雑多な音が、乱れ飛んでいる。
ツルハシが岩を削る音。
土砂を運ぶ手回し運搬機が駆動する音。
列を組んで荷を運ぶ奴隷たちの足音、かけ声。
鋭く鳴る鞭、迸る悲鳴。
それらの合間を縫うように時折響く、松明の弾ける音――
この十年、アランが嫌と言うほど聞き、そして繰り返された音の集まりだ。
今日も、それは変わらない。
アランは十七歳になっていた。
今もなお、奴隷として働き続けている。
「おらおらっ、さっさと運べ貴様ら!」
奴隷監視人の男が鞭を振るう。その手さばきは慣れたもので、しなりの効いた鞭の先端がアランの二の腕を襲う。逞しく筋肉の付いた腕がうっすらと赤くなったが、アランは悲鳴を上げることも、表情を変えることもなかった。
代わりに、前を歩いていた奴隷男がか細い悲鳴を上げる。彼もまた、別の奴隷監視人から鞭の洗礼を浴びていた。
一抱えほどもある岩を背に運びながら、アランはその男の背を支えた。
「大丈夫か?」
「へ、へえ。すんませんアニキ」
髭男――長い奴隷生活で自らの名前も忘れてしまったらしい――は恐縮した体で謝った。ここでの生活がアランよりは短いせいか、彼はアランのことを『アニキ』と呼ぶ。
ちら、と奴隷監視人を見、彼が余所の方を向いていることを確認したアランは、素早く髭男にホイミをかけた。
「これを運び終わったら、水をもらってくるんだ。少し休んだ方がいい」
「だけど、まだ全部は」
「残りは僕がやる」
言うなり、アランは力強い足取りで歩を進めた。まるで荷物など苦にしていないような姿に、髭男は感嘆を通り越して尊敬の眼差しを送ってきた。
「やっぱアニキはすげぇ……。もう十年もこの地獄にいるってのに、全然、しゃんとしているんだものな……強いっすよ……」
「そんなことない」
アランは頭を振る。わずかに顔を歪ませて。
「そんなことないさ。僕は弱い」
「アニキ……」
「さ。早いところ終わらせてしまおう。僕は上に上がってくるから、さっき言ったこと、忘れるんじゃないよ」
「へい!」
いくぶん生気を蘇らせた顔で髭男がうなずく。アランも笑みを浮かべてうなずき返し、地上へと続く階段へ向かった。
登り始めたとき、声をかけられる。水くみの少女だった。
「あ、そこの素敵なお兄さん。疲れた体にお水はいかが?」
「もらうよ。ところで、いい加減僕の名前も覚えて欲しいんだけど」
「ここで働いていたらすぐに忘れちゃうから」
にっこり笑って少女は答える。ここでは珍しくよく笑う娘だが、その笑みがどこかもの悲しいのは、彼女なりの身を守る手段なのかなとアランは思うようにしている。
「それにしてもお兄さん、ホントに素敵。ここで働いているのがもったいないくらい」
「はは。ありがとう」
「あたしもこんなところに来なければ、お兄さんみたいなヒトほっとかないのにな」
ちら、と意味ありげな視線を受け、アランは苦笑した。最近、こうした体験を良くする。
自分では意識したことがない。身だしなみなど疲れを取ることに比べれば本当に些末なことだし、特に気取った態度を取っているつもりもアランにはなかった。だが、均整の取れた青年としての逞しさ、父親譲りの精悍で凛々しい顔付き、それらと絶妙に調和した優しく意思の強い瞳が、見るものを強く惹きつけていたのだ。
再び笑みを取り戻した少女は、アランから空になった器を受け取ると手を振った。
「じゃねお兄さん! 今日もお仕事頑張って。あとヘンリーさんにもよろしくって言っといてね!」
「ああ」
うなずき、その場を後にした。
――アランたちが働いているのは、地上と地下の両方に及ぶ巨大な建物の建設現場である。奴隷監視人たちは、ここを『大神殿』と呼んでいた。
将来、世界は暗い闇に閉ざされる。そのとき、『光の教団』がこの大神殿を拠点として闇に包まれた世界に光をもたらすのだ。お前達は非常に名誉で幸せな仕事についているのだから、誇りに思うがいい――そう言われ続けていた。
だが、アランはまったく信じていない。
脳裏にはあのときの光景が焼き付いている。十年経とうが、百年経とうが、おそらく一生涯、忘れ得ぬあの瞬間――
父をまるでゴミのように屠った連中が絡んでいる組織、建物など、到底、まともであるはずがない。
邪悪な気と冷徹な意思を持ったあのモンスターの姿が浮かんでくる。
闇の魔導師ゲマ――生まれて初めて心の底から憎いと思えた『仇敵』の存在だが、ここに奴隷としてやってきてから、不思議とその名を一度も耳にしない。おそらく、ゲマを始めとしたモンスターが関係していることを、ここを建設している者たちは秘匿しているのだ。
いつか、父の仇を――そう思うことは何度も、何度もあった。
だが憎しみだけならば、アランはここまで生きて来られなかっただろう。パパスが遺した言葉、意思が、この辛く苦しい奴隷生活を支えてくれたのだとアランは思っている。
そう。
この世界のどこかできっと生きている母を探す。
それが父の意思であり、自らの希望だ。
だからそれまで、自分は生き続けなければならない。生きてここから脱出し、そして母に再び逢うまでは、どれだけ月日が経とうとも、前を向いて進み続けなければならない。
進み続けて行きたい。
不幸中の幸いか、アランはこの奴隷生活の中でいくつか得るものがあった。子どもであった彼を哀れみ、疲れている中でも文字の読み書きを教えてくれた老人、過酷な労働が鍛え上げた屈強な体、自分を慕ってくれる幾人かの人々。
そして、同じ時を支え合って過ごしてきた、無二の親友――
今日も適当にサボっているであろう『彼』が待つ地上へ、アランは足を向けた。