第十四話
「あら? 死ななかったのね。その子」
「まぁな……。親友のお陰でな……」
光の槍でボロボロの俺から目を移し、ベンチの上に寝かせているアーシアを見て、レイナーレが意外そうな顔をしていた。
教会に潜入したあと、なんとかアーシアを助け出したが、すでに彼女は神器を抜き出されており、慶路から渡された札を使って何とか生きながらえさせていた。
意識は無いし、顔色は青ざめているが、微かにその胸は上下していて、まだ命の灯火がゆらめいている事を精一杯主張していた。
俺のエロの師匠を舐めんじゃねぇぞ。お前の思い通りにさせてたまるかよ。
「ふーん。神器の代わりになる道具って、結構特殊だから持っている奴なんてあんまりいないはずなんだけど……。まあいいわ」
レイナーレが改めて俺に向き直る。その目に嘲りと、優越感を写しながら
「私の光の槍を抜くなんて、下級悪魔にしてはやるみたいだけど無駄よ。もうあなたの体には光が回ってる。普通なら死んでもおかしくないんだけど、本当に頑丈ね」
わざわざ俺の置かれている状況を説明してくれた。
くそ……。余裕ですってか?
多分慶路ならこういう状況になっても色々考えて、手を打って逆転するんだろうな……。でも生憎俺にはそんな頭も経験も能力も無い。
けどよ。負けるわけにはいかないんだよ。アーシアを……、俺の友達を苦しめたヤツにタダで負けてやるわけにはいかないんだよ!
だから
「――ッ! う、嘘よ! 立ち上がれる体じゃないのよ!? 光のダメージで――」
力の限り踏ん張って冷たいコンクリートの大地から身を起こす。
うるせえ。こっちは痛くて立つだけで一苦労なんだ。
足はガクガクしてるし、さっきから血がドバドバ出て、軽く貧血気味だしよ……。けど
「舐めんじゃねえよ……。俺は根性だけが取り柄……いや。根性くらい取り柄じゃねえとやっていけないんだよ……。俺の元カノさん」
これくらいやらねえと仲間に……部長達や、慶路、そしてアーシアに顔向け出来なくなるじゃねえか。
「こ、根性だけで片付けられてたまるか! あの傷で、私の槍を受けて、下級悪魔ごときが耐えられるはずがないわ!」
「黙れよ。その声を聞くと、傷みと憎悪と怒りで脳の血管がぶち切れちまいそうになる……」
貧血と激痛で歪む視界でも、レイナーレだけは見のがしはしまいと、視線を固定する。
恐らく殴れるのは一発だけだろう。そしたら俺はぶっ倒れる。
だったらその一発でレイナーレをぶちのめす!
「神器さんよ。コイツを殴り飛ばせるだけの力はあるよな? つーか、ねえとは言わせねえぞ」
『Exprosion!!』
その機械的な音声はそのときだけ、とても力強かった。
籠手に付いた宝玉が一層光輝いた。
堕天使が放った見るだけで嫌悪をもよおす様な光じゃない。むしろこの光を浴びると力が溢れてくるようだ。
まずは一歩。
足の傷口から血が溢れ落ちた。血なんざ後で輸血すれば良い。足もアーシアの神器を取り戻して、彼女に治してもらおう。
もう一歩。
吐血した。大した事じゃない。たかが内臓が傷ついただけだ。これもアーシアがいればなんとかなる。
更に一歩。
脳天に痛みがこだました。
まだいける。アーシアの痛みはこの程度では無かったはずだ。神器なんて無くても彼女の笑顔を見れれば痛みなんざ吹き飛ぶ。
もう一度レイナーレをにらみ付ける。
「ヒッ!」
先程感じた威圧感は感じない。
籠手から感じる脈動が俺を鼓舞し、力を与えてくれる。
でも俺は知っている。この力は有限で、一発限定。そんなことは言われて無いが、神器が黙って教えてくれている。
拳を握る。型なんて知らない。たが一発当てればそれで終わる。
焦点を目の前のクソ堕天使に絞る。
「……ありえない。何故? どうして? だってそれは持ち主の力を二倍にするだけの『龍の手』でしょ?……なんで。なんでよ……。この力はもう、中級を通り越して上級悪魔のそれ……」
何言ってんだよコイツ……。ブツブツ、ブツブツ……とにかくテメェをぶっ飛ばせる力は付いたってことか?
そいつは好都合だ。センキュー、神器。あとで磨いてやるよ。
「嘘……嘘よ……。私は……私は究極の治癒を手に入れた堕天使よ! 『聖女の微笑み』を手に入れ、この身に宿した私は至高の存在と化しているの! シェムハザさまとアザゼルさまに愛される資格を得たのよ! あ、あなたのような下賎な輩に私は!」
レイナーレが光の槍を投げてくる。
俺は横殴りにソレを薙ぎ払った。光の槍が呆気なく消える。
「い、いや!」
翼をはためかせ空を飛ぼうとするが――
「飛翔剣」
「――〜〜!」
馴染み深い声が聞こえたと同時に、声なき悲鳴と共にレイナーレが力無く落下してきた。名残惜しげに黒羽がゆっくりと墜ちてくる。
「ありがとよ! 慶路!」
俺は感謝の気持ちを友人に叫ぶと一気に駆け出した。
まるで羽が生えたみたいに一瞬で間合いを詰め、幾分かさっきより弱々しく見える手を引く。
「ふっ飛べ! この……クソ天使ィィィィィィィィ!」
ゴッ!
一気に力を開放した左腕をどす黒い感情と共に顔面に振り抜くと、大気を震わせるような打撃音が響き渡り、レイナーレがまるで地を這うライナーの様に打ち出され、
ガッシャァァァァン!!
壁を壊すだけでは飽き足らず、建物の中にまで暴力を撒き散らしながら教会の外まで突き抜け、そこでやっと止まった。
「随分と手こずったな? 一誠」
「ワリィ……」
わざとらしい落胆を含んだ友の声が何故だか嬉しかった。
「すまないな。塔城」
「いえ……」
戦いが終わり、教会の中での戦闘を終えた部長達とお互いに健闘を称え合っていると、小猫ちゃんがレイナーレを引きずってきた。
「さて……起きてもらうとするか……」
慶路が懐から一枚の札を取り出すと、気絶したレイナーレの額にソレを当て
「発」
「キャッ……!」
レイナーレがビクッと痙攣しながら目を覚ました。
「こんばんわ。レイナーレ嬢……。よく私の管轄でここまでやれたな?」
「おまえは……」
「譲刃家当主。譲刃慶路だ。短い間だが宜しく頼む」
「!?」
「先に言っておくが援軍は来ない。私が切り捨てたからな」
「嘘……でしょ……」
レイナーレの顔が強張って、認めたくないと言いたげに首を横に振った。
と、当主って……。俺は初耳だぞ!?
「……罪を犯した人ならざるものを容赦なく、油断なく切り捨てる秩序の番人……。若冠14歳で正式に家長となり、歴代譲刃当主の中でも、天才とも鬼才とも言われる程の実力者……」
木場が微かに声を震わせながら言葉を紡ぐ。
「別名『鋼鉄の断罪者』〈アイアン・エグゼキューショナー〉……。まさかこの目で見れるとは思いませんでしたわ」
朱乃さんが息を呑む。
鋼鉄の断罪者。確かに今の慶路を見ると恐ろしい程しっくりくる。
「おや。リアスにも『紅髪の滅殺姫』〈べにがみのルイン・プリンセス〉という二つ名が有るじゃないか。私よりも華やかで目立つと思うのだが?」
「私の二つ名なんて、あなたの前では薄っぺら過ぎて、とても名乗れないわ……」
部長が苦笑しながら慶路に返す。どこかさびしそうな目をしていたのは気のせいだろうか。
「……」
小猫ちゃんもジッと慶路を見ている。何を思っているのかは分からないが、何か複雑ものを抱いてそうな顔をしていた。
「レイナーレ。お前を斬る前に少し面白い事を話してやる。一誠、神器を見せてくれ」
「あ、ああ」
慶路に促されて左手を軽く挙げる。
「ほら。ここ。赤い龍の紋章が在るだろう」
「ほんとう?……なるほど。一誠が勝てた最大の理由をが分かったわ」
部長が納得したように頷く。
「神滅具〈ロンギヌス〉が一つ、『赤龍帝の籠手』〈ブーステッド・ギア〉お前も名前位は知ってるだろう?」
「な……! なんでこんな子供に『赤龍帝の籠手』が……!」
本当の最大の勝因は慶路がレイナーレを叩き落としてくれたからなんて、とても言える空気じゃない……。
「言い伝え通りなら人間界の時間で十秒毎に力を倍加していく、正しく力の権化。時間と肉体の限界さえ克服すれば、あらゆる存在を葬れる代物だ……」
マジかよ……。
俺の神器ってそんなにヤバい代物なのかよ……。
てか
「慶路。知ってたらなんで言わなかったんだ」
「お前、言ったら絶対に調子に乗るだろ」
「……」
なんも言えねえ……。的確過ぎてなんも言えねえ……。
「どんまいです。先輩」
「うぅ……ありがとう小猫ちゃん……」
いつも毒舌な小猫ちゃんの励ましの声……心にしみるよぉ……。
「余計な話はここまでだ。本題に移ろう。まずはアーシア・アルジェントの神器を返して貰う。姫島、頼めるか?」
「はい」
朱乃さんが手をかざすと、緑色の光がレイナーレの背中から出てくる。
「やめてっ! それは……」
「止めるも何も有るか。それは元々アーシア・アルジェントのものだ。彼女に相応しい、優しい神器だ。少なくとも、お前の様な自分勝手な奴には渡せん」
そして慶路が刃に手を掛ける。
「皆、今日は帰ってくれ」
「慶路?」
「此れは君達、人ならざるものには毒が強過ぎる。下手に見ようものなら精神が崩壊するぞ」
慶路の平淡な声。だが、平淡な故にただ事実を述べている事が良く分かった。
「それじゃあ、アーシア・アルジェントさんに神器を返して、私たちは帰りましょう。彼女は私の家に運ぶわ」
「お願いします。部長」
最後にもう一度だけ慶路とレイナーレを見る。
なんだかレイナーレがヤケに小さく、弱々しい存在に見えた。
(ッ! アイツはアーシアを殺そうとしたんだ)
翼を無くした堕天使に沸き上がった、微かな同情を呑み込んで家路につく。
なにより彼女は俺を裏切った。裏切った対象に同情するなんてどうかしている。
「誰も居なくなった……か。さて」
人影が鞘から刀を引き抜く。
「いや……」
怯えた顔付きで身動ぎする翼を無くした少女。
しかし慶路は躊躇い無く剣を構える。
何時でも心臓を貫ける構えだ。
しかし、すぐに刃は走らない。
「何故だ?」
「え?」
「何故、アーシア・アルジェントの気持ちが分からなかった……」
慶路がレイナーレに問う。顔は相も変わらず無表情だが、その声には、ほんの一滴程度だが感情が滲んでいた。
「ッ! 堕天使の私が人間の気持ちなんて分かってたまるものですか!?」
「ああ。分からんだろうよ。同じ気持ちを持つ存在を食い潰したお前に、他者の気持ちが分かる筈が無い……」
「……」
無感情だが、どこか悲痛さを感じられる声にレイナーレが押し黙る。
「お前は、よりによって自分と同じ願いを持った存在を、自分の同じ願いの為に犠牲にしようとしたんだよ……」
「……あ……」
そして少女は気付く。己の愚かしさを。
「愛に飢えることの苦しさを知っていたのなら、何故アーシア・アルジェントに手を差し伸べ無かった!」
「あ……ああ……」
ここで初めて慶路が感情を露にした。
無表情なのは変わらないが、目が僅かに揺れている。
「悔い改めても遅い……。罪を犯したお前を逃がす訳にはいかん」
「……待って……下さい」
「どうした。今更何も変わらんぞ」
「せめて……アーシア・アルジェントさんのために祈らせて下さい」
「……良いだろう」
慶路が刃を下ろす。
「それでは……」
厳かに姿勢を正し、祈りのカタチを作るレイナーレ。
その一心な姿はさながら聖女に見えた。
「……どうぞ」
「そうか」
祈りの体勢を崩さぬままレイナーレが慶路を促す。そして慶路が最初と同じ無機質さで凶刃を構える。
もうその目に揺らぎは無い。
ヤケに明るい月は変わらずに二人を平等に照らしていた。
そして
「出来るのなら貴方も幸せになって下さい」
「……!」
――極めて滑らかに、吸い込まれる様に、少女の影を不似合いな禍々しい影が貫いた――