小説『Life Donor』
作者:bard(Minstrelsy)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

 青年は、愛する者のために生きたいと言った。
 シジマは、誰かを愛した事など無かった。恋さえも知らない。自分よりも優先すべき他人の存在など、フィクションでしかなかった。
「その人は、自分よりも大切なんですか?」
「当然だ」
 それ以外の答えなど知らないように、塚原雅人(つかはら まさと)は言った。
「彼女のために、俺は生き続けたい。彼女は、俺と一緒に居たいといってくれたんだ。俺も同じ気持だ。だから、ここで死にたくないし、死ぬ訳にはいかない」
 一緒に居たいと望む程に他人を求めた事はなかった。それ程までに求め、求められる関係が成立した事は無かった。家族でさえも、そんな関係ではなかったとシジマは思う。
「彼女さんの……相手のためって、どういう事ですか。何が相手のためなんですか」
 愛する者と永遠の誓を交わし、愛する者に全てを捧げると誓った塚原。この上ない幸せと責任を感じていたであろう彼に、松川と同じ疑問を投げる。誓い通り、彼女をを庇い命を捧げた男に。
「少なくとも、相手のために死ぬ事ではないと思う」
 よろめき階段を踏み外した彼女を庇い、塚原は狭間の部屋へ来る事となった。その時の光景を目の当たりにして思ったのだろう。彼は泣き叫ぶ彼女の姿を、唇を噛み身体を震わせながらじっと見つめていた。今すぐにでも抱き締めてやりたい。部屋に戻った彼は、かすれた声でそう呟いた。
「相手が悲しむからですか」
「それもあるけど……もしも俺が死んだら、彼女は自分のせいだと思うかもしれない。俺は彼女を苦しめたくはない」
 塚原は言葉を探すように視線を彷徨わせた。秒針に刻まれた沈黙が、雫のように降り積もる。
「何が相手のため、か。俺には、これって答えは解らない」
 彼はようやく口を開き、精一杯というように絞り出した。
「だけど俺にとっては、彼女の望む事を叶えてあげたり、もし間違っていたらそれを直してあげたり、側に居て守ってやったり、そういう事なんじゃないかと思っている」
「彼女のため、ですか」
 月影のようにカクリは呟き、目を閉じる。
「それはあなたの望みであって、彼女の望みではないのは理解されているのですね」
「解っているよ。だけど、彼女は喜んでくれていた」
 カクリは溜め息とも笑いともつかぬ息を漏らした。
 シジマには、塚原の気持ちは解らない。何故そこまで相手を思えるのか、相手のためと言えるのか。
「それが愛するって事ですか」
「俺は、そうだと思う」
 塚原は少しだけ頬を染めながら頷いた。
 松川とは違う視点だが、相手への思いという点は共通している。それだけは、シジマにも理解出来た。
 誰かのためとは、誰かに愛を向ける事とも通じるのかもしれない。愛した事の無い自分には、真に誰かのために行動する事は不可能なのだろう。ほんのひとかけらだけでも誰かを愛していたなら、二人の気持ちを頭ではなく心で解する事が出来たかもしれない。
「いいところに目を付けたね」
 塚原を現世へと送り、カクリは扉を閉めた。
「二人だけじゃない。浦川みつきも、そうだと言える。息子や夫への愛が、浦川みつきを支えていた。彼らのために生きたいと望んでいただろう?」
 だけど、と彼は酷薄な笑みを浮かべる。
「エゴイスティックだね」
 同意を求めていたのか、カクリは言葉を切ってシジマを見つめる。しばしの沈黙。どう反応したものかと思いあぐねるシジマに、まあ良い、と彼は肩をすくめた。
「相手のためと言いながら、結局は自分のためなんだよ。だけど、自分のためばかりに行動するのは気が引ける。だから言い訳するんだ。これは相手のためにするんだ、とね。浦川みつきは、少しは理解していたようだけれど……あの二人はどうだったのかな。塚原雅人は、一応、というレベルかな」
 あまり態度を崩さない彼の声に、はっきりと感情が混ざっていた。
「相手のためにやった、親切な自分に満足も出来る。やりたい事も、してあげられる、という訳だ。最高の自己満足だと思わないか?」
 これは憎しみだ。シジマはそう感じる。カクリは、彼らを憎んでいるのか。しかし、それを問う事は出来なかった。カクリの瞳の奥に揺れる、鬼火に似た心の揺らぎ。それが、シジマの言葉を奪っていた。
「言い過ぎたかな」
 カクリは感情を消して微笑みを浮かべ、変わらない風を装う。
「愛を与えると言えば聞こえはいいけれど、その実押し付けている事だってあるんだろうね。それこそ相手のためだから、良いとも悪いとも言えないけれど」
 それでも、並べられた言葉には幾許かの刺が含まれていた。
「君だって、そう思っていたんじゃないのか?」
 刺の痛みに眉をひそめながら、彼は考えを巡らせる。
 愛が彼の言うようなものならば、押し付けがましくて迷惑なものだと思う。自分が誰かを愛していたら、愛された相手はそう感じるのかもしれない。しかし。
「どうしたんだ、シジマ。不満そうだね」
「……何でもない」
 カクリの言う程に、誰かを愛する事は悪いものではない。そう思い始めていた。

-12-
Copyright ©bard All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える