小説『Life Donor』
作者:bard(Minstrelsy)

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【第三章:幽世(かくりよ)の静寂(しじま)】



 残響と、棺の音が耳から離れない。
「まだ気にしているのか」
 浮かぬ表情のシジマに、カクリが呆れたように溜め息をつく。
「まだって、そんな簡単に割り切れるものじゃないよ。すぐに立ち直れる訳が無い」
「落ち込んでいるのか?」
「よく解らないけれど……それとは違う、気がする」
「だったら何だ? 後悔してるのか?」
「違う。後悔なんかしていない」
 強い否定の言葉に、カクリは大袈裟に肩をすくめる。悪かったと口にするものの、そこに悪びれた雰囲気は無かった。
「まあ、良いさ。しばらく客人も来ないだろう。ゆっくりと考える時間も必要さ」
 カクリはそう言い置いてシジマに背を向けた。茶の準備でもするのだろう。程無くして彼の姿は部屋の奥へと消えた。
 シジマは机に突っ伏し、大きく息を吐いた。
 自分が下した判断は間違っていない、そう思っている。藤内奈美のした事は許されないと感じたし、水崎が自分のように追い込まれる危険性も高かった。だから、彼女が言う通り、自業自得に相応しい処遇をしたのだ。それだけの事だと、シジマは何度も何度も繰り返した。
 しかし、と奈美の言葉を思い起こす。以前、奈美は水崎と友人関係だった。水崎と一緒ならば部活の試合に勝てる、そう思える程の信頼を寄せていたのだ。その二人が元の関係に戻る可能性は、全く無いと言えたのだろうか。変わらぬ日々が続けば、どこかで修復される時が来たのだろうか。
 そこまで考えたところで、可能性は低いとシジマは断じる。友人だったからこそ、関係が壊れた時に赤の他人よりも苛烈な攻撃をする。相手を知るからこそ、より一層陰湿になれる。自分を追い詰めた連中もそうだった。かつては友人だった、その僅かな情さえ踏みにじる。待っているのは破滅、最悪の結末だ。だから、これで良かったのだ。
 だがそう言い聞かせる度に、結局は自分のためだった事を嫌という程に思い知らされる。
 ならば生きさせれば良かったのかとカクリに問われたが、それだけは違うと断言出来る。後悔もしていない。だとしたら何故、ここまで堂々巡りをしているのだろう。シジマは歯噛みし、身体を起こす。
 生きている時と同じくらいに嫌な気分だった。自分がエゴイスティックだと突き付けられるせいか。違うと否定しているのも、それを認めたくないからか。答えを求めて己の心を探るも、判然としない境界線しか見付からない。感じるのは、苛立ちではなくやるせなさ。
 やはり、自分は後悔しているのだろうか。認めたくないだけで、本当は死なせるべきではなかったと感じているのだろうか。カクリは、今まで死すべきとされた者は沢山居た、と言っていた。かつての審判は、自分と同じ葛藤を抱いたのか。相手が余程の者――血も涙も無いような殺人者とか、目に余る行いばかりの人間とか――でもない限り、やはり悩んだはずだ。
「たまには、趣向を変えてみようと思ってね」
 お待たせ、と戻ってきたカクリが淹れてきたのは、いつもの紅茶ではなかった。芳ばしい匂い。
「コーヒーは苦手かい?」
「……大丈夫」
「そうか、それは良かった。砂糖とクリームもあるけど?」
「いや、いらない」
「おかわりが欲しければ言ってくれ。ご希望なら、カプチーノも作るし」
 猫のように微笑み、カクリはカップを手にする。通らしく香りを楽しむ様は、さながら喫茶店のマスターだ。
 シジマはコーヒーを一口飲む。知識も無ければ良し悪しも解らないが、美味しいと思えるものだった。いつもの紅茶もそうだ。どこかで店を営んでいると言われても納得出来る。そんな想像をしたところで、シジマはふと思う。
 カクリは、一体何者なのだろうか。
 彼は自身を「狭間の部屋の案内人」と言っていたが、それは飽くまでも役割だ。彼自身が何者か、の答えとは成り得ない。この部屋に居る以上、カクリもこの世の者ではないだろう。さりとて、シジマと同じく命を絶ったとは考えられない。そもそも、彼は人間なのだろうか。
 褐色の水面に、困惑した自分の顔が揺らめいていた。
 審判を選び、生を望む者を招き、その生き様を――過去を見る。そして審判に従い、命を与え、或いは奪う。そんな事を、彼は平然とこなしていく。穏やかな微笑みを湛えたままで。人間なのだろうか、とシジマは思う。少なくとも、自分と同じ人間ではない。
「口に合わなかったか?」
 顔を上げると、カクリがこちらを覗き込んでいた。
「そんな事はない。ただ、考え事をしていて」
「考え事? ああ……そうだったな。シジマはずっと考えていたんだっけ」
 蔑笑するような彼に、シジマは身を強張らせた。彼には、自分の気持ちが解らないのだろうか。やはり、人間ではないからか。呼吸の代わりにコーヒーを流し込み、ざらついた心を落ち着かせた。
「気を悪くしたか」
「え?」
 シジマの表情に気付いたのだろう。カクリはカップを置き、シジマに向き直る。
「他意はないのだけれど、どうやら気に触ったみたいだな」
「いや……少しは、気になったけど」
「そうか。それは悪かった」
 詫びる声は先のものとは違い、低く真剣なものだった。変わらずに微笑んではいたが、目はまっすぐにシジマを見つめていた。
「別に、構わない」
 彼から視線を外し、シジマは呟く。
 コーヒーの香りを、秒針が細切れにして空に溶かしていく。柔らかく穏やかに広がるそれとは対照的に、沈黙が鈍く沈んでいく。
 かそけく揺れる、水面の鏡像。色の無い自分が、カクリと同じようにこちらを見ている。
「――あなたは、一体」
 何者なのか。
 その問いを、最後まで言葉にする事は出来なかった。
 未だ自分を見つめる彼の視線が、シジマの言葉をひしと押し留めてしまったのだ。
「どうしたんだ」
「……何でも、ない」
 シジマは視線を落とし、コーヒーを飲み干す。苦い気持ちなのはコーヒーのせいだ。彼は自分にそう言い含め、目を閉じた。

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