小説『がんばって短編『光』『殺人鬼の…』『この道は…』』
作者:maruzhiye(aaa)

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『殺人鬼のリアリティー』



 現実からはぐれたような感覚、脳内の分泌物に異変を感じ、すこぶる頭の回転がはやくなる、時間の感覚が大きくずれて間延びして、それでもほんの一瞬に感じる。わたしはそのような時間に身を置いているときこそが、じつのところ本当の現実であると感じるようになった。
 わたしはそういう現実の中で無意識にではあるが、祈っていた。
 遠くなってしまった日常、朝起きてなにか口に入れるものはないかと冷蔵庫をぶっしょくする、たえず聞こえ、怒りさえ覚える無味乾燥なテレビの音声、これらすべて、コインランドリーの暇な45分さえも、懐かしく、いまでは手に届くことのない貴重な時間であった。
 いまはただ、そこに帰りたいと思う。

 わたしのいう本当のリアルというものを多くの人が経験していることであろう。ある人は事故に巻き込まれ、ある人は死を宣告され、ときには子供もまた同様であろう、両親が離婚、なんてのも現実が生々しく感じられ、生きていることをいやおうもなく実感させられるのではないか?
俗にいう、一線超えた……というリアリティー。それを、そんな夢を人は思い描く、幸福であろうとなかろうと、いまある不甲斐ない連続の一日一日を、何かの拍子に、フライパンの上のパンケーキでもひっくり返すかのように変えてしまいたいと。
 フライパンの取っ手を握りしめ、いまかいまかとその瞬間を待ち望む。
 多くの者はそんな度胸などありはしないのにだ。
 わたしたちの周りにくさるほどいる、フライパンの取っ手を握りしめながら、もし、宝くじが当たったら?素敵な彼氏が現れたら?あの会社に就職できたら?とつぶやく人々が。しかし、うまくパンケーキがひっくり返ったとして、所詮、パンケーキはパンケーキだ。
 いずれ咀嚼しきり、その喉に飲み下すと忘れ去られるものなのだ。そしてまたフライパンの柄を握ることとなる。
 私の手に入れた本当のリアリティーもまた同じようなものだった。それが今になってわかった。

 わたしは30階建てのマンションの入り口に立っていた。いつもは警備員があくびをしながら警備室の小さな窓からその顔をのぞかせている無味乾燥な場所だったが、この時は違っていた。
 警備室の扉を開け、わたしを呆けたように、それでいて好奇心に目を光らせながら立ち、警備員はわたしを見つめていた。
 私の前を歩く私服警官と皺ひとつない制服を来た警官が、儀式めいたしぐさで私の顔を隠すためにか、私服警官のコートを私にかぶせようとした。しかしわたしはそれを拒否した。見られるいじょうに、野次馬のその顔を見たいという衝動がおこっていたからだ。それは自動ドアの向こうでちらちらと光っているパトカーのサイレンの明かりに誘発されているようだった。
 自動ドアが開いた。そして私はその顔にすぐに気が付いた。
 好奇心、奇異の目でわたしを見つめる野次馬の中、その男は無味乾燥な顔で私のことを見ていた。
 缶コーヒーを片手にタバコを吹かしながら、指先で挟んだタバコを人差し指ではじき灰を落とす、その姿を見たときわたしは急にある種の遊戯(ゲーム)に負けたという悔しさを感ぜずにはいられなかった。わたしの運は、賽は、ツキはあいつには勝てなかった。そういう思いがこみ上げてきた。

「ああ、連れてかれるんですね」
 若い男がやつに話しかけていた。わたしは自然と人ごみと喧騒から離れた場所に立つ2人の男の口元を読んでいた。わたしの眼は二人にくぎ付けになり、時は緩慢に流れる。まるで会話を耳で聞いているかのように彼らの言葉が頭に響いていた。
「そらそうだろ……、いままで捕まらなかったのが不思議なくらいだ」
「はは、なんてことのない無意味な調査が警察沙汰になるなんて、これこそミラクルだ。さすがですね、奇跡を呼んだんだ」
「ああ、ミラクルだな」
 やつはそういうとタバコを指先ではじきアスファルトに叩きつけた。
「踏んでくれない?」
 タバコの火種は微かに赤く煙を立ち昇らせていた。
「ああ……」若い男は慌ててタバコを踏み消した「でも、よかったじゃないですか、その程度ですんで」男は松葉づえをつく男の左足を見た。
「名誉の負傷だな、はは」
「そうだ……、警察いくんですか?事情聴取あるんでしょ?」
「任意だろ?……いかないよ。そもそもこの調査の依頼主は、ハシダのサイコばあさんじゃないか、ばあさんが行けばいい。俺が口出すことじゃないさ」
「ほんと嫌いなんですね、警察……」
「好きなやついるか?」
「時と場合によりますね」
「ご都合主義だな……」やつはポケットに手を突っ込むと形態をとりだした。微かに折りたたみの携帯から光が漏れてちかちかと光っている。それを男に渡した。
「なんです……?ああ、サイコばあさんからじゃないですか……」
「おまえが引き継いでくれ」
「ええ!!嫌ですよ、何でですか?」
「おれは名誉の負傷だ……」
「ただの捻挫でしょ?」
「松葉づえをついてるだろ?調査なんてできるか?」
「片方だけじゃないですか。いやですよ、このマンションからアメリカの諜報部員を探し出すなんて……、サイコばあさんは精神科にいくべきだ」
「おいおい、アメリカじゃないぞ、ロシアだ。そしてこのマンションのやつら全員が諜報部員だよ」
「え……調査指示書とちが……」
「そういうことになったんだよ、先週の水曜だったか、木曜だったか……くわしくは調査記録を見てくれ。それから、ひとついっとくけどサイコばあさんを精神病院にでもいれてみろ、おまえクビだからな」
「ええ、そんなあ、むちゃくちゃじゃないですか、こんな調査何の意味があるんです?」
「この調査、つき30万だぜ、サイコばあさんの金が尽きるまで耐えるんだな」
「ええ……そんなあ……」
「それに俺は奇跡を起こしたろ?あいつをムショ送りにしたんだから……。見てみたいんだよ、お前のミラクルが」
 そういって笑いながら、やつはわたしを見た。なにも語らない、寝不足のような腫れぼったい目でわたしを見つめた。奇跡が呼び起こせる瞳であるとは思えない。ほこりまみれの人間だ。しかし、いままで見たことのない瞳だ。無味乾燥なそんな人間のどこにツキを呼ぶ要因がある?

 制服の警官が私の背中を強く推した。
 わたしは歩かざるをえなかった。腰をかがめパトカーに乗る。じりじりと野次馬の目線を感じていたがそんなものどうでもよかった。ただ、やつの目つきが気になった。その目はわたしの脳裏にひとつの予感を呼び起こした。まだ終わっていない。そう思った。その瞬間、わたしの衝動が激しく体を揺らした。わたしの本当の現実とは、じつは終わっていないのだ。そうだ、いまこうしているときでも日常がとても遠くに感じる。
 それを証拠にわたしを後部座席の奥に押しやり、パトカーに乗り込んでくる私服警官の脈打つ血管の音が聞こえてくるような気がする。そのひどく薄汚れた肌が気に障る。柔らかい耳に不快感を感じる。
 わたしは突如としてその湧き上がる衝動を解放した。私服警官に飛びつき耳にかみついたのだ。警官は悲鳴を上げた。歯茎に柔らかくグニャリとした骨の感触が伝わる。舌の上に生暖かく、鉄臭い血の味が広がった。私は奥歯を食いしばり、前歯を噛み合わせると首を使って警官の耳を引きちぎった。喉元に熱い血が流れ落ちた。ふいにガラス越しに私をみる野次馬の顔が見えた。手を口で覆い叫び声をあげる寸前だ。
 わたしは赤く染まる歯をわざと見せつけ、声をたてずにわらって見せた。そして警官の耳と血をガラスに思いきり吐きつけてやったのだ。
 悲鳴があがった。
 私はそれで満足だった。いまはそれでだが……。いずれにせよ、わたしは日常から遠いこの現実の中で奴のいう奇跡というやつが訪れるのを待つことになる。そしてわたしは、また奴の前に現れることになるだろう。
 わたしたちの生きている現実の世界はそれほど広くはないのだから……。

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