小説『Life Donor』
作者:bard(Minstrelsy)

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「やりたい事も、好きな人とかも居たんだろ? それに……辛い事だって、そこまで酷くはなかったんだろ」
「キテンも絶望していたんだよ。シジマと同じように、キテンの心も耐えられなかったんだ」
 カクリは静かに彼を諭す。
 行き詰って、息詰まって、生き詰まった。言葉遊びと冷笑しつつ、キテンは自身をそう評した。それが、自分を表す全てなのだと。背景にどれ程の思いがあったのか、今はもう知るべくもない。だが、命を絶つのに十分な理由だったのだ、キテンにとっては。
 そしてキテンは審判となり、役目を終えていった。これがキテンだった、とカクリは話を結んだ。
「シジマ、君はキテンをどう思う?」
 カクリが、じっと彼を見る。
「どうって……」
 聞き終えたばかりで整理しきれていない頭では、咄嗟に何も言えなかった。シジマは口ごもり、思考を巡らせる。
「俺とは違いすぎて、正直……色々あって、そういう人も居たんだ、としか解らない。けれど」
 彼は小石を落とすように、ようやく言葉になった思いを唇に乗せた。カクリは急かさず、静かに彼の声を拾い集める。
「ドナーとレシピエントって例えは、言われてみれば確かにそうだと思える。だけど、表面だけのような気がするんだ。やってる事だけをそう例えただけで、本心ではそう思っていなかったんじゃないかって。上手く言えないけれど」
 カクリの瞳が僅かに大きくなった。驚いたような、不意を突かれたような、そんな表情になる。
「本当は、嫌っていたのかもしれないね」
 表情を笑みにすり替え、カクリは呟いた。
 ドナーとレシピエントの関係を尊いと感じているのか。その問いに、キテンは結局答えなかった。ただ、様子を察する限り、好意的な目では見ていなかったのだろう。他人の臓器、即ち命を貰ってまで生きる事に。だからこそキテンは、生きる理由に強くこだわっていたのかもしれない。何故そうまでして生きたいのか。そうまでして生きなければならないのか。他人を、己の命の糧としてまでも。
 生を求める者への嫌悪感。それが、キテンにあったのだろう。貪欲に生を求める彼らを、どこかで軽蔑していたのかもしれない。だが、キテンは同時に感じていたはずだ。自分自身の「生きたい」という望みを。もう二度と届かない、決して叶えられない願いを。
「複雑な心境だったんだろうね。時々考えこんで寂しそうにしていたのは、それを思っていたのかもしれない」
 目を伏せる彼が、シジマには全くの別人に見えた。いつもの彼とは、様相が違う。深くキテンに心を重ね、憂いすら湛えているようだった。目の前に居るのは、カクリのはずだった。けれど、とシジマは息を飲む。まるで、キテンを相手にしているかのようだ。容姿さえ違って見える。これは、錯覚なのだろうか。
 頭の片隅に取り残された疑問が、目前の光景と結びつく。
「……まさか、あなたが」
 声が震えるのは、緊張のせいだろうか。
「あなたが、キテン、なのか?」
 伏せた目を持ち上げ、彼はまっすぐにシジマを見据えた。よく見ろとでも言いたげに、シジマの視界を自身で覆い尽くす。秒針が一周する程黙然とした後、彼は口を開いた。
「私は、キテンじゃない」
「それならば何故、ここまで詳しく話が出来るんだ」
 信じられないと取り繕う事さえ出来ず、シジマは漠然と彼を見る。
「詳しく、ね。しようと思えば、今までに相対した全ての審判の話が出来る。キテンと同じようにね。ただ、キテン以外の話は出来ないってだけだよ」
「印象が強いから? それとも――」
「疑うね。もう一度言うけど、私はキテンじゃない。他の人の事は詳しく話しちゃいけないだけだ。キテンの話をしたのは、それが願いだからだよ」
「願い?」
「契約の時に言っただろう? 余命を貰う代わりに、願いを叶えると」
 義務を果たし審判を解かれたキテンは、カクリに頼んだのだ。カクリと契約した審判に、自分の事を伝えて欲しいと。
「だから、キテンだけは特別なんだ。こうやって、話をする事になるからね」
「どうして、そんな事を願ったんだ」
 他に願う事はあっただろう、とシジマは思う。余命と引き換えに叶える願いではないだろうとさえ感じる。まさか後に続く審判に、自分を参考にして欲しいと思った訳ではないだろう。その逆も考えられない。
「どうしてだと思う?」
 ついとカクリは瞳を細くする。視線が影を含み、シジマを射抜いた。
「解らない」
 うつむいたシジマに、彼はゆっくりと声を落とした。
「確かに自分は存在していたんだと、一時でもいいから誰かに認識して欲しい。キテンは、そう言っていた」
 自分の事が伝えられたら、相手は自分へと意識を向ける。自分を認識してくれる。その間、自分は忘れられない。相手の記憶の中で生きられる。誰かが自分を覚えていてくれる限り、記憶が残る限り、自分は存在し続けられる。
「生きたいと、思っていたんだな」
 シジマの言葉に、彼は頷いた。
「肉体と記憶の差はあれど、誰かの中で生きる――まさしく、ドナーだよ」
 そして彼は小さく笑った。寂しげな微笑みが、そこに浮かんでいた。

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