小説『偽眼のマリア』
作者:小柳ブナ()

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人は視覚なしでは生きられない生き物だ。
見える見えないに関わらず、「眼」は必要だ。
だから、私はこれを顔の小さな穴に埋め込んだ。
そして、そこからすべては始まったのだった。
見える見えないに関わらず、世界は闇に包まれている。
世界を救うのはきっと正義の力などではないし、ましてや「人」との力でもない。
そう、シャドーボールだ。
私はこれを追い求め続け、そしてついにそれが眠っている場所を突き止めた。
第三世界 日本
そこに、シャドーボールはあるという。
私はどうしても叶えなくてはならない願いがあった。
だから、行く。
日本というところに。





安西 悟はこれ見よがしに学校をずる休みした。
特に理由があるというわけではない。
ただ単にかったるかっただけなのだが、不思議と罪悪感は感じない。
今年で高校生活も二年目に突入し、町の歩道には、この町自慢の桜が満開だというのに、悟は気分が優れなかった。
これというのもすべて、あの先生のせいだと悟は思う。
近藤 留人(こんどう るひと)。
今年転任してきたくそおもしろくもないセンコウだ。
年は四十代後半、体格は痩せ型、生気はなし。
皮と骨がおなかと背中でつながったようなこの骸骨教師は、こともあろうに所属していた剣道部を廃部に追いやった奴なのだ。
元々、部員数は少なかったものの(ちなみに四人)、いくら規定の五人に満たないからといって、生徒会専任教師の権限でいらない部活を廃部にするなど、許されていいことなのか。
新学期早々、打ち込むべきことを見失った悟は、グレて不良にでもなろうかと、真剣に考え始めていた。
「まったく、理不尽だよな…」
最近、口癖になっている言葉だ。
世の中に筋の通らないことはたくさんあるけれど、まさかそれが身近なところで起き、こんなにも自分にダメージを与えるとは、思ってもみなかった。
そう、こんな日は学校をサボるに限る。
悟は自分で納得し、町の通りをあてどもなく歩いていた。
桜の花びらが舞っている。
風に押されてクルクルと空を飛んでいる花びらもあれば、人に踏まれ、道路にはいつくばった花びらもある。
本当に世界は理不尽だなと、あらためて思う。
同じ木から生まれ、同じように育ってきたはずなのに、なぜこんなにも迎える末路が違うのか、はなはだ疑問だ。
「それは、みんな違うからよ…」
後ろを振り返ると、悟ははっとした。
少女が立っていた。
それだけでは、何の不思議も生じない。なぜなら、悟る以外にもきっと、学校をボイコットする生徒はいるはずだからだ。
だが、悟は呆然と少女を見つめていた。
何かが変だ。 そうなにか、が。
「ふふ、どうしたの坊や、なにかに当てられたの?」
少女はやっと聞き取れるぐらいの声で問うた。見た目とはうって違う大人びた声だ。
「あんた、なにかが変だ」
「何か?」
「…眼の色が違う、そうだ、眼の色が違うんだ」
「言ったはずよ、みんなちがうって。みんながみんな、あなたみたいな黒色の眼をしているとは限らないのよ」
「そうじゃない! ちがうんだ」
悟は気違いじみたように叫んだ。
体の奥から押さえきれないような不安がこみ上げてきていた。
「あんたは、左右の眼の色が違う! それはどんな人間でもあり得ないことのはずだ」
「はっはっはっはっは」
不意にぞっとするほど、高い声で少女は笑った。彼女の右目は金色に、そして、左眼は怪しく赤く光っていた。
「とうとう見つけたわ、埋め込まれし者。私が見つけだすのにどれほど苦労したか、あなたには、わかる?」
「いったい何のことだ。あんたはいったい何者なんだ?」
「そんなの、あなたにはどうでもいいこと…」
少女は悟るに音もなく近づくと、ふわりと悟を抱きしめた。
「な、なにを!?」
「そんなに驚かなくてもいいわ。すぐに終わるから」
少女はやさしく微笑むと、悟の目を見ながら接吻した。
「っつ!? なんで…」
突然の少女の行動に驚き、悟は身を引こうとした。
「そのまま動かないで」
彼女はぎゅっと悟を抱きしめ、小さな唇を悟の唇にあわせ、吸うように執拗に接吻をくりかしてくる。
もしかしてこの女は自分の生気を吸いに来た妖怪なのではないかという思いが、悟の脳裏をよぎった。
彼女の顔が近い。
年齢は十代の後半、背は低め。髪は金色で、右目も同じ色だ。
あきらかに日本人ではない。
だが、それいじょうに異様なのは、その左眼。
赤いのだ。
ふつう、人間もそうだが、動物で目が赤いなんてことはない。
なぜなら、赤い目は極端に光に弱いからだ。
だが、目のなかにそもそも色素がない場合はちがう。
黒や茶色、はたまた金色なんていうのも、結局色素が作られなければ発現しない。
色が存在することはないのだ。
赤い目はつまりのところ、血の色だ。
どんな色も発現することはできず、その挙げ句、目の奥の血管を映し出している。
「あんた、『アルビノ』なのか」
接吻されながら、それでも必死に悟は声に出した。
だいぶ力が抜けてきていた。
「アルビノ? なにそれ。 何かのおまじないないかしら、それとも私を指す名前?」
「あんたのその左目のことだよ。ふつう、人はそんな目の色はしない」
「そうね、確かに私はふつうじゃないわ。でも、それはあなたも同じ」
「なにが、ふつうじゃないっていうんだ!」
「…もういいわ。あまりにうるさいもんだから、あなたに埋められている物を取り出せないじゃない」
少女はそう言うと、意外なほどあっさりと悟を拘束していた手をふりほどいた。
「いずれ、わかるわ。この『眼』がなんなのか、あなたが何者であるのか」
右目をぎゅっと瞑り、くるしそうに少女はつぶやいた。
そして、いつまでも赤き左眼は悟を凝視し、離さなかった。

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