ない―――訳ねぇだろ!! それが本当だとしても、昔とは違って今の俺達がやったら色んな意味でアウトなんだよ!!」


「当麻さんは一々大袈裟です。細かい事なんて美味しいものを食べれば、どうでも良くなります」


「あのな……お兄ちゃんはそんな単純じゃありません事よ?」


「え? そうだったんですか?」


そこで首を傾げられると兄としてグサッとくるのですが。


「逆に聞くが、詩歌は何でそこまで平気なんでせう? 顔を真っ赤にして恥ずかしがるとかないのか?」


「もちろん詩歌さんも恥ずかしいですけど、それよりも当麻さんの反応が面白くて、つい……ほら、パニックな人を見ると逆に落ち着くと良く言うでしょう?」


「……そうかそうか、よぉくわかった。平気で指をぺろぺろ舐められんのは、お兄ちゃんも舐められているからなんだな!」


「怒っちゃや、です」


「可愛く言っても、今の当麻さんには通用しませんー」


「分かりました。反省します。でも、私が無条件に甘えられるのは、当麻さんだけです。一番尊敬する人も当麻さんです。当麻さんがお兄ちゃんで私は幸せです」


うっ……

そう言われると引っ込むしかないというか。

まあ、とにかく彼女が幸せならいい。


「わかった。じゃあ、これでお終いな」


コツン、と頭を小突く。

何だかんだで愚兄は賢妹を本気で怒るなんてできないのだ。

そうこうじゃれ合いながらも他愛のない話をしていると、いつの間に店内には兄妹しかいなくなっていた。

客どころか先の店員もマスターも、ただ一人、新たに入ってきた60歳ぐらいの初老の女性を除いて。



「相席よろしいでしょうか? 上条詩歌さん」





第2学区



周囲を取り囲むように設置された大きな防音壁。

自動車や爆薬など、とにかく騒音の大きい分野の研究施設がここ第2学区に集まりやすい。


「こんな娯楽が少ない詰まらん場所にやっこさんがいるんかね」


「『社長』。私達は遊びでここに来ている訳じゃない事は、ご在知ですよね? ええ、くれぐれもこの前みたいな真似は止して下さいね。ここにきて一番頭を悩ませているのは社長が起こしたトラブルなんですから」


「わかっとるよー。こんな色気のない湿気た場所じゃあ、遊ぶ気も起きんわい」


キッ、と氷のように視線を投げつける秘書をひらひらと手を振って、遊び人な社長は受け流す。


「社長、ちっと真面目にやってください。さっきから見られてるんっすから」


「こんなんで怪我してもどうせ労災は出してくれんのでしょう」


その後ろには、優男と巨漢の部下が呆れたように笑っている。

この周囲一帯を兵器で囲まれたシェルターのような建物内に入るのは、この4名のみ。


「わかったわかった。挨拶回りは新入りの礼義だ。ちっと真剣にやるぞ」





喫茶店



上条兄妹が、というより、上条詩歌があの『事件』をきっかけに始まった世界規模のデモに対して、何も動いていないはずはなかった。

だが、これはただの子供が考えたところでどうにもならない問題だ。

だから、大人の力を借りることにした。

長い年月と共に積み重ねてきた政治的な力を持つ。

表向きの詩歌の後ろ盾になってくれるのが……


「お待ちしておりました、親船最中さん。上条詩歌です。そして、こちらが私の兄の」


「上条当麻です」


上品に微笑みながら、空いた席へと腰をかける初老の女性。

腰は曲がっていないが、当麻よりも二回りも小さい。

もしかしたら冷え症なのか、その膝元に畳んだコートを載せて、店内なのにマフラーを外そうとはしない。

一見普通の人間に見える彼女と高校生と中学生の兄妹が一緒に机を囲んでいる姿は、祖母と孫の会合に見えるかもしれない。

ただ、『先輩』経由で、携帯も予め切るように、そして、この場所へ来るようにと指定されたのであるからに、会話の内容が平穏であるとは考えられない。

あのチャリティイベント後の兄妹会議で、賢妹から話を聞き、要求、というより、同意を条件にいくつか結んだ愚兄の約束事の中に、『後ろ盾になる人間に会わせて、まず話をさせてくれ』と。

そんな訳で、今日詩歌も初めて会う事になるその人物は、学園都市で12人いる最高機関、『統括理事会』のVIPである親船最中。

こっそり事前に当麻が世界の裏業界に詳しい隣人、土御門に聞いた所によると『統括理事会』でもナンバーワンの善人で、学生達にも選挙権を与えようと訴えている等、少なくても悪いようにはしないと信用のできる真面目な人間である(その為、何人かの『統括理事会』に『目の上のたんこぶ』だと思われてもいるが)。

『統括理事会』の1人であるだけに、相当な手腕で、その武力を用いない交渉は『平和的な侵略行為』と言われるほど、昔、名も知らぬ幼子が泣いているだけで、命を賭けて、国家相手に戦った事もある。

戦争が嫌いで、『外』への武器輸出規制に関する条項もあと少しの所まで自前の交渉術で有利に進めていたそうだ。

つまり、今の上条詩歌にも、そして、親船最中の方にとっても互いにうってつけの相手である……のだが、


(……この人、ホントにそんな大物なのか?)


『統括理事会』のメンバーなら、命令1つで自由自在に動かせる<警備員>や私設のSP達がいるだろうに、1人だし、呼び出された場所もこんな小さな喫茶店だなんて、スケールが小さい。

賢妹の後ろ盾を彼女に任せても良いのあろうか、と不安を覚える。


「……あの、『統括理事会』の方ですよね?」


などと訝しむ当麻が、一応確認すると親船最中と名乗った女性はにこにこ微笑んで『はい』と頷き、


「信じられませんか」


「ああ、ええと……首に巻いているマフラーなんか、妙に縮んでいるというか『統括理事会』ならもっと良い物を使っているような気がするし」


緊張したのか訳の分からない事を言ってしまう愚兄だが、これが予想以上に最中の精神を揺さぶったらしく、彼女は急に首元のマフラーをギュッと握りしめると、


「こ、これは娘に作ってもらった手製の一品です。侮辱する事は許しません」


「そ、そうなんですか」


と、ぎこちなく頷きかけたが、そこでまたふと浮かぶ疑問。


「待てよ。……アンタの娘って事は年齢的には立派な大人だよな。なのにその腕前は―――」


と、そこでガツンッ、とこれ以上意味のない事で刺激するのも無駄なのでシスターストップ。


「すみません。どうもこの女心の分からぬ愚兄は、女性を怒らせるのが癖みたいなので。後で良く良く躾けておきます。何でしたら、今すぐここを摘み出しても結構です」


「にゃんだにょ、しょのふひょんいな―――っつ!?」


何だよその不本意な評価は、と言いたかったが、ぐにに〜っとそのほっぺたを千切らんばかりに抓る。

一応、兄妹なのだが、上下関係的には姉弟である。

それに、クスリッと笑うと


「いえ、問題ありません。むしろ、彼にもここにいてもらわないと困ります」


と、頭を下げて、


「今日は今後について話し合う予定でしたが、こちらの都合によりその時間の余裕がありません」


頭を上げるとゆったりとした口調で、


「早速ですが、現在、世界中で起きている大きな混乱について、お話しましょう」


世界中で起きている混乱と言えば、今、学園都市派とローマ正教派に分かれて実行される、大規模なデモや抗議活動だろう。

しかし、


「……話し合う、と申されましても、私達は“まだ”一学生に過ぎませんが」


「いえ、ここで必要なのはあなた方の意見です。国家を主軸に置いた組織は、宗教的・思想的な混乱に弱いという側面があります」


すらすらと続ける。

俗に近代国家と言われる組織が、そのような問題を解決できたケースは稀である。

中には『解決した』と声高に叫ぶ組織もいるだろうが、それらの大半は武力の行使により無理矢理黙らせたというもの。

むしろ、それが原因で問題を大きくこじらせている方が多い。


「現在、世界中で起きている混乱は深刻ですが、それは簡単に止められない問題でもあと同時に『第二の火種』でもあるのですよ。この消し方に失敗すると、国家としての機能を麻痺させるほどの大きな内乱に繋がる危険もある。デモや抗議活動に軍事介入が行われないのはその辺りの事情があります。正直、今回の難しい問題に対して諸外国は解決マニュアルを欲している、というのが本音でしょう。とりあえず他国が動き、一定の効果・成果を得られるまで様子見したい……と全ての国家が考えているはずです」


土御門元春やステイル=マグネスのような戦闘・暗殺を含む武闘派とは異なる、知的な教育者のような賢者。

詩歌に近しい、と当麻は感じる。


「その一連の混乱を、あなた方に解決してもらいたいのです」


「どうやって」


だが、その言葉には口を挟まずにはいられなかった。


「自分達の手で解決できるって言うなら、俺たちだってそうしたい。そんなの、世界中の人達がそう思ってんじゃないのか? でも、現実には何も変わってない。何も解けてない。解くべき問題は誰でもわかるのに、誰もそいつを解こうとしないのは、手っ取り早い『理由』や『原因』何てものが存在しないからだろ」


答えのない問題なんて、誰にも解けない。

だから、分かっていても誰にも動けない。

まさか世界中を回って、デモや抗議をやっている連中を1人1人説得するなんて馬鹿げた事を―――


「もしや、当麻さんが言うような、その『理由』や『原因』が存在するのでしょうか?」


親船最中を読み取った詩歌が、問う。

すると、彼女は肯定するように首を縦に振る。


「どういう事だよ」


「当麻さん、国連だの国家の代表だのといった人物が殺せず、私達が、当麻さんの右手だけが殺せるものはなんですか」


愚兄の右手、<幻想殺し>だけが殺せるもの。

それは幻想。

デモや抗議活動といった『普通の現象』に対しては何の効果も発揮しないが、魔術や能力が関わっている『異常な現象』ならば全てを打ち消す。


「どうやらわかったようですね。この混乱の裏には何者かが指揮している。その使われている『幻想』が、全ての元凶であり、そのたった一つを殺せれば、全てが元通りになる」


「つまり、9月30日の『結果』じゃなくて、今もまだ『続いている』問題だから―――今ならまだ解決できるって事なのか」


「はいそうです」


我が意を得たり、と最中は頷く。


「ちなみに、この混乱を生み出しているのは学園都市ではありません。何でも統括理事長の話によると、科学的超能力開発機関は世界最大宗教集団・ローマ正教の中にも存在するらしいですね」


? と今の言葉に眉を顰めそうになったが、すぐに気付く。

世間一般、学園都市側では『魔術など存在しない』と発表されている。

『魔術』と呼ばれる現象の正体は、かつてそういう名前で呼ばれていた、科学的な『能力』、それが『科学的立場』。

詩歌に言わせれば、どちらも根本的には同じようなものであると言っているのだが、今ここでその話をしても仕方がない。

余計に話をこじらせぬよう、当麻は下手に口を挟まず、話を進める。


「でも、そうだとしても何でアイツらはこんな大掛かりな真似をしているんだ? だって、デモや抗議活動ってローマ正教の生活圏で起きているんだぞ。つまり、あの混乱の真っ只中で苦しんでいるのは、当のローマ正教徒じゃないか。自分達の仲間を苦しめても自滅するだけだろ」


「学園都市に今回の混乱を起こすメリットはありません。しかし、ローマ正教は違います。当麻さん、学園都市はお年寄りから子供まで合わせて230万人です。では、ローマ正教に信者は何人いるでしょうか?」


今までの事件の記憶を絞り出すようにちょっと頭を捻ってから、当麻は詩歌に、


「確か、20億人だっけ? 世界最大宗派なんだろ」


「はい正解です。もし、全面戦争となればこの覆しようのない単純な数の勝負で学園都市に勝ち目はありません。―――そこに引っ掛かりませんか」


現在ローマ正教は本気で学園都市を潰そうとしている。

なら何故、回りくどい、世界各地でデモや暴動を起こすやり方を選んだのか?

『数』という群を抜けて圧倒的なステータスがあるのに何故それを使わないのか。

20億もの人間を自由に操れるのならば、世界中でバラバラに暴れさせるより、学園都市へ一極集中させた方が効果的なのに。


「……、まさか」


「ええ」


愚兄が『答え』に辿り着くと親船最中はにっこりと笑い、


「20億人を操れるなんて情報はね、嘘なんですよ」


それができるなら、とっくにやっている。

ローマ正教の十字架を身に付け、聖書を携え、日曜日には教会でお祈りをする人間が世界に20億人いるのかもしれない。

しかし、現実問題として、十字教の為に殺人を犯せる者は何人いるのだろうか?

聖書にも書かれているし、今の世界の常識的な倫理観として、殺人は重罪だ。


「まぁ、中にはそういう人もいるんでしょうけどね。現状、この世界は2つに分かれていると考えられています。学園都市と巨大宗教団体ですね。ですが……真実はどうなんでしょう? 本当にそこまで厳密に線引きは行われているのでしょうか」


科学と魔術は混じり合わないように区分けされているのか? と親船最中は言う。

日曜日に礼拝へ出かける人間も、テレビは見るし、携帯電話も使う。

科学的なスポーツ医学に則って身体を鍛えたスポーツ選手にも、ここ一番の大勝負には神頼みだってしよう。

つまり、普通の世界にとって、線引きはあやふやで、両方の世界の美味しい所をそれぞれ引っ張ってきて、自分に都合の良い世界というのを築いている。

境界線なんてものは存在せず、『科学』と『魔術』は重なっている。


「世界の大多数……『多数決の勝者』とは、そういうものなんです。何事も浅く広く―――学園都市の関連機関が経営する銀行でローンを組んで人生設計しつつ、ローマ正教の教会で結婚式を挙げる……そういう、『科学と宗教のどちらの恩恵も得ている』人達が世界を覆い尽している訳です」


そこで、当麻はまた気付く。

喉の奥が、少しずつ渇き、それが言葉として固まる前に、


「ローマ正教にとって、その『どちらの恩恵も得ている人達』は困りものでしょう。20億人の人材は、できれば全て自分達に引き寄せたい。だからこそ、『何か』を実行したその結果としてどこかの歯車がこじれてしまい、デモが誘発されて“しまった”」


それこそが、今回の件のカギ。


「はい。デモの誘発が目的ではなく、この暴動やデモの『混乱』というブースターを得て、学園都市によって基盤を固められた世界を破壊しようとしているのでしょう」


親船最中の言葉は、やはり科学サイドよりではあるが、ここで言い争っても仕方がない。

とにかく学園都市は、ローマ正教のこの動きを特に警戒している。

本当に、このデモによって世界中の人達がローマ正教側に集まるのも怖いが、それより、経済的な問題が大きい。

親船最中はそれを『経済爆撃』と呼ぶが、混乱が長引けば、世界レベルの大恐慌が起こりえるのだ。

国家の軍事などの維持には、莫大な資金が必要であり、世界的な混乱はその維持に必要な資金源を絞ってしまう。

さらに、どんなに節約しようにも、維持には常に一定の消費を被るものであり、その維持費が大きければ大きいほど、その経済恐慌のダメージは大きい。

例えいざという時の為に、数年間は維持できる資源を備蓄していようと、現状から『このままではいずれ最低限の維持でさえも危うくなる』と思わせただけで、『なら力のある今のうちに戦争を仕掛けよう』という話に繋がる可能性がある。

この近代国家の暴走が、学園都市を中心とした科学世界を引き裂くには充分な材料なのだ。

無論、これは明確な証拠も無しの推理ではなく、親船最中の頭にはそれを裏付けるだけの数字がある。


「これは関係しているかどうかはわかりませんが……学園都市は現在、戦争の為の資金を手に入れようと躍起になっています。足りない人数差を最新鋭の装備や無人兵器などで補おうとしているのか……それとも他の理由でもあるのか。兵器の展示会を開き、量産化に応じて商品用にグレードを落とすという名目で、実質的には大したテクノロジーを使わなくても製造できる『つまらない兵器』を学園都市精の新兵器として高値で売りさばいているんです。一方で、ローマ正教の方も戦争資金を集めています。『信徒からの寄付』という形でね。名目上は『混乱を収めるための平和基金』という事になっていますし、募金している側に深い意図はないでしょうが……彼らの上層部がどういう意味を込めて『平和のために使う』と言っているのかは明白ですね」


混乱が大きくなればなるほど、平和のためにと『基金』に集まる額は増える。

塵も積もれば山となるように、20億人が1人1円だけしか募金しなくても結果20億もの大金が集まる。

もちろんそれは義務ではないが、裕福層の中には『寄付の額の多さがステータスになる』という風習もあり、『免罪符』という特権制度も残っている。

これは十字教が発行する天国行きの手形で、教会に寄付をすればするほど主に認められる。

これにより、実際に集まる額は20億など軽く超えている。

しかし、それはおかしい。

余程熱心な信者でもない限り、科学と信仰を天秤にかければ、『天国』なんてあるかもどうかも分からぬ死後の世界を想うよりも、実生活で便利で即物的な科学の方にこそ寄付は集まるはずだ。

親船最中は、そこに彼らが何か『小細工』をしており、それが副産物的に大きな混乱を招いている―――と睨んでいる。


(……、難しいな)


しかし、だ。

当麻は詩歌の瞑目し塾考する横顔を窺う。

この『経済爆撃』は、あくまで学園都市側の統括理事会である親船最中の主張である。

でも現実的な問題として、ローマ正教側もデモや暴動で、未来ではなく、現在に、実質的な被害を受けている。

これが20億という数の戦力を削ぎ落とす為の、学園都市側の策略だとするならば、と考えられなくもない。

でも、どちらにしても被害を一番に被るのは、親船最中の言う『浅く広く』の『普通の人間』である。

もしも裏で陰謀が行われているとしたら、それがこの右手で殺せるなら、そんな不幸な幻想は打ち砕かなければならない。

それがあの時、皆が笑えるハッピーエンドを望んだ少年少女の願いだ。

そして、詩歌はゆっくりと瞼を開き、


「2つ、聞きたい事があります」


「はい、何でしょう」


やんわりと首肯し、発言を認める。


「まず、そのトリックについての具体的な情報について知っている限りの事を教えてもらえるでしょうか」


仮にローマ正教が黒幕だとしても、その原因が分からなければお話にならない。

当麻も詩歌も、自分が見えぬ範囲の問題まで解決できるような力ではないし、最低限でもその舞台への案内はして欲しい。


「それについては、後で『彼』が説明してくれるでしょう」


彼? という単語が気になるも、それにはその分野の人間が出てくるのだろうか、と当麻は考える。

続けて詩歌は、


「それで、これは『統括理事会』としての依頼ですか。それとも、親方最中という一個人のお願いでしょうか」


「……本当に聡い子です。そして、優しい子です。後者です。しかし、あなた方が気に病む必要はありません。だから、止めないでください。これは私が望んで―――」


言いかけた親船最中の言葉が途中で途切れる。

店内に新たな人影が現れたからだ。


「土御門?」


それは、いつもの親友の顔ではない、土御門元春だった。





試験シェルター



『統括理事会』軍需部門の潮岸は用心深い事で有名だ。

『安泰』こそが最大の贅沢と考え、常に安全に気を配り、四六時中特注の駆動鎧を着込んでいる。

警備隊も今この場に侍らしている杉谷班の他に、裏切りを防止策としていつでも潰し合えるよう美濃部班の2部隊構成。


(……新参者として、挨拶がしたいだと……?)


この今日というタイミングでいきなり入ってきた連絡。

『統括理事会』の正式メンバー12人は其々が他者を出し抜くために得意分野の力を蓄え、同権限者を蹴落とし、少しでも自分にとって都合の良いように学園都市を動かしていこうとする。


(……突き返せるか。いや、かつてこの地を巡って学園都市と争ったあんな暴力団に政治的手段も通用しない。全くどうしてあんな奴らをこの街に招き入れたのだ)


人間を死に至らしめる要因などこの世界には溢れ返っている。

よく人は『こんな事になるなんて』『恨まれるような人じゃありませんでした』なんていうが、とんでもない。

人間など分かりやすい理由などなくても死ぬ時は死ぬ。

特に自分のような立場の人間は、より一層に。

不意に訪れる不幸から逃れたいのなら、常時気を張るしかない。

だが、好き勝手に暴れるような無法者とはいえ、彼らもまた自分と同じ『統括理事会』の一員だ。

たかが挨拶を突っ撥ねようとすれば、他のメンバーに反感を買われ政治的な問題にも触れるだろうし、何より今はあの暴動のせいで残存する武力が少ない。


「いかがいたしましょう」


傍らに控えている子飼いの暗殺者、杉谷が主人に窺う。


「カメラの情報が正しければ、今の鬼塚鳳仙の手駒は側近3名のみ。その彼らの中でも武器を持っている者は1名。それもただの日本刀のようですが」


潮岸は昨日行われた奴らと<警備員>の駆動鎧部隊との演習の映像を思い返す。

彼らは終始既存の重火器しか使わず、ごくごく普通に戦い、敗北した。

この世の法則を覆すような能力など使っていない。

過去、この街と抗争した前組長鬼塚十座の時代と比べれば、その兵数は半減している。

もう今のヤツらは単なる暴力団、いざ刃向かわれたとしても容易く撃退できるし、この建設重機以上のパワーを誇る特注の駆動鎧を、武器を隠し持っていたとしても傷つけられるのは不可能だし、たかが日本刀では、逆に刃毀れしてしまうだろう。

仕方がない、ここは今後の『安泰』の為にも、彼らには身の程を知って、少しは大人しくしてもらおうように飼い犬に躾てやる。


「迎え入れろ」


杉谷は決定に異を唱えずに従う。

その態度に『安泰』を感じたのか、潮岸はやや口調を穏やかにしながらも、続けて、


「美濃部に最低限の見張りを任せて、できるだけ多くの私兵をこの部屋に集めろ。駆動鎧はないが、それでも他にも兵器は揃っているだろう」


そうして、挨拶に来た新参者に用意されたのは、お茶菓子と紅茶ではなく、サブマシンガンとライフルであった。


「所詮は、捨て駒として呼ばれた奴らだ。切り捨てても構わん」





喫茶店



「―――話は終わったか」


土御門は、当麻にも詩歌にも挨拶も視線も向けず、親船最中に話しかけ、青いレンズの入ったサングラス越しの瞳は親船最中に向けられている。

対して、最中の方も驚いていない。

エージェントとしての土御門元春との面識があるのだろう。


「はい、もう良いでしょう。……あなたになら、任せられます」


「そうか」


土御門は短く息を吐く。

まるで面倒な仕事の前にうんざりしているかのように。


「気持ちの整理は済んでいるんだな」


「昨日の内に」


「始めてしまうが、構わないな」


「あなたが躊躇う事ではありません」


兄妹を抜きにして進められた問答が終わると、土御門は親船最中の微笑から目を逸らし、背中のベルトに挟んだ物を抜き取る。


「つ、ちみかど?」


当麻は土御門の右手に見た。

全長、僅か15cmほどの黒光りする金属の塊、この穏やかな喫茶店には似合わない物体を。

そう、拳銃。

そこまで考えても、当麻は土御門元春を止められなかった。

次の行動が読めなかったから、ではない。

分かっていても、そんな酷い予想の通りに彼が動くとは思わなかったからだ。


バン!!


と小さく乾いた銃声が店内に響き渡った。

親船最中は、それでも笑っていた。

彼女の身体が揺らぎ、そのまま席から床へと崩れ落ちた。





試験シェルター



潮岸と鳳仙。

学園都市の最高幹部、『統括理事会』の2人が間にテーブルを挟んで正面から向き合っていた。

上流階級らしい穏やかな雰囲気の対話の場。

だが、潮岸の背後に控えている杉谷と、その部下の大勢。

上下戦闘服で、銃器を肩から提げるのではなく、両手で携えた臨戦態勢。

鳳仙は、ケラケラとそんな様子をせせら笑うように咥えキセルを吹かしていた。

左右には糸目の優男と、2mは超える巨漢。

背後には滅法目付きの鋭い女性。

しかし、優男を除いて、彼らは目立った武器を手にしていない。

ヤクザの手打ち式だって武器をぶら下げてという事はあるまい。

紛争地域の和平会談だって、警備はいても相手の兵士が銃を向けているなんてありえない。

それでも先頭に立つ血のような赤髪の『鬼』は嗤うのだ。


「………ってなわけで、潮岸の爺さん。こっちは、アンタが武器輸出規制に関する条項の取り決めの際、軍需反対派の親船の婆さんを脅しているっつう証拠は掴んでいる」


まずは鳳仙がそう切りだした。

もちろん嘘だ。

優秀な密偵がいるも、ここに来てまだ一月も経っていない短期間で、流石にそこまで調べ上げられるわけがない。

普通なら相手も信じないが、テーブルの上にばら撒かれた書類は確かなものばかりで、側近しか知らないような内部資料、そして1人の女性の写真に未使用のマグナム拳銃が一丁まであっては、鳳仙の言葉に信憑性を感じざるを得なかっただろう。


「戦争については反対しねーが、脅すのは見過ごせねぇなぁ……」


(あの女狐め……ッ!)


「言っておくが、親船の婆さん、娘さんやその他身近な人物は我が『鬼ヶ島警備会社』がついている。昔、停戦の際に色々と世話してもらったでっかい借りがあるんでな。こっそりとシークレットサービスって奴だ。まあ、儂はできるだけ穏便に済ませたいがねぇ」


この挨拶の意味は、親船最中から手を引けというもの。

彼女は潮岸とは対極で『無防備は最大の防御』。

自衛隊と同じように、自分は侵攻用の戦力を保有していないという人畜無害なアピールをし、逆に他者から攻め込まれる口実を封じている。

潮岸にはとてもできそうにない高度な手法だ。

しかし、彼女には親船素甘という娘がいた。

潮岸はその決定的な弱点を突き、目の上のたんこぶを第一線から退けさせたのだというのに、この暴力団は……


「鬼塚クン、君は一体何をしているつもりかね?」


「かかか、決まっとる『悪の組織』だ」


潮岸は僅かに沈黙し、それから口を開く。

駆動鎧のヘルメット越しに、正面に座る鳳仙の顔を見ながら、


「……鬼塚クン。君はこの状況を上手く理解していないように見えるが」


「儂には潮岸の爺さんの耄碌している目はちゃんと映っとるよ」


「そうか」


潮岸は、ヘルメットの中で一度だけ短い息を吐き、



「やれ」





喫茶店



(つ、ち、みか、ど?)


土御門元春に親船最中が撃たれた。

その事実に気づくまでに、上条当麻は数秒の時間を要した。

親船最中は全く抵抗せず、助けさえ呼ばない、声を上げる気配すらもなかった。

予め全てを承知の上で、彼女は弾丸を受けたのだ。

そして、土御門は淡々と作業をこなすように、今も白い煙が漂う拳銃を仕舞い、床に落ちた空の薬莢を拾い上げ、それをポケットの中へ収めていく。

それが、上条当麻の感情を爆発させた。


「土御門ォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


当麻は勢い良く席を立ちあがると、土御門のシャツを掴み上げた。

それでもサングラス越しの瞳に変化がない事を知ると、当麻はほとんど反射的に拳を握り締め―――そこで妨害を受けた。


「―――落ち着いてください」


パシャッ、と長話で冷めた温いコーヒーが掛けられる。

冷水を浴びせられたようにとまではいかないが、その妹の声に、そして、人形のように無表情な妹の顔に当麻は自制する。


「ここで土御門さんを殴っても、親船さんの覚悟が無駄になるだけです」


その時、どうにか唇を動かせる程度の弱々しい声が聞こえた。


「彼を……責めないで、ください……」


当麻は混乱しそうな自我を必死になだめながら、土御門から手を離す。

親船最中は、さらに続ける。

微笑みながら。

ここで怒ってくれた愚兄に、感謝するような顔で、

ここで抑えてくれた賢妹に、懺悔するような顔で、


「私の、行動は……学園都市の代表である、『統括理事会』全体の思惑とは、異なる、ものなんです。……彼らは、戦争の激化と……ローマ正教を代表とする、“もう一つの宗教という科学サイド”の徹底的な破壊を、望んでいます……。この混乱に、乗じたいのですよ。ですから、これが、簡単に収まってしまっては、困るのだそうで……」


当麻は詩歌の顔を見て、それから土御門の表情を窺う。

この、全てを知っていた嘘吐きは一体どれほど、自分にさえも嘘を突いてきたのか。


「戦争の激化など……そんな馬鹿げた事は、止めなければ、なりません」


ゆっくり、とその痛みを噛み締めるかのように、


「しかし、『統括理事会』の1人と言っても、使える力は、限られています。私には、できないのですよ。この状況を覆す事……など。……『上』の意思に反したことで、力を奪われた者に、できる事など、たかが、知れています。ですから、接触する、必要があった。本当に、状況を打破できる、人物に……」


でもね、と哀しげに視線を伏せ、


「卑怯者、じゃあないですか。あなたのような子供に、私は戦争に行けと言うんです。あなた達にも大切なものはいるでしょう。なのに、私は……牙を折ってしまった、その代わりに補おうとあなた達に牙を振るわせようというのです。あなた達はきっと私が言わずとも、それを知れば、戦地へと赴くのでしょう。だけど……それは元々、私たち大人の役目だったんです。その義務を放棄し、その優しさに付け込んで役割だけを押し付けるなんて……」


だから、この撃たれたい傷口は直さないで、と親船最中は、駆け寄る上条詩歌に言う。

これは自己満足でしかないけれど、この痛みこそが最後の一線で踏み止まっている自分を救ってくれている。


「……いずれ、この接触は、必ずバレます。ですから、私には、反逆に対する……『制裁』が、加えられる手はずに、なっていたんです。私、1人ならば、回避する事も出来ましたけど……その場合は、『制裁』の矛先が、変わってしまう」


愚兄はようやく理解する。

この女性が一体何を背負っているのか。

この場にいる全員には分かる。


「……彼には、私から……頼みました。一応、捕捉しておきますと……彼は、嫌だと言っていましたよ。ですから、彼を、責めないでください……。急所を的確に外して『制裁』する……そういう無理な注文をお願いしたのは私自信なんですから……」


「しゃべるな」


そこでようやく、土御門は口を挟む。

床に転がる親船最中に寄ると、その顔を覗き込み、


「後はこっちでやる。お前はお前の役割を完璧に果たした。お前にも色々と言いたい事があるんだろうが、こっちから答えられる事は1つだけだ。―――安心しろ。お前はそれだけを覚えていれば、それで良い」


その嘘偽りのない言葉に、親船最中は、ゆっくりと笑みを深くする。

その首には、手製の、あまり出来の良くないマフラーがある。

そう、彼女の戦う理由が。

学園都市とローマ正教が起こす諍いを止めるのも、その為の『制裁』を他に回さないように手を打ったのも、全てはそこに収束される。

でも、親船は、すみません、と。


「最後に……もし、私がここで倒れたとしても、あなたの後ろ盾については貝積継敏さんにもお願いしています。だから……安心してください」


それを最後に彼女は意識を失う。

土御門は身を屈めて、最中の持ち物の中から携帯電話を取り出し、病院へ連絡。

救急車を呼んだ後、指紋を拭き取ってから床に置く。


「……言えませんでした」


詩歌は、ポツリと。


「私ね。まだ小学生の頃ですが、美琴さんと一緒に彼女のチャリティーの天体観測会に参加した事があるんです。『いつか夜空に星を作ろうね』って、そんな子供の夢を彼女は笑わずに聞いてくれたんです。『君達が夢を叶えられるように私がこの街をもっと良い所に変えてみせます』って……。だから……恩返ししたいんです。私は先輩に無理を言って、親船最中さんに後ろ盾になってくれるように頼んだんです。………」


詩歌は言う。

誰でもない、あの頃の自分を認めてくれた親船最中に。


「あなたを卑怯者だなんて言わせません。誰にも、あなた自身にも」


詩歌は店を出る。

誰にその表情を見せることなく。

そして、土御門は愚兄に、


「今すぐ動けるか、カミやん」


「分かってるよ」


歯を食い縛り、床に倒れている馬鹿な女を睨む。

自分達を動かす為に、それだけの為に、わざわざこんな回りくどい大それたお膳立てをしてくれた。

命懸けで。


「ふざけやがって……。アンタ以外の誰に詩歌の後ろ盾を頼めるっつうんだよ。こんな所で倒れてんじゃねぇ!」


当麻は右手に力を入れると、土御門と共に詩歌の後を追う。


「説明は後だ、時間が無い。第23学区へ向かうぞ。航空機の用意がある。今回限り、親船最中の力を使って準備させたものだ。そいつを無駄にさせるつもりはない」


「“今回限り”じゃねぇよ、クソッたれが……」


これで彼女との繋がりを終わりにするわけにはいかない。

妹を泣かした責任を取ってもらわないといけない。

だから、まだリタイアするな、と愚兄は、遠くから聞こえる救急車のサイレンを聞きながら歯を食い縛った。





試験シェルター



一斉に放たれた弾丸。

しかし、その前に、『壁』が立ち塞がっていた。

3mの至近距離から明確な殺意を以て放たれた弾丸を全弾受け止めた男の身体からは一滴の血も流れていない。

そして、放たれたはずの銃弾はパラパラとその脚元へ転がる。


「ば、化物……?」


部下の中で誰かが呆然とそう呟く。

12人いる鬼塚組大幹部、<十二支>の『丑』、硬気功を極めた要塞、西居蛸牛。

その銃弾で穴だらけとなったスーツの下には、革ともビニールとも付かぬ、不思議な光沢を持った黒の上下。

具足、手甲、胸当てなどの金属板は鈍い黄色だが、見るほどに引き込まれそうな深い艶を見せていた。

この表面積がオンロードバイク用プロテクターと大差ないこの軽装鎧――<鋼鬼鎧>は、現代主力戦車の徹甲弾さえも貫通は許さない。

いついかなる時も組長の盾であろうと、その男が求めたのは城壁のような堅い体に迫撃砲のような硬い拳、まさしく動く要塞。


「大将に鉛玉をぶちこもうたぁ、いい性格してるっすね、潮岸さん」


大将を狙われ、憤激する丑寅。

それを見て、杉谷は横から―――


「お頭を狙うのは、いかんですなぁ」


まるで知覚不可能な速度だった。

首に冷たいものを感じたのは分かったが、それが優男の切っ先である事に気付いたのは、彼の声が耳元に聞こえてからの事。


「……、」


喉頸を狙われながらも杉谷は―――としかし、


「得物のみヤって良し」


スパァンッ!!


「ッ……!!」


見えなかった。

杉谷には何も。

反射的に腕を引っ込めていて、その手に持った大型拳銃の銃口が断たれていた。

その真っ黒な刀身の特殊鍛造刃――<慙愧刀>によって。

この鬼塚組大幹部の『酉』、刃物に愛される断頭台、烏山朱雀。


「了解ですさぁ! お頭!」


優男とは思えぬ、破顔の狂笑。

そのまま峰で、杉谷を気絶させると蛸牛を盾に一気に躍り出る。

誰にも教わらず決まった型は収めてはいないが、それはまさしく、悪しき刃。


「銃弾なんざでこの丑寅の身体を貫けっと思うなよ」

「この間合いで銃なんざ選んでいる時点で、オレの敵じゃねぇよ」


銃弾を弾き、拳、掌、熊手と手の変化、肘、肩、体当りを混ぜて怒濤の勢いで攻め立て、蹂躙していく。

反撃の余地も与えぬほど一太刀一太刀の繋ぎ目が恐ろしく滑らかに、そして、切断がとてつもなく上手い。

そのまま、悪しき要塞と悪しき断頭台は絶え間のない拳撃と斬撃の連携で相手を戦闘不能に追い込んでいく。


「ふ、ふざけるな! 貴様ら暴力団はこの街の敗北者だろう!」


「確かに『悪』っつうのはいつかは滅ぼされるもんだが、一体いつの話をしているんだ、潮岸の爺さん。あの頃で生き残ってんのは、留守番してる亀岩の蛇爺しかいねぇけど、『悪』がいつまでも敗北者のままでいると思ったら大間違いだ。第一、たかが暴力団をこの街が上の椅子を一つ用意してまで呼び込むはずがないだろ?」


コキコキ、と肩を鳴らしながら、鬼塚鳳仙は脱いだ堅苦しい上着を背後に控える竜神月姫に預ける。


「どうも真面目過ぎて分かっておらんようだが、そもそも悪ってなぁ、“恐ろしく強え”って事だ。それを小賢しい弱者が、退治し易いように強えことを悪しきことだとだと言い換えてんだ。じゃなきゃ、正義の味方が集団でやるには理由がいるだろ。『悪』を舐めてたらアンタ、いつか絶対に痛い目に遭うぜ」


<鬼塚>に集い、頂点に上り詰めた者は、何かしらの一芸を極めている。

『能力』も『科学』も関係なく、純粋に強さだけを追い求める『悪』。


「くっ、図に乗るなよ若造!!」


轟!! と。

駆動鎧の全出力を費やし、潮岸は鳳仙へ特殊合金の拳を放つ。

彼が装着している駆動鎧は、学園都市が軍用に採用しているものをさらにグレードアップした特注品だ。

機動性や他の火器との相性よりも防御力・耐久性を中心に改造を施しているが、それはつまり、その巨大な拳が建設重機以上の頑強さを秘めているという事だ。


バシンッ!


「ほっほーぅ。オモチャにしちゃあ、中々いいパンチじゃねぇかい」


ただ息を呑む。

本当に。

本当に、この男は人間なのか。

その場をピクリとも動かず、人間には抗いようのない鋼鉄の拳を苦も無く片手で受け止めた。


「だが、<鬼塚>を倒すには、常識内に収まってちゃあ、足りねぇなぁ」


<獣王>の血を引く『悪』、<鬼塚>。

その中でも、この男は突然変異の如く先祖帰りしたような正真正銘の悪しき『鬼』だ。

『統括理事会』という役職は潮岸の言う通り、非常に敵に狙われやすい職業で、そのため彼以外にもある者は私兵を雇う者は大勢いるし、親船最中もその無防備さを逆に武器にしている。

しかし、この男は、そのままでも素で強い。

シェルターも、駆動鎧も必要ない。

速度に変換はできないが、その単純な膂力は、核兵器と同格に指定される超人にも勝る文明の破壊者。

だから『鬼』という悪名を帯びて、ようやくその存在が許されているのだ。

そのまま駆動鎧の拳を握り潰し、その五指をボーリングの穴に入れるように喰い込ませ―――一気に引く。


「ほれ、挨拶代わりの一発だ」


ズドンッ! と。

その鬼の拳は、腹部の装甲が砕き、突き出された。

その老人の眼前まで。


「こ、この戦闘狂め……! 私を殺す気か!!」


「かかか、だったら既に皆殺しにしとる。今日は、あくまで“挨拶”だよ」


鳳仙は拳を引き抜き、そのまま、拳一個分の穴に、テーブルに置かれていた未使用のマグナム銃を捻り込む。


「だが、儂らはやられたらやり返すというのは分かってもらえたと思う。だから、この鉛玉で、本当にその目ん玉を節穴にして欲しくなかったら、親船最中から手を引け」


「ふざけるな! あの女狐を疎ましく思っているのは私だけじゃないぞ! 貴様らは、この学園都市を敵に回すつもりか!!」


「かかか、それもまた一興かもしれんが、もう戦争は親父の代で懲りてるんでね。ここは色々と面白いしな。手を出されなかったら、こっちも無闇に暴れるつもりはない。つまりはアンタ次第だ」


目の前に銃口を突きつけられた潮岸からは、既に戦意が失せていた。

異変に気付き、さらなる部下が部屋になだれ込んできたが、鳳仙達に向かおうとするのを潮岸は止める。

このまま争っては危険だ、という自身の保全だけを考えた冷静な読みは、流石にこの街の最高幹部か。


「分かった。手を引こう……。貴様らとは一生涯関わりたくはない」


「かかか、嫌われちまったねぇ。だったら、潮岸の爺さんも『鬼ヶ島警備会社』にご加入しますかい? お安くしときますよ」


「いらん。とっとと消えてくれ」


「そりゃあ残念。こっちの挨拶回りは失敗。商売には負けちまったなぁ」


「宣伝する気もなかったくせにいけしゃあしゃあと良く言いますね、社長」


疲れたように息を吐く月姫から上着を返される。

そうして、『挨拶』を終えると、鬼塚鳳仙はマグナムを腰に据え、キセルを再び咥えながら、武器だけを破壊した3人の悪しき側近と共にこの試験シェルターを後にした。

『安泰』を望む潮岸が、その『波乱』を呼ぶ鳳仙の背後を撃つことはできなかった。



つづく

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