「私はここから飛び降りたのよ」
夕暮れの入り混じる色彩は、赤と紫を混合させ黒をつくる。
もしかしたら、そんなふうに夜はできるのかもしれない。
屋上に立つ少女は背後から風を受け、漆黒の髪がベールのように覆われる。
それが彼女を闇へ誘っているようで、怖い。
「……突然屋上に来た人間に、変なことを言うね」
僕は彼女を知らない。
こんなに端正な顔立ちの女子なんて知らない。
白い肌は夕日によって、赤く染まっている。
まるで鮮血を浴びたようだ。
「私はね、ここで死んだ亡霊だからよ」
少女の声は繊細なようで、はっきりと鼓膜に響く。
「けして私は半透明で、誰にも見えないわけでもないわ。でも…―――」
定まらなかった視線を僕に向ける。
「亡霊なのよ」
ざわり、と背筋を駆ける戦慄。
何故、少女はそんな目で僕を見るのか。
恨みではなく、虚無でもない。
「……何か言いたいことがあるのか?」
僕は少女に問う。
しかし、何も答えず、ただ見つめるだけ。
いつのまにか、僕は忌まわしき記憶に支配された。
「俺はお前が怖い」
誰の言葉だったのだろう。多分、かつての友人だ。
友人は成績優秀で、明るい微笑みを絶やさない奴だった。
そのぶん、常に彼は怯えていた。越されること、また自分の位置を誰かに奪われること。
僕は知っている。彼は自分を維持するために努力を怠らなかったこと。
そして、僕の友人になった理由が、僕に怯えていたからであることを。
「人に自分がばれることが、そんなに怖いか?」
きっかけは教室、僕は彼に鎌をかけたのだ。同級生達に対して、道化のように振る舞う彼に憐みを感じたからだ。
しかし、彼は僕に怯え、そして必要以上に仮面を被り、僕に接近するようになった。
僕は、いけないことをしたのだ。
彼は道化でいることで、自身を維持していた。
しかし、それ以上に僕は彼が好きだった。
恋愛感情ではない。悲しい状況でしか生きられない彼を愛おしく思った。
僕は彼の友人であるために、弱みを握る卑怯者となったのだ。
だからだろうか。
かれが自殺した時、すべてがどうでも良くなった。
遺書には『Kが怖かった」と書かれていたらしい。
誰も気づかないだろう。
僕の両親は一度離婚をし、再婚をした。その旧姓の頭文字はKなのだ。
友人は僕の旧姓を珍しいと興味を抱き、時々使っていた。
それが僕と友人をつなぐ、唯一の証のようにこびり付いた。
「――…あなたは」
不意に、僕は屋上に引き戻された。
目先にいる少女は、僕を凝視する。
「どうして私が見えるの?」
色彩は混じっていく。
夜はもうすぐだ。
「……僕は死にたいから、君が見えるのか」
だから、少女は憐むように、一筋の涙を流すのか。
「そう、私は誰にも見えないわけではない。最初にここで死んだ罰として、自殺者を止めなくてはならないの」
僕は項垂れる少女に、はじめて人間性を感じた。
「君は、一生ここに縛られているのか」
少女は首を横に振る。
「自殺者がいなくなれば、私は解放される。でもそれは一生ないわね。」
「どうして?」
彼女は項垂れた顔を上げ、悲しそうに微笑む。
「理解してしまうから」
僕は少女に愛おしさを感じた。友人の時のような切ない哀しさが僕を包む。
所詮、僕は自己満足の糧として友人を利用する、最低な人間だ。
しかし、僕は何かに執着しなければ生きられない哀しい生き物だ。
だから、僕は誰かを愛しても、愛されることは無い。
夜は濃くなり、しだいに少女は見えなくなる。
「……生きる理由がほしかった。でも、それが見つかったよ」
僕は少女に微笑む。
「ありがとう。僕はあなたの枷を解く糧になるよ」
少女は見えなくなった。
おわり