小説『Life Donor』
作者:bard(Minstrelsy)

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 生きる事に価値は無い。生きたい理由も無い。生きていたくない。死んだ方がいい。だから自ら命を絶った。それが、審判。
 死にたくない。どうしても生きていたい。生きる理由が、価値がある。審判と相対する思いを持つのが、生を望む者。つまり、客人。
「真逆の価値観を持つ者だが、一つだけ共通点がある」
「共通点?」
「義務が課せられているって事さ」
 客人の義務は「自らの生を問い直す事」だとカクリは言う。
「与えられた時間は尽きている。それ以上の生は、義務ではなく権利だ。権利を得るには、相応の理由が必要だ。生きたいという意志だけでは不十分なんだよ」
 どういう事、と呟いたのはココウ。
「矛盾している気がするわ。だって、本来ならば理由なんて要らないって言ってたじゃない。それに、さっき私達に見せたでしょう? その生きる理由が、死ぬ理由になるところを」
「だったら君は、ただ生きたいだけだと訴えられれば、その客人を生きさせていたのか?」
「それは……」
 言い淀むココウをカクリは鼻で笑った。
「それが証拠だ。君だって理由を必要としている。相手を説得し納得させるためには、理由を語らねばならないだろう? センカも言ったはずだ。人が人として生きるために、理由は欠かせないものになっているんだよ」
 死にゆく己を繋ぎ止めている思い。何故生きるのか。何故生きたいのか。彼らはそれを自覚し、伝えねばならない。審判となった自殺者に。
 対極に位置する者に自分の思いを、生きたいと訴えねばならないのだ。至難の業だ。生半可な気持ちでは、相手を納得させられない。だから彼らは、それを伝えるために自らの生を問い直し、見つめ直す必要がある。
「それが、今まで君達がやってきた審判だよ」
 審判に課せられた義務は「相手の生死を決める事」だが、それは飽くまでも表面的なものだとセンカが言う。
「表面的?」
「そう。審判をする事自体は確かに義務だけれど、本質は裁く事じゃない。あなた達に解るかしら?」
 二人は首を振る。
「生きる理由を、もう一度知るためなの」
 彼女は続ける。
「生きる理由を知る事は、生きる事そのものを知る事。あなた達が手放した命を知る事」
 共感しなくてもいい。生きる価値を見出さなくてもいい。そんな事は求めていない。センカは言う。知るだけで構わないのだ、と。
 他人の人生を見る事が、生死を判断する事が、生きる事の追体験となる。与えられた命への代償行為となる。責任と重さを感じ、相手と向き合う事で、生とは何かを知る。
「知ってどうなるの? どうすればいいの?」
「それはあなた達が考える事よ、ココウ」
 至極当然の事ではあるが、センカの声は鋭く冷たかった。先に彼女自身が言っていた憎しみが混じったのかもしれない。
「……本来ならば」
 何かを察したのか、カクリが割って入る。
「本来ならば、こうやって構える必要は無いんだ。生きる事そのものが、命に与えられた義務だからな。それが出来ないから、こうして審判をする必要が出てきた訳さ」
 もっとも、と彼は告げる。それは自分達も同じなのだと。
「どういう事なんだ」
「私達にも義務が課せられているんだ」
「どうして。俺達の義務は代償行為なんだろう? そんな必要なんて無いんじゃないのか。それとも……ここに来る人みたいに、答えを探さなきゃいけないのか」
「そうだな。答えを探す……それに近いかもしれない」
 生を望み過ぎたと彼は言う。何としてでも生に触れたかった彼らは、自らに義務を課した。持たざる者の義務は「命を知る事」。生とは何か、生きる理由は何か――そして、その果てに行き着く死とは何か。彼らは狭間の者となり、狭間の部屋へ訪れる者からそれを学ぼうとしたのだ。心の奥底に、生者への憎しみを抱き続けながら。
「審判にならなかったのは、何故なんだ」
 ココウの問いを、シジマが繰り返す。復讐の手立てとして、これ程相応しい事は無いだろう。自分だったらそうする、とシジマは言う。
「なれなかったんだ。生きた事が無いから」
 カクリが返したのは、センカと同じ答えだった。
 間接的に学ぶ事は出来ても、根源となる生の経験が狭間の者には無い。魚が鳥の世界を知らないように、彼らも生を知らない。想像や学んだ知識では、本質まで辿り着く事は出来ない。百聞は一見にしかず、そして経験に勝る知識は無いのだ。
「俺達よりも生きる事を知っていると思うんだけど、それでも駄目だったのか」
「知っている、か」
 カクリは嘲笑する。シジマ達に向けたものか、それとも自身の立場に向けたものか。彼の表情からは読み取れない。
「生の本質は知るものじゃない。意識する事すら不可能な程に当たり前の事なんだ。どういったものか、それを言葉で説明するのは難しい。敢えて言うならば、ただ生きる、生きて日々を過ごす事そのものなんだ。それは、経験でしか得られない。だから私達は、審判になれなかった。そうした事が無かったから」
 だから、とセンカが視線を上げる。シジマ達を見ているようで見ていない。その先にある、決して届かぬものを両の瞳に映しているかのようだった。
「だから私達は狭間に立ち、命を見続けてきたの」
 現世と常世、生を望む者と死を望む者、生きる事と死ぬ事――そのどちらでもない「狭間」に立ち続ける。それが、カクリとセンカ。狭間の者達。
「終わる時は、来るの?」
「終わる?」
 ココウの問いに、センカが緩く首を傾ける。
「ここに居る事が義務なら、その義務はいつか終わるの? 自分で決めた事って言ってたけれど……ちゃんと、終わるの?」
 センカは曖昧に頷く。
「どうなったら、その義務は果たされるの」
「時が来たら、きっと」
「義務が果たされたら、あなた達はどうなるの」
「解らない」
 消えるだけかもしれないし、生きるチャンスが与えられるかもしれない。センカは僅かに微笑んだ。
 再び、沈黙が訪れる。
 カクリもセンカも、口をつぐんだままだ。問われぬ限り、彼らからは何も言わないのだろう。
 シジマは二人から視線を外し、己の膝へと落とした。どうするべきなのか、どうしたらいいのか。そんな言葉が頭を巡るばかりで、何一つ考えが出て来ない。デッドロックとしか言えない状態だ。横目でココウを伺うが、彼女は目を伏せたまま身じろぎ一つしない。彼女も同じなのだろう。
 生きる事が幸せだとは思えない。幸せなら、自分はここには居ない。普通に寿命を全うし、生きる義務とやらを果たしていたはずだ。それに、せっかく生まれたとしても、自分のように生きる事が辛くなって死を望むかもしれない。もしも同じ選択をしたら、今度は審判としてここに戻る事となる。それならば、狭間の者となった方がまだマシだ。
 しかし、とシジマはもう一度二人へ視線を向ける。憎しみを抱きながら存在し続けるのは、きっと辛く悲しい事だ。だが、義務を果たすその時が来るまで、彼らはこのままなのだ。
 どちらを選んでも、幸せな結末は得られないかもしれない。シジマは悩んでいた。一体何がベストなのだろう。どうするのが正解なのだろう、と。

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