小説『とある賢妹愚兄の物語 第2章』
作者:夜草()

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正教闘争編 ふわり途中下車の旅



航空機内



<C文書>。

正式名称は『Document of Constantine』。

コンスタンティヌス大帝が、それまでローマ帝国から迫害を受けていた十字教を初めて公認する際、『十字教の最大トップはローマ教皇であり、このコンスタンティヌス大帝が自治するヨーロッパ広域の土地権利は全てローマ正教に与える。つまり、ヨーロッパ広域にすむ者達は全員、ローマ正教徒である』と胡散臭いくらいにローマ正教にとって有利な記述が記された権利証明書。

その『霊装』としての効果は『約1700年前に大帝が治めた土地には、現在も浮かび上がる『皇帝の土地である』との刻印が刻まれ、大帝のものは教皇のものでもある事から、『<C文書>の印が反応した土地・物品は全てローマ正教に開発・使用の決定権が委ねられる』』―――ではない。

先の大帝が教皇に自身の財産を無条件で献上した話は胡散臭く、事実、15世紀の学者は真っ赤なウソだと公言しており―――実際に存在する<C文書>の効力は“その程度のもの”ではなかった。

真の効果はもっと強力で、『ローマ教皇が、世界中のローマ正教徒に宣言したことを強制的に『正しい』と信じさせる』

例えば、『あの宗教は安寧を乱す、一刻に殲滅すべき邪教だ』と宣言すれば、それがどれほど人の為になっていても、信徒はそれを迫害するだろう。

『祈りを捧げる信徒であるなら、真っ赤に焼けた鉄棒に触れても、主のご加護で火傷はしない』と宣言すれば、何の根拠もなくても、宗教裁判で火傷した者を、罪人と判決するだろう。

ただし、あくまでも『正しいと思わせる』効果だけで、全ての願いを叶える<黄金練成>のように物理法則を捻じ曲げるほどの効果はない。

どんなにくだらないことであろうと『教皇様の言う事だから間違いない』とローマ正教徒のみを信じさせ、ただしローマ正教自体を信じていないものなら、例え間違っていても構わないで済ませられる。

その良くも悪くも“ローマ正教の為でしかない”『霊装』の目的は、権力者の威厳=絶対の法律の神話を守り、信徒全体を一致団結にまとめるため。

ヨーロッパに大流行した死の病ペスト、十字軍の遠征失敗、オスマントルコの大勢力の脅威などの外敵や騒乱の度に『神は絶対』が揺らぎ、ローマ正教は何度も存続の危機に瀕した。

でも、どんなに大きな危機でも、『神は絶対』を貫かなければならぬローマ正教は、小細工を使ってでも、人心を離れないようにし、醜くも優しくも、どんな困難にも希望があると信じさせる―――その為に<C文書>は必要だった。

謂わば、『理想と現実の間を埋めるための『霊装』』

その効果は絶大で、一度『正しい』と宣言した事柄は同じ<C文書>の力を以ってしても取り消すのは難しく、それ故、下手に設定を乱立させないためにも、

使用者はローマ教皇しか認められず、使用には上層部全体の承認を得るなど慎重かつ莫大な手順が必要であり、教皇の独断で使用する事は出来ない。

で、


「―――おごごごごごごごごごごごごごぶぶっ!!」


学園都市の主要な空の航路を一手に引き受け、かつて、宇宙エレベータ―<エンデュミオン>が存在した航空・宇宙産業に特化した23学区

空路の邪魔にならぬよう他とは違い高いビルは乱立せず、所々ポツポツと建っている管制塔や試験場などの建物は除き、見渡す限りほとんど平面のそこは、23学区の中でも警戒ランクが高い区でもある事から、厳重な警備が敷かれている。

そこへデモ等、この海外旅行も制限されるようなご時世で、さらに、バレた時点で国際非難間違いなしの非公式活動な作戦を取る上条当麻、詩歌の兄妹は、土御門元春の案内で|(お留守番中のインデックスは、土御門の義妹、舞夏に面倒見てもらっている)警備網を潜り抜け、『統括理事会』親船最中が用意した“思い出深い”全長数十mクラスの大型旅客機へと乗り込んだ。


「………なるほど、<C文書>。その効果に見合う、厳重な条件があるという事ですか」


「そうだにゃー、詩歌ちゃん。そして、その<C文書>こそ今回の騒動のカギだぜい」


「そっ、そそそそうなのかっ!!」


そうして、兄妹は今回の事件のあらましについて、裏の世界の事情通の土御門に説明を受けている訳だが、ちょっと大変になってる愚兄から分かる通り、平然と会話ができない大変な状況である。

今、彼らが乗っているのは、一般的な大型旅客機よりも一回り小さい超音速旅客機。

あれは通常10時間程かかる場所へも十分の一の1時間で着ける。

かつて、ヴェネツィアから日本へ帰ってくる際に、強制的に乗せられ、

お腹ぺこぺこなインデックスは無理に注文した機内食を後ろ方向へ盛大に撒き散らし、『科学』に妙な偏見を持つようになり、

飛ぶ前まで熟睡中だった詩歌は、その身体は固定されていたが、ぶっちぎりの睡眠状況だったと、文字通り後ろ髪を引かれながら激怒し、

2人と同じ目に遭い、何度も起こそうとした当麻は、到着後、


『とうまの馬鹿! もう絶対! 絶〜〜っ対に飛行機には乗らないんだよ!!』


『何ですかこのドッキリ!? どうして、お目覚めのチューでも何でもして起こしてくれなかったんですか!!』


と理不尽な怒りを一身に受けた。

その旅の思い出ごと素人の感覚を吹っ飛ばすようなマッハ3が生み出す強大なGは分厚い鉄板が身体をゆっくりと押し潰すような責め苦を堪能でき、常人なら内臓を思い切り圧迫された状況でまともな言語は出せる余裕はない。

だがいと異常な事に、この2人はその口先は滑らかに、土御門も、あの時、同じ苦しみを味わったはずの妹までもケロッとしておるではないか。


「当麻さん、ここまでで何か気になる事はありますか?」


「ぎぎぎ、気になるというか、どうして平気なんだよ……」


「全く、こんなの寝ている最中に放り込まれなければ、簡単に慣れますよ。さっきも言いましたけど当麻さんは大袈裟すぎます。リアクションで芸でも取ろうとしてるんですか?」


やれやれ、と詩歌は、びくびくんしている上半身を大きく揺らす当麻に、


「いいですか、当麻さん。一流のスポーツ選手には『スイッチング・ウィンバック』と呼ばれる精神回復方法があります。スポーツ選手はある儀式をして、心のスイッチを切り替えるんです。それは個人によって様々ですが例えば『深呼吸をする』『ユニフォームや道具をかえる』『両目を潰す』など。そして、当麻さんはツッコミです。ツッコミをすれば、疲労回復状態改善間違い無しです」


「例え、今の詩歌の言葉に<C文書>のような力があろうと、当麻さんは信じられませんッ!! 深呼吸や着替えはまだ信憑性があったけど『両目を潰す』はねぇよッ!!」


重圧というお腹に押し付けられるバスケットボールを腹筋で弾き飛ばし、当麻は詩歌に叫ぶ。

一体何だよ、その―――とそこで、ハッと、


「ふふふ、そうは言っても元気が出てるじゃないですか」


不思議な事に大声を出したら、幾分か楽になった。

どんなに多大なGがかかろうと、気合の入れたツッコミで身体は締められ、肉体・精神共に不安を弾き飛ばしたのだ、と。

あまり認めたくない事実だが、この―――


「カミやんはいつも詩歌ちゃんにツッコめば元気になるんだにゃー。お兄ちゃんの身体は正直ってヤツですたい」


「その言い方はやめろ! 妙な誤解を招く恐れがある!」


兎にも角にも復活した愚兄は、ここまでの話を聞いて気になっていた……


「それで俺達は、これからその<C文書>っていうのを妨害しに行くわけだが、何故フランス行きに乗ってんだ? バチカンって、イタリア行きなら分かるけど」


本来、<C文書>は場所もバチカンの中心部に据え置かねばらならない、と制限されており、そこから地脈を通じて、一気に命令を飛ばす。

だけど、この超音速旅客機は、搭乗までに土御門が言っていたがフランス行きだ。


「ん? そうそう、それはだな」


「あと、<C文書>って、使ったらもう解除できないんだろ? だったら、今から俺達が動いて、この流れを止められるのか?」


「ええとだにゃー。それを説明するにはどっから話せば良いんだっけ……?」


土御門がそう言いかけた時、ポーン、と機内スピーカーから柔らかい電子音。

さらに続けて、まるで合成音声のように整えられた女性のアナウンスが流れる。

外国語のようだが英語にも思えず、でも土御門はそれを聞くと、やや渋い顔になり、詩歌のほうもこれはまた大胆な、と吐息と一緒に言葉を漏らす。

そして、土御門は何だか申し訳なさそうな表情で、詩歌と視線を合わし、何の気なしに席を立つ。

詩歌もそれに続くように席を立つと、当麻を促して、


「当麻さん、ここでいきなりですが問題です。私達の母さん、上条詩菜の趣味は一体何だったでしょうか? 正解者には何とビックなプレゼントがもらえます」


「何だよ、いきなり……」


突然の妹からの問い掛けに戸惑いつつも、そして、いや〜な予感がするも当麻は頭を捻らす。

上条詩菜。

旧姓、竜神。

自分達兄妹の母親だが、外見は20代、下手すれば10代に見えるほど若々しく、娘、詩歌と同じようにいつも微笑んでるも、機嫌が悪くなると紙幣の偉人も吃驚な陰影を強調した笑みに早変わり。

その細腕では持てなさそうな物も容赦なく投擲し、拷問染みた『竜神流裏整体術』も免許皆伝。

兄妹の父で彼女の夫である刀夜は、息子の当麻に、もし恐ろしい微笑みを見たら、土下座をしなさい………何だか途中から物騒な話に変わっているけど、とにかく子供達には優しい(夫には厳しい)母親である。

それで、問題の趣味は……


「あ、確かパラグライダーだっけ? 原動機付きの」


「はい正解です。母さんの趣味は原動機付きパラグライダー。実家周辺の公園で開かれる講習会でも、背中に大きなプロペラを搭載したブランコ状のパラシュートに腰掛け、空を飛んでいるそうです。何でも、『空飛ぶお嬢様』って呼ばれているんですって」


へぇー、と当麻に詩歌の話を聞きながら、土御門の先導に通路を歩き、扉を開け、さらに細い通路を歩き、頭がぶつかりそうなほど低いハッチを潜り抜け、金属が剥き出しで何やら周囲から轟々と音のする所まで歩いて……


「って、どこだここは?」


呆然とする当麻を他所に、土御門は『はい、詩歌ちゃん』とリュックサックのようなものを詩歌に手渡し、『ほれ、カミやん』と同じ物を当麻に押し付けて、


「はいこれ着けてこれ」


「??? つちみかど?」


「大丈夫大丈夫。だから、ほら早く着けて」


言いながら、土御門はすでにリュックサックのベルトを体に巻いており、詩歌も妙にスカートを気にしているようだが同じ。

両肩の他にお腹や胸にもベルトを固定させる方式の、何やらやたらゴツい仕組みだ。

何だか展開が読めないが、右に倣えで当麻も見よう見まねで、後ろに回った詩歌にも手伝ってもらいながらベルト固定器具を留めていく。


「よし、詩歌ちゃんにカミやんもオッケーだにゃー」


そう言って、土御門は壁についている缶詰の蓋ぐらい大きなボタンを掌で叩きつけ、


「はい、当麻さん、正解のプレゼント。母さんと一緒に空を飛ぼう! スカイダイビング〜〜ですッ!!」


ごうん、と太いポンプが稼働する重々しい音に続いて、





ガバッ、と。

唐突に期待の壁が大きく開き、その向こうはまっさらな青空が広がっていて……





「はい? 詩歌さん、今何を言いましたか?」


当麻は思わず目を点に―――でも、そうしている場合じゃないほどの烈風が機内を吹き荒れ、あっという間に機体の外へ押し出されそうになる。


「はい? 母さんの真似事で私達もスカイダイビングをしましょう、ですが何か」


「何かじゃねぇよ!! どうなってんだ!! って押さないでください、詩歌さん!?」


当麻は慌てて機内の壁の突起に両手をかけようとするが、その前に後ろから詩歌にぐいぐいと押され、この足で踏ん張るしかない状態では如何に鍛えていようと何秒持つかも分からない。

ごうごうと風が吹き荒れる中、土御門はにやにやと笑いながら、


「さあ、カミやん、空の旅をご堪能あれ!」


「ご堪能あれ、じゃねぇ!! まさか、お前。荷物搬入用の後部ハッチを思いっきり解放しやがったのかーっ!?」


「だってー。馬鹿正直にフランスの空港に着陸しちゃったらローマ正教のクソ野郎共にバレちゃうじゃないかにゃー。この飛行機はロンドン行きですよ? 俺達はここで途中下車」


「アホかテメェは!! 機体の速度とか考えろ! 時速7000kmオーバーでハッチなんか解放したら、この飛行機が中からバラバラになっちまうぞ」


「悪いがもう開き済み」


「死!!」


「馬鹿だにゃーカミやん。ホントにそんな事やったらこんなのんびりしてられないぜい」


確かに、この緊急降下用に飛行機の速度も落としてあるのかGの影響は減少しているものの、高度までは下がっていません!


「当麻さん、早くしてくださいよ。折角一番飛びは譲ってあげたんですから」


「しっ、詩歌……じゃあさっきの問題のプレゼントってまさかこれなのかッ!! だったら、間違えてたらどうなってたんだよ!?」


「間違えたら、『はい残念。罰ゲームです』ってやらせてましたよ。気分的に、正解してプレゼントって感じに言葉を包装した方が良いじゃないですか?」


「気休めだよ!! 結局中身がどっちも同じじゃねーか!! つーか、知ってたんなら教えてくれよ!!」


「もう当麻さんったらこれからは自分で言語の壁を乗り越えるって宣言したのに。仕方ないです。……先に行きます」


そう言うと、詩歌はするっと当麻の脇を抜けて、そのまま―――ふわり、と空の彼方へ途中下車。


「はぁ、カミやん。同じ兄として情けなくなるほど格好悪いにゃー」


シスコン軍曹、土御門からの駄目出し。


「いや、いきなり飛べって言われてはいそうですかなんて言える奴が―――「でも詩歌ちゃんは飛んだぜい」」


……そう言われたら、愚兄としては、反論ができないというか。

悠々とスカイスポーツを満喫するようにこちらへ手を振る賢妹。

このまま時間が経てば経つほど、彼女との距離は遠くなる。

こんな着地も完全に指定できないのに、暴動が起きている街の中に詩歌を1人にしたら―――


「クソッたれ!! 飛んでやるよッ!!」


踏ん張るのを止め、詩歌に続いて、当麻もヤケクソに飛び出す。

機内を吹き荒ぶ強烈な風はあっという間に上条当麻の身体を拾い上げ、そのままノーバウンドで荷物搬入用ハッチを潜り抜け、大空へ。

出発時間は19時頃、移動時間に約1時間、現地時間は、日本とフランスとの時差はおよそ8時間という訳で、13時のお昼過ぎ。

清々しいほどの青い空の下、男子高校生の絶叫が、フランスアビニョン上空内で確認された。





フランス アビニョン



上空を仰ぐ、その男の目が険しく細くなる。

流星の如く、一条の黒線が横切ったかと思うと、3つの塊が落された。

他の者では音速で飛来する物体にすら気付かなかったのかもしれないが、自分には、あの3人の顔すらもはっきりと見えていた。

そして、その内の1人は、


「ほう……」


見覚えのある少女。

この騒動の原因の半分であり、自分はそれほど興味もないが、組織の掲げる命題を叶えられる存在。

無から有は作れず、神でさえも投影できる彼女は、その身に全ての根源を秘めている。

故にその肉体と精神を軸にすれば、『神聖の国』への道が開け、世界全人類平等に平和が訪れる。

それがあの男の言葉である。

自分も含めて、この十字教の一集団は、各人が異質な思想や流儀に則って動き、<天使>以上の力――『La persona superior Dio』――となって直接人を救うのを目指している。

考え方は傲慢勝つ冒涜的だが、それは救いなのだ。


「―――あ奴の計画を知り、この世界の現状を見た上で塾考し、この敵地へやって来たというのなら、私は真っ向から立ち塞がるのであるが」


だが、と声は嗤う。


「―――率直に言おう。その身の重大さに気付いていないのかね」


闇の底から光の下へ。

建物を飛び出し、一気に屋根の上へと駆け上がる。

その男はパラシュートを開き、ゆっくりと遠く向こうへ豆粒のように小さく見える少女を見据える。

ただそれだけなのに、この街の空気が冷え、静まる。

茶色い髪に、石を削り取ったような顔立ち。

衣服は青系のゴルフウェアを彷彿とさせる。

屈強な体つきだが、そこに健全さはなく、あるのは地に塗れた傭兵の身体。

『後方のアックア』

<神の右席>にして、<聖人>。

純粋な素質として並ぶもの無し、ローマ教皇が信頼するローマ正教最強の戦力。


「策を練る必要性は感じられない」


簡単にアックアは言う。

例え学園都市であっても強引に突破するので関係ないが、ここはローマ正教側の陣地。


『上条当麻及び学園都市という危険分子の攻略。または、上条詩歌の捕縛』


それが、今のローマ正教が作ろうとする世界に求めるもの。

つまり、あの少女さえ手に入れれば、このくだらない騒動は終結しても構わない。

戦争すらせずに。

足に力を溜め、あの無防備に空を舞う少女に一気に接近し、無力化し―――


「むっ―――」


瞬間、少女の身体が墜ち行くパラシュートを残して、消え去り、目標を見失ってしまった。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



がぼっ、という水っぽい音。

それは落下の勢いを殺せず、肺から押し出された空気の音だ。

当麻はあれから、懸命に空で身体を泳がせて妹の下へ近づこうとするも、リュックサックに背負った一定の高度で自動的に作動するパラシュートが開き、

不幸なことに、完璧に不意打ちを食らった当麻は面を喰らい、紐が絡まって首が絞まり、

また不幸なことに、そのまま風に流されぷらーんと降下予定地点を大幅に外れ、詩歌の姿が視界から映らなくなるほど遠くへ、

またまた不幸なことに、100m以上の横幅を誇るローヌ川のド真ん中へと水没。

擬音にすれば、グエッ、アーレー、ドボンの三連チャン不幸に当麻の身体は川底へ。


(くっ、紐が絡まって抜け出せねぇっ)


泳ぎが別段、得意でも苦手でもないが、体力には(または、だけしか)自信がある当麻は衣服を、制服の上にスポーツジャケットを着込んだままでも水面まで浮上する事はできるが、これまた不幸なことにパラシュートの紐に加えて、布地まで絡まって、面白いぐらいに身体が浮かばない。

はぐれてしまったのか、辺りに詩歌と土御門が降下してくる気配もないし、水面に叩きつけられ酸素を吐き出し、水中に沈んでしまっている当麻としてはそれどころではない。


(こうなったら、コイツを使って)


今日、運良く間に合った特注ジャケットに手を伸ばす。

そして、スイッチを………


(あ、あれ? ない。つーか、これの使い方って、どうやるか説明も受けてない!?)


猫に小判に豚の真珠、愚兄に最新型というのか、折角の『最優の聖母』と『最高の姫君』の共同制作の最新のツールも持ち手がこれでは、性能を全く発揮できずに、陽の目を見ることなくお蔵入りされる。


(やばい!?)


頭上に見えるのは、太陽の光を浴びてキラキラと輝く水面。

その光の乱舞は距離感を狂わせ、当麻は水深も分からずに溺れて―――と突然、その水面が大量の気泡と共に破られた。

誰かが飛び込んできた、と当麻が驚くと、白い気泡のカーテンから細い手が伸びて、愚兄を碇のように水中に繋ぎ止めている絡まった紐をその鋭利な刃物で切り離し、当麻の腕を掴む。

ぐいっと。

強い力で上方向へ引き摺られて―――パシャ!! と水の面を割った。

身体が恋い焦がれた酸素を、ゆっくりと落ち着けながら、肺いっぱいに吸い込む。


「だ、大丈夫ですか!?」


すぐ近くに少女の、恩人の気配。


「では、岸に向かいます。そのまま力を抜いてください!!」





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「よし。まだ見つかっていないようですね」


そうして河岸へ着くと彼女は少し焦るように、周囲を警戒する。

当麻も釣られてみれば、辺りを見渡せば、半分に断たれたアーチ状の石橋があり、誰もいない。

もしかするとデモや暴動を恐れて外出を控えているのか、とそれより、


「ありがとう。助かった……あ」


ここはフランスだが、助けてくれた恩人は日本語を使う日本人。

歳は当麻と同じくらいで、肩まである黒髪に、二重瞼が特徴的な顔立ち。

服装はピンク色のタンクトップに、膝上ぐらいまでの長さのパンツで、全体的にほっそりとしたシルエットでこちらを気遣わしげに覗きこんでくる女の子の顔は見覚えがある。


「水とか飲んでいませんか……?」


「あ――げほっ、大丈夫大丈夫。で、天草式の五和、だよな」


「あ、はい。ご無沙汰しております」


天草式は只今イギリスのロンドンに居を構えており、特別な用もなければここフランスにまで……と、考えるまでもない。


「なぁ五和もローマ正教の<C文書>がデモ行進に関わっているのを知って、どうにかしようとしてんのか……」


「さ、流石は|元女教皇(プリエステス)様を言葉だけで説き伏せた御方ですっ!! しかし、この街は今、“大変危険です”。私も日本の学校の事や何故このアビニョンへパラシュートで降りてきたのも気になりますが、詳しい話は、“私達”の拠点でお願いします。今はできるだけ身を潜めて、今から私が荷物を取りに来たら、後を着いて来てください」


最初は驚き、瞳をキラキラさせている五和だったが、すぐに声を潜めて再び辺りを警戒する。

色々と気になる事もあるが、とりあえず当麻は大人しく五和の指示に、と。


「あのー、五和。その荷物の中にお前の着替えって入ってるのか?」


「え? ま、まぁ、天草式は隠密行動に特化した宗派ですから。今は状況確認の為、荷物のほとんどは拠点に置いていますけど、逃走の為に、手荷物の中にもそういったものを一式用意しています」


「そっか。それは良かった。まあ、でも、とりあえず、これ、防水処理もされてんのかもうほとんど乾いてるから、上に羽織って、前を閉じておいてくれ。……じゃないと、後でバレたら大変な目に遭いそうだ」


「?」


当麻の真意に気付いていない五和は、キョトンとしながらも、当麻から手渡されたその彼女にはちょっと大きめのスポーツジャケットに袖を通して、指の先がちょこんとしか出てないのが見ながらも、前を閉じて―――そこで気付いた。

ジャケットの間から見える自分の胸元。

川の水に濡れたため色々と透けた挙げ句に布地が貼りついて全体のシルエットまで浮かび上がってしまっている、ピンク色のタンクトップを。


「あ、あはは。お見苦しいものを見せてしまいましたね。あははははは」


ババッと両手を交差し、ジャケットの前を引っ張り胸元を隠しつつ小走りで何処に。

この前のアドリア海でオルソラの引越し、間違って覗いてしまった時もそうだが、五和という少女はとても平和的かつ良心的な人格をしている。

真正面から指摘を受けても、彼女は平手打ちをする、頭に噛みつく、高圧電流で黒焦げにしようとする、また逆に指をしゃぶってくる、などなどといったエキセントリックな行動には出ず、ただ顔を真っ赤にして恥ずかしがる。

苦笑いを浮かべるも、微妙に目が泣きそうになっており、とても良識ある大人な反応。


「うーん……」


これが当麻が想像する常識的な反応なのだが、何となく超気まずい。

せめてきゃーとか叫んでくれれば良かったものを、とちょっと遠い目を……


「……?」


そこで、ふと、街の片隅にコソコソ動いている人影を発見。

クワガタみたいに光沢のある黒髪の大男を筆頭としたあの一団は……


「……建宮、だよな」


何だか、ここフランスに天草式が大集合している事だけは何となく理解した。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「だぁーーっ!! この天から降って来た絶好のチャンスにそこで五和の特大オレンジをゼロ距離攻撃でアピールをしなかったら勿体無いのよ」


……昨日、割と命懸けだった逃走戦の死闘をやっていたような気がする建宮さんに、その彼に続く仲間達。

大男、牛深ははぁーっと、


「五和の奥手っぷりは筋金入りすね」


彼だけでなく周囲に満遍なく展開している、サンドイッチをもりもり食べている小柄な少年、香焼に、既婚者の野母崎、初老の諫早も、うんうん、と同意。

一応、彼らの名誉のために言っておくが、天草式はでばがめを目的に完璧に風景に溶け込み、隠れ潜んでいる訳ではない。


「くだらない事言ってないで、早く迎えに行きましょうよ」


建宮達男衆に、少し離れたところで断っているふわふわ金髪の女性、対馬が馬鹿にしたような息を吐きつつ、水を差す。


「いや、ここはギリギリまで『吊り橋効果』作戦を」


けど、教皇代理、建宮は放置を継続。


「うむ。確かに奥手過ぎる五和もそれなら決心するかもしれん」


初老、諫早、重々しく同意。

そして、牛深も、


「それに、上条当麻が落ちてきたという事は、もしかしたら空から詩歌ちゃんも川の中に落ちてくるかもしれないすよね」


「そうよな、そこへ颯爽と川の中へ飛び込んで助ければ、王子様に。ちょっとスケスケな詩歌ちゃんを拝めるかもしれないのよな」


ぶふっ!? と何を想像したのか口に含んだサンドイッチを吹き出す、この中で一番最年少の香焼。

牛深も、そして、貧乳派の野母崎も、孫の年齢と同じ諫早も、ぐっ、と拳を握り、上空へと目を光らせる。

あの少女は、天草式からは密かに『姫様』と、男衆から特に大人気で、先日、シスコン軍曹経由でとあるグッズの競売(『僕は生涯君を守ると決めたんだーっ!!』と赤髪の神父も全財産を降ろし参加した)にかけられた際には、其々の得物を振るって、『カードパック』を巡る大乱闘が起きたりもしている。

その後、『イギリス清教にもアイドルユニットを!!』とトップである<|最大主教(アークビショップ)>に直談判し、


『うむ。恥ずかしゅうて恥ずかしゅうて仕方なしなのだけれどそこは敬虔たるイギリス清教信徒として皆に一肌脱がねばならぬといふし、許可したりけるのよ。もちろん、神裂にも、悩殺コスチュームを―――』


……その後、偶々近くを通りかかった元女教皇がマジギレし、<最大主教>の株が暴落したのは言うまでもなく、本気で元組織の現状に思い悩んだ。

そして、今も、すぐに抜けるように得物の位置をさりげなく確認し、これまたさりげなく周囲へ視線を走らせてから―――他の男衆へ、


「「「「「……、」」」」」


王子様は1人。

これで負けたら手を出すなよ、とあの時の二の舞はなるものかと天草式男衆は視線を通わせ、協定を結んでから……


「「「「「最初はグー! ジャンケンポン!!」」」」」


「あんたら、本気で現状を理解してんの?」





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



血だまりに転げ、白き粉をぶちまけられた小さなもの。

あの三沢塾とほとんど同じ。

ただ違うのは、それが子供達である事と、まだ虫の息だが全員生きている事だ。


「これは……ひどい」


“これ”を上空から見つけ、すぐさま<調色板>を装着し、地上へと降り立った。

怒り、目眩、嘔吐感、拒絶反応……様々な感情が一緒くたとなり詩歌を襲い、思わず常に絶やさなかった笑みが消える。

今、この一時は親船最中の犠牲により成り立つもので、1秒の価値は10倍にも100倍にも上がっている。

暴動という人の荒波に巻き込まれ、抗えず、逃げられもしない子供達――この程度の事は、世界中で起きているのだろう。

詩歌だってこの暴動を止めることはできない。

だから、この災いの根源を1秒でも早く壊す為に、ここフランスへとやって来たのだ。

しかし、これは違う。

明らかに、この子供達を狙って、攻撃しているものだ。

まるで肩慣らしとばかりに、玩具にされ、生きているのが不思議なくらいに。


「混成、<梔子>」


癒しの光が彼らを包む。

それと同時に、携帯医療セットを取り出し、治癒と治療を同時並行でこなし、この消えかかっている小さな灯火を守ってみせる。


(一体これはどのような……そして、この白い粉……まさか、小麦粉。―――いや、今は)


ただ、一心不乱に。

詩歌は彼らを生かす事にだけ集中し、その命だけを見る。

そして、その甲斐があってか、十数名の子供達はどうにか峠を超え、あとは暴動がこないような場所で安静に―――


「そこにいるのは誰だ?」


その時、ローマ正教の修道服に身を包んだ神父が現れた。



つづく

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