小説『Trick or treat?』
作者:因幡ライア()

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 雪の多く降った次の日のことでした。

 真っ白な雪原に点々と動物の足跡がいくつも横切っている中、一匹の泥だらけの小鹿を見つけました。

 その黒い瞳にはこの白い世界も、目の前にいる女の子でさえも、映っていませんでした。

 小鹿は少年でした。

 代々続く猟師の家に産まれた彼が猟師になるのは最早必然でした。

 頭角は直に現れ、その評判は森を抜けた隣町にも届くほどでした。

 ある日、少年の目の前にとても美しく……とても哀しそうな女の人が現れました。


「あなたは私の大切な動物たちを殺しすぎました。命の重さを……今まであって当然だった幸せを……

あなたの目の前から奪って差し上げましょう!」


 その美しい女の人がこの森を護る女神様の化身だったと解った時には、今の姿に変わっていました。

 それから今に至るまで何が遭ったのか、言葉が喋れなくとも女の子には解っていました。

 彼女もまた喋ることができなかったのでした。

 少年と同じく絶望した瞳を持つ女の子は翌日も、更に翌日も、彼の目の前に来てはパンの半分を手でちぎって

足元に置いてはどこかに去って行きました。

 身なりは今の自分と同じくぼろぼろな女の子。

 彼は次第に興味を持ち始めました。

 今日は一歩、明日は更に一歩近づいてみよう、彼の心には久しぶりな…それでいて不思議な感情が生まれ

始めていました。

 ……それがいけないことだと微塵も気づかずに。

 クリスマスを過ぎてから一週間も経たない内に迎えた新年に、この小さな村でも一軒一軒のどの家からも家

族の笑い声が響いている頃、既に次のシーズンに向けてどの店も動き出していた。

 とは言え、一大イベントの一月遅れだからだろうか、この村の男性諸君は至ってのんびりとしている。

 既婚者は当日買って渡せばいいし、恋人ならイベントさえ二の次にして別世界を作ろうとするが、問題は

それ以外の未婚の男子で、来店しても「いらっしゃいませ」と上品に笑うアズウェルに打ちのめされるのを

解っているのか、常連客の他は指で数えられるほどしかいない。


「あら、いらっしゃい。大丈夫なの?何度も家を訪ねてくれるのは嬉しいけれど」


 貴婦人はそう言うと、ゆりかごの中ですやすやと眠る我が子を愛しそうに見下ろした。

 新年が明けてから何日も経たない内に産気づき、まだ十代の所為なのかお産婆さんが到着するや否や、第一子

シュネーを産み落としたのだ。

 雪の多く積もった日に産まれた男の子。

 その寝顔も何処となく両親よりも白い。

 雪と名付けられたほどはあるが、この若き母親の野望はそれだけに止まらない。


「うわっ……今日のベビー服もフリフリ…」


「ふっふっふっ…甘いわよ?この時のために不器用な私が一から母に頼んでお裁縫を習ったのよ。ほら見て

よっ!昨日作った靴下だってこんなに可愛くできたわ」


 今まで何処に隠し持っていたのか、掌に乗せた小さなそれは足首までの長さは一般的なものと変わらないが、

問題はそこではない。

 ただの装飾品のはずの白いレースがこれでもかと、言うぐらいにぐるぐると靴下の周りを囲んである。



………………一体、どうやって作ったのだろう。



「確かにベビー服はフリフリなのが多いし、シュネーちゃん可愛いよ?……でも、男の子だよ?」


「何言ってるのよ。あなた、私の小さい頃からの野望知っているでしょうが」



 ええ、………………それは耳にたこができるほど聞いていますとも。



 あれは忘れもしない六人目の妹が産まれて数日後の学校からの帰り道だった。


『私っ、絶対男の子を産んだら物心付くまで可愛い格好させるわ』


 夕焼けの光が亜麻色の長い髪に透け、思わず見惚れて聞いていなかった彼女は一瞬何を言い出したのか

解らず、瞬きを繰り返していた。

 ミレイザはそれを咎めるわけでもなく、まだ見えぬはずの未来に期待を膨らませ、今にも山の端に消え入り

そうな陽を見上げていた。

 女装させるには勿論、彼女なりの理由がある。

 復讐である。

 自分でも家のためならば例え女の身であろうとも継げただろう。

 それでもダメならば妹の誰かでも訓練すれば病持ちの動物ぐらい仕留められただろうに父親はそれさえも

拒み、あくまで男の子を望んだ。

 その結果が家とも呼べない混沌とした巣窟を作り出した。

 母親は優しい人だった。

 彼もそんな彼女を愛し、自分を含めた七人の子供を求めたのだが、まるで何かの罰のように待望の男の子とは

違う性ばかりが産声を上げた。

 その度、「男の子ではなくてはならない」、「何故君との間には女の子しか産まれない」などの彼の執拗な

責めをまともに受けてしまい、次第に母は病んで行った。

 実際に幼い妹たちを育て、それでも家としてあり続けなくてはと支えていたのは自分を含む然程手の掛からな

くなった三人の娘だったと言っても過言ではないだろう。

 今はそれほどでもなくなったが、当時は目が覚める度自殺紛いをする彼女を三人がかりで止めていたことが

昨日の事に思える日が来るなんて……全く以って笑えない。



 追憶なんて……村の近くにある鬱蒼として誰も近づかない森の奥深くにでも眠ってくれれば良いんだ。



 ……そうすれば、ルヴァーナもこれ以上苦しまずに暮らすことが出来るだろうに。



「おねえちゃん、おねえちゃん!えほんよんでっ」


 その声が足元からしたかと思えば、スカートの裾をくいくいと引っ張られた。

 反射的に屈んだ彼女の目の前には、着古されてすっかり疲れ果てている紺のジャンパースカートを着た少女が

脇に何かを抱えて立っていた。


「ノア……あなた、この春から学校に通うんだからいい加減絵本の一つくらい自分で読みなさい」


「いーやー!」


「ふふっ……いいよ。私に出来ることは絵本を読んであげることくらいだもん。私たちはシュネーちゃんを

起こさないように向こうに行っているから起きたらまた抱っこさせてね」


 いーだっと、味噌っ歯を剥き出しにする妹に一瞥をくれてからせっかく来てくれたのに悪いわねと、本当に

すまなそうな顔を浮かべるミレイザをその場に残し、二階の子供部屋に仲良く手を繋いで移動する。

 とは言え、新妻を除いても普段は六人の姉妹が収容されている部屋だ、物で溢れ返っていてどちらかと言えば

物置に近い。

 部屋に入るなり、一人机で学校の宿題とにらめっこをしていた六女のイザベラが大きな瞳の端にルヴァーナを

認めるとイスから飛び降り、空いている方の掌に宿題と指の腹で何度も書いた。

 彼女が大抵こんな行動に出る時は何なのかよく知っている。


「ノアちゃんが先だからその後で良いなら勉強見てあげるよ」


 私で解る範囲ならねと、付け足したがそれでもとても嬉しそうに笑った。

 イザベラは聾唖者だ。

 幼い頃は可愛い声を聞かせてくれたが、自分の傍らでその様子をじっと見ている彼女よりも小さかった時の

病気が原因で全く聞く事も話す事も出来なくなってしまったのだ。

 その事も父が母を苛める要因となったことは言うまでもなかった。


「勉強の息抜きに一緒にどう?」


「……っ……っ!」


 この何かが詰まったかのような音に涙が溢れることはなくなったが、何度聞いても哀愁を感じさせられる。


「さて、今日は何のお話を読んでほしいのかな?」


「えへへ………………これっ!」


「これ?これはこの前、来た時に読んだよ?」


 三人で直ぐ横にある二段ベッドの下の方にルヴァーナを挟む形で座ると、脇に抱えていたものをもったいぶる

ように両手で掲げた。

 それは十年以上経過して所々ぼろぼろになった一冊の絵本だった。


「でも、これがいいのっ!おねがいっ」


 姉に似た亜麻色の緩くウェーブの掛かった長い髪と一緒に体を揺らすのはノアのおねだりの癖だ。

 農家のおばあさんが子供たちに読み聞かせていたのが広まり、赤い頭巾を被った少女の話はこの小さな村にも

知らない者がいない童話の一つとして語り継がれている。

 きっと、近くに森がある影響も関係して親近感を覚えてしまうのだろう。

 村人があの森を執拗に恐れるのは、この可愛らしくも残酷な物語が関係しているのかもしれない。

 しかし、彼女はこの童話が大のお気に入りだった。

 ぶどう酒に甘いケーキを籠に詰めて森の中を歩く姿は、ノアにとって父や義兄などの猟師に続く勇者なのだ。

 その域はまだ物心の付かない頃、彼女の被っていた赤い頭巾が欲しいと駄々をこねたほどだ。

 既に傷み始めている箇所に気を配りながらページを進めていくにつれ、その独特の音に誘われたのか姉の方は

舟を漕ぎ出し、それに釣られた妹の方も目元を擦ってどうにか抗おうとするが、やはり全てを読み終える頃には

 二人仲良くルヴァーナの膝の上で安らかな寝息を立てて眠ってしまった。

 時折、何かの夢を見ているのかその顔が笑うのを見ていると、こちらまで幸福感で満たされてゆく。

 子供は無邪気だが、大人になってしまえば置き去りにしてしまった何かを思い出させてくれるような存在だ。

 とは言え、彼女も第一子を出産したばかりのミレイザもまだまだ子供だ。

 大人にはまだ程遠く、かと言って子供のままでもいられない年齢。

 それなのに、こんな気持ちを抱いてしまう。



 ………………そして、以前にも似た感情を覚えた気すらしてしまうのはどうしてなのだろうか。



「すっかり母親だな」


「セージさんっ」

 いつの間にやら来ていたのか子供部屋のドアに凭れ、しーっと口元の前で指を立てて笑う彼に釣られて両手で

 隠した。


「もうっ……いつ来たんですか?」


「あれ?ちょうどお嬢ちゃんたちが舟漕ぎ出した辺りだけど。もしかして気づいてなかった?」



 …………ええ、気づきませんでしたよ……微塵にも。



 全く、コンラッドと言い、彼と言い、どうしてこうも上手く気配を殺せるのだろう。

 セージはルヴァーナたちより一つ上の十七歳。

 性格はあの弟の兄でありながら物腰が柔らか………………いや、軽いと言った方が正しいのかもしれない。

 三兄弟揃って猟師の才を色濃く受け継いだようだが、当の本人は獣よりも女の子に興味があるらしく、

一番上の兄に連れられて初めてこの村に訪れた時にはアズウェルのファンの中から何人か引き抜いたようだと 

親友から聞かされたが、まさかその人物と話す日が来るとは想像すらしていなかった。

 だが、二人をそれぞれのベッドへ移動させるのを進んで手伝ってくれる姿に、もしかしたら結構良い人なのか

もしれないと第一印象が少し色を帯び始めていく。


「ところでさ…」


 すやすやと眠る幼き姉妹の顔を眺めている彼女に先程とは違い、どことなく躊躇うような口調でセージが

話しかけてきたのと子供部屋のドアが軽くノックされたのはほぼ同時だった。


「はっはい?!」


 あまりにもことで虚を衝かれたルヴァーナは無意味に声が上擦ってしまい、開け放たれたドアから入ってきた

人物を見て余計に顔が火照った。


「おっお兄ちゃん!?」


「しーっ」


 先程とまるで同じリアクションをされ、軽くショックを覚えながら三人はイザベラとノアを起こさぬよう

物音を立てずに廊下に出た。

 心無しか終始、彼が兄の背中を睨んでいたが、派閥争いか何かだろうと思い込み、大して気にも留めなかっ

た。


「それでどうしたの?」


 そう口にしたのは彼女だった。

 ドアを閉めてから何故か誰も声を発せず、しばらくの間妙な沈黙が流れたのを見兼ねて上げた声も気圧された

のか、どことなく控えめになってしまう。

 とりあえず店にいたはずのアズウェルがどうしてここにいるのか聞いてみよう、急ぎの用件なら尚更だ。

 だが、その返答は妹の考えていた事態ではなく、至極ごもっともな正論だった。


「やれやれ、今何時だと思っているんだい?閉店時間過ぎても帰ってこないから心配したじゃないか」


 制服のズボンの中から取り出した懐中時計の文字盤は確かに、十七時半を指そうとしている。


「ええっ!!もうこんな時間?!……またミレイザに迷惑を掛けちゃったな」


「大丈夫だよ。彼女もさっきまで眠っていたから返って悪いことをしたと言っていたよ」


 下の階からは夕飯の支度をし始めたのか、何やらがやがやと賑やかになってきた。


「僕はシュネーちゃんの顔を少し見てから変えるから夕飯は頼んだよ」


 階段を上ってきた匂いが三人の鼻腔を侵し、冬眠を知らない腹の虫を呼び覚ますには充分すぎた。

 ふふっと、上品に笑う姿にいつもならば見惚れるはずのルヴァーナだが今の彼の背後からは何か寒々しいもの

を感じて思わず体が強張る。

 そう言えば、今日の夕食当番は自分だった。

 普段は怒らない兄だが、昔約束をすっぽかした後何ヶ月か口を利いてくれなかった事がある。

 そんな裏の面があることはファンの誰一人知らないだろう。


「あっ…はい。直ぐ支度をしてきますっ!」


「危ないから走っちゃダメだよ」


「はいっ」


 壊れかけのブリキの兵隊のように手と同じ方の足をぎこちなく上げ、階段を下りる姿をお得意の上品な笑顔で

見送るのは自分を睨む主への嫌がらせか、それとも…。


「………………随分と躾けてるんだな」


「僕の大切な妹に失礼なことを言わないでくれるかな」


 先程まで子供部屋の中で話していた同一人物とは思えぬほどの声色を下げたセージに対し、口調はそのまま

だがやはり、その艶かしい唇から放たれるそれもまた吹雪を纏っている。


「ルヴァーナに何をした?あいつは…」


 彼がワイシャツの胸倉を掴む前にしなやかな動きでそれを交わすと背後に回り、その場ですっと立ち上がる

表情はいつものものではなく、酷く冷たいものだった。


「僕のファンの女の子を何人引き抜こうが僕には関係ない。……だけど、彼女に手を出そうと言うのなら僕は

容赦しない」

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