小説『≪俺は係長中間管理職≫』
作者:グラン・ブルー()

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気の重い夜勤明けだった。

玄関を開けると誰もいない。女房はパートに出掛け、子供達は学校だ。いつもは開放的に感じる
この静寂感も今日は妙に寂しく感じる。

俺はグラスに氷を三つ入れウィスキーの水割りを作った。ウィスキ〜がお好きでしょ♪そうなん
だけど気が重い。俺がしっかり仕事を教え込んだ若造がプレス加工で大量の不良品を製造しやが
った。瓦成型用の3面自動プレス器で一分間に90枚の成型品が出来る。その後、出来上がった成
型品をパレットと呼ばれる鉄枠に30枚ずつ自動移載機で乗せて段積みになるのだが、不良品はこ
のパレット数で175パレットに達していた。こらっ若造!ちゃんと10パレット事に点検するという
決まりがあるだろ〜がっ、一時間以上も点検せずに一体何をやっとんたんだっ!現場デスクの上
に携帯があった。俺はその携帯の液晶画面を凝視した。メールが配信されていた。


≪これだけやり取りしても正人は解ってくれない!私は正人に気付いて欲しい
だけなのに、駄目だよ。電話しちゃ、私は出ないからね。正人はすぐに怒鳴るんだから!≫


お前はなぁ〜彼女とメールしとったのか。お前らの痴話喧嘩でどれだけの損害が出たと思ってい
るんだ!俺はこの道20年のプロ中のプロだ、瞬時にこの被害総額を計算してみた。なんやかやで…
げええええ〜っ。確実に500万円以上の損失が出ている!若造の目はクルクル回り既に別な世界に
意識が飛んでいた。俺も飛びたいよっ。

労働基準法で俺の仕事での拘束時間は過ぎ去った。今頃、会社はてんやわんやで事の処理にあた
っているだろう。若造と俺の処分は明日決まるだろう。部長に何て言えばいいんだ。俺は水割り
を飲み干すと部長の顔を思い出していた。部長はいい人だ、言わば俺の育ての親みたいな人。俺
が入社した時は班長をやっていて俺に徹底的に仕事を教えてくれた。ただ異常に仕事に熱心で怠
けたり手を抜いたりする事を非常に嫌う。怖いな、確かに怖い。あの温厚そうな顔が急に変貌し
鼓膜が破れるかと思う位の怒声が飛んで来るのだ。理論的に的確に怒られるので何人も逆らう事
は出来ないのだ。

3杯目の水割りを飲み干した時、俺の携帯が鳴った。エグ◎イルだ。娘が悪戯で俺の携帯の着信
音を変更してしまったのだな。それはともかく、電話をかけて来たのは、俺の部下、若造、正人
だった。


「近くまで来ています。先輩、夜勤明けの所
 すみませんが会って頂けませんか?」


夜勤勤務者に取り昼間の陽光ほど眩しいものはない。睡眠不足にアルコールが入って思考力が低
下しているので周りの事も余り気にならなくなって来る。俺はジャージにジャケットをひっかけ
女房の電動アシスト自転車で10分程の道のりを走った。人口で作られた海岸にはヤシの木が植え
られ、洒落たログ・ハウス調の喫茶店やサーフ・ショップが並んでいる。寒いのに若造やお姉ち
ゃんがウィンド・サーフィンをやっている。色取り取りのウエット・スーツが眩しく見える。し
まった、こんな格好で来るんじゃなかった。そんな事を考えている内に待ち合わせの場所につい
てしまった。若造、正人がいた。そして隣に娘さんが一緒に立っている。


「先輩、いや係長、こんな所におよび立てしてすみません。
 昨日の事でどうしてもコイツが先輩に会いたいって…」


茶髪でミニ・スカートをはいた今調の娘さんが近寄って来てペコリと頭を下げた。俺が自転車か
ら降りる寸前だった。一瞬、目に涙が浮いているのが見えた。


「昨日は本当にすみませんでした。私達、つまらない事で喧嘩しちゃって
 正人君は悪くないんです。私が甘えて何度もメールを送っちゃったから…」


はぁ、そういうことか。俺も伊達に年喰ってんじゃないんだよ、別に彼女に詫び入れてもらう必
要なんてないんだよ。俺は係長、中間管理職。部下の罪は俺の罪なんだから、後輩を悪者にする
つもりはもうとうないんだよ。


「お願いします、お願いします、許して下さい。私達、結婚の約束をしているんです。
 今、ここで正人がクビにでもなったら…お腹の赤ちゃんが…」


がび〜ん!そこまでいっとるんかい。俺は自転車から降りて彼女の肩を軽く叩いた。彼女の様子
からだと、まだ懐妊直後だと確信した。俺は人生のプロでもある、何でもおみとうしなのだ。


「正人のコーポはここから近いから歩いて来たんだろ。じゃ、そこの店にでも入ろうや」


ロン毛の店長のいるサーファー御用達の変な焼肉屋。ウエット・スーツを着たまんまの客もいる
訳で、俺の様なジャージのオッサンもいたっていいじゃないか。早速、ジョッキーでビールを頼
んだ。何はともあれめでたい話だ。とにかく乾杯だ。


「ぐわはははは!おい正人。お前達の結婚式には俺を呼ぶんだろうな」

「もちろんです、先輩。コイツとどんな式にしようか、考えてるんスよ」

俺の肉体労働20年で鍛え上げた豪腕が正人の首をつかみ込んだ。

「バカ野郎!コイツじゃね〜だろうが
 いずみさんだろ〜が、お前の女房になる人だろ〜が!」

すんません、とかいって俺の下敷きになって正人は笑っている。正人の彼女はおどおどしながら
笑っている。この人は真剣にこのバカ野郎との生活を望んでいるなと確信した。そうか、後は係
長としてこのバカ野郎に亭主の道を、男の道を叩き込んでやればいいんだなと俺も確信した。俺
は塩タンを一つ口に放り込みこう言った。


「正人、明日は一世一代の詫びを入れる。部長の前で土下座する覚悟で俺について来い」


「はい、よろしくお願いします!」


二人が同時に頭を下げた。あれだけ派手にやっちまえば、どういう処分になるか、俺にも解らん
しかしこの若い二人の生活をぶっ壊す様な事だけは絶対にさせん。俺の脳裏に家族の顔が浮かぶ
妻よ、子よ、お父さんの課長昇進はずっと遅くなるだろう。しかし俺は係長だ、中間管理職だ。
俺は俺の務めを果たすだけだ!





すみません、すみません、御免なさい、御免なさい。二度とこの様な事は致しません。






部長よ…

俺の20年の血と汗の結晶たる『御免なさい』を喰らうがいい!!














△ Grand Blue 2010/03/01











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