小説『Life Donor』
作者:bard(Minstrelsy)

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 審議が決すれば、狭間の者はそれに従うだけだ。異論を唱える事も、賛同を示す事も出来ない。ただ審判の意を確認し、受け入れる。相手が誰であろうとも。
「答えは変わらないんだな」
 問い掛けるカクリに、シジマとココウは頷いた。そこに迷いが無い事を確かめ、センカに目配せする。
「ココウ、手を出して」
 言われるままに差し出された手のひらに、センカは何かを置いた。二人はそれに顔を寄せる。
「これは?」
 小さな歯車だった。吹けば飛びそうなそれを気にしてか、ココウは声を潜めて聞く。
「時計の歯車よ。生まれる前の、命の形。これを核として時計は形作られるの」
 持たざる者は時計すら無い――その事をシジマは思い出す。
「この歯車に、今までの審判と同じように余命を与える事になる。シジマ、手を重ねて」
「重ねるって……」
「それに触れなきゃならない。歯車は小さいから、二人の手で包む形にするんだ」
 カクリに促され、シジマはココウの手のひらに自身を重ねる。必然、手を繋ぐような形になった。照れている場合でもないしそういった関係でもないのだが、やはりどことなく気恥ずかしさを感じてしまう。ココウもどうやら同じ気持ちらしく、きまりが悪そうにしていた。そんな二人に、カクリとセンカが吹き出す。その顔は狭間の者ではなく、兄や姉のような一人の人間のものだった。
 しかし、それは僅かな間だった。すぐに二人は狭間の者の顔へと戻る。重ねた手に力が入った。空気が、引き絞られた弓のように張り詰める。
「審判は下った」
「持たざる者を、現世へと送ります」
 触れている歯車が熱を帯びる。
「シジマ、君から貰う余命は四十年だ」
「ココウ、あなたからは三十年よ」
 それぞれに頷き、目を閉じた。それと同時に、意識が押し流されるような感覚が二人を襲う。今までのものとは全く違うそれに、互いの手をきつく握り合わせた。
 閉ざした目蓋に、強い光を感じる。恐らく歯車だろう。命の光だ、などと感慨に浸る余裕は無かった。熱さとも冷たさともつかぬ奔流がシジマの中を駆け巡る。自分さえも曖昧になりそうな中、唯一ココウと繋いだ手のひらだけが確かな温もりを伝えてくれていた。それを頼りに、何とか意識を繋ぎ止める。
「後少しだ」
 すぐ近くでカクリの声が聞こえたが、頷く事も出来ない。食いしばった歯の奥から呻き声が漏れる。
 感じていた光が徐々に弱くなる。感覚が戻り始め、秒針の音を耳が捉えた。
「大丈夫か、二人共」
 背中に触れる暖かさ。カクリだ、と焦点の合わない瞳が捉える。浅くなっていた呼吸を戻すと、彼の姿がはっきりと映った。心配そうな顔をしている。シジマが頷くと、その顔に安堵の笑みが浮かんだ。
 シジマは隣のココウを伺う。彼女も虚ろな目をしていたが、センカの呼び掛けに焦点を戻した。これで問題無いだろう。
「これで、終わりなのか」
「ああ。手の中を見てみろ」
 カクリに言われ、シジマは重ね合わせていた手のひらを離した。
 そこにあったのは、剥き出しの盤面。時計として動いているようだが、形作るケースは無く、部品を組み上げただけの歪な形をしている。最初に渡された歯車は中に組み込まれているからか、外から確認する事は出来ない。それとは違う歯車がココウの肌をこすりながら、ぎこちなく時を刻んでいた。時計の骸骨とでも呼べばいいだろうか。今にも部品が外れそうな気さえする。
「これが時計、なの?」
 ココウが困惑気味に呟く。
「私達、失敗したんじゃ……」
「良いのよ、これで」
 不安気な二人と違い、センカとカクリは穏やかに微笑んでいる。
「だけど」
 何かを言いかけたココウが息を呑み、手の中へ視線を落とした。シジマも何事かと覗き込む。
 二人の目の前で、時計が淡い光に包まれていた。その輪郭が形を失い、氷のように溶けていく。
「あるべき場所へ、行ったのよ」
 言葉を失くした二人にセンカが言う。
「持たざる者――いえ、もう違うわね。新しく生まれる者の中に行ったのよ。その命の時を刻むために」
「そう、なのか。それじゃあ、生きているって事なんだな」
「ええ」
 蝉時雨のように針の音が響く。新しく生まれる命の音も、きっとこの中にあるのだろう。シジマは姿無き相手を思う。彼か、或いは彼女か。
 不安は胸にあるだろうか。希望を抱いているだろうか。まだ見ぬ世界に何を描いているのだろうか。シジマは願う。どうか、自分達と同じ道を歩む事など無いように、と。
「さて、そろそろだな」
 カクリの笑みに、僅かだが影が差した。
「そろそろって、何が」
「お別れだよ」
「え?」
 一瞬、シジマの思考が止まる。
「おいおい、忘れたのかい。預かった余命が付きたら、願いを叶えて解放する。そういう契約だっただろう」
「忘れた訳じゃないけど」
 そうだ、とようやく認識が追いついた。持たざる者に、自分は全ての余命を渡したのだ。
「終わりなのか。俺はもう、審判をしなくていいのか」
「ああ、勿論だ。これで余命は尽きた。君を解放する」
 カクリの言葉に、センカも頷いた。
「ココウ、あなたもよ」
 彼女の微笑みにも影が差していた。自分達との別れを惜しんでいるのだろうか。それとも、幾許かの憎しみが混ざっているのだろうか。
「これで本当に最後だ。君の願いを、言ってくれ」


 最初に願ったのは、復讐だった。
 自分を追い詰めた連中に、同じ思いをさせてやりたかった。
 もっと酷い目に遭わせたかった。
 殺してしまいたいとさえ思った。
「願いは変わらないのか」
 カクリの問いに、シジマは答えられない。
 連中と同じ事をしていた藤内奈美。彼女の呪詛と割り切れない思いが、彼の中で澱となって沈んでいた。気持ちは晴れるどころか、今も引きずる程に重くのしかかっている。連中を殺して復讐を果たしたとしても、恐らく清々しい気分にはなれないだろう。死んでも連中から逃れられなくなるだけだ。それこそ、どこへ行っても地獄にしかならない。生きていた時と、変わらない。
「シジマ。君は、何を願うんだ」
 だが、復讐したい、その気持ちが無くなった訳ではない。ずっとくすぶり続けている。けれど、あんな思いをするくらいなら、とシジマはカクリを見据える。追いすがる暗い気持ちを断ち切るように。
「一日だけ、時間が欲しい」
「時間?」
 カクリが眉根を寄せる。
「街に行って見てみたいんだ、色んな人を。色んな人を見て、生きるって事を最期に考えたい。答えが見付かるかどうか解らないけれど、それでも、俺なりに考えてみたいんだ」
 自分を解放するために。自分を苦しめた者達から、本当に自由になるために。
 カクリは戸惑いながらシジマと向き合う。
「行く事は可能だが、生者としては不可能だ。審判の時と同じように、誰からも視認されない、言ってしまえば幽霊としてならば可能だ。ただ見ているだけで、君は何も出来ない。誰かに何かを伝える事も出来ない。それでも構わないと言うならば、叶えよう」
 シジマはしばし沈黙し、それで良い、と頷く。
「あなたはどうするの、ココウ」
 名を呼ばれた少女は、小さく身じろぎをした。
 彼女にも、恐らく決めていた願いがあるはずだ。一体、何を願うのだろう。自分と同じように、誰かへの復讐を考えていたのだろうか。シジマは息を詰め、ココウの横顔を見つめた。
「同じ事を、願っても良いの?」
 シジマの視線をまっすぐに受け止め、彼女が言う。
「同じ?」
 問うたのは、シジマ。
「私も、街に行ってみたい」
 ココウは視線をセンカへと向ける。
「どうして、彼と同じ事を? 行ったとしても、さっきカクリが言った通りだけど、何も出来ないわ」
「もう一度見てみたいの。私が生きてきた場所、世界を。もう死んでしまうけれど、私はここで生きたんだと最期に感じたいの」
 そう言って彼女は小さく笑う。
「真似したつもりは無いんだけど、似たような理由ね」
「あなたがそれで良いというなら、叶えるけれど」
 困惑するセンカとは対照的に、ココウははっきりと頷いた。そこに迷いは無い。
「解った。叶えよう」
 カクリとセンカも互いを見合わせ、頷いた。
「これを」
 センカが二人へ何かを差し出す。キーチェーンに付けられた、銀色の小さな時計だった。懐中時計に似たそれの裏には、蝶の模様が彫られている。
「あなた達の時計――命はもう、止まっている。だからこれは、現世に留まるための仮初よ。そして、あなた達が使える最後の時間」
 シジマは自分の左腕を見る。彼がずっと身に着けていた、手巻式の腕時計。これは自分の命の形だったのだろう、と彼は理解する。センカの言った通り、部屋に来てから動きを止めていた。もう二度と動く事は無いのだろう。受け取った時計に目を落とす。
 これが、自分の最後の願いの形だ。僅かに感じる振動は、中で動く秒針のせいか。止まった命が刻むはずだった時を、仮初のそれが刻んでいる。
 そして彼は思い出した。その願いすら、義務の一部であった事を。
「一つ、教えてくれないか」
 席を立ちかけたカクリに、彼は問い掛ける。
「何だ」
「最初に言ってたよな。願いは義務だ、意味はちゃんとあるって」
「ああ」
「どういう意味なんだ。どうして、願い事が義務になるんだ」
 カクリがシジマの目を真っ直ぐに見る。シジマはそれを、まばたき一つせずに受け止めた。
「教えてあげるって言ったんだっけな」
 先に視線を外し、カクリが笑う。
「ココウも、センカから聞いているんだろう? 願い事は義務って」
「え、ええ……一応」
「そうか」
 カクリはソファに座り直し、二人を見据えた。
「君達の最後の願い――それは、生まれてくる時に抱いた願いだ」
 互いを見合わせる二人に、彼は続ける。
「生きて、何をしたいのか。成長するにつれて、例えば歌手になりたいとか、お金持ちになりたいとか、そういった願いを抱くだろう。だが、この願いはそういうものとは違う。命そのものが、この世に生まれる時に抱いた願いだ」
 命は、二つの願いを持つという。
 一つは、持たざる者の願いでもあった「生きたい」という、生そのもの。
 もう一つが、この世で生きて叶えたい事。何のために生まれるのか、何をしたくて生きるのか。世界を知る前に、命の奥底から抱いた願いだ。
「じゃあ、持たざる者も……」
「生きられると決まってから、もう一つの願いを持つんだ。持たざる者としてここに来た時には、まだ願いは無い。生きられるかどうか解らないからな。願いを持つ以前の話なんだよ」
 ここで審判を受けた持たざる者は、その願いを描いている頃だろうか。
 カクリは言葉を探すように視線を揺らす。
「ただ生きるために、自然の摂理とやらだけで生まれる。それは確かな事実だ。けれど……生きる以上は、何かを求めるんだろうな。私には解らないけれど」
 もしも契約した時と同じ事を、復讐を願ったとしたら、自分は復讐を心に抱いて生まれてきた事になるのだろうか。ただ復讐するためだけに生きていた、となってしまったのだろうか。シジマは思わず身震いする。
「その願いは、勿論叶うとは限らない。だけど、何らかの形で、それぞれの結果は得られるんだと私は思う。それが、与えられた命を全うする事になるんだから」
 自ら命を絶つ者は、その結果を得られない。結果を得る事も、生きて果たす義務の一部なのだろう。だから最後に願いを叶える――僅かでも結果を手にするために。
「他に、聞きたい事は無いか」
 カクリの問いに、シジマは逡巡する。まだ何か聞いておきたい事がある、そんな気がしてならない。しかし、とシジマは首を振った。この先は、自分で見付けるしかないのだと。
「そうか。なら、行こうか。君達を送り届けよう」
 カクリは二人を促し、扉の前へと歩き出す。
 扉が音も無く開いた。開いた先に広がっていたのは、何も無い空間だった。底無しの闇のようにも、果てなく広がる宇宙にも見えた。恐怖は無い。
 一歩足を踏み出せば、願った先へと送られるのだろう。そして、ここには二度と戻れない。彼と言葉を交わす事も出来なくなるのだ。
「その、カクリ」
 扉の前でシジマは振り返る。
「色々と、ありがとう」
 思いもよらなかったのか、カクリは驚きの表情を浮かべた。
「別に私は何もしていないさ、何も。君が何かを得られたのなら、それは君自身で手に入れた事だ」
 そう言って、ふと考え込むようにシジマを覗き込む。
「初めてだな。君が、私の名前を呼んだのは」
「そうだっけ」
「ああ」
 彼は兄のように優しく微笑んだ。
「私も、君から学ぶ事は多かった。ありがとう。もう二度と会えないのが残念だ」
 そして、右手を差し出す。握手という事なのだろう。シジマは一瞬戸惑ったが、その手を握った。細く滑らかで、生きる者の温もりがそこにあった。
「さよならだ、シジマ」
 二人の手が離れる。
 ココウもセンカとの別れを済ませたのだろう。シジマの隣に立ち、彼を伺った。
「さよなら……ありがとう、カクリ」
 別れと感謝の言葉を最後に、二人は背を向けて部屋の外へ踏み出した。
 扉の閉まる音。
 そして、全ては闇に包まれる。

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