閑話 奉納演舞
祭り会場
民俗学などの考え方に、ハレとケというのがある。
このハレとは、『晴れ着』や『晴れの舞台』などの語源であり、意味は正月や盂蘭盆などの年中行事や人生に一度あるかないかの特別な日―――つまりは、非日常を指す。
そして、ケはそれ以外のいわゆる日常だ。
娯楽の溢れた現代とは違い、昔の日常は単調そのもので―――元々、『晴れ』も何日間もずっと曇りか雨でようやく日が照って来た時にしか使わない―――人々はハレという非日常を切って生活にリズムを付けた。
例えるなら、この夏祭りも、日常生活におけるハレの日だ。
今時の何不自由なく学生生活を送っているから実感しにくいが、昔は生活や仕事に選択できる自由など無く、生まれた時から決まっていて、それをなぞることで安定した生活を送っていた。
つまり、『日常』とは生きるためには必要不可欠、もっと言えば生きることそのもの。
そして、そう定義した場合、『日常』に非ず―――『非日常』に属する祭りとは、生活の反対――謂わば、死なして殺すと書いて、死殺の日、である。
もし毎日お祭り騒ぎなんてして働かなければ、収入も自給もできずに死んでしまう。
『日常』という生活のレールを踏み越える『祭り』とは、極めて広く、極めて浅い“殺し”に他ならず、ハレの日とは、ケ―――退屈な日常という生命活動そのものを、抑圧された不満や鬱憤と共に殺して、生まれ変わって新しい日常を始めるための儀式だとも言える。
『………考え方次第では、不幸という『非日常』のハレの日に恵まれ、その幻想を殺している当麻さんは、とびっきりの『お祭り男』です。ホント、妹としては苦労させられますが、そう思えば、ハレハレ愉快で人生面白いものです。―――つまり、当麻さんの妹であることは飽きが来ず幸せだなぁ、と。……でも、時々、ですが『お祭り』が大好きな詩歌さんとしては、嬉しいけど悲しいような、楽しくて哀しいような気分になりますね……』
『? まあ、毎日お祭りなんてできないしな。名残惜しいけど仕方ねぇよ』
『ふふふ、そうですね、お馬鹿で鈍感なお兄ちゃん。だから、この一時を思う存分楽しんでくださいな』
と、賢妹は最後はそう締めくくり(なぜ馬鹿で鈍感と言われたのか分からない)、一瞬だけ気になったものの、びこん、と愚兄の額に人差し指をあてて、中指のでこぴん。
『余計なことは考えずに、ね』
それは異常に痛く、それこそ星が散ったような錯覚と共に、思考を強制停止にするほど。
まあ、それですっきりした訳で、上条当麻は、詩歌のお話の通りに存分に『お祭り男』を楽しもうと……したわけだが、
(まぁー、成長期なのかね……最近の女の子って食欲すごいんだなぁ)
たこ焼き片手にボヤく当麻の前には、
「う〜ん、おいしいの!」
左右に並ぶいろんな露店をチラリと覗いてはまた別な露天へ。
浴衣を翻しながらあちらこちらへ飛び回るその姿はまるで、花々を渡り歩いて蜜を吸う蝶々のよう。
春上衿衣は林檎飴を大口開けて完食すると、お好み焼きをほおばり、そして今、スーパーボール掬いをしている初春の後ろでフランクフルトを齧っており、ほっぺたにソースやケチャップがついている。
可愛い顔をしているせいか不思議と怒る気にはならないのだが、浴衣を汚さないためにもティッシュやハンカチで拭かないと。
で、
「むむぅ、日本の儀式は食の誘惑でいっぱいなんだよ」
立ち食いではなく、走り食い。
レトロゲームのパッ○マンのように、浴衣の裾を翻らせ、ちょこまか駆けながらイカ焼きやらたこ焼きやら唐揚げやらポップコーンやら串カツやらこってりジューシーなマンモスの肉やら、それからイチゴ、メロン、ブルーハワイ……とかき氷全種を消化していく居候のインデックス。
こちらも可愛い顔をしていて行儀作法なんてものは投げ捨てても問題はないと思えるくらいに無邪気なのだが、春上とは違い、こちらは財布の問題もあるため、首にリードを付けたい。
本当に、毎日ハレの日だと財政破綻で死んでしまうのを良く良く実感できた。
とりあえず、インデックスには飲食系以外の露店を覗かせて、時間をかけることで満腹を実感させる。
「なあ、インデックス。折角だから、あそこの露店で遊んでみないか? ほら金魚掬い」
「キンギョスクイ? うん、おもしろそうかも」
お、興味が出てきた模様。
うんうん。
小さくて可愛いな、ってインデックスにも女の子らしい―――そんな男の子の幻想は殺されることになる。
「あ、とうま、これってスフィンクスのおみやげになるかな?」
スフィンクス?
猫が、金魚の餌をやったり水を取り換えたりなんて世話ができればそれは大変シュールだが―――って、そんなのありえないし……
「お魚なんだし、喜んで食べてくれるよね」
「金魚は観賞用で、食いモンじゃねーよ! 一体、お前の頭はどこまで食物中心に考えてんだ! スフィンクスだって、金魚を食べたいとは思わねーぞ!」
そういえば、インデックスは一年前の記憶を失っている訳で、無邪気ではあるが、魔術に関する事を除いた常識的な面では無知な部分が多い。
だから、こうして保護者が付いている訳なのだ。
とにかく日本の文化を体験という名目で(決してウチの飼い猫の餌をとる訳ではなく)インデックスを金魚掬いの屋台へ(まあ、結局一匹も取れなかったが)。
そして、もう一人の、
「春上は何かやらなくていいのか? 当麻さんは別に見てるだけで楽しいからいいけど、あ、なんなら奢ってやるぞ」
初春のスーパーボールの奮闘から、インデックスの金魚掬いを見に来た春上。
「うん。お兄さんと同じで見てるだけで、すごく楽しいから。こんなに色々遊んだの、初めてなの」
と、彼女のお世話役のお姉さん初春もやってきて、
「やりたいのがあったらいつでも言ってくださいね、私も得意じゃないですけど、お教えしますから!」
「うん! ありがとうなの!」
どうやら当麻と一緒で春上は金魚掬いで実際に掬うのをやらずとも、水槽の中の金魚が泳ぐ様とそれを網で追いかけるのを眺めるだけで満足している。
「あ、あとちょっとしたら花火ですね」
「そうなの?」
「ええ。大きな川が流れてる学区は限られてますから、ここの花火は学園都市じゃ大規模なほうで、人気なんですよ」
初春は調べ物が得意で、この祭りについても事前に調べており、この祭りのメインである花火の事ももちろん。
先日、詩歌からプレゼントしてもらった時計を見れば、まだ1時間くらいは余裕がある。
美琴や黒子、それから佐天も心配ではあるが、いざとなれば能力がある。
けれど、ここにいるインデックス、春上、初春の3人は見た目通りに荒事には向かないであろう。
ここは年長者であり唯一のお兄さんとして、彼女達を疲れさせないよう、こまめに休憩をとりながら……
「じゃあ、集合場所まで、インデックスの金魚掬いが終わったら、詩歌を捜しがてら、適当に食べ歩きでもするか」
「はい、それがいいですね」
「うん。そうするの」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「はぁ〜……」
なが〜く悩ましい乙女の溜息。
御坂美琴は見つめる視線の先には、お面売り場。
『超起動少女カナミン』など小学生低学年お子様向けのものだと言っていいだろうそこにとびっきりキュートな(美琴視点)ゲコ太のお面がかかっているのだ
この巡り合わせは一ゲコラーとして見過ごしてはおけない。
しかし!
先程も言ったが、ゲコ太は“あくまで”小学生低学年にしか似合わない。
この中学生2年生にもなって、ゲコ太の仮面を買おうとすれば、店員のおじさんには変な目で見られるかもしれないし、後輩ら、特に黒子には『またお姉様は……』と白い目で見られること間違いないだろうし、それにアイツに『お前って、そういうのが好きなんだな……』とガキ扱いされるのは非常に癪だ。
仕方ない、ここはこの前の水着モデルの時のように後で……
「お嬢ちゃん、さっきから食い入るように見てるけど、なんか目ぼしいもん見つけたかい?」
「えっ!?」
しまった!
店員に声を掛けられてしまった。
しかも、さっきの様子を全部見られていたらしく、これでは今更『あ、何でもないです。失礼しましたー』と言っても怪しまれてしまう。
実は、浴衣の美少女があーだこーだと悩む様はかなり目立ち、周りの目を集めていたのだが、その事に美琴は気づいていない。
どちらにしても早くしないとより悪目立ちしてしまう。
すると何となく察した気の良いおじさん店員は親切にも気を効かせて、
「もしかして、このカエルの―――「隣にあるお面を見てたんです!!」」
しかし、そこで強引に割り込んで美琴はゲコ太のお面の隣にある、
「え、このお面をかい?」
何でこれをアニメキャラクターの隣に並べているんだと言いたいくらいに、サイズは顔上半分で、本物と見えるような角が二本生えている。
女の子にはちょっと……と言いたくなる感じの何とも曰くつきな、装着したら呪われそうな鬼を模した仮面。
「はいこれください!」
「お、おう」
しかし、口から出た言葉は引っ込められず、もうこのまま突っ切っちゃえとお金を払って、戸惑う店員を置いてけぼりにして、鬼の仮面をゲット!
(うぅ……こんなはずじゃなかったのに……っつか、これ捨てても後で呪われそうよね)
と、勢いで買ったけどどうしようかと処分に悩み、これならゲコ太の方を買っていればと素直になれない自分を後悔したときだった。
不意に、横合いから、
「じゃあ、私はこっちのゲコ太のお面をください」
「あいよ」
僅か数秒で金銭やり取りを終了し、美琴が本当に欲しかったゲコ太の仮面が彼女の手へと渡る。
「え?」
振り返った美琴は、そこでパチクリと瞬きした。
「詩歌さん―――って!?」
真ん丸に見開かれた瞳に、映った人影は―――巫女!?
「はい、美琴さん。楽しんでますか?」
にっこりとほほ笑む姉のような幼馴染―――しかし、何故か白衣に緋袴と巫女姿で、その髪を梔子のリボンと金の簪で高く結い上げており、また厄介な事に恐ろしく似合っていた。
おかげで何で声を聴くまで気付かなかったのかと思えるくらいに、注目を浴びている。
しかし、詩歌はツッコミを入れるヒマさえも与えずに、
「さてさて、ものは相談なんですが、美琴さんと出会った記念に、ユニフォーム交換のように、そちらの仮面とこの仮面、交換しません?」
「え、良いんですか! ―――って、私は別にそんな」
「もう、私と美琴さんの間柄で遠慮は無用です。それに、逆に恥ずかしがるほうが子供っぽく見られますよ。今日はお祭りなんですから、遊びでこういうお茶目なの買うのも大人の余裕ってヤツです」
そう言われてみると、自然にゲコ太のお面を買った詩歌を見れば、お姉さんっぽく、何だか全く新しいものの見方を覚えたような顔で美琴は、自分から仮面を差し出して、ちょっと口ごもりつつも、
「……じゃあ、交換してください」
「はいな。あ、お面を付けるのが恥ずかしかったら帯に留めるとちょとしたお洒落です。うん可愛い」
そして、こっそり美琴の耳元に、
「(それからちょっと無防備過ぎますよ、美琴さん。ほら)」
と、視線を流した先を追ってみると、そこには何だかバツの悪い顔をした理事長の息子がいて、こちらが気付いた事に気付くとそそくさ逃げるように去り人混みの中へ。
「ふふふ、ではお祭りを楽しんでくださいね。くれぐれも変な男には引っかからないように」
そうして、ぱぱっと美琴の帯にゲコ太のお面を挟むと、詩歌は鬼の仮面を手にし、またお祭りのスタッフとして接客するのか、また人混みの奥へと。
今の彼女は仕事を優先。
祭のピークを過ぎた頃に少しの暇ができれば、ゆっくりと過ごすだろうけど、本当は自分達と混ざりたくて、だからこうして声をかけてきたのかと思う。
そう。
あの人は、こういう所がある。
責任感が強く、常に全体を見守っていて、自分の事を二の次にして他人や大局を優先しようとする傾向があるというか。
だからこそ、名門の学園で、あのいけすかない女王様さえも含めて信頼されている。
だから、
「ねぇ」
「?」
美琴はすぐに追いかけて言う。
「……ありがと、詩歌お姉ちゃん。それで、邪魔しないから、花火までの間まで一緒に付き合っても良い?」
その背中に少し恥ずかしげに呟く美琴に詩歌はただ優しく微笑み、『ええ、もちろん』と頷いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「うぐ……うっぷ………」
地面にしゃがみ、顔を伏せて青い顔のインデックス。
懸命にリバースしてしまいそうになる気分を抑えている。
「……大丈夫ですか? インデックスさん、かなり、というか、ものすごくおかげんが悪そうですけど……」
「し、心配は無用だよ……? かざり」
当麻に背中を撫でてもらっている様子に、心配そうな初春へどうにか答えるインデックス。
しかし、そのうっすらと涙目で真っ青な顔で言っても説得力はゼロだ。
さっきは元気にはしゃいでいたのに、その片鱗も見当たらないとは余程ヤバい状態である事が窺い知れる。
「……そういえば、揚げ物と氷は食い合わせって言われるくらい相性が悪いんだっけ」
「あ、温かくて油の多い食べ物と冷たくて水分の多い食べ物を一緒に食べちゃダメ、気持ち悪くなるからって聞いた事があるの」
屋台の食べ物に薬や毒はもちろん入っていない。
しかし、揚げたての唐揚げや熱々のマンモスの肉などの油もの系の後に、キンキンに冷えたかき氷を全種やラムネなどの水もの系を制覇したその結果、胃腸への負担が増、胃液が薄まり内臓機能低下で消化不良。
さらには着物でお腹周りを締められている。
流石の無限の胃袋を持つ白い悪魔も食い合わせには勝てなかったらしい。
今も吐くかどうかのギリギリの瀬戸際で、乙女の根性でどうにか堪えており、
「……と、とうま……お願い、だから…トイレまで……おぶって」
「わかった。もう喋らなくていい。無理すんな、インデックス」
もう動けないくらいに辛いらしい。
できるかぎりそっと、と今までにないほど弱り切ったインデックスを当麻は最後の一戦は守るべく、なるべく胃の中を揺らさぬよう背中に背負う。
「あー、悪いけど先に集合場所へ行っててくれ。それでもしかしたら遅れるかもしれない、って御坂達に伝えてくれ」
「はい、わかりました、お兄さん」
そうして、当麻はなるべく平行移動で速やかにトイレのある公園へ。
あとの春上と初春はそれを見送りながら集合場所へと足を――――
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『いえ、私は上条です』
と、詩歌お姉ちゃんと病理おばさんは一生にも思える数秒、視線を通わせた後、『ごめんなさい、勘違いでした』と何もせずに―――正確には何かをしようとして『諦め』て―――去っていった。
あの揚げ物とかき氷以上に最悪な食い合わせとも言える『諦め』と『進化』の対談は予想以上に呆気なく、そして不気味に後味を引く形で終了した。
(一体何をしに……あの人は学園都市の奥からそう滅多に出て来ないはずなのに……こんなイベントに……)
例えるなら、浅瀬に出てきた深海魚。
または竹の花のような不吉な前兆。
とにかく、那由他は親族の事についてこれ以上深入りさせないためにも、あの後すぐに他の客に絡まれた詩歌から離れて、病理の後を追う。
自分と彼女はそれこそ子供と大人以上の力量差があり、祖父と同じ本物の<木原>だが、だからこそ、ここで見失う訳にはいかない。
過去の事故で、木原那由他は、全身の7割以上が、一族謹製の義体技術で埋め込まれたサイボーグで、その動きは人間の常識を遥かに凌駕する。
それでも、無限に続かのような人混みを掻き分けるに、この小さな身体では厳しく、対して、向こうは車椅子なのに、相手の方から避けていくように、すぅーっと奥へと。
「那由他ちゃん! ちょっと待ってよ!」
1人の少女が声をかけた。
「!」
那由他はその声を、かつての深海から浅瀬へと引き上げてくれたお姉ちゃんの声を受けて、ようやく足を止めた。
そこにはまだ長年の目覚めから身体の調子が戻っていない、でも自分を追い駆けてきた枝先絆理が両手を膝に付き、はぁはぁと乱れた息の調子を整えようとしている。
さっきまで祭りを楽しんでいた、日常の中にあるままの、その姿。
「何があったか知らない、けどさ……逸れたら、危険だよ」
「絆理、お姉ちゃん」
那由他は、この浅瀬の世界を恋うように、日常との繋がりをもつ少女の名を呼んだ。
そこから湧きだす安堵に、思わず溜息を零す。
この少女は、深海と関係のない場所にいる。
自分が生まれた世界など知らない場所にいる。
その少女が目の前にいる事実は、那由他の心を支えてくれた。
「絆理お姉ちゃん」
さらにもう一度、その名を呼ぶ。
安堵を、少しでも多く得るために。
そう、その気を抜いた一瞬だった。
「え、衿衣……」
絆理の目が、那由他の後ろ、その奥を注視する。
「絆理、ちゃん……」
そして、応えるように声が返る。
那由他が振り返った瞬間、そこには頭に花飾りを載せた少女ともう1人の少女がいて―――白い煙が彼女を包み隠すように噴き出た。
「えっ―――!?」
その煙が、カタチを成す。
2mもの巨大な、毛むくじゃらな、真っ白で、ただ瞳の色は真っ赤だったかもしれない。
AIM拡散力場を見る那由他にさえ、その姿は曖昧にしか見えなかった。
だが。
「衿衣!?」
「春上さん!?」
あっという間に、その白煙は少女、春上衿衣を呑み込む、いや、成り変わると、今度はこちらへと飛びかかる。
那由他には、能力の動きが見て、触れるだけでなく、『能力者の力の流れを読んで、その隙を突く』体術を会得している。
―――だが、速すぎた。
―――だが、近すぎた。
気付いた時には、その白煙の太く毛むくじゃらなごつごつした腕が、那由他までわずか数cmの距離へと迫ってた。
避けるには、遅すぎた。
「止めて!!」
絆理がその声帯を震わし―――止まった。
「あ……」
徐々に固化していく白煙の内側から、耳を澄まさなければ聞こえないほど小さな……
「ああ、絆理、ちゃん……」
哀しくか細い声。
姿は見えない。
だが、分かった。
すぐに言葉を紡げず、何を話したらいいか、分からない。
それでも、一歩一歩、“友達”の下へと歩み寄り、
「嫌…来ない、で……」
固化が終わり、完全にそれが|白き巨猿へとカタチを成した時、再度暴威は始まる。
その『諦め』の悪意を以て。
祭りの客、スタッフはまだ動けない。
しかし、その生まれた数秒で間に合った。
―――さあさ、こちらへ、舞台へ上がってきなさい―――
白猿の内部にまた声が聞こえた。
そう、抗うのも『諦め』るような蠱惑的な声が。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
声が、聞こえた。
時々不意に感じる、誰かに呼ばれている感覚。
『常盤台の|女王』のように十徳ナイフのような汎用性はないが受信に全てを割り振った精神系能力者である春上衿衣にとって、音や言語などを介さなず、脳に直接伝播する思念の読心は未経験のものではない。
でも、Levelが低いので、“聴こえる”としても、本当に受信アンテナの悪いラジオのようで―――けどこの『声』は違っていた。
これだけは、遠く遠くどんなに遠く離れていても、繋がっている。
現実感を失くし、その幻想に引っ張られてしまうほどに。
まるでこの世界に自分は2人いるように。
『|自分』と『|彼女』に1人ずつ。
『衿衣さんは、どうやらただの受信ではなく、特定の波長に限定特化しています。おそらく、その受信だけなら早鳥さんを超えるLevel4相当です。それで……うん、この送信先には憶えが………』
その事を相談した優しい先輩はそう評し、その時、自分は1人の友達の顔を思い浮かべた。
きっと、彼女だ。
初めて、自分に『声』を届けて、別れてしまった親友。
そう考えた時から、いつしか私は『あっち』へ引き摺られていた。
失くしてしまったこの胸の穴を埋めるように。
枝先絆理は<|念話能力>の能力者で、何の因果か詳しい事はちゃんとした施設で調べなければ分からないが、同じ<|置き去り>で友人の春上衿衣の受信に特化し、枝先絆理からの送信限定で<|精神感応>とはかなりの遠距離であっても、昏睡状態であっても繋がる事ができる。
(よし! 『声』に反応して、こちらへ来ている)
<念話能力>による現在地特定。
これは同級の3年生、Level3の念話能力者、口囃子早鳥の技術を取り入れたもので、口囃子は一定の範囲中にいる複数人と念話ができるほか、回線を繋いだ人物の位置を特定することもでき、それで白き巨猿―――春上衿衣がこちらへ向かっているのを感じていた。
「(おいでませ、こちらです。ここにあなたの舞台があります)」
彼女を通し、内側から聞こえる声に従い、白き巨猿はここへ一直線に向かっていく。
異変を察知してすぐに、舞台までの出店の客とスタッフは道具を借りがてら、陽菜に話を通してあるのでぎりぎりで避難は済んでいる。
白き巨猿は攻撃しても、攻撃されても駄目なのだ。
雷撃や火炎で倒すことはできるだろうが、それでは内にいる春上衿衣の体を傷つける。
しかし、そのまま放置してしまえば、暴走した怪物は暴れ、春上衿衣の心を傷つける
だから、惨劇を喜劇へと変える。
その為の指示を、あの時、投影した枝先絆理の<念話能力>で済ませた。
後は、自分がその演目を演じ切るだけ。
「(今日はハレ、死殺の日。皆様のその鬱憤、晴らして差し上げましょう)」
上条詩歌は、開幕を告げるその声を周囲一帯へと響き渡らせた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「無理だよ! 出来っこないよ!」
あの直前、那由他には見えていた。
一体どんな方法を使ったのかは知らないが、春上衿衣と言う少女のAIM拡散力場とあの白いAIM拡散力場が混ざり合い、融合しているのを。
あれを止めるには、その本体を殺さないといけない事を。
きっとこれはあの『諦め』を司る<木原>が<木原>がなっていない自分に用意した“教育”なのだ。
自らの大切な者の前で、彼女の親友に手をかけさせるという、最悪な方法で深海へと墜とす。
|実験動物を志願し、<風紀委員>となり、“真っ当な”方法で高みを目指していた『不良品』に闇の深さを思い出させる。
そう、あの女がではなく、自分こそが、浅瀬に来てしまった深海魚だったのだ。
「『諦め』て……『諦め』るしかないんだよ……その人はもう救えない」
―――全く、那由他さんは頭が固いです―――
でも、
―――どこの誰かに何を吹きこまれたかは知りませんが―――
頭に響く、その声は言った。
―――私が『諦め』るという事を『諦め』なさい―――
初めて、自分が目標したいと思った人物。
一族の中の誰でもなく、彼女の背中を追い駆けたいと望んだ。
『実験』の時も、彼女の背中を見ていた。
後ろに留まるのではなく、常に前へと進む最先端を。
「那由他ちゃん……」
|日常。
今の自分の生活になくてはならない声。
「私も『諦め』ない。『諦め』ないで衿衣に声をかけ続ける。だから、那由他ちゃんも『諦め』ないで」
それが自分の背中を押す。
「お願いです! 那由他さん! 春上さんを助けるのを『諦め』ないでください!」
所属は違えど、自分と同じ<風紀委員>。
<警備員>との連絡をしながら、自分の背中を押す。
「……ねぇ、病理おばさん」
ぽつり、と。
あのおばさんは、きっとどこかで聞いている。
あの絶好のタイミングで罠を作動させ、『不良品』が『諦め』たのを確認するために。
だから。
「私は、<木原>として……その目的のために手段を選ばず、私は私のやりたい事をやってる!」
一息。
「その<木原>に手段を選ばせようとしているのなら、『不良品』はアンタの方だっ!!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夏祭の舞台。
空には、星が煌々と照っている。
先程までやぐらが組み、四方に篝火を据え、太鼓を轟かせていた場所だった。
今は、突如現れた毛むくじゃらな|白き巨猿に占領されていて―――その前に、巫女が対峙していた。
顔の上半分を隠す仮面に、金の簪と梔子のリボンでその黒髪を結い上げ、牛若丸のように半透明のベールを被る。
ただそれだけで、これから始まるのがひどく神聖なものに思えた。
鬼面の巫女。
その面持ちは能楽とも紛う。
神に奉納するための舞いであり、豊穣を祈り、荒み魂の心を慰める業こそが『芸能』。
ならば、それは―――
「………」
そのベールが風に乗り、後方へ流されるとその手には細い横笛があった。
すう、と巫女の唇が横笛に吸いつく。
吐息。
高く硬く、か細い笛の音が、夏の夜気を割る。
同時、白き巨猿も動く。
その摺り足の動作さえも見分け難く、ただ滑るように、巫女の衣が動いた。
太く伸びる鈍器の腕が、重々しさをそのままに―――しかし完全に巫女に見られて―――真横へ世界を殴る。
夜気にたっぷりと溶け込んでいた空気を圧し払う、強烈な一撃。
だが、それは白衣の裾を流し、空振る。
奉納演舞。
暴れる怪物と鎮める巫女。
誘導され、夜空の下で、双舞。
謡はなく、謂われもない。
演目の名前とてない。
ただの即興、それだけの奉納演舞で、この夏祭りに由縁などない。
しかし、そんなものは必要なかった。
巫女の笛。
荒ぶる怪物。
紗蘭、紗蘭と揺れるたびに鈴が鳴る。
踊る巫女の竜尾を白き獣が追いかける髪一重。
音色と拳筋が絡まり合い、夏の夜を流れていく。
その美しさに、客は揃って息を止めてしまう中、横合いでヘアバンドを付けた少女、枝先絆理は祈るように手を組む。
「……お願い、落ち着いて、衿衣」
ひそめた声を漏らし、念じ続ける。
その心に直接訴える。
「……止まれ……止まれ」
さらに、横で金髪ツインテールの少女、木原那由他。
その白きAIM拡散力場に“触れて”、固めようとする。
鬼面の巫女、上条詩歌が気を引いている隙に、外と内を同時に止めに掛かる。
笛の音色が伸びあがり、舞台では怪物と少女の舞いは続く。
えもいわれぬ柔らかな音と、魂まで潰すような剛撃。
その奇蹟の中で、那由他は眉を顰める。
(強い……ッ! 私の手じゃ負えない……こんなの―――)
Level5。
例え片鱗だとしてもLevel5。
あの<超電磁砲>と<第七位>と同じ。
篝火の赤光に揺れて、舞い手の横顔は静謐ですらある。
事情を知らず、この舞台を見る者は、全員がこの演舞に見惚れ、気付いていまい。
ここまでは、成功している。
だが、これがいつまでも続くか分からない、と。
「……努力やら希望やらを『諦め』てねぇ、馬鹿共が。この程度で<未元物質>を鎮められるわけがねーだろ」
紗蘭、と。
(なに、―――この、気配)
不意に、那由他は背後の方角に巨大な気配を感じた。
膨大なAIM拡散力場。
その中心はまだ遠くにあるというのに、この舞台全体が力で満ちたと言うべき……
下手したらこの祭り会場全体に充満しているのではないか、と思えるほどの濃密な能力……
明らかにこれは直接対峙したLevel5序列第3位を超え、その背中から押し潰すような強力な気配。
笛の音。
伸び上がり、高低が急激になる笛の音につれて、舞いも加速し、複雑に。
自由自在。
出せる音など限られている横笛が、軌跡など限られている演舞が、しかし宇宙一つさえ内包するように、豊かなバリエーションを体現する。
『諦め』ぬ者が魅せるその輝き。
そして、動くたびに、紗蘭紗蘭と鈴の音が鳴る。
「これが本物だ。よく覚えておけ」
強い意志を秘めたものの、声。
那由他の耳にその言葉が届いた瞬間、白き巨猿の動きが止まる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「動きが止まったっつうのに、くそっ! 人混みが邪魔だ! 御坂!」
「分かってるわよ! ったく、アンタの右手がなきゃ黒子で運べたのに!」
「仕方ねぇだろ。今日は祭りだ。こうなったら、一か八かド派手にやってやろうじゃねーかっ!! 御坂、俺と跳んでくれ!! 良いか!!」
「良いわよ! っつかそっちこそ良いのね! 途中で振り落とされても助けらんないわよ!!」
「振り落とされねーから安心しろ! だから、遠慮はすんな! ぶっ飛べ御坂!!」
「よーし! しっかりと左腕で掴まってなさい!!」
その背中からたすきがけの要領で左腕を回す。
女の子に屈んで抱き着く男の子、とひどく間抜けな格好で、その柔らかな身体と、少女の匂いに埋もれていて、腕が微妙な場所に当たっている訳だが、2人はどちらともそれに気にしておらず、しっかりと結びつく。
弾丸にするため彼女自身と彼、その右手を除く体全体を磁化させ、能力で作った磁界に引っ張らせて、高速で飛翔。
黄金の光跡を引いて、2人は一瞬で舞台の下へ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
―――え、花火!?
と、観衆は思った。
雷鳴轟く音に、夜空を見上げれば、そこにあるのは一条の黄金。
しかし、よくよく見れば、2つの人影。
そう、上条当麻と御坂美琴だ。
彼らはその<超電磁砲>の力で、群衆の上を、空へと飛んだのだ。
そこにどんな確信があっての事なのか理解できない。
しかし、その2人ともその想いは一緒で、ただ早く舞台へ、賢妹の下へ。
そうして、奇蹟的に、白き巨猿に、その人間流星に直撃した。
咄嗟に、その巨大な両腕を突きだしたが、それごと前へと伸ばされた右手は、殺した。
この力がLevel5の欠片だといえど、所詮は幻想。
そうして、2人の身体は、一瞬地上に落ちる事なく静止。
白き巨猿との衝突の一瞬が、その勢いを殺した形で、地上への激突のはずが、落下を通り超え、たたらを踏みつつも着地に収まった。
そして、
「衿衣ッ!!」
囚われの少女は呪縛から解放された。
路地裏
人生で一度も仮病を使った事のない人間など、ごく僅か。
そう、『諦め』とは、人類全体のメジャーな欲望なのだ。
それを用いて、私は秩序を守ってきた。
破滅を狙うテロ計画を『諦め』させる。
技術情報流出する者を『諦め』させる。
新方式の大量破壊兵器といった負の成長、『進化』を『諦め』させる。
捻じ曲げ、圧し折り、踏み潰し、誰かが描いた野望の残骸、つまり、『諦め』の積み重ねこそが彼女の人生であり、起源である。
しかし、
「失敗、してしまいましたわねぇ。しかし、あそこには<鬼塚>もいましたし、これ以上の接近は『諦め』た方が良いですねぇ」
『諦め』させられなかった。
折角、用意周到にあの<木原>の中にある可能性を『諦め』させようとしたのに。
あの通り魔に仕立て上げて、人の役に立ち、子供から尊敬される<木原>を『諦め』させた事があるのに。
失敗。
人を『諦め』させるエキスパートは、さあこの『不良品』をどうしようか、と。
「よぉ、久しぶりだなぁ、木原のババァ」
後ろから伸びる影。
途中六つに分かれたその形は、六枚の翼が生えた天使のようで。
「どうやったかは知らねーが、よくも俺の<未元物質>を使って、ナメた真似をしてくれたじゃねーか」
黒き影から生ずる悪魔のよう。
しかし。
そこにいるのは紛れもない怪物。
本物の。
「人生を『諦め』させてやろうかコラ」
公園
「ふ、不幸だ……」
上条当麻はぐったりと。
『どんな手段でも良いですから、できるだけ早く当麻さんを舞台へ連れてきてください』
それが美琴がお願いされた内容で、すぐに祭り会場を駆けまわって捜してみれば、会場から離れたトイレでインデックス、それから途中で合流した黒子やインデックスの看病をしている佐天と一緒に、外に愚兄は見つかった。
そこから簡潔に事情を説明して、でも、祭りの影響で人混みの渋滞、仕方なしに最終手段として魔女の宅急便ならぬ電撃姫の速達便を決行。
結果。
あの奉納演舞への文字通り飛び入り参加を成功させ、その右手で春上衿衣を白き巨猿の幻想から解き放った。
そして、枝先絆理の友人同士の感動の抱擁、観客達も何だかよく分からなかったが拍手喝采。
……の所までは良かったが、舞台上でいつまでも美琴の腰に抱きついている当麻に乙女の雷。
それをどうにか右手で防いだのは良かったが、さらに追い打ちをかけるように、<幻想殺し>では打ち消せない仮面の下には本物の鬼面の巫女さんが……
『っぶねー!? 御坂のヤツいきなり何をしやがんだ!? っと、お、詩歌、悪ぃ待たせたな―――って、何で巫女さん!?!? おまっ、まさか、その格好で祭のスタッフをやってたのか!? お兄ちゃん的にそういうのやると余計に野郎が―――いやメチャクチャ似合ってるけど!? 魅力的過ぎて問題になるんだけど!? ―――ってうお!? ビリビリ!? さっきっからなんだよ!? はぁ、セクハラドシスコン愚兄だって!? 別にあれは緊急事態で止むなくそうしただけで抱きつきたくてそうした訳じゃ―――あ、はいすみません当麻さんは別に御坂に魅力がないとかそういうつもりで言ったわけじゃなくてですね―――うぐおっ!? ま、マイシスター、いきなり何を!? ―――え、奉納の最後には人柱も必要だって。はは、やけに凝ってるなー―――って、お兄ちゃんを!? ―――現代社会にそんな風習持ち込まないで!? ―――ちょ御坂まで何ヤる気に!? お前達が組むとマジで死―――うぎゃあああああああああ!?!?!?』
疲れどころか魂まで吹っ飛ぶような地獄の整体と電気マッサージ。
黒子が<空間移動>で、インデックスと佐天を引き連れて現場に駆け付けた―――その時には、鬼面の巫女と|蛙面の美琴の間に、折り畳み収納され、真っ黒になった|人柱の姿であった。
今日はハレ、死殺の日、きっと生まれ変われるであろう。
その後、夏祭りの主催側である鬼塚陽菜が司会で壇上に上がり、今の“催し”ものについて天誅雷蛙鬼神演舞と口八丁の適当な出まかせをし、春上衿衣が完全に回復したと詩歌が診断し、観衆のボルテージが良く分からないが最高潮に達し、そのまま当事者たちは逃げるように舞台を後にし―――それで、愚兄は起きたら花火の穴場スポットの公園のベンチで寝っ転がっていた。
「お姉様……そのお面。別に、人の趣味をとやかく言うのは好みではありませんけれど、お姉様は『常盤台の|姫君』としての風格を……」
「あーもーうるさいわね。いいじゃない。童心に帰ってこんなの買ったって。気にする方が子供っぽいわよ」
「うーいはるーん! 線が出ないように下着を付けない人もいるけど、初春の着物の下はどうなってるのかなー?」
「佐天さん!? 下着を付けてないはずないじゃないですか!? だからってこんな所で捲っても良いって訳じゃありませんよ!!」
「衿衣、無事で良かった。本当に……」
「うん、詩歌さんに那由他さん、皆のおかげなの。絆理ちゃんの声も、ずっと聞こえてたよ」
「うぅ〜……しいか〜……もう一度お腹ぽんぽんして欲しいんだよ」
「はいはい、ふふふ、弱っているインデックスさんもまた可愛いです」
……うん、なんか向こうは普通に盛り上がってるし。
それほど『非日常』に慣れてて、今日はお祭りな訳だから、切り替えも早かったのだろう。
と。
「あ、当麻お兄ちゃん。生きていたんだね」
起きた、じゃなくて、生きていた、って……まあ、それが間近で見た第三者からの評価だったんだろうけど。
「え、っと、木原那由他、だっけ……?」
「うん。苗字ではなく、名前の方で呼んで欲しいかな」
この何となく高校生の自分よりも遙かに頭が良さそうな金髪ツインテール女子小学生はRFOで何度か会った事があり、妹の助手っぽい事をしていた。
詩歌曰く、とても優秀で可愛い女の子で、今すぐ常盤台中学に入学しても何の問題のないレベルなハイスペック。
でも、2人っきりで会話するのは今が初めてのはず。
「ホント、<超電磁砲>で飛んでくるなんて当麻お兄ちゃんって、滅茶苦茶だよね。詩歌お姉ちゃんとはまた別の意味で。もしかしてそういう家系なの?」
「いや、上条家は由緒正しき真っ当な人しか輩出されてねー一般家庭、の……はずだよな?」
「私に訊かれても困るよ」
しかし、一度考えたら不安になる訳で。
この<幻想殺し>や不幸体質もそうだが、妹の<幻想投影>もまた滅茶苦茶だし、それが兄妹だという超偶然な巡り合わせで、よくよく考えれば、あれほど若々しい母さんや道に歩けばフラグを建てる父さんなど……上条家って、普通じゃないのか?
「何を考えてるか知らないけどさ。この機会に、前から当麻お兄ちゃんに訊きたい事があったんだけど良い?」
ん? 何だ? と促され、那由他は、少し深海の頃、昔の自分を思い出し、<木原>に切り替えた。
「もし、詩歌お姉ちゃんが<木原>になったらどうする?」
真っ直ぐ愚兄の目を見て質問した……が、
「は? 何言ってんだ?」
「だから、木原詩歌になったら。私の親戚に何か気に入られちゃったようだし」
「詩歌は上条だぞ。―――って、まさか、お前の親族の誰かが詩歌に婚約を申し込んで嫁に取ろうって事か!! 恋人ってだけでも冗談じゃねーのに、結婚だなんてふざけるな!! どこの馬の骨かは知らねーが、詩歌はまだ中学生だぞ!! 昔じゃ15歳でもう嫁に出したらしいが、駄目だ!! 絶対に駄目だ!! 絶対に!! お兄ちゃんは認めません!! 肉体拳語でそいつを説教してやるから今すぐ連れて来い!!!」
先程、地獄のフルコースをモロに受けたはずなのに、何だか火がついちゃった模様。
こちらの説明も悪かったんだろうけど、正直、『うわーこのシスコンめんどくさい』である。
「ああ、ごめん。そういう意味じゃないから安心してよ」
「本当だなっ! 後で詩歌からこちら私の婚役者ですって紹介されたら、本気でぶち殺しかねないぞ!! そいつが泣いても殴り続ける自信があるぞ!!」
すっごくめんどくさい。
「え、っとね。シスコンな当麻お兄ちゃんにも分かりやすく言うとね。詩歌お姉ちゃんがその才能を悪用するマッドサイエンティストになったら、って事」
「その新たに付け加えられた枕詞には一言申したいが、詩歌はそんな人を不幸にさせるような真似なんて絶対にしねーし、できねーよ」
この世の真理を語るように当たり前に断じる。
「でも、それが絶対に抗えない運命だとしたら? 事故で詩歌お姉ちゃんがとんでもない兵器を作っちゃったら?」
血によってではなく、その『科学の悪用』という概念から生じるものであり、例えどんなに綺麗な目標を掲げていても、外部環境や本人の意思とは関係無しに、周囲を破滅させてしまう。
「だったら、俺がその尻拭いをする。そんな兵器、その運命ごとぶっ壊してな。兄として、妹の尻を拭ってやるのは義務であり、名誉だ」
詩歌を世界の進化の流れを刻む時計の針と例えるなら、当麻はその時計のゼロ地点でその針を世界に留め、また行き過ぎたら調律して戻すビスだ。
そう、この『非日常』な夏祭りで、『日常』へのリズムを整えるように。
|生活と|死殺。
生活があるから死殺が成り立ち、死殺が歯車に息を吹き込むから生活は回る。
だから、上条詩歌が上条当麻を支えるなら、上条当麻は上条詩歌を助ける。
が、那由他はものすっごく引き気味に当麻から距離を取り……
「うわぁ……変態シスコン当麻お兄ちゃんって、そういう趣味……もしかして、RFOで詩歌お姉ちゃんにあれほどボコボコにされて、尻に敷かれてるのって実は嬉し―――」
「―――ちょっと待ちなさいそこの変な方向に想像を膨らませている女子小学生! 何だか余計に枕詞がグレードアップしてっけど、『尻を拭う』ってそういう意味じゃなねーからな! 失敗を帳消しにするってことだからな!! 間違っても、当麻さんは変態シスコンでもドMでもそんな罪深い性癖は持ち合わせちゃいねーぞ!!」
当麻、必死のアピール。
日々、何だか小学生にまで変な方向に曲解されつつあるが自分はノーマルで、詩歌とは健全な兄妹関係であるはずだ。
「ふーん……何だか必死になる所が怪しいけど、冗談って事にしておいてあげるよ」
小学生の上から目線に高校生として色々と言いたい事があるが、
「ったく、お前はまだ小学生なんだから、膨らませんなら変な想像じゃなく、希望あふれる夢にしときなさい。そんな運命かどうかなんて考えたって、しょうがねーだろ。いちいちそんな五里霧中な幻想に囚われてちゃ、進む事も出来ねーよ」
こつん、とその凝り固まった殻を割るように、右手でその額を小突く。
それがどうにも、似ていて―――普段は似てないようで、似ていない訳でもない、ほんの少しは似ているんじゃないか見たいな感じなのに―――彼らが兄妹であると納得できる。
少なくても、目的のためなら血の繋がった家族さえも犠牲にする一族よりは。
だから、詩歌お姉ちゃんはどんなに愛され、才能があろうと、<木原>じゃない。
絶対に。
だから、自分が彼女を目的に、目標と掲げたのは、例え<木原>として間違っていても、木原那由他として、間違っていない。
絶対に。
「でも」
人の才能に善悪はないが、その人間の人生にとって、その才能がどちらに働くものかは愚兄にだって判別できる。
「今日、お前が頑張ったからアイツらは助かったんだ。それは誇っていい事だと思うぞ」
どーん、と。
人々の見上げる頭上で、夜空に輝き咲く大輪の花火。
パリパリと肌を撫で、腹の底まで来るような空気の震撼。
この夏祭りのメインに夏の風情を感じつつ、誰もが、夜空に乱れ咲く花火の乱舞に釘づけになる。
その絶景に、彼女達は、いつもの凝り固まった殻を死殺して、年相応の女の子としてはしゃいでいる。
そして、そこから少し離れたところで兄妹は肩を並べていた。
「たーまーやー、ふふふ、綺麗ですね。終わりよければ全て良しとは言いませんけど、最後は皆が笑っていられて、満足です」
「ああ、今日は色々とあったけど、詩歌の言う通りだな」
今日は色々とあった。
解決できてない事も、ある。
あの犯人、黒幕は捕まっていない。
でも、こうして皆と一緒に、当麻さんと一緒に笑っていられて、ほんのちょっと不足だけど満足してる。
ホント、我ながら半端に現金で甘いな、って思うけど、それはそれでいいかな、と認めてしまっていたりする。
だって、こうしてお兄ちゃんの隣で花火を一緒に感動を共有できる事なんて、私にとって何よりの報酬なのだから。
思わず、心臓が高鳴っているけど、気付かれないかな?
「にしても、女の子って皆、花火が好きなんだなー。詩歌もいつもよりもご機嫌だしさ。いや当麻さんも感動してない訳じゃねーけど、ああやって素直にはしゃげるところを見るとな。これだったら、海行った時に花火セットでも用意しとくんだったな」
な? 詩歌も嬉しいだろ? と当麻さんは笑顔でこちらに同意を求めた。
………まあ、ね?
確かにあの入れ替わりの時にそこまでの余裕があったかはさておいて、その意見には賛成しても良いけど、このお兄ちゃんは、花火を眺めたから、女の子が喜ぶとでも本気で思っているのだろうか?
「………思っているんでしょう、きっと」
はぁ、と分かり切った答えにそれでも問うてしまう自分の心に溜息吐きつつ呟く。
どうした? と当麻さんは訊き返してくるけど、私はきっぱりと無視した。
だって、これに文句を言ってもどうしようもない。
お兄ちゃんがこういう鈍感な所も含めて、私は好きになったのだから。
惚れてしまった時点で負け。
こっちの理想ももちろんあるけど、それを無理やり押し付けようなんてしたら、上条詩歌の恋慕は矛盾し、崩壊してしまう。
だから、いつか向こうから変わってくれることを望みながらも、自重自重、と念を内心で繰り返す。
「あのー、詩歌さん。何か不機嫌になっているような気がするのでございませうけど、どうした? まだ何かあったか?」
訊かれて、私は静かに首を振る。
世は全て事もなしで、問題なんて少ししかない。
「何でもないです」
|生活に愛された上条詩歌が好きなのは|死殺に呪われた『|お祭り男』。
そして、今日は『|お祭り』。
「ただ母さんとの約束は守るぞって、改めて誓っただけですよ、お兄ちゃん♪」
力強く答えて、詩歌さんはその右手を握って、当麻さんの腕に抱きつきます。
うん、皆の目は花火に夢中だし、これくらいは兄妹として許される範囲だろう。
当麻さんは顔を赤らめながらも、振り解こうとはしません。
私はそれにもうちょっとだけ甘えて、ごろにゃーん、とすりすり肩に頭を乗せながら、煌びやかな夜空を眺めます。
まだ夏休み終わりまで日数はあるけど、これが私と当麻さんの今年の夏休み最後の思い出。
そうして、途中、インデックスさんと美琴さんに発覚してしまい、当麻さんが毎度お馴染みのフレーズを叫ぶのはお約束なのでカット。
???
結局、途中、舞台に乱入者も入った事があり、この銀の簪は返せなかった。
まあ、別にいい。
少なくても去年の借りを返せて、すっきりはしている。
また、このきっかけとなる繋がりを簡単に手放すのを惜しいと思っている。
だから、今はこれでいい。
また、機会があれば、今度こそはその顔を拝める日が来るはずだ。
そして、もし気に入ったら……
「俺の女にしてやる」
遠い幻想に想いを馳せ、Level5序列2位<未元物質>、垣根帝督は闇へと潜る。
「ふぅ、ようやく『諦め』て帰ってくれましたよ」
喋ったのは木原病理。
吹っ飛ばされた下半身とは離れた場所で、腐ったように白く溶けかかったその頭だった。
「ここまで殺されたのは初めてなので時間がかかりますが……」
どちゃ、と。
下半身と、頭と、飛び掛かった肉片とが、着衣と共に溶けて消えた。
一斉に真っ白なコールタールのようなものに変わる。
ざわざわと耳障りな音を立てながら蠢き、瓦礫の隙間を這い回り、1つの大きな白い水溜りとなる。
一ヶ所に集まり、湧き上がり、人の姿の形を取り戻す。
傷一つない木原病理が、服を着たまま立っていた。
「車椅子までは流石に再生できませんでしたねぇ。『諦め』のプロとしては自分の足で立つなんて格好がつきませんけど」
クスクス、と。
これは<未元物質>。
去年、垣根帝督が生み出した自身と全く同じ素質を持つクローンを回収し、研究して得た<Equ.Darkmatter>。
その成果の1つとして、木原病理は内臓を潰されようが、骨肉を破られようがコマンド1つで修復できる不死性に近い能力の開発に成功しており、こうして本人、垣根帝督の目を欺いて生還する事ができた。
「でも、この事を第2位に知られたら面倒なことになりますし、さっき止むを得ず戦闘になってしまいましたけどオリジナルとはなるべく避けておいた方が良いでしょう。本当に予想外。第2位は、こういうイベントはもう『諦め』させたと思っていたんですけどねぇ。とにかく、<木原>の『不良品』の修理か処分は『諦め』ましょう。この私を『不良品』呼ばわりするなんて、あれは修復不可能なほどに壊れてしまっています。もう血は繋がってますが<木原>じゃありません」
それよりも。
あんな壊れてしまった『不良品』よりも。
あの子の素質。
対極であるが故に、天敵だからこそ、木原病理には分かった。
あれは『科学』に愛される<木原>以上の『世界』に愛された少女。
あれを<木原>にできたら、一体どれほど<木原>に有益な事か。
今は第2位から逃れるために、しばらくの間活動は控えなければいけないが、また機会があれば……
「うふっ、また会える日を楽しみにしているわぁ」
『諦め』を司る<木原>、木原病理は静かに深い闇の中へと息を潜める。
つづく