高倉亜紀にとってとても興味深い話がある。それは中学生の時に食事の後に母が見ていたテレビにあった。その話は実話で、亜紀はテレビに見入った。話はドラマ形式であって、脚を骨折して松葉杖をついて学校に通う小学生の男の子の話だった。
松葉杖をついて歩くということ自体がその子のクラスメイトからは珍しくうつったようで、男の子にクラスメイトはこう言った。
「松葉杖、大変だね」
クラスメイトは「はやく良くなるといいね」という言葉もかけた。男の子が松葉杖を使う期間は短いものの、クラスメイトは優しさの気持ちでそう言ったのだと思う。実際テレビではそのような表現をしていたからだ。その言葉で普通だったら「そうだね」などと言うと思ったのだが、男の子は違う言葉を発した。
「僕は今骨折しているけれど、その間僕は普通の人とは違う時間を体験できるんだ」
自分が予想していた言葉とは全く違っていて、亜紀はびっくりした。そうか、この男の子は一時的ではあるが、その時間を苦痛だとは思わず、その骨折していることをあえて楽しんでいるのだ。亜紀はそう思った。
テレビを見終わった後、母はこう言った「強い子だね」と。
亜紀はテレビを見ながらしばらく黙った。テレビに出ていたドラマが、亜紀の脳内に鮮明にまたえがかれてゆく。
なんて強い子なのだろう。
それが心の中で言った感想だった。よく実話として過去に何があって何を体験したのかという話はよく聞く。今までは全てがハッピーエンド、ではなかったが、その人の人生に感動さえ覚えた。だが、今回見た男の子の話は亜紀の今までの感動を超えていた。
母がテレビを消す。真っ黒になったテレビを見つめ、心の中で思っていることを何も話すことなく亜紀は自室に入った。自室に入っても、さっきのテレビの内容が脳内で流されている。亜紀はほぅ……とため息をついて、先ほどのテレビのことを考えるのをやめた。
その時にふと思った。私には絶対とは言い切れないが、体験しない体験だろう。仮にあったとしても、あの男の子のような思考は持てないだろう。いや、持っていても捨ててしまうだろう。
こんなことを考えるまで、亜紀はあのテレビに影響を受けていた。時計が十一時を指す。中学生の亜紀はおとなしくベッドに入ってそのまま眠りにつく。
亜紀は、そんな人生とは無縁だと考えていた。だが亜紀は知らなかった。
人にはそれぞれの道、つまり自分だけの道があるということ。
ただ、その道に入るにはタイミングというものがあるということ、だ。
その道がどんなドラマにも勝る自分しか体験できないドラマになるということを、この頃の亜紀はまだ知らなかった。