小説『Life Donor』
作者:bard(Minstrelsy)

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 気分はどうだ、とカクリは問う。その顔にいつもの笑みを戻し、カップをテーブルに置いた。シジマはソファに寝そべったまま動かず、カクリを見ようともしない。
「そろそろ起きたらどうだ?」
「……別に寝てる訳じゃない」
「傍目には同じさ」
 そう言ってやると、彼はようやく身を起こした。寝起きのように、どこかはっきりとしない表情だ。置かれたカップに目をやっても、手に取ろうとしない。無理もないか、とカクリはカップを傾ける。シジマは相手に感情を向けられる事は苦手だ。そんな彼がココウに真正面からやられたのだ。当惑して当然だろう。恐らく、先の状況を自分なりに解釈しようとしているのだ、とカクリは推測する。
 持たざる者の審判は、いつだって一筋縄ではいかない。この二人のような衝突は当たり前だ。
「冷めるよ?」
 しかし、シジマは動こうとしない。はっきりとしなかった表情は緊張を帯びたものに変わっていた。身も心も張り詰めさせ、自分にさえ警戒しているようだ。柔らかな茶の香りは、残念ながらそれを解きほぐす手助けにはなりそうにない。カクリは諦めたように息を吐き、茶を含む。
 審判は必ず二名、男女のペア――それが持たざる者の審判の決まりだ。恐らくは両親の代理、擬似的な家族として判断させるためだ。それが設定されたのは、持たざる者の境遇が理由だろう。カクリはそう見当を付けていた。故に、と彼はカップに目を落とす。故に、持たざる者が審判の場に辿り着く事は少ないのだ。審判が可能な程余命が残っていて尚且つペアを組めそうな男女など、そうそう見付かるものではない。この場に来る事だけでも、奇跡と言って良い。ほとんどは審判すら受けられず、狭間の者へと成り果てる。
 もし仮に審判を受けられたとしても、生きられるのは極僅かだ。様々な理由で、生まれぬ方が良いと判断される。そして絶望と共に、彼らは狭間の者になる。そう、自分達も――カクリとセンカも、審判の結果で狭間の者となったのだ。
 数える程ではあるが、カクリは持たざる者の審判に立ち会った事がある。そのいずれもが、彼にとっては辛く苦しいものだった。普通の審判であれば冷静に振る舞えるのだが、どうしても感情が抑えられないのだ。死すべきと判断されれば目の前の審判を憎み、生きろと判断されれば持たざる者に嫉妬する。落ち着かねばならないのは、自分だって同じだ。
 視線を感じ、カクリは顔を上げる。目の前の少年と目が合った。いつからそうしていたのだろう。
「どうしたんだ、シジマ」
 自身の思いを悟られぬように、彼は微笑む。笑顔は感情を隠すには最適な仮面だ。カクリは、多くの審判達に向けてきたそれを、シジマにも向けた。
「一つ、聞いても良いか」
「何を」
「今まで何人も、俺達みたいな奴を見てきたんだろう。それでもやっぱり、生きてみたかったと思うのか」
 シジマの呟きに似た問いにも、カクリは表情を変えない。笑顔を貼り付けたまま答える。
「ああ、そうだな。生きてみたかったよ」
「凄く辛くて、どうする事が出来なくなって、こうするしか……死ぬしか無くなっても?」
「ああ」
「そんなにも、生きてみたかったのか」
 カクリは思わず冷笑する。ようやくカップを手に取ったシジマが、その意味をはかりかねているのか彼を見つめていた。
「私が生きたいと言うから、代わりに持たざる者を生かすとでも言うつもりなのか」
 辛うじて笑顔だけは保ったままで彼は言う。だが、隠し切れない感情が声を震わせていた。
「そんなつもりで聞いたんじゃない」
「だったらどうして聞いたんだ? 同情か? 生きられなくて可哀想だと、私達に同情しているのか」
「それは……」
「君にはそのつもりが無くても、情けをかける事自体が傲慢だよ。同情なんて不要だ。不愉快だよ。可哀想だと言っておけば、自分は少なくとも上だと感じられる。結局は、君だって――」
 更に言い募ろうとして、カクリはようやく気付き口をつぐんだ。シジマは感情を向けられるのが苦手だと理解しているのに、自分もココウと同じように当たっている。自分の思いは彼に向けるべきものではないのに、とカクリは目を伏せた。
「すまない。解っていたのに……」
 笑顔を向けようとしたが果たせず、カクリは顔をそむけた。
「別に、良いけど」
 何か感じるものがあったのだろう。シジマは視線を外し、声を落とした。
 止まない秒針の音が、沈黙を埋めるように降り注ぐ。
「シジマ。前に、私に聞いた事があったよね。時計は一体何なのか、何の意味があるのかって」
 視界の端でシジマが小さく頷いた。
「時計は、命の形なんだよ」
 秒針の奏でるそれは生きる証、鼓動の音だ。カクリは目を閉じ、耳を澄ませる。
「この部屋の時計は、今を生きる者の命が形になったものなんだ。思い入れのある時計がその形になるから、場合によっては純粋な時計じゃないけれど。だけど、その人と共に時を歩み、時を刻み、そして止まるのは変わらない。時計は、その人の分身だ。大きな古時計の歌みたいなものだよ。ただ、お別れの時を知らせるベルが鳴っても生きる事を望めば、この部屋の時計が鳴り出す。審判開始のベルになるって訳だ」
 カクリには与えられなかった音に、少しだけ視界が滲む。
「命は皆、こうやって時計を持っている。だけど、持たざる者に時計は無い。そういう意味では、君の言った通り生きてはいない……人間ではないのかもしれないな」
 シジマは何か言おうとしていたが、言葉にならなかったのか押し黙る。
「すまない。少し、喋り過ぎたな」
 涙の膜を押し潰すように数度強くまばたきをすると、カクリはいつもの笑みを作って向き直った。
「審判の答えが決まったら言ってくれ。ココウとセンカを呼ぶ」
 そう言ってカクリはソファから腰を浮かせた。一人の時間が必要だ。彼にも、そして自分にも。

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