学園テロ編 傘
???
バタバタと人間が倒れていく。
冷たい雨の降りしきる中、抵抗もなく、雑音もなく、鮮血もなく、悲鳴もなく、ただ只管に人間の倒れる響きだけが暗い暗い夜の街を支配する。
対ショック機構を備えた装甲服を着込んだ彼らは、学園都市の治安を司る<警備員>。
そんな彼らが倒れたまま、指先一つ動かせず、彼女の進行を止められない。
糸のように細い雨に、痩身の女は傘を差さずに、ゆらりゆらりと歩いていた。
服装はワンピースの原型となったカートルという女性衣装に、腰には細い革のベルト、手首から二の腕にかけてはスリーヴと呼ばれる着脱可能な袖が取り付けられている。
頭には一枚布の被り物があり、髪の毛は全部隠されている。
15世紀前後のフランス市民の格好である……けれど、基調となっている色が派手な黄色である為、あくまで形だけである。
さらに言えば、女の顔には、耳にはもちろん、鼻、唇、まぶたにまでピアスが付けられていて、きわめつけは先端に十字架を付けられた腰の辺りまで長くネックレスのように細い鎖で舌と繋がられている。
それら全ては顔が崩れるのを承知で実行されたもの。
十字教では『金属の貫通』には深い意味があり、『神の子』は釘と槍を刺されて――金属を貫通されて殉教した。
突き刺す個所により、術式が成立する事も可能である。
「ハッアハァー! さっすが<聖騎士王>! この調子なら一日も待たずにこの街も終りね」
不完全な感情を持たず、ただ殲滅する『最悪の人造兵器』の一撃が繁華街を壊滅させる光景に歓声を上げる。
「さて。統括理事会の顔を3つほど潰したし、そろそろ私も“本命”を潰しに行こうかしら」
道中
「さっきは良くもやってくれたな、クソガキ!」
ドッ!! と一方通行の脇腹に拳が突き刺さる。
吐き気が胃袋で爆発し、しかしそれすらも強引に押し留められる。
「害虫のくせに調子こいてんじゃねぇぞ!!」
思わず身体がくの字に折れ曲がった所で、ちょうど前へ突き出す形になった頭へさらに拳が飛ぶ。
オモチャのように、彼の身体が路面に転がっていく。
「どーよ、泥の中で踏みにじられる気分ってのは」
数多はそのまま起き上がろうとしている一方通行の頭を踏み潰すように、何度も靴底が襲い掛かる。
身体の色々な部分が踏み潰され、引きつった皮膚が切れ、地と雨水が混ざり合ってにじんでいく。
しかし、今の一方通行は『反射』どころか簡単なベクトル操作すら難しい。
(なン……だこの、頭が捻れるような感覚は……?)
<妹達>の演算デバイスは働いている。
だが、<一方通行>が御し切れない。
木原数多が何かしたのか?
だが、そんなアクションは1つも見せなかったし、あの表情は、違う。
しかし、力を使おうとするたびに、その光に群がる夥しい羽虫のようにまとわりつき、揺らめく火のように、ナニカが一方通行を足元から“燃やし”、
『暗い……深い……海の底に沈むような……これが『死』です…か、と……ミ――――』
強制的に脳に送り込まれた刺激が脳髄を掘り起こし、記憶の底から幻想を引き摺りだす。
「あ、が……!?」
殴られた、蹴られた物理的な苦痛だけでなく、その逃れられぬ『失敗』に、全身を痙攣させながら体をよじる。
一方通行の様子から兆侯を視たのか、木原数多は遠くを見るように、地に伏せる一方通行から視線を動かし、
「にしてもこりゃあ……まさか、アレが発動しているのか? だとすりゃあ、あと2、3時間で街が壊滅するかもなぁ」
一瞬、真剣な表情を作ったが、ま、俺の仕事じゃねぇか、と楽しげに呟き、視線を戻す。
「でも、大したもんだ。流石は第1位。アレは力が大好物でなー。普通のモルモットどもなら『感染』しただけで、絶叫し発狂し、耐え切れず暴走させている。これはこんなチンケな玩具とは次元が違ぇんだ」
そう言って、取り出した携帯電話のストラップ―――柔らかい素材でできていて押すと<一方通行>に特化した『妨害』の音波が出る―――を軽く揺らす。
「く、そ」
「余計なことは考えねぇ方がいいぞー。力を使えば使うほど堕ちていくアリ地獄みてーなモンだからな。だから、テメェは―――大人しくそこで潰れてろ」
ゴン!! ゴギッ!! ベゴ!!と鈍い音が連続する。
顔に血が数滴跳ね、息が切れるまで蹴り続けると、数多は赤色の汚れた靴を雨で濡れた路面へ擦り付けた。
それが、この上なく醜い汚れであるかのように。
「んー? 害虫ってのは中々死なねーモンだなぁ。おい、車ん中にあったヤツを持って来い。あれだよあれ、後ろの方に押し込んであった、埃の被っているヤツ」
数多が軽く手を伸ばすと、その動きに応じた装甲服の1人がダメージを引きずるような動きで車の後部座席へ入って行った。
その中から取り出し、数多の手に渡ったのは、金槌やノコギリなどが丸々収まった、ズシリと重たい工具箱。
「武器ってなぁ雑っつーか大雑把の方が効き目が高い。暗殺用の非金属ナイフより材木用のチェーンソーの方がエグいみてぇにな」
一方通行は倒れたまま、ろくに喋らず、ただ数多の顔を見上げる。
「なぁ一方通行。テメェは“アレ”の意味を理解してねぇんだよ」
笑いながら、数多は語る。
「大体よー、そもそも『絶対進化計画』の前の、『量産能力者開発計画』だっけか。軍用量産モデルとしてゴーサインを出たっつー時点で怪しいじゃねぇか。だったら第3位の<超電磁砲>じゃなくて、第1位のテメェのクローンを作るべきだろうがよ」
『私にはあの実験が、Level6を作り出すものでもなく、Level5を手元に置く為でもない。もっと別の何かが真の目的なような気がするんです。そして、学園都市の闇は私が思っているよりも深い…』
「何でテメェのクローンは作られなかった? 何で第3位のアイツで計画はスタートした? ナニかがあるんだよ、そこには。テメェがちっとも理解していねェ何かが、だ」
DNAマップなんざ、取ろうと思えば、取れる。
唾液、毛髪、血液……など、いくら警戒しようが、それらを完全に防ぐことは無理なのだ。
そして、あの第9982次実験の乱入でも実証されたが、<一方通行>と<超電磁砲>には決して埋まる事のない圧倒的な差が存在する。
「クソったれが……」
……けれど、ハッ、と一方通行は笑う。
「……俺以上にあのガキを分かってねェお前が、テキトーなコト言ってハシャいでンじゃねェよ」
んー? と数多はニコニコ笑って、重たい工具箱の角を両手で掴み、握り心地を確かめる。
彼は笑って言う。
「感動的だねぇ。本人だって大喜びだ」
一方通行の心臓が止まるかと思った。
彼の身体は動かない。
思考もナニカに蝕まれている。
それでも、倒れたまま、這いつくばって姿勢で顔だけを動かす。
100mほど離れた場所。
そこに、
その先に。
黒ずくめの男に二の腕を掴まれ、だらりと残る手足を揺らしている、小さな少女がいた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「回収完了、って所だな」
木原数多の声が、一方通行の耳から遠ざかっていく。
地面に倒れた彼の視界の先に、3人の人間がいた。
2人は、並んで歩く黒ずくめの男。
あとの1人は荷物の様に掴まれている打ち止めだ。
まるで重たい物を入れたビニール袋のようで、足の裏が地面に接触してない。
垂らした紐のように、ただただ足の甲の方が力なく地面とぶつかっていた。
ここからでは、彼女の表情は見えない。
手足と同様、枝のように揺れる音はうな垂れていて、前髪と影で表情が隠れてしまっている。
ただ、相当苦しそうな姿勢であるにも拘わらず、身じろぎ一つもなかった。
おそらく意識はなく、近くに寄れば、その幼い身体のあちこちに生傷があるだろう。
片手で持つのが疲れたのか、男は隣にいるもう1人の仲間へ、乱暴に打ち止めを押し付けた。
それでも手足が頼りなくふらつくだけで、彼女は全く反応しない。
木原数多は笑って言った。
「あーあー、ありゃあもう聞こえてねえかもな。一応“本命”は生け捕りってハナシになってんだがよ、アレは本当に生きてんのか? こんなんで始末書なんて真っ平だぞ」
ふざけンな、と一方通行は口の中で呟いた。
彼女はまだ生きている。
死んでいる筈がない。
もしも打ち止めが死んでいるとしたら、<妹達>の代理演算に頼っている一方通行の方にも影響が出るはずだ………と、思う。
確証なんて、ない。
あのガキを殺して試そうと思った事がないから確証なんてあるはずがないし、考えた事もなかった。
だけど、そこらに停まっている黒いワンボックスカーに押し込まれたら、もう終わりだ、というのは分かった。
あの少女は、このハイエナどもに血と闇に塗れた世界へ引きずり戻される羽目になる。
そして……そこから帰って来られる可能性は、おそらくゼロだ。
一方通行はボロボロになった身体に、残された力を注ぎ込む。
「打ち止めァァああああああああああああああああああああッ!!」
顔を上げて叫んだ。
ピクン、と呼ばれた、ぐったりとした少女の肩がわずかに動いた気がした。
倒れたまま、腕を振り上げる。
過去の『失敗』に取り憑かれようが関係ない、今、もっと優先すべき事があるのだから。
ならば、火の中だろうが掬い上げてやる。
「―――ッ!!」
一方通行は歯を食い縛り、己の手を濡れたアスファルトへ叩きつける。
ゴッ!! という破壊音。
膨大な力に吹き飛ばされたアスファルトの破片は四方八方へ飛び散り、それによって数多がわずかに後ろへ下がる。
猶予は1秒もない。
限られた時間の中、一方通行はその手を伸ばして『風』を掴む。
『干渉』なら、慣れている。
暴走するベクトルをその手に束ねる。
「チッ!!」
木原数多の舌打ちが聞こえた。
暴風の槍は彼の真横を突き抜け、黒ずくめの男に掴まれている打ち止めの元へと突っ込んだ。
風速120mの悪魔の指。
その気流に打ち止めの身体は吸い込まれるように、黒ずくめの太い腕からもぎ取られ、地面から飛ばした。
10m以上の高さのビルをいくつも飛び越え、打ち止めは風景の陰へと消えていく。
ごぼっ、と一方通行の喉が変な音を出した。
押えつけようと思う前に血の塊が吐き出され、彼の顔は再び雨に濡れる路面へと落ちる。
そして、胸の中からごっそりとナニカが削ぎ落される虚無感があった。
それは、ベクトル操作してからも残っており、バッテリーの残量はあっても、もう『反射』に意識を割けない。
残り火に精神が蝕まれていく。
地下街
「学園都市って複雑で面倒で良く分からない構造しているよね。おかげでとうまを捜すのにすごく手間取ったんだよ。まぁいいや、早く帰ろう」
「っつか、何でそこまでして俺を捜しに来た訳? ……まぁ大体、お腹が減ったからだって相場は決まってんだけどさ」
「もう、とうまのばか!!」
「ごぁぁ!! 唐突に噛み疲れましたよ今!?」
「私がいっつもお腹が空いただけで動くと思ったら大間違いかも!!」
「むしろお前はそれ以外の理由で動く方が珍しいじゃねぇかッ!!」
「とうまはしいかと違って配慮が足りないよね。ここに来る前に出会った白い髪の人も、事情も聞かずにハンバーガーを食べさせてくれたぐらいなのに。とうまもああいう優しい人にならなくちゃ。あ、なんなら、しいかの爪の垢を煎じて飲んでみる?」
「へーへー。どうせ俺はデリカシーの欠片もない愚兄っすよ。つーか、日頃の生活態度からお前も飲むべきだと思うが……ちゃんとその人にありがとうって言ったか。他にも何か貰ってないだろうな?」
「む、私はちゃんとお礼は言える人だよ。でも、言われてみればこんなの借りたかも」
「何だ、ただのポケットティッシュか」
「ハッ! あの人がこの最新鋭日用品がなくて今頃困ってたらどうしよう! と、とうま、私はちょっとこれから返してくるんだよ!!」
「え? でも、ただのティッシュだぞ。しかも丸まってグショグショになったの返されても困るんじゃ―――って、全力疾走しないで聞けよインデックスーっ!!」
道中
「あーあーあーあー」
風景に消えていく打ち止めに、のんびりと数多が面倒くさそうな声をあげる。
捕獲対象がゴルフボールのように遠くへ飛んでいってしまったが、一方通行が適当にコンクリートの地面に叩きつけるかもしれない運任せに出るはずがない。
おそらく、何かしらのクッションがある場所に狙って落したはずだ。
この雨だ、着水のショックで運良く意識が覚めるかもしれないが、所詮は子供の足程度の逃走性能。
落下地点から早々離れた場所へはいけないはず。
「だぁー……あれよ、班を3つに分けろ」
そうして、残っている黒ずくめの部下(クズ)――<猟犬部隊(ハウンドドック)>に指示を出し、3つの班に分け、飛ばされていった<最終信号>の回収に1班と、対<一方通行>として木原数多の元に2班が残る。
指示に従い、回収班は散り散りに路地に消えていく。
そして、木原数多は水溜りの上に転がっている一方通行のなれの果てを見下ろす。
話に聞いた限りでは、あの『失敗作の暴走兵器』には“好み”があるらしく、気に入った人間のAIM拡散力場には浸食が速いらしい。
これまでの実験から、そいつは、過去を引きずっている暗い性格の人間がお好みらしい。
(だとすんなら、このクソガキはあれだけヤッてんのに後悔してんのか。ハッ、傑作だな)
数多は屈み込むと、持っていた工具箱を振り上げる。
AIM拡散力場を掻き乱されているとはいえ、ベクトル操作が使えないという訳ではない。
むしろ自棄になって暴走を起こされた方がマズイ。
だから、ここで止めを刺す。
部下が拳銃を差し出してきたが、一方通行の『反射』破りは、微妙な手足の『返し』の動作によって成立するもので、弾丸では無理だ。
というか、そもそもこれは<一方通行>の仕組みを熟知し、そのコンマ何秒というデリケートなタイミングを実戦レベルで扱える技量の2つなければ実現できない。
そう、<木原>にしかできないはずなのだ。
なのに、このクソガキは知っていた。
一体誰が……?
少し気になるけれど、まあ、血族が主流だが、<木原>は突然変異で自然発生するものだし、一族の知らない<木原>がいてもおかしくない。
と、金槌よりも遙かに重たい、原始的な鈍器を持ち上げ、心身ともにボロボロになった一方通行の顔を狙う。
「折角不意をついたんなら俺を殺さなくっちゃーなぁ。起死回生の一手のつもりかも知んねーけど、アレは10分もしねー内にカゴの中だぜぇ?」
「……、黙れ」
おや? と目を丸くする。
文字通り虫の息だが、まだ意識はあるらしい。
「クソッたれが。オマエにゃ……一生、分かンねェよ」
「そーかい。じゃあ殺すけど、今のが遺言でイイんだよな?」
木原数多は、嘲笑いながら鈍器を振り上げた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
くそ……
このままではコイツの言う通り、クソガキは捕まってしまう。
天井亜雄から数日間逃げて来れたようにクソガキにも逃走能力はあるにはあるが、それでも圧倒的に不利だ。
黄泉川は何をやっているのか。
芳川は拳銃を持ってやってこないのか。
答えは分かっている。
もちろん来ない。
そんなに都合良く来てくれるはずがない。
自分の力で何とかできない状況に遭遇した所に、パズルのピースのようにその解決方法を携えた人間がポンと現れるようなら誰だって道を踏み外さない。
人類皆兄弟。
みんなで笑ってみんなが幸せ。
極めて優しい幻想だが実際にそんな事が起きるはずがない。
だが……それでも……それでも……一方通行は願う。
(起きろよ幻想(ラッキー)……。手柄ならくれてやる。俺を踏みにじって馬鹿笑いしても構わねェ。あのガキを……)
誰よりも信頼し、そんな幻想を投影してきた彼女が――――
「汚ねェ染みになっちまいな」
工具箱(ハンマー)は容赦なく振り下ろされる。
その直前で、
「そこで何をしているの?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「くっそー。インデックスの野郎、出会ったと思ったらすぐに消えちまいやがって。一体どこまで行っちまったんだ?」
上条当麻はあちこちキョロキョロ見回しながら愚痴る。
どういう訳か学生寮を飛び出した居候は完全記憶能力の持ち主のくせに、学園都市で素で迷子になる。
もしこのまま遅い時間まで外を出歩いているとしたら、巡回中の<警備員>に捕まって、大変ややこしい事になりそうだ。
できれば携帯で連絡なりなんなりと位置情報を得たいのだが、どうも電波の状況が悪いのか、はたまた別の要因かは知らないが、ボタン操作を受け付けず画面が固まったままである。
とにかく、まずは早くインデックスを見つけよう、と思ったその時、
ゴトリ、と妙な音が聞こえた。
「……、?」
当麻は足を止め、その音の方に視線を向けると、すぐ近くに立っていた、防具満載の<警備員>が何の前触れもなく地面へ崩れ落ちていた。
うつ伏せに倒れた身体が、路面を濡らす水溜りに浸されていく。
それでも身じろぎ一つしない。
いかに防水機能があるとしても普通の反応ではない。
寝ている子供であろうと水溜りに顔を付ければ目を覚ますものだ。
(……まさか、意識が?)
<警備員>の正式装備について詳しくは知らないが、もし着ぐるみのようなものであったなら、脱水症状や熱中症の可能性があるかもしれない。
今は当麻にとって少しは肌寒いが、あの分厚い装備に固められていたら季節感はあまり関係ないかもしれない。
とりあえず、ここで捨て置くのも悪いので意識の確認などをするために近づいて行こう―――した時、
今度はあちこちから。
バタリ、と明らかに人が倒れる音が当麻の耳を打つ。。
しかも1つではなく、バタリバタリと何度も何度も重なって1つの長い雑音を作り上げていた。
「な……」
何となく周りを見渡して、そこで当麻は凍りつく。
夜道を巡回していた<警備員>が1人残らず全員倒れていた。
「ちょ、何だよこれ。おい!!」
当麻は急いで、最初に倒れた、水溜りの中でうつ伏せになっている<警備員>の元へ駆け寄り、窒息しないように仰向けにする。
そして、様子を見れば、全く気付かずに死んでいるように眠っている。
辛うじて呼吸している程度で、熱中症とかのレベルじゃない。
まさか、麻酔ガスが―――と考えたが、それなら何故、当麻だけが無事なのか説明がつかない。
ともあれ、素人判断で放っておくのもまずいだろうから、救急車を呼ぼうと。
近くの公衆電話で緊急用のコールセンターへ通報。
状況を説明し終わると、倒れた<警備員>の無線機から、
『……ざ、ザ……』
ラジオの雑音のようなものと混じって、緊迫した声が聞こえてくる。
『ザ、ざざザザざ……、に、侵入。繰り返す……ゾゾザザゾザ!! ……、ゲートの破壊を確認! 侵入者は市街地へ。さらに、―――区画が壊滅―――誰か聞いてないのか? こちらの部隊も正体不明の攻撃をゴァ!?』
そこで、ブツッ!! と通信が切れた。
(……侵入者)
また、何者かが学園都市の外からやってきたのか。
それが目の前で<警備員>が倒れている状況と関係しているかは分からないが、ある一画を壊滅させた、との情報から危険であることは十二分にわかった。
そして、
(御坂、インデックス、そして、詩歌は大丈夫なんだろうな……)
学園都市の敵対者が、自分達に関わっているとは限らないし、そんな法則もないが、あの9月1日のテロが真っ先に脳裏に浮かぶ。
不味いな、と当麻は思考を切りかえる。
念のため、安全を確認するという意味でもここは早く合流しておいた方が良い。
そこへ、
「?」
ドン、と当麻の腹に小さな衝撃が走る。
誰か……やけに衝撃の当たった場所がお腹の下辺りと低く、おそらく、小さい。
下に目をやると、ぶつかってきたのは予想通り当麻より頭1つ分以上身長が低い10歳ぐらいの子供で、髪の毛は肩に届くかどうかで茶色……、
「打ち止めだっけか?」
で、知り合いだ。
けれど、さっき会った時のような元気はなく、雨に打たれてすっかり冷え切ってしまっているのか、どこか生気が薄い気がする。
どうしたんだろう? と当麻は首を傾げた―――時に見た。
「助けて……」
その大きな瞳は真っ赤に充血していて、雨滴とは違う、透明な液体が頬を伝っているのを。
「お願いだから、あの人を助けて……ッ! ってミサカはミサカは頼み込んでみる!!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あ?」
と、木原数多は振り上げた腕を止める。
装甲服を着込んだ連中が声のした方へ振り返る。
距離は20mもなく、そこらの細い脇道から、不意に出てきたのだろう。
小雨の降り注ぐ夜の街の中、傘も差さずに立っているその人影は、街灯の光を照り返してぼんやりと輝いている。
その影は腰まである銀の長い髪を持ち、色白の肌に緑色の瞳を備えていた。
格好は紅茶のカップのような、白地に金刺繍を施した豪奢な修道服。
その両手には、こんなギスギスした世界とは縁のなさそうな三毛猫が抱えられている。
一方通行は、倒れたまま思い出す。
彼女の名前はインデックス。
その声は、ざーざーと振りきしる雨滴の中でも、一方通行や木原数多、<猟犬部隊>の耳に染み込んだ。
(最悪だ)
一方通行は崩れ落ちたまま、ぼんやりと思った。
場違いにもほどがある。
チャンスどころか、これでは厄介事が増えただけだ。
数多も眉を顰めていた。
試合中に、突然ヒヨコが入ってきて、呆けたみたいなものだろう。
この白衣の男が命令すれば、自動車のドアさえ蜂の巣にするサブマシンガンで、この修道女は数秒で挽肉になる。
「どうしますか?」
周囲を固めているハイエナの1人が、上司に耳打ちした。
木原はつまらなさそうに息を吐くと。
「どうするって、お前」
インデックスは<猟犬部隊>の活動を目撃している。
存在自体が隠されているであろう非公式工作組織をだ。
なら、当然口封じに―――消される。
例えここから逃げた所で延々と追跡される立場にある。
(チッ!!)
見捨てるか。
助けるか。
それとも利用するか。
どのみち黙っていても殺される事に変わりないなら、木原数多に吼え面をかかせてやる。
そう一方通行が決意して行動に移そうとした時だった。
「消すしか―――「傘を差して上げるに決まってるでしょう?」」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<絶対王剣>は、一振りで繁華街一帯を壊滅させた。
だが、これは天上へ向かって放たれ、相殺されてなければより被害は甚大であっただろう。
「―――発見!」
<赤鬼>と呼ばれ、常盤台中学『最強の求道者』が、変わり果てた姿で倒れていた。
全身を濡らす鮮血すら焦がし、うつ伏せに倒れたままピクリとも動かない
一目で重傷と分かるが、しかし、
「生きてやがる。あの一撃を受けて……」
死んではいない。
五体満足のまま。
いくら熱波で身体を防護しているとはいえ、『最悪の人造兵器』の一撃を耐え切れるはずがない。
だが、彼は、見たのだ。
あの断罪の光が、<赤鬼>の身体を呑みこみ―――瞬間、全身が炎そのものに変貌して、光がすり抜けていった、そんな馬鹿げた幻想を。
アレはきっと極限状態で見た錯覚だったのだろうか、それとも本当に炎と化したのか?
「んなことはどうでもいい! 奴は鬼。あの程度でくたばるタマじゃねぇ―――おい、ぼさっとしてねぇで、さっさと病院へ運ぶぞ」
しかし、今はそんな議論はどうでも良い。
今は一刻も早くあの化け物から離れるべきだ。
「はいな。ほら―――ぼーっとしてないで忍法隠れ蓑術♪」
「あ、ああ―――って、これは忍術じゃねぇよ」
「戦おうとは考えるなよ。アレは、俺が知る限りでは―――でも手の付けられない。とにかく全力でここから逃げるぞ」
「だが、臨戦態勢は整えておけ! いつ―――がこっちに気付くか分からんからな」
そして、鬼塚陽菜の姿は忽然と消えた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「濡れた女の子に傘を差し出すのはお約束の定番です。それに―――」
ふわり、と。
インデックスの前に開いた傘が舞い降り。
え、傘、と上司に聞き直す前に、
「―――インデックスさんまで目を回させる訳にはいきませんから」
―――ゴオォッ!!
インデックスの遮られた視界の先。
前から、横から、上から、後ろから、刹那の内に忍び寄る烈風が、<猟犬部隊>を巻き込み、その身体を軽々と舞い上げ、洗濯機に放り込まれたかのように乱雑に数回転してから、傘と共に地面に落ちる。
黒ずくめ達はジェットコースターで悪酔いしたかのように目を回し放心しているが、怪我はない。
「ちっ!!」
唯一逃れた木原数多は舌打ちをして、大きく後ろに下がる。
が、
「―――『鬼灯』」
反応で来たのは偶然。
真上、というのは人体の盲点。
『能力者の力の流れを勘と経験で読んで隙を突く』という一族特有の体術を修めている木原数多だからこそ反応できた。
「傘は叩くもんじゃねぇぞ、小娘!」
頭上から振り落ちた傘を、工具箱が受け止め―――が、彼女はそれを上回る天才であった。
ガンッ! と。
工具箱を伝って、衝撃が全身を駆け廻り、感覚が麻痺する。
「―――ハ!」
さらに衝突した瞬間、少女はぐるりと身体を捻っていた。
並の腕力やバランス感覚などでは、到底不可能な所業をあっさりとやってのける。
工具箱と激突した瞬間、少女は傘に込めた力で、ベクトルを修正し、自らの身体を大きく回転させ、もう一度跳躍したのだ。
ほとんど重みなどないかのような、無重力の世界でしか考えられぬ動き。
『相手の力の流れと一体化し、自在に誘導し、魅了する飛燕の如き演武』という天才は月面宙返り(ムーンサルト)とばかりに捻りを入れながら、木原数多のすぐ後ろに、着地。
「はっ、甘ぇ―――な……っ!」
得物を落としてしまったが、<木原>は感覚的に動きを読む。
だが、流れを読めるほど極めた者同士の組手は、殴り合いではなく一種のチェスや将棋のような陣取り合戦。
そう、その一手が致命取り。
相手が誰であろうと感覚が麻痺している状態で迂闊に手を出すべきではない。
振り向きざま反射的に出された数多の手を、甲側から押さえ、身体を誘導させながら、合気道の見本のように鮮やかに回転させる。
反応速度や筋力ではなく、人間の生理的な反応を利用して、最小限の力で、相手を処する技術。
そして。
「ええ、傘は“刺す”ものです」
ドンッ!! と。
背中から落とされ、仰向けになった木原数多の鳩尾を傘で刺すように突く。
内側に強化繊維の防弾チョッキを着込んでいるが、地面で衝撃を受け流せない状況下で喰らったそれは臓腑を貫通するかのように急所を抉った。
意識を刈り取るまではいかなかったものの、木原数多の動きが止まった。
「あー君! 今です!」
そして、少女――上条詩歌は叫んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
絶好の好機。
現在状況確認。
一方通行から半径10m圏内に3台の黒いワンボックスカー、黒づくめの<狩猟部隊>は20人前後―――ただし、しばらく行動不能。
1番の障害となる木原数多も同じ。
ただ、風のベクトルを操作し、攻撃するのは防がれる可能性が高い。
この原因不明の違和感―――木原数多との会話、そして、一瞬見えた歪んだ表情を見る限り、おそらく、能力者に無差別に作用するもので進行の差はあれどアイツも例外ではないだろう―――を抱えたまま、あの特殊な音波による『妨害』をされてしまえば、簡単に無力化されてしまう。
先程のあれは、不意をついたからこそできた1発限りの吃驚芸だ。
あの<木原>が警戒している状態で、同じ攻撃がもう1度通用するなんて夢物語。
さらに、うっかり迷い込んだヒヨコ――インデックスは、ワンボックスの輪の外、およそ15m先に立っている。
そして。
このまま木原数多(あたま)を殺しても、打ち止めが、追い駆けている<猟犬部隊>に捕まってあの世界に連れて行かれれば、その時点で負けだ。
(コイツらの殲滅ァ後回しだ)
一方通行はうつ伏せに倒れたまま、濡れたアスファルトを触れた指先で確かめる。
(今ここでやるべき事は1つ。安全な場所まで逃げ切る事。あのシスターを連れてなァ!!)
その赤い瞳孔が拡縮―――能力を発動。
「おおおおおァああッ!!」
深いダメージが残る身体に鞭を打つ。
絶叫し、片足の爪先で思い切り地面を蹴って、そのベクトルを制御して、ロケットスタートをきり、その爆発力から恐るべき速度で、低空を滑空し、黒いワンボックスカーの後部スライドドアに激突。
金属ドアを無理矢理車内へ押し込みながら、一方通行は身体をワンボックスの後部座席へ滑り込ませる。
「ッ!?」
運転席で待機していた黒ずくめの男が反応する前に、一方通行は潰れて押し込まれたドアに手を伸ばしスライド部分の金具を毟り取る。
ギザギザに尖った、幅5cm、長さ20cmほどの棒状の鉄片を握り締めると、それを勢い良く運転席の背もたれの真ん中に突き刺す。
ずぶり、と。
音というより感触のようなものを得た。
「ぃ―――ぁっ!!」
悲鳴すら上げる事もできず、運転席に縫い止められた男に、一方通行は語る。
「進め」
一切の容赦なく。
静かに、ただ事実のみを。
「お前は30分で死ぬ。さっさと病院に行かねェと手遅れになるぞ」
応急キットでどうにかなるレベルではないのは、男も痛みの程度で分かるのだろう。
そもそも、<猟犬部隊>を代えの利くクズだと考えている木原数多が負傷し足手まといになった部下をどのように扱うのか、誰よりも理解できている筈だ。
「ひっ!?」
決断は速かった。
ガォン!! という甲高いエンジン音と共に、一方通行を乗せた黒いワンボックスカーがヒステリックな挙動で発進した。
「インデックスさん!」
黒いワンボックスカーが発進するのを見て、詩歌は呆けているインデックスをその三毛猫ごと抱きかかえる。
「わ、わああ!!」
インデックスが場違いな悲鳴を漏らすが、詩歌は気にせずに、こちらに寄せてくるワンボックスカーへ。
と、その時、
「何ボケっとしてんだ! やりたい放題されたまま逃がすんじゃねェ!」
胸を押さえてどうにか起き上がりながら、数多が忌々しい表情で怒鳴る。
詩歌が何者かは知らないが、おそらく一方通行の知り合いだと言うのは分かった。
それなら容赦する必要はない。
元々、自分達の存在を知り、尚且つ邪魔をし、己を虚仮にしやがったのだ。
生かす理由はないし、殺す事しか頭にない。
「殺せ! 撃ち殺せ!」
その一言で、黒ずくめたちの持っているサブマシンガンが一斉掃射で火を噴いた。
しかし、標的は避けるのではなく、壁になるように大きく両手を広げていた。
そして、着弾した瞬間、
「ぐあっ!?」
発射されたはずの弾丸が弾き返され、そのままサブマシンガンを破壊。
衝撃で<猟犬部隊>は仰向けに倒れ、詩歌はインデックスを抱えたまま、黒いワンボックスカーへ乗り込んだ。
つづく