小説『がんばって短編『光』『殺人鬼の…』『この道は…』』
作者:maruzhiye(aaa)

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 蜘蛛の足のように長く筋張ったママの指が僕の腕にきつく食い込んだ。その感触がいまだに僕の骨を締め付けている。腕をさすると赤いみみず腫れがひりひりと痛んだ。またしても、ママが僕を押入れに閉じ込めたのだ。
 最近になってわかった事がある。僕の家はママの家なのだ。どこに何があるのかママはちゃんと覚えていて僕が何かに触れるだけで腹を立てる。僕はお荷物という奴、捨てられないものはどこへ置いておく?押入れだ。
 押入れの中は蒸し暑くって、汗をかいた膝にビニールシートが張り付く、自分の吐く息と汗で暗い箱の中がじっとりしている。
 僕はポケットに忍ばせておいた小さなキーホルダー型のペンライトに手を伸ばした。僕はそれをポケットから取り出すと手探りでスイッチを探した。扉の向こうでママの足音が聞こえる。ママはまだ部屋にいる。
 カチリ、と音がして扉の隙間から差し込んでいた光が消えた。僕の視界から光が消えてなくなった。押入れから出たい、でも出て行きたくはない、ママは僕の体をぶつに違いないから。明日また、季節はずれの長袖や長ズボンを着て学校へ行くことになるかもしれないし、先生にマンションの階段で転んだって嘘をつくはめになるかもしれない。
 手の中の汗で濡れたペンライトを握り締めながら、僕は悪い子じゃない、僕は悪いことなんかしていない、そう何度も呟いた。誰に助けを求められるだろう、神様?駄目だ、とっくに見捨てられているから…。
 僕は目に溜まる涙を拭って耳を澄ました。マンションの重たい扉を開く音。そして扉を締めると同時に、鍵をかける冷たい音が聞こえた。
 ママは僕を置いて出かけた。僕はこの家に一人取り残された。

 僕はペンライトのスイッチを入れた。ペンライトの動きに合わせて壁やダンボールの上を光が滑るように動いている。壁のシミが顔に見える、髭を生やしたおじさんの顔、これは目の錯覚だとテレビで言っていた。でも僕にはおじさんが笑っているのもわかるし、こう言っているのもわかる、ここにずっと一緒にいようって。それだけは嫌だった。喉も渇いたし外のほうが涼しいから。

 外に出てみると涼しい風が頬を撫ぜ、汗が冷たくなっていく。僕はペンライトの光を壁や窓に走らせてみた。見覚えはあるのだけど、他人の家のように思えた。無意識のうちにこう呟いていた、僕は悪いことなんかしない、僕は悪いことなんかしない……。はじめは他に誰かいるのかと思った。口が勝手に動くなんて事はないんだから。僕はどうかしているのかもしれない。でも僕は放っておく事にした。静か過ぎて、なんだか怖かったから。
 ベランダの窓にペンライトの光が乗ると強い光が照り返してきた。片方は網戸になっていて涼しい風がカーテンを揺らしている。
 僕はベランダに出ると、街にペンライトの光を走らせてみようとした。けれど光は街の上には見つからなかった。
 手すりに沿って光を走らせると隣の家のベランダに行き着く、隣の部屋を覗き込んで暗い部屋の中の光をちらちらと動かした。光に照らし出されるものは僕の家には置いてないものばかりだ。手すりを這い上がり隣のベランダに降りて光を部屋の中のいろいろなものへ向けてみる。瓶に閉じ込められた模型の船がある。ガラス戸に手を掛けてみるけれど鍵が掛かっていて入ることは出来なかった。
 悪いことなんてしない、悪いことなんてしない……。口の中でそう呟きながら僕は光を走らせていた。ガラスに映る自分の姿が見えた。僕は自分の姿から目を逸らして必死に光をもてあそんだ。
 一瞬、ペンライトの光が消えた。
 背筋に冷たい汗が流れる。ペンライトを振るとチカチカと光がついたり消えたりする。その時、部屋のドアから光が漏れてきた。玄関の電気がついた、誰かが帰ってきたんだ。
 僕は急いで手すりに飛び乗った。ベランダに置いてあった鉢植えに足が当たり、音を立てた。振り返ると同時にぐるりとベランダが回転した。ペンライトが僕の手を離れて地面に落ちていく。何も掴むことができず宙に浮いた僕の体は、ペンライトを追って地面に落ちていく。
 体中が痺れて動かない。ペンライトが僕に光を向けていた。凄くまぶしい光だった。
 
 目を覚ましたとき、白いシーツが光を反射させている病院のベッドの上に僕は寝かされていた。そしてここにはもう、ママはいない。
「僕はわるいことなんかしない、母さんが僕をベランダから突き落としたんだよ」
 これが僕のために、僕がついた嘘だ。だって、悪いのはママなんだから。

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