小説『とある賢妹愚兄の物語 第2章』
作者:夜草()

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正教闘争編 聖母崇拝



イギリス



壮麗な装飾の施された柱や壁に囲まれる様式高きの広大な|広場(ホール)は人で溢れ返っていた。

多くの騎士が整然と並び、その姿は国の守護を象徴するかのごとく壮麗だ。

全てが輝いている。

騎士は誇りに輝き、国はこれまでの歴史につづく栄光に輝いている。


「―――ナタリア=オルムウェル。貴殿を正式にこの英国に仕える騎士として認める」


騎士としての爵位は勲章のようなもの。

家柄とかそういうものに関係なく、英国にとって優れた功績を残した者に女王陛下から直接授けられるものである。

騎士の子供や孫だからとか血族は関係なく相続され、感覚としては国民栄誉賞のようなもの。

この清流が形を成したような水色の髪をもつ少女は、かつては単体で一群を為したその実力も、過去に第三王女が襲撃されたその時も、その身を呈して庇い、また英国に戻ってきて打ち立てた数々の功績から、まだ若く女性の身でありながら騎士として評価された。

これは今までの女人禁制の『騎士派』の伝統を覆す革新的な出来事だ。

そして、夢叶う時でもある。

別の宗派に属していて、最初は間諜ではないかと疑われた事もあるが、『騎士派』のリーダー<騎士団長>の鶴の一声と『王室派』の第三王女の強い要望から彼女に仕える騎士として任命されたのだ。

ここに来てから、実力と信頼を得ようと辛く厳しい時期もあったが、その全ては今日この日で報われた。


 

 


「しかし……いいのか? 折角の『|盾の紋章(エスカツション)』がこれで」


拝命式を終えたナタリアの前に、勲章を渡しに来た英国紳士の男性<騎士団長>が何やら難しい顔を浮かべる。


「はい、<騎士団長>様。私は、ウィリアム様を尊敬していますが、ヴィリアン様を主とする騎士としてこれ以上相応しいものはありません」


バッキンガム宮殿に飾られる『盾の紋章』のデザインは、その家柄、歴史、役割を記号化したものであり、その在り方を示すものでもある。

でも、この『騎士派』初の女性騎士となったナタリアが注文したのは、些か妙なもの。

メインカラーは青ではなく清純な水色をベースに、装飾に黄緑色。

盾は四つに分かれ、動物には『シルキー』が使われている。

これはちょっとひねくれている。

紋章の色として、水色と黄緑色を重ねて配置するのは、初の女性騎士だから異例に認められているが、ルール違反で、『シルキー』なんて『現実には存在しない生き物』だ。

まあ、それでも基本色の青に基本色の緑という間違いなくルール違反で、『シルキー』だけでなく、『ドラゴン』に『ユニコーン』までも加えたあの傭兵崩れよりはましなのだが。

一応、友への義理立てとして、最初は彼が捨てた『盾の紋章』は勧めて、『これは私が貰うべきものではありません』と使われなかったのはまあ良かったが、それを参考にしてしまうとは……

おかげで本人は満足しているが、こんな所で傭兵の影響を受けるなんて、この素直な少女にあの男の後を追わせたのは間違いだったか。

それに、あの甲斐性無しの放任主義で言葉足らずだが人一倍気障な奴に育てられたせいなのか、こちらが手を取るだけで顔を真っ赤にするような初心な年相応の少女で可愛らしいけれど、貴婦人の立ち振る舞いとしては経験不足が否めない。

この前も、義親失格の友に代わってどこに出しても恥ずかしくない英国淑女にさせようと、まずは社交界デビューとして舞踏会に誘ったら『い、いきなり夜の催しだなんて私まだ心の準備が……せ、せめて……ゴニョゴニョ――と、とにかく不潔です<騎士団長>様!』とその返答は強烈な張り手だった。

……まあ、うん、義理の親代わりの英国紳士として地味にショックだったが、貞操観念はきっちりと躾けていたようで安心だ。


(……ま、あの男の友である私でさも、あいつが何を考えているのか分からない事もあるが、とにかく、早く帰ってきて、何発か殴ってやらないと気が済まない)


青々とした空を見上げて友を想う。

ロシア西部で繰り広げられた『占星施術旅団援護』では幽霊狩りを専門とするロシア成教の精鋭、

フランス中央部の『オルレアン騎士団殲滅戦』では歴史的な復讐に走るフランス最大の魔術結社、

ドーヴァ海峡近辺での『英国第三王女救出戦』ではローマ正教でも極大な派閥であるスペイン星教派、

と、悪夢と譬えるべき戦場を潜り抜けて、特に拠点を潰して勝利を掴んで生きて帰るほどの強大な実力を持つ傭兵であり、

そして、暴力に頼る手段だけでなく、

医療設備の乏しい紛争地域では薬草の知識を広めて死亡率を軽減させたり、

飢えに苦しむ村ではその地方で食用に使われていないゴボウの調理法を教えたり、

と戦い以外でも『彼らにもできる事』を示して、一時的ではなく恒久的に生活の質を向上させる賢者でもある。

そんな傭兵崩れは、今、イギリスのイギリス清教だけでなく、ロシア成教、ローマ正教の三大宗派に科学側の総本山学園都市、と世界全体を見て、動いている。


「―――の一席だけでなく、騎士団からもあんな紛い物ではない真の最強騎士として『ランスロット』の二重襲名に破格の条件と共に提示され、多大なバックアップも享受できたはずですが、ウィリアム様はそれをお断りなされました。きっと……そのお心はまだこの場所にあるはずです」


「当然だ。傭兵だからとこちらの誘いは蹴って、他の宗派に属しているだけでも業腹なのに、もしそれで他の騎士団から称号を受けていたのなら、あんな訳の分らん『盾の紋章』を本当に廃棄してやってる」





フランス アビニョン



まるで異世界にでも迷い込んでしまったように、暴動の喧騒は聞こえない。

そんな異常な静寂の中に、傍から見れば美女と野獣な大男と少女が2人。


「さて、あの<|聖騎士王(アーサー)>を討ち滅ぼした相手に、女子供だろうが手加減するつもりはない」


上条詩歌の前に立ち塞がる<神の右席>の1人『後方のアックア』。

そのゴルフウェアにも似た服装を、その屈強な身体は狭いとばかりに押し広げられている。


「いきなり暴力的な手段は性急ではありませんか?」


まだ間合いは数十mも離れているが、逃げられない。

詩歌が如何に全力で逃げようとしても、背後を見せれば一瞬で背中を刺される。

それほどまでに、その男は今まで詩歌が見た事がないほど、強大なる力を秘めている人間で、宣言通りに、詩歌の体を上から下まで一瞥するその瞳に油断も隙もない。

そして、今、詩歌が感じるその男の波動は―――間違いなく、<聖人>。


「確かに、そうだな。では教えよう。私の望みは騒乱の元凶を断ち切ることである」


重い、聴く者を魂から屈服させる声で、<神の右席>であり、<聖人>は言う。


「騒乱、ですか? このアビニョンでの騒乱はあなた達が扇動した事ではないんですか? それだけでなく、子供達を玩具のようにいたぶるのが元凶を断ち切ることにどう繋がるんですか」


「……それはテッラの暴走のようなものだ。責任がないとは言わないが私は賛同していない。だが、この暴動を起こした原因は『上条兄妹及び学園都市という危険分子を攻略するため』なのだがな」


「それは本当にローマ正教の総意なのですか? 本当に私達がこの騒動を起こした元凶だとあなたは考えているんですか?」


「そうだ。全ての元凶は貴様ら兄妹の肉体を起点とする特異体質にある。だが、命までは奪わなくても良いであろう。―――兄の右腕とその身柄を差し出せ。それならば、こんな騒動は今すぐにでも止めてやる」


賢者と賢妹の交わる事のない平行線。

アックアは苛立つ事すらない様子に、詩歌は哀しげに瞑目する。

つまり、最初から言葉など無意味で、要求を呑まずとも力で全てを突き通すつもりなのだ。


「そうですか……では、仕方ありません。私は当麻さんを不幸にする者に負ける訳にはいきません」


その瞬間、アックアの全身が総毛立った。

身体が反射的に動き、大きく距離を取る。

詩歌の表情は変わらない。

冷たくも、温かな微笑みのままに得物を造り出す。

紙から生み出された無数の六角――<筆記具>に、<調色板>で多重に染まる生命力を練り込まれ、産まれたのは全長2mもの1つの杖―――<|幻想宿木(ミストルティン・レプリカ)>。

見た目から予想できるが、それに致命傷となりえるような鋭い切先も刃ないが、ただの棒きれではなく―――神々しい空気さえ纏う只ならぬ『|霊装(ぶき)』だ。

けれど、アックアに身構えさせたものは、また別の気配だった。

覇気とも闘気でもなく、殺気の欠片もない、ただ、静かに底知れぬ圧力が杖を構える詩歌から放たれているのだ。

それはアックアが今までに感じた事のない類の圧力。


「……なるほど」


『後方のアックア』は僅かに呟き、そして笑った。

1人の戦士として、強敵を前にした時の顔。

彼女の事は、遠目でだが、<女王艦隊>での『トリスタン』戦、学園都市での<聖騎士王>戦を見てきたが、直に対峙するとまた違う。

面白い。

轟!! と大気を震撼させながら、足から伸びる影から取り出すかのように莫大な金属の塊――まるでビルの鉄骨を基にパラソルの骨組みを組み立てたような全長5mを超す巨大な撲殺用の|金属棍棒(メイス)

ここら一帯の人払いはもう済んでいる。

そして、アックアの全身の筋肉が爆発的に膨張し―――



「―――いくぞ、我が標的」



凍えたかのように冷え切った大気を断ち割る静かな声と共にアックアは、影すら引かず一気に飛び出した。

極限まで絞られた弓から放たれる矢のように迅い、獣じみた速度と闘志を伴って。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



この細い道で対峙する2人にとって、お互いに逃げ道と言うものはない。


(混成、<暗緑>)


アックアが飛んだと同時。

詩歌もまた、いつも以上に強化し、音もなく、小石の跳ねすら上げず、神風の如く駆けた。

まだ数十mも離れているが、この2人なら接近に秒も必要ない。

一息の内、射程圏内に入る。

そして、その得物の間合いは5mと2m――3mも差があり、一般的に考えれば近接戦においてはアックアの方が分がある。

だが、ここは幅3mもない街中だ。

武器を振ろうにもこの巨大過ぎる金属棍棒では満足に―――


「ふん」


石材の建物が発泡スチロールのように何の歯止めにもならずに、速度を一切落としてない。

何という剛腕。

大量の破片を巻き込みながあメイスが迫る。

詩歌はそれを飛んで躱すも、


「それで回避したつもりであるか!」


宙で無防備な詩歌目掛けて、メイスの向きが横一文字の横薙ぎから下段打ち払いへ変わる。

今の建物を解体した一振りは全力ではなく、簡単に手首の返しで軌道は変えられる。

しかし、詩歌もまた空中で再度飛んだ。


「ふっ―――」


舞い飛ぶ瓦礫。

風船のように乗れば沈む足場で、跳躍したのだ。

そして、1m圏内、アックアの真横に。

巨大な武器は、攻撃範囲が広く、その物理的威力も強大だが、どうしても振りが大きくなり、小回りが利かない。

着地と同時に、詩歌は閃光のような速度で袈裟懸けに打ち下ろす。

が、アックアは今度は強引にメイスの軌道修正し、それを跳ね除けた。

鋭い打ち込みだったが、力でアックアに勝てるはずがなく、鍔競り合いになったとすれば、負けるのは目に見えている。

しかし跳ね上げたはずの詩歌の杖は空中で弧を描くと、即座に逆袈裟に打ち下ろしてきた。

その切り返しの速度たるや、とてつもない。

アックアはメイスを横に構えてそれを防ぐが、次の瞬間には<幻想宿木>の先端が右小手を狙っていた。

咄嗟に腕を引いて躱したものの、その隙に詩歌は大きく右足を踏み入れ、内腿から打ち上げてくる。

途切れなく続く連続攻撃―――意外にもアックアは防戦一方に追い込まれている。

速度が大きく劣っている訳ではない。

おそらく、こちらの方が遙かに巨重な得物だが、攻撃速度はほとんど差はないだろう。

ただ、詩歌の攻撃は一撃一撃の繋ぎ目が恐ろしく滑らか。

そこに反撃の入り込む余地が全くないほどに。

相手がどう受けるか見極めてから動いてからではこうはいかないだろう。

視線や間合い、呼吸、ありとあらゆる一瞬の駆け引きで、相手を『そのように』誘導しているのだ。

鳥が空を舞うように自由に、相手と流れを一体化し、神さえも楽しませる<緋燕神楽>。

それに感知を、幾十もの宿木に刻まれたもののうちの3つ、『|喜び(ウィン)』、『|太陽(ソウエル)』、『|遺産(オーイスラ)』。

単独でも意味をなすルーン文字は、複数に組み合わせた時にこそ真価を発揮し、この3つの組み合わせは『知覚』。

<異能察知>の先読み、<調色板>により再現し、自身の周囲で必要最小限に抑えた<運命予知>の予測網、その2つを強化し、補強できる鋭敏な知覚力を与える。


(見る)


メイスを振るうに至らない絶妙な位置取り。

予測不能の演舞はもちろん、根撃を当てようとすれば懐深く潜り込み、異能を行使しようとすれば、杖の両端による双舞撃で小刻みな連打で相手の集中力を途切らせる。

様々な選択肢を断ち、自分の最も都合の良い行動を取らせる。


(見える!)


極度の集中で、世界を捻じ曲げる。

余分な思考を消し、

余分な臭いを消し、

余分な音を消し、

余分な色を消し、

戦いの為に不必要な要素を削り落して消費を抑え、戦いの為の研ぎ澄まされた精神が相手を映す。

そして、この1mの間合いでの不利を悟ったアックアがバックステップで下がる。

だが―――


「なっ――!?」


逃亡者を追い掛けるように伸びた鋭い突きがほぼ同時に3発、アックアの眼前まで伸びてきた。

驚きつつもそれを冷静に半身で受け流し、前を見据えれば―――と思いきや、今度は大鎌のように先端から横に急に枝が伸びてきて、しつこくアックアを狙う。


「厄介な……ッ!」


避けたものの金属棍棒を弾かれる。

武器を手放す真似こそしなかったが、それでも身体が開いてしまう。

それはほんの一瞬だが、今の2人のいる隔絶とした超高速世界では致命的な隙。

<幻想宿木>。

突けば長槍、

払えば大鎌、

持てば太刀、

破壊力と重量に特化したアックアの金属棍棒とは逆の、それは長さも形も決まっていない何にでも変化できる無形にまで柔軟性を極めた杖。

<幻想宿木>は引っ張られるように縮み、腰だめに真後ろに構え、倒れ込むような前傾姿勢で走る。

足音はなく、超高速で風を切る音、衣が暴風にはためく音。

髪飾りでまとめられた長い黒髪がなびく。


(ならば、一太刀はもらい、返す刀でそれごと折る)


熟練した武芸者であるほど、勘とも言うべき経験的な予測が邪魔して、型無しの対応が遅れてしまい、中々ペースがつかめない。

まだ目が慣れぬが、相手の誘導の外へ出る。

すなわち自ら死地へ飛び込む事になるだろうが、一発もらうと分かっていれば、すぐさま反撃に転じられる。


「……ッ!!」


気付いた。

杖が見えない。

衣が隠していたが、杖が消えている!

いや、その右手に絡みつき、一つの塊と化している。


「そう来るか!?」


籠れば手甲。

多種多様な武器の型を魅せたが、上条詩歌が最も得意とするのは無手。

これまでの曲芸じみた変幻自在の演舞に比べると、いっそ愚直にすら思える一直線の突き込み。

今、<幻想宿木>はまるで、詩歌と一体化しピタリと吸い付いている。

その紋様までも、神経が通う自身の一部のよう。

『ミストルティン』は目を瞑っていても当たる必中。

描こうとする拳筋は、殴る前から見えている。

オーバーロードしていく生命力が蜃気楼のように、ゆらり、と拳から立ち上る。

そう、最初に一撃を入れたのは歴戦のアックアではなく、上条詩歌。


「その幻想を―――」


叫び、懐に踏み出すのと同時に、その足が地面を大きく震わせた。

全身の瞬発力を1つの打撃点に集約させる重い震脚で、詩歌は砲弾にも等しい威力の拳を放つ。

それが今、<幻想宿木>が一点に集中し、増大している。

あとは、ようやく見出せた必中のラインに向かい、突き出す。

右拳はレールに乗ったかのように真っ直ぐ突き切る。

そして、これから放つその一撃の狙いは急所、その威力は―――まともに受けるのは危険!



「―――ぶち殺す!!」



ドゴオッ!!



街全体が揺れるような衝撃音が炸裂。

人知を超えた、ありえない破壊力。

たったの一撃。

その動作は誰でも見よう見真似でできてしまいそうな、握り締めた拳を突き出すだけだ。

しかし、その滑らかな一連の肉体運動は無駄がなく、簡潔過ぎて逆に難しい至難の基礎であり、そしてスケールがあまりにも桁が違い。

まさに巨人の拳が蟻を潰すかのようなもの。

その余波だけで、建物を薙ぎ倒し、地面を粉砕し、大気を鳴動させ、思わず息が止めてしまう純粋な力。

だが、



「良い拳である」



反撃を中断し、十字に構えた両腕でガード。

だが、それだけではその腕が粉砕される。

故にまるで足の裏に車輪でも付いているかのように遠くへ滑らせ、向こうに流れる川に落ちる寸前で踏み止まる。

硬く受け止めるのではなく、衝突を運動エネルギーに変えるように柔らかく受け切った。


「私がただの<聖人>なら、危なかったかもしれないな」


アックアの唇が歪む。

嘲りではなく、真の強敵と巡り合えた心底の喜びを示す笑みが深く刻まれている。

下手をすればそこで勝負がついていたかもしれない一撃をもらったというのに、むしろ興じるかのように声を弾ませる。


「だが、惜しい」


ゆっくりと構えを解き、全長5mを超す鉄塊そのものの金属棍棒を持ち上げる。

まだ、これは小手調べに過ぎず、互いの手の内を完全には明かしてない。

そして、準備運動が終わり、そろそろ身体が温まってきた。

常識外の怪物同士の戦いは、ここからである。



「―――私は<聖人>であると同時に、<神の右席>でもあるのだよ」



まずは、全力で触れる環境を整える。

身体から放散される生命力は、桁違いに膨れ上がり、たった1人で街全体を覆わんとするほど。

ザバァ!! と背後の川を根こそぎ持ち上げたかのように大量の水が噴き出し、メイスをより極大に、巨大な巨人の腕とも竜の顎にも見えるように何十トンにも及ぶ水が|付加(エンチャント)される。

その圧倒的質量を操るのは|水(ラグズ)のルーン。

<神の右席>はその肉体が人間よりも<天使>に近いため、<天罰術式>や<光の処刑>など特別な術式を扱えるが、その反面、一般的な魔術師――人間が扱える術式は行使できない。

だが、『後方のアックア』は違う。


「私の特性は<神の力>。そして受胎告知との繋がりから、私は『聖母』に関する術式―――<聖母崇拝>の秘義をある程度行使する事ができる。して、その効果は『厳罰に対する減衰』」


信じる者は救われる。

しかし規律を守らぬ者に相応の厳罰を科すのも『神の子』の特徴である。

それを<聖母崇拝>は軽減する。

修道院を抜け出した女の代わりに日々の点呼を肩代わりして、女が戻ってくるまで監視の目を誤魔化したり。


「生まれながらにして、人と神と精霊の子である『神の子』と違い、『聖母』は正真正銘の人の子でありながら、神の領域に深く踏み込んだ稀有な存在である。そこから転じて、『聖母』は『圧倒的な慈悲の心を以て、厳罰に苦しむ人の直訴を神へ届ける役割』を得たという」


故に<聖母の慈悲>は厳正にして適格なる最後の審判すら歪め、魂を天国と地獄へ送り込む道しるべさえも変更でき、あらゆる罪と悪に対する罰則などの制約行為の意味を失くす。

指一つ動かさずに『殺人罪』の払拭し、『神の罪』すら打ち消せる。

<神の右席>が人間の魔術を使えないという約束・束縛・条件から免除させられる。

高らかに、絶対の自信と共に告げる。


「良いものを見せてもらったのである。こちらも返礼として、<神の力>としての力を見せてやろう」


『神の子』に類似した<聖人>と<神の右席>でアックアが座する<|神の力(ガブリエル)>の力を同時に使い、その上、人間と<天使>の術式を完璧に掌握する。


(<神の力>―――いやそれ以上―――)


攻撃の種類も威力も圧倒的に違う。

たかが<聖人>、たかが<神の右席>、とは格が違う。


「千入混成―――」


ごっ、と大地が揺れた。

地震とさえ紛う、凄絶な踏み足。

そして、金属棍棒が打ち込まれる。

大地が、その瓦礫が、大気が爆散し、大瀑布が墜ちた。

咄嗟に防御陣を展開したが直撃しなくても、異常な打撃の圧に吹き飛ばされ、周囲一帯を平野へと変えた。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



水の体積が急激に膨張し、周囲を巻き込む大爆発―――だが、止まらない。



ただ驚愕に息を呑む。

今眼前で繰り広げられる戦いの、度外れた凄まじさ。

推し量るにそれは、ただの個人の決闘に過ぎないはずだ。

だが迸る生命力の量が違う。

激突するその熱量が違う。

世界が破裂するかのような勢い。


(……おいおいおい、勘弁してくれよ)


人と人との戦いではない。

まるでネットワークRPGでレベルが100を超えたキャラクター同士の激突。

何かトリックがあって攻撃が通用しないのではなく、単純に『実力』が凄過ぎて、一対一の戦いではなく、眼前で繰り広げられているのは怪獣同士の戦争だとも思ってしまう。

先読みに予知を重ねて回避し続ける少女と天変地異の如き剛力を振るう野獣。

学園都市の一般学生の他に、魔術と科学、双方のスパイであり、また機関拳銃や折り紙と双方の術を身に付けている訳だが、それら全てを行使しても、あの2人に割って入ることもできない。

緩く息を吐き、親友の妹とローマ正教の最終兵器が衝突する様を影から窺う。


(<神の右席>に<聖人>なんて、真っ向からぶつかったらまず勝てないってのに)


それでも助けないと言わない所が、この男の特色でもある。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



ガガガザザザギギギギッ!! と互いに武器をぶつけて火花を散らし合う。

元の大太刀の長さにまで戻した<幻想宿木>とその倍の大きさの巨重なメイス。


千入混成<麹塵>に<暗緑>。


その武器や自らの四肢に大気を高圧で纏い、『噴出点』――任意のベクトルで瞬発的に噴射する事で運動能力を格段に向上させる荒技。

謂わば、詩歌の一挙一動が能力によるジェット噴流を帯びているも同然なのだ。

さらに、大地ではなく稲妻を踏み締めているほどの強化。

武器が衝突するたびに彼女の足が虚空を蹴るたびに、紫電が蜘蛛の巣状の触手を閃かし、轟々たる雷鳴が大気を揺すり上げる。

体躯の上では華奢な詩歌だが、まさに風神雷神の一撃、疾風迅雷の動き。

先程とは段違いな<聖人>すらも圧倒するであろうパワーとスピード。

しかし、アックアはそれと互角に打ち合っている。

そう、アックアは多種多様な術式に精通し、ただの<神の右席>では不可能とされる、一般的魔術を思う存分行使できる。

そして、<聖人>。

一般に、魔術を扱うのに才能は不要とされるが、極めて特殊で異例な才能を持つ者が使えばどうなるか。


「……素晴らしい」


ゴァ!! と言う新たな爆音。

川の水面が揺らいだかと思った時には、20mに近い巨大な関節を持つハンマーに変化した水柱が上がっていた。

極悪としか形容するしかない魔力。

先読みし予測していた詩歌はそれを法王級の大気防壁<菖蒲>で逸らし、虚空を駆けて躱すが、その衝撃はもはや爆撃にも等しく、大地の水平がその水塊の重みと勢いに傾斜する。

そして、撒き散らされた水蒸気は、再度、アックアの手で操られ、キラキラと瞬くダイヤモンドダストへと変貌。

もうすでに川全体は底が見えるほど干上がっており、細い線となって周囲一帯に張り巡らされ、複雑怪奇な魔法陣を形成していく。

陣が組まれ、切り代わり、形を成すたびに、1つ1つが30m近い氷の槍が複数形成し―――発射。

対して、槍と同数の新たな<筆記具>を、展開。

酸素と水素を選別していく旋風を巻き付け、生命力を込められていく魔法の杖。

超高圧縮の気圧の束が解き放たれた瞬間―――まさに対艦砲の如く、轟然と迸る。

固体も同然に凝縮された超高圧の疾風は、真空断絶するほど超高速で移動し、氷の槍を粉砕し、魔法陣に直撃するや否や秘められた文字を解放し、紅蓮の炎で燃やし尽くし、無害化する。

しかし、辛うじて残る魔法陣を起動させ、逃げ道を封鎖するように様々な角度から迫る鞭のようにしなる水の尾と真上からボール状の巨大な塊が縦に振り下ろし―――蒸発する。


「<調色板>千入混成<生成>――<筆記具>強化『|太陽(ソウエル)』」


杖を振り払うや否や、一瞬で太陽の輝きに包まれる。

その球形の防御殻は超高温超高密度のプラズマ流。

本来なら天使の輪のように展開するそれを、回転させて球にし、多方向からの攻撃を封殺する。

しかし、アックアは眼前から消えていた。

頭上20m。

常人には不可能な、まるでロケット発射のような跳躍。

空中の一点と化したアックアは<神の力>の象徴たる月を背にしていた。

まだ夜ではなく、蒼穹に溶け込むようにうっすらと映る青き月を背負うかのように。





「―――|聖母の慈悲は厳罰を和らげる(T H M I M S S P)


アックアの囁きに応じて、その背後に佇む儚き月が夜空に輝くとき以上に爆発的に光を発する。

まだ太陽が出ているのに、月の加護を増幅させた。

普通の魔術師ならば為し得ないこの偉業を、<神の力>の<聖母崇拝>は強引に押し通した。


「―――|時に、神の理へ直訴するこの力(T C T C D B P T T R O G)


青白い閃光を吸収した鋼鉄のメイス全体に莫大な力が宿っていく。





「―――これは勝利を約束された光」


奇跡の詩歌と共に、しなり、細い糸のような蔓が伸び<幻想宿木>が弓の形へと変形する。

指揮棒とした杖が眩き輝きを発し、同じく先の無尽の光壁がその文字の刻まれた先端に鏃の形で圧縮され、神代の矢となる。

『能力』の色を『魔術』の筆先に付けて産まれたのは、時代を塗り替える最新の超魔術。


「―――これは死を拒絶する生命の根源」


弦は切れ、弓が折れよという所まで日輪を一点凝集していく一撃を振り絞り、





「―――|慈悲に包まれ天へと昇れ(B W I M A A T H)!!」


「―――されば、照らせ、|太陽(ソウエル)!!」





流星が降り注ぐが如く、怒号と共に虚空を蹴り、勢い良く下降する落下の重圧まで加えた月読の一打。

衛星を打上げるが如く、歌声のように天上まで、雲の彼方を突き抜ける勢いで空間を貫く天照の一矢。

もはや、斬撃や刺突や射出や爆発や破裂や分断や粉砕ではない。

純粋な力。

天と地から突き進む圧倒的な破壊力は、双方共に小惑星との激突すら凌ぎ、衝突した瞬間、驚くほど全くの災禍をもたらす事なく、世界から色と音が消えた。

そう、2つの天災は完全に相殺されたのだ。


 

 


「たった1人でここまで戦えるとは、大した才能」


アックアの頬に、一筋の切り傷。

おそらく今の攻防に裂かれたものだろう、僅かな掠り傷。

しかし、それは歴戦の強者がつけられた傷だ。

頬から赤い血を垂れる血を人差し指ですくい、その指先でメイスの側面に文字を描きながら、


「その年で真の強者の峻峰まで登り詰めようとする天才なのであろう」


肉弾戦だけでなく、それと並行して行われた異能戦までも互角。

その<|傭兵の流儀(ハンドイズダーティ)>と語る独自の戦闘スタイルで幾度の地獄を渡り、幼少のころから神童であった<天使>すらをも上回る智勇兼ね備えた聡明な獣が讃嘆の声を漏らした。

<神の右席>と<聖人>を合わせ持つアックアに詩歌は<|調色板(科学)>と<|筆記具(魔術)>の足し算ではなく、掛け算で渡り合う。

まさしく、天才。

流石のアックアも超能力の分野に対応できない。

彼女しかできない。

おそらく戦術の多様性なら自分以上に幅があるのだろう。

しかし、アックアは知っている。


「だが、甘いな」


あの『トリスタン』と対峙した時はこれほどではなかった。

あの<聖騎士王>と対峙した時はこの程度ではなかった。

つまり、


「貴様は時々に応じて力を加減しているようだ。ならば、この『後方のアックア』の事を見縊っているのであるか」


その厳しく打つ言葉に、詩歌はいいえ、と首を振って否定した。


「誰であれ本気で来るなら、私も本気で応えます。それが全力かどうかは条件次第ですが。どちらにしても、殺す為でなければそれで十分でしょう」


「戯言を」


己の血で文様を描いたメイスをアックアはゆっくりと構える。

詩歌も、また<筆記具>を展開し、燃料の生命力を込め、攻撃の準備を整える。

この2人に10mの距離など目と鼻の先。

一瞬でも隙を見せれば斬られる緊張感の中で、彼らは会話している。


「戦場に立てば、敵は蹴散らす他に道はない。才能はあるが、手ぬるいと酷評しておくのである」


歩兵が偵察に出かけた所、不意に敵の戦車と遭遇した―――それが戦場。

対抗策は常に用意されているものではなく、逃げ道や安全地帯、ましてや紳士のマナーなど存在しない。

彼女のように、全く同じ条件に立つことで満足し、勝敗の確率を五分五分に調整するなど戦いではなくスポーツだ。

才能とは、戦場とはそういうもの。

適切な装備を持たずに戦車と遭遇すれば、歩兵はどうなるかなど考えるまでもなく、容赦なく砲撃を受け、ただ消し飛ぶのみ。


「本気でぶつかった後に残る結果は、勝利と敗北。しかし、その未来が幸か不幸かに続くかはまた別。ならば、私は戦った後も怨恨を残すような深い傷跡を残すような戦争よりも、何度戦う事になろうが勝者も敗者も最後には手を繋いで分かり合える運動のほうが、私の努力は報われ、その為ならどんな労苦を背負う事も厭わない」


十字教術式の厳格なルールを歪める特別な法則、とアックアはそういうが、本来、<聖母崇拝>はそんな事の為にあるものではない。

敗者復活のチャンス。

あるいは罪を犯し、あるいは神を捨てるほどの悲劇に見舞われ、一度ルールからあぶれて道を外した者の為に、『聖母』の像は涙を流し、夢の中で微笑み、そして奇跡を実行するカギを与える。

人々はそれを起点に、唯ただ一心に祈るという形で無自覚に術式を行使する。

だからこそ人によっては無秩序に奇蹟を撒き散らすと言われ、『神の子』以外のものを信仰していると誤解される。

だが違う。


「私が兄と一緒に戦ってきたのは、人を生かす為、不幸を殺す為、皆がハッピーエンドに迎えられるように。誰かを殺す為に、幸せを殺す為に力を振るうなんて、つまらない目的の為に戦ってきたんじゃない」


<聖母崇拝>の本質は、教会と聖職者の造るネットワークの隙間を縫うように怒る悲劇を止めているだけだ。

『聖母』は十字教社会を乱すものではない。

人々が膝をついて拝み、家族の、友人の、仲間の無事を祈るのには、それだけの理由が存在するのだ。

<聖母崇拝>。

『神の子』を産むという十字教最高の偉業を成し遂げた、歴史上でも最大クラスの<聖人>。

人々に安息と救いを与える為に<天使>の言葉を受け入れ、『神の子』を身籠り、夫と共に試練の道を歩む覚悟を決めた聖母と、そんな彼女を慕う人々の気持ちが造った信仰の結晶。


「ふん。確かにここまでの戦闘は久しぶりである。良い運動にはなった。だが私は仕事をしに来たのである。『運動』に興じる気はない。無論、|交渉(お喋り)に応じる気もな」


真っ直ぐな祈りの形で表現される<聖母崇拝>術式は理屈の解明が難しく、全く的外れな奇蹟のアイテムとして報告された例も多々あり、それに便乗して詐欺師も横行した。

しかし、アックアは、正真正銘の本物の奇跡、紛れもない『聖母』の慈悲を、暴虐に振るう。


「これは戦場である。生まれ持った能力の差。手にした武器の性能。戦う人員の数。そういう歴然とした違いが堂々と襲い掛かってくるのがこの場のルールである。だから、貴様はここへ来れたのだろう? 才能があるからこそ周りに期待され、まだ青い少女の身でありながら、どこかの誰かに引っ張られてこの戦場へ送られた。努力や祈りに応じて奇蹟が訪れるというのならば、我々のような真の強者がもてはやされる事はないのだからな」


所詮は、才能。

だから、弱者は戦う必要などない。

他の<神の右席>とは違い、少年の右腕だけを粉砕し、少女の身柄を渡すのならば、この暴動は止めるといったこの男。

<天使>ではなく聖母―――徹底して『慈悲の力』を振るうものの心の断片。

あまりにも無秩序な戦場では、鍛える鍛えない以前に、単体の戦闘能力など無意味。

どれだけ準備を整えようが、死ぬ時は死ぬ。

安全な戦場など無い。


「確かに、それもまた一理あります。しかし、あなたが強者という私は、たかが才能だけで強くなれたんじゃない。私ひとりでここまで来れたんじゃない。この力は、私だけのものじゃない。支えてくれる人に、本気で戦った人も、そして、いつも側にいてくれた人が私を強くした。だから、私はいつでもひとりではなく、この全力は皆がいるからこそ出せるもの。真の強者とは孤高に非ず。私の背中には皆がいる」


<筆記具>が曲がり、他と接合し、宙に浮く上条詩歌を囲う円環となる。

<植物操作>と<振動使い>による魔法陣の構成。

回転し、その中に世界を留めるようと月日の成長を僅か数秒に圧縮して柔らかい枝が伸ばし、さらに包むように捻られ、螺旋の平面から立体的な戦術魔法陣と化し、さらに捻るように、その修道服のような白衣のような温かな暖色のローブを覆い、溶け込み、鮮やかに走る文様となる。

<原典>の外界からの力を吸収し、増幅して半永久的に駆動する自律型魔法陣の仕組みを解明し、その再現を<調色板>で『色』を付け、<筆記具>が『線』を引く『科学』と『神秘』の混成融合<|聖母花衣(マリーゴールド)>。

『幻想化』のように世界と一体化するとまではいかないが、その干渉力で、葉を生い茂させ、根を張る大樹が大気から、水から、大地から栄養を吸い取るようにその身に自然の生命力を取り込み、絶えず自動回復させていく―――そう、常に周りが支えてくれている。

『聖母』と慕われ、人の幸せを望み、愚兄と共に不幸と戦う賢妹の覚悟と、今まで出会ってきた者達の思い出の集大成がここにある。


「なるほど……それが貴様の『聖母』の在り方か」


立ち塞がるアックアもまた紛れもない『聖母』。

<聖人>としての力に加えて<神の右席>という特性までも利用して、己の肉体を徹底的に、<大天使>級にまで強化する。

アックアは『神の子』だけでなく、親子関係にあり、それに次ぐ十字教のナンバー2であり、『神の子』を産むという最高の奇跡を成し遂げた『聖母』とも身体的特徴が似ているために、そちらの力も同様に手に入れている。

その『聖母』を讃える<聖母崇拝>は、世界のルールそのものである『神の子』よりも例外的に慈悲を与えてくれる存在として民衆の心を動かし、『聖母』に祈り『聖母』が叶える形の『奇蹟の報告』が教会に多数寄せられ、『このままでは<聖母崇拝>だけで独立してしまうのではないのか』と時のローマ正教上層部に危機感を与えたほど。

<聖人>と『聖母』―――その二つの属性を同時に遭わせ持つ身体的特徴を有する者が『後方のアックア』。

生まれた時から神童と呼ばれた男は、人間を超え『神上』を目指す<神の右席>でさらに才能を開花させ、<聖人>を超える<二重聖人>と完成したのだ。


「見せてみろ。口先だけの言葉ではない。その力に込めた理由、ただ無言のままに示してみせろ」


絆を信じる『最優の聖母』と力を信じる『最強の聖母』。

先に仕掛けようとしたのはアックア。

空気を引き裂き、ジェット戦闘機のような速度で必殺の間合いへ飛び込もうとしたアックアは、



ガクン!! と。

その動きが、何かに縫い止められるように停止した。



「な……っ」


驚いて足元を見る。

アックアの高速移動は、一種の術式に支えられたもので、靴底と地面の間に薄い水の膜を張り、氷の上でタイヤがスリップするのと同じ原理で身体を『滑らせる』のだ。

それが、いつの間にか破綻していた。

アックアは詩歌の動向には注意を払っていた。

だが、逆算し、破壊するような仕草はなかったはずだ。

と、



「これで<御使墜し>で『水』を奪われた借りは返したぜい」



そこに……ごぷっ、と唇から血の塊を漏らしながらもニヤリと微笑む黒い折り紙を折り上げた金髪にサングラスの男――土御門元春がそこにいた。


『|黒キ色ハ水ノ象徴(さあ起きろクソッたれ共)。―――』


法の書事件で、同僚の<聖人>に10m圏内にいても気配を微塵も悟らせなかった彼は、弱者を疎んじるアックアにも悟らせる事なく、じっくりと戦況を見、その能力を分析し、その得意な水を操る<黒の式>で、移動術式を妨害したのだ。

そして、



一瞬だが確かに産まれた隙、仲間が魔術による副作用でその身を犠牲にしてまで作ってくれた好機を、彼女が逃すはずがない。



バン、と破裂する大気の咆哮。



不意に見舞った戦場を揺るがさんばかりの衝撃。

地表を真横に駆け抜けるように全力で真後ろへ向けて迸った疾風と焦がす雷鳴を産み出す者の正体は、電磁加速に、爆風噴流を合わせた電光石火の砲弾と化した上条詩歌。

そのスピードは、先の3倍にまで達していた。

音速に数倍する超々高速の突風が大気の壁を突き破り、衝撃波が周囲の瓦礫を木の葉のように吹き飛ばす。

前につんのめる形になったアックアに回避の余裕などなく、そして、詩歌の<幻想宿木>が手甲とした一撃は――――神速にまで達した。



「―――『崩』!!」



ドゴン!! と必中神速の勢いを残滓も残さずに、宿木の手甲を纏う拳の一点にまで勁を乗せた正拳突きがアックアの心臓を打つ。

殺傷性はないように設定してあり、その特性は皆無に近いとはいえ『神の子』との身体的特徴を宿した<聖人>がまともに受けてしまった『神殺し』の『ミストルティン』の一撃には悶絶し、全身に電流が走り抜けたように硬直。

心臓の鼓動が止まり、さらには体内の魔力が暴走し、回復するまで数秒はかかってしまう。

さしもの<二重聖人>も今の状態では回避する事もできない。


「混成<赤>」


その拳が赤く燃える。

『木生火』の理を以て、なお勢いは相乗される。


「『炮』」


半歩前へと捻り上げた肘で籠手を外側へはねのけ、相手のメイスが触れない懐へ入り、脇腹に焼印をつけるように豪火の拳が穿つ。


「混成<黄>」


その拳が岩石のように塊となる。

『火生土』の理を以て、なお勢いは相乗される。


「『横』」


相手の動きさえも取り込む演舞、<緋燕神楽>、まさに二身一体の舞いの如く、2人の体は交錯し、寄り添った瞬間に重土の拳が隕石が着弾したかの勢いで鳩尾を砕く。


「混成<白>」


その拳が玉鋼を纏う。

『土生金』の理を以て、なお勢いは相乗される。


「『劈』」


一部の乱れのない完全なる身体運用と異能制御で重心を移動しながら両手を捻り合わせて、螺旋状にまとめて溜めた勁を解放し、硬金の拳が刀で斬り込むように首筋を叩く。


「が、はっ―――」


ついに、『神殺し』の麻痺でその身体をまだ動かせないアックアの喉が苦鳴を上げる。

さらに、


「混成<黒>」


その拳が水を、アックア自身の<神の力>さえも吸い取る。

『金生水』の理を以て、なお勢いは相乗されたその拳の干渉力は、<大天使>でさえも上回ったのだ。

そう、これはただの打撃に非ず。

過去に、あらゆる武術を寮監より指導された詩歌は、あらゆる魔術を知る<禁書目録>の教示をもって、それが、『五行思想』からなる基本にして絶招であり、<唯閃>と同じその動作を以て成す完成された武術儀式―――<五行拳>、と知ってからさらに錬磨した。

『木行崩拳』、『火行砲拳』、『土行横拳』、『金行劈拳』、『水行鑚拳』。

『木』は燃えて『火』になり、

『火』が尽きた後には『土』が生じ、

『土』が集まって山となった場所からは『金』が産出し、

『金』は腐食して『水』に帰り、

『水』は『木』を生長させる。

この万物を構成する『金』、『水』、『木』、『火』、『土』の流れは、『相生』であり、それを取り込んだ<五行拳>は段階を踏むごとに勁が増幅していく究極の活人拳。

その動き自体がもう魔術であり、その属性に合った能力による世界への干渉力は桁違いで、<神の右席>であり<聖人>のアックアからすら、蓄えた力を巻き込んで奪う。

『魔術』と『科学』の掛け算した<五行拳>で増幅された<幻想投影>の異能への瞬間的な制御力は、それほどまでに飛び抜けていた。

今のアックアはもう、<聖人>の力が麻痺し、<神の力>まで奪われ、ほとんど常人に等しい。

そして、決着をつける最高に相乗された最後の一手、腰と両足を絞りつつ大地から天空へ突き抜ける天水の拳で貫く『鑚』―――


「ッ!?」


危機に先んじた直感が、詩歌に緊急回避を取らせた。

構えた拳を宙に泳がせたまま、詩歌は総身を横に投げ出して転身する。

間一髪、とは言い難く、唸りを上げて横から飛来してきた大剣は、詩歌の脇腹を裂き、散らした血の雫を“蒸発”させた。

焼き斬られた、という二重のダメージに、すぐに体勢を立て直し、<肉体再生>するもその眉根には苦痛の色を隠せず、怯む。


「くっ―――!」


まだ麻痺して動けぬ身体の代わりに、回復した魔力で、メイス表面に印した血文字を暴発させるようにありったけの魔力を込めて起爆させ、その場から距離を取る。

そして、地面に突き刺さった大剣、<量産陽剣>は爆発し、一歩反応が遅れた詩歌を巻き込んだ。



つづく

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