小説『Life Donor』
作者:bard(Minstrelsy)

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「ようこそ、狭間の部屋へ。浦川(うらかわ)みつきさん」
「どうして、私の名前を」
 彼女、みつきはそう言ったきり言葉を失う。
 絶句する彼女に、カクリは抱えていた時計を机に置き、見覚えはあるかと質した。
「これは、ええ、あります。リビングの時計です、私の家の。友達からお祝いに貰った――どうして、ここに」
「あなたのものに、間違いありませんね」
「え、ええ」
 カクリは頷き、目を細める。
「浦川みつきさん。あなたは今、生と死の狭間に居ます。このままでは、あなたは死にます」
 唐突な宣告に息を呑む彼女。構わずに、カクリは続ける。
「あなたには、二つの道があります。一つは、このまま死を受け入れる事。もう一つは、生きるために審判を受ける事」
「審判? あの、宗教は……」
「あなたの信仰心とは関係ありません。必要なのは、生きたいという意志と、生きる理由です」
「そんな、審判なんて」
 どうしていいのか解らないのだろう。彼女は混乱していた。自分が死ぬという現実でさえ受け入れ難いというのに、いきなり審判だといわれても訳が解らないのは当然だ。呆然とする彼女を、シジマは黙って見つめるしかなかった。かける言葉も気持ちも、彼は持ち合わせていない。
 秒針の音だけが響いている。
 どれくらい経っただろうか。幾分落ち着いたみつきは口を開く。
「その審判を受けるには、どうしたらいいんですか」
 声に迷いは無かった。現実を受け入れ、生きたいという望みが混乱を抑えたのだろう。
「審判を、受けるのですね」
 はっきりと彼女は頷いた。
「覚悟はありますか? あなたが生き続けるためには、犠牲にしなければならないものがあります。あなたはそれを受け入れなければならない。それでも、審判を受けるのですか?」
 カクリが念を押す。机に置かれた時計が、燐光をまとう。
「受けます」
 みつきは答える。しっかりと、シジマ達を見据えて。
「解りました。浦川みつきさん、あなたの行く道を決めます。……シジマ、手を」
「え?」
「時計の上にかざすんだ、そう、それでいい」
 始めよう。カクリの声と共に、光の渦が彼らを包んで飲み込んだ。


 目を開けたシジマが見たのは、ごく普通の街だった。当たり前過ぎる光景に、彼は拍子抜けする。審判だと言うから、てっきり仰々しい場所に連れて行かれるものだと思っていたのだ。
 ここは何処なのだろう。よく晴れた、昼下がりの住宅地。静かで人通りも少ない。その街並みに見覚えは無かった。どうやら、シジマの住んでいた街ではないようだ。
 あっと悲鳴に似た声が上がった。振り返ると、カクリとみつきがそこに居た。カクリは平気な顔をしていたが、みつきは呆然とした様子だった。動揺のせいか、視線が揺れている。どういう事なのか、とカクリを見る。
「これが審判さ」
 カクリは事もなげに言った。
「審判って、こんなところで何をするって言うんだ。普通の街じゃないか」
 訝しむシジマに、見ていろ、とカクリは微笑む。
 程なくして、人の話し声が聞こえてきた。その声に、みつきは酷く狼狽している。何故と聞く前に、その一団が姿を表した。
 何の変哲もない主婦の一団。この界隈の住人なのだろう。打ち解けた様子で、他愛もないお喋りをしている。いつもなら気にも留めない。だが、シジマの目はその中の一人に釘付けとなる。
 浦川みつきが、その一団に居た。
 シジマは二人を見比べる。取り乱さんばかりの彼女と、穏やかに談笑する彼女。他人の空似などではない。同一人物だ。
「か、隠れなきゃ。私が二人なんて、そんな、そんな事――」
 身を隠す場所を必死で探す彼女に、カクリは大丈夫だと笑いかける。
「何言ってるの? 見付かったら大騒ぎになるわ」
「ご心配なく。これは過去です。我々は今、過去に居るのですよ。我々の姿は誰にも見えていません」
「過去だって?」
 素頓狂な声を上げたのは、みつきではなくシジマだった。
 一団が、彼らのすぐ側を通り過ぎる。誰も、彼らを気に留めない。見えていないのだろう。確かに彼の言う通りだ。しかし、とシジマは思う。何のために過去へ来る必要があるのだろうか。
「これが審判なんだよ、シジマ」
 カクリはシジマに向き直る。その間を、一陣の風が吹き抜けていく。
「生きたいと望む者がどう生きてきたのか。何故生きたいと思うのか。君は今から、それを見るんだ。そして、判断するんだ――生き続けるに相応しいかを」
 梢がざわめく。日溜まりに落ちた影が、激しく動揺している。
「人生を、生き様を見ろって言うのか」
 カクリは頷く。
 呆然と座り込むみつきと過去の彼女を交互に見やりながら、シジマは茫洋と呟く。そんな事が自分に出来るのか、と。
「出来るか、じゃない。やらなきゃいけないんだよ。これは、義務だ」
 カクリは二人を促し、一団の方へと向かった。

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