小説『Life Donor』
作者:bard(Minstrelsy)

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 彼が目を開けた時、辺りの光景は一変していた。
 何処か見知らぬ部屋。社長室に置いてありそうな、アンティーク調の机と椅子。その椅子にもたれる格好で彼は座っていた。いつの間に、と彼は周囲を見回す。絶え間なく秒針の音がしていた。一つや二つではない。幾つも重なっている。一体何処からなのか。彼は音の源を探る。
 この部屋は暗く、窓も無いようだ。灯りはランタンらしきものが幾つか見える程度だ。部屋の中を把握するには全然足りていない。電灯のスイッチは無いのだろうか。彼は足元の感触を確かめつつ、恐る恐る歩き出した。目が慣れていないせいだろう。オレンジ色の光以外はほとんど何も見えない。
 歩き進めるに連れて、秒針の音は増しているように感じられる。自分が今何処を向いているのか、方向感覚さえ狂う程だ。この部屋はどうなっているんだ。彼がそう呟いた時だった。
 足下に光の筋が走った。開いたドアから差し込んだものだと、彼は蝶番の音で知る。反射的にその方向へ顔を向けた。
「おや、お目覚めかい」
 あのカラスの声だ。しかし、光を遮る影は人間のものだった。
「誰、なんだ。それに、ここは?」
「まずは灯りを点けよう。話はそれからだ」
 指を鳴らすような音と共に、オレンジ色の光が広がった。その光が、彼の眼前に異様な光景をさらけ出す。
 部屋中、ありとあらゆる場所に時計が置かれていた。壁には隙間なく掛けられ、棚にも時計がひしめいている。針の音はそのせいだったのか、と混乱する思考の片隅で納得する。
 時計達には全く統一性が無かった。古い振り子時計もあれば、イラストの描かれた壁掛け時計、果てはキャラクターを模した置き時計まであった。彼の居た机の上には、様々な形や大きさの砂時計が並んでいる。時計という名前以外の共通点は見出せない。まるで、時計と名の付くものを無節操に集めたかのようだ。
「気分はどうだ」
 カラスと同じ声の人物は、そう聞きながら近付いてくる。声の主は、彼よりも年上の青年だった。喫茶店のウェイターに似た服が、細身の青年によく似合っている。
「どうもこうも、ここは……それに、あなたは? どうして、カラスと同じ声を」
 戸惑う彼に、青年は人懐こい笑みを浮かべた。
「一種の制約でね、あちらにはカラスの姿でしか居られないのさ」
 青年はカラスのように両腕を広げる。
「君の疑問に一つ一つ答えようか。まずは、ここについて。解りやすく言えば、三途の川のほとりってところだ。生と死の狭間の場所となる」
 何処が解りやすいのか、と混乱の抜けない頭で彼は思う。数呼吸置いて青年の言葉を思考に落とし、彼は茫洋と言葉を紡ぐ。
「だったら俺は、生きてもないし、死んでもいないって事ですか」
「口調は別に改めなくていい。その方がやりやすいからね」
 記憶が確かならば、自分はカラス、もといこの青年と取引をしたはずだ。余命を貰いたいと言われて、それを渡すつもりで応じた。余命が無くなれば死ぬはずだろう。混迷極まる表情の彼に、青年は語りかける。
「そう、君の言う通り、生きてもいなければ死んでもいない。君の時間は、あの橋から飛び降りる直前で止まっている」
 訳の解らない言葉に、彼は面食らう。
「俺は、一体」
「魂だけとなってここに居る、と言えば理解出来るか?」
 彼は何とか頷く。信じていないとはいえ、その概念以外に今の自分を説明する言葉が無いのなら納得する他無かった。彼は青年の言葉を待つ。
「君は狭間の部屋に居る。生と死、現世と常世、そのどちらでもない場所。そして、ここは」
 青年は時計を一つ手に取った。花の浅彫りの施された懐中時計だ。彼の方に盤面が向けられるが、秒針は動いていない。
「強く生きたいと望む魂が辿り着く場所だ」
 止まっていた秒針が動き出す。
「俺がここに居るって事は、生きたいと望んでいるからなのか」
 彼の言葉に、青年は首を振る。君は生など望んでいない、と。
「だったら、どうして」
「役目があるからさ」
 青年は唇の端を持ち上げた。
「君の役目は審判だ。ここに来る者を生きさせるか、そのまま死へと導くか、その判断をして貰う」
 え、と彼は素頓狂な声を上げる。対する青年は、微笑を崩さない。
「君の余命は私が管理している。君が生きさせると決めた者に、その余命を分け与える。余命が尽きる時、君の願いは叶えられ、役目から解放される。理解して貰えたかな」
 そんな馬鹿な。彼は絶望と共に呟く。
「俺は余命をあなたに渡した。それで、取引は成立したんだろ」
「しているよ。だからこそ君は、審判としてここに居るんだ」
 愕然とする彼に、青年は続ける。
「そう、自己紹介がまだだったな。私はカクリ。ここ、狭間の部屋の案内人だ。そして、君の補佐でもある。よろしく頼むよ。それから、君の名前」
 虚ろな彼の瞳を、青年カクリは覗き込む。
「生きていた時の名前は使えない。審判としての名前が必要だ」
 そしてカクリは囁く。新たな、彼の名を。
「シジマ。今からこれが、君の名前だ」

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