小説『Life Donor』
作者:bard(Minstrelsy)

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 自転車置場で、二人分の影が揺れていた。これから帰宅する生徒のものだろう。別段珍しくない光景だ。いつもならば気にも留めない。
 だが、今回は違った。
 影の一つは、奈美が思いを寄せる中野。そして、もう一つは。
「あれは……!」
 水崎だった。
 寄り添う様は、まるで恋人同士のようだった。
 奈美に触れる事の無かった手が水崎の手と重なり、決して向けられる事の無かった心からの微笑みが水崎に向けられている。その瞳はただ相手を、あの水崎だけを見つめていた。
 呆然と奈美は立ち尽くす。その光景に目を奪われたまま、一歩も動けなかった。
「嘘、嘘よ」
 こぼれ落ちる涙が、地面に小さな染みを作る。
 そんな奈美には全く気付かず、やがて二人はそれぞれの帰り道についた。奈美は一人になった水崎を追う。
 水崎は上機嫌だった。彼女の前では見せる事の無い、可愛らしいとさえ思える雰囲気。恋する少女のそれが、奈美には許せなかった。そう感じた時には、既に身体は動いていた。奈美は水崎の元へ走り寄ると、勢いを付けて自転車ごと突き飛ばした。派手な音が校舎に跳ね返る。
「痛っ。何……あ」
「何考えてんの? 水崎のくせに、中野君に近付くなんて。何? あんた、中野君と付き合えると思ってんの? 身の程を知りなよ」
 地面に転がされた水崎は相手が奈美だと知ると、視線を外す。そして制服の砂埃を払い、自転車を引き起こした。その態度が、彼女には無視と映った。沸き起こる怒りに任せ、もう一度水崎を突き飛ばした。
「万が一よ、万が一あんたが中野君と付き合ってるんだったら、今すぐに別れなさい。あんたみたいなのと中野君は全然釣り合わない」
 そして顔を伏せる水崎の髪を掴み、無理矢理顔を上げさせた。
「ほら、誓いなさいよ。中野君は別れますって。もう近付きませんって。そうしたら許してあげるからさぁ」
 水崎は何も言わない。きつく唇を引き結び、拒む。
「言えよ! 水崎のくせに、あたしに逆らうの?」
 それでも彼女は口を開かない。強情だ、と奈美は舌打ちをし、空き缶のように彼女を放った。乾いた音と、小さな呻き声。
「明日、どうなるか解ってるよな。覚えておきなよ」
 奈美は吐き捨て、彼女に背を向けた。
 駅へ向かう道は、下校ラッシュを外していたせいだろう、人通りは少なかった。それでも、駅に近付くにつれて人は増えていく。下校の次は、会社員の帰宅ラッシュの時間だ。
 普段ならば、口を出したとしても直接手を出す事は無い。教室に居る時や放課後は極力関わらないようにしていたし、関わったとしても友人と忍び笑いをする程度だった。
 怒りは収まらない。
 手を出してしまったのは、偏に中野が関係していたからだ。二人で居るところを見なければ、中野と共に居なければ、水崎に手を上げる事など無かった。結局は水崎が悪いのだ。自業自得、と奈美は思う。
 怒りは徐々に増していく。
 水崎が中野と居た事もそうだが、何よりも水崎自身の態度が気に入らなかった。自分が中野に思いを寄せている事は、水崎も知っているはずだった。それなのに、この自分を差し置いて彼に近付き、あまつさえ親しい関係となっていたのだ。許せない、そう呟く。
 改札を通り抜け、駅の階段を駆け上がった。
 明日、水崎をどうしてやろうか。わざとボールをぶつける程度では気が済まない。とりあえず、後で事の子細を友人達に送ろう。そして、意見を聞こう。きっと何かいい方法が出て来るはずだ。水崎を徹底的に追い込む方法が。
 そんな事を思いながら、プラットホームへと降りる階段へと足を掛けた。
「えっ?」
 背中の真ん中に、力を感じた。叩くよりは優しく、しかし、強く前へ押し出す力を。
 人が多いせいで、誰かが自分にぶつかったのだろうか。違う、と奈美は思う。通い慣れた光景。強くぶつかったとしても、スローモーションのように身体は浮き上がらない。誰かに押されたのだ。酷くゆっくりと流れる景色を瞳に映しながら、彼女はそう確信していた。
 浮き上がった身体は、途切れた人波の隙間へ落ちる。空き缶のように転がる身体を止める術も、止める者も居なかった。空白に似た沈黙が、ほんの一瞬だけ広がる。
「誰か落ちたぞ!」
 鈍く重い衝撃。それを最後に、何も解らなくなった。

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