小説『Life Donor』
作者:bard(Minstrelsy)

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 シジマは、街の喧騒の中に居た。日は高いが、空には薄雲のフィルタがかかっている。人通りは多い。休日なのだろうか。彼は辺りを見回す。自分の住んでいた街ではないが、見覚えはあった。
 ふと、気配に横を向く。
「え? えっと……」
 ココウだった。彼女も戸惑った視線を彼に向ける。
「一緒に、来ちゃったね」
 カクリ達が気を利かせて、二人を同じ場所へと送ったのだろうか。しかし似たような願いでも、行きたい場所が違えばその通りになるはずだろう。そうだとしたら、どちらかが一緒に行きたいと思ったのだろうか。
「街に行きたいって、その、俺と同じ街だったの?」
「そういうつもりで言ったんじゃないんだけど」
 シジマも、彼女と同じ街に行きたいとは望んでいなかった。
「それじゃあ、この街に住んでいたとか」
「ううん、違う。来た事はあるけど」
 この街に何か思い入れがあるかと言われれば、幾度か遊びに来たりした程度で、特段行きたいと思う場所ではない。思い入れの有無で選ぶならば、もっと別の場所があっただろう。例えば、生まれ育った街。
 そう思い描いて、シジマは気付く。
「住んでいた街に行きたいって思った?」
「それは……」
 彼女は口ごもり、視線を落とす。その反応に、シジマは合点がいった。
「俺も、自分が居た街に行きたくないって思ったんだ。二人共同じ事を思ったからここに来たんだよ、多分」
 二人共に自分の街には行きたくないと思っていた。だが、縁もゆかりもない街に行かせる訳にはいかない。それならば、と妥協案としてカクリ達が選んだのがここだったのだろう。
「一人よりはって、変に気を利かせたのかもしれないけど」
 ココウはそう言って笑った。その笑い声に気付く者は、シジマ以外に居ない。
 行き交う人々に二人の姿は見えていない。ただ通り過ぎ、雑踏へと消えて行く。友人や恋人と共に楽しげに行く者、早足で一人行く者、身体を引きずるようにうつむく者、その様子は違う。誰一人として同じ歩みの者は居ない。そんな当たり前の事に、シジマは今更ながら気付く。
 信号が、青から赤へ。
 人の流れが緩やかに止まり、車が何かに追い立てられるように忙しく走りだす。
 道路の真ん中に居たところで何ら問題は無いのだが、つい人波を避けて端へと寄ってしまう。習慣なのだろうが、妙な可笑しさがあった。
 小さなカフェの店先に来たところで足を止め、二人はしばらく雑踏を眺める。
「行きたいとことか、見たいものとかあるの?」
「特には、何も。そっちは?」
「私も別に、これといっては無いかな」
 喧騒にかき消されそうな程小さな声なのに、彼女の声ははっきりと届く。
「親とか友達の姿を見たいとか、そういうのは無い?」
「まさか、全然」
 彼女はそう言って笑った。無理して笑い飛ばしている。シジマはそう感じ、彼女から目をそらした。
 見たところでどうしようもないのだ。説明された通り、何を伝える事も、彼らが自分を見る事も出来ない。それでも、もし叶うのならば。詮無いと理解していても、そう考えてしまう。
「会いたいって思ってるの?」
 笑いを止め、ココウがシジマを伺う。
「会ったところで……」
 気持ちを振り払うように首を振る。それで察したのか、ココウは唇を噛んだ。きっと、シジマと同じ気持ちだったのだろう。
 辛くなる事は解っていた。それでももう一度、街に来たいと思った。それぞれの理由を胸に、どちらともなく歩き出す。生きる事、生きた事、自分の答えを見付けるために。


 人の流れのままに歩き、辿り着いたのは海に臨む公園だった。地面を踏み締めて歩く感触があっても疲れを感じないのは、カクリの言う通り幽霊と同じだからだろうか。それならば空を飛べても良さそうなものだが、とシジマは思う。出来ないのは、自分達が曖昧な存在だからだろう。本来の自分は、欄干から飛び降りる寸前で止まっている。生きているとも死んでいるとも言えない状態が未だ続いているのだ。
 まばらに置かれたベンチに触れた。太陽を含んだ穏やかな温もりに、どこか安心する。シジマは空いているそこに腰掛けた。
「座れるんだ? 何か変なの。幽霊みたいなものなのに、物に触れたり出来るなんて」
 そう言いながらココウも座った。
「テレビに出て来る幽霊とかも、こんな感じだったのかもな。動かせないだけで、普通に触ったりして」
「そうかも。自分は生きてる時と変わらないって思ってたりしてね」
 薄雲が流れ、太陽の光が降り注ぐ。光は二人を無視し、ベンチの影を伸ばした。
「あ、あのさ」
 ココウが気まずそうな表情を浮かべていた。
「何?」
「その、ちゃんと謝ってなかったなって」
「謝るって、何が」
 シジマが首を傾け、ココウは頭を下げる。
「ごめんなさい。審判の時、叩いたし……色々酷い事も言っちゃったし」
 予想外の言葉に彼は慌てる。
「別に、いや、俺だって勝手な事言ったと思うし、そんな謝る事じゃないよ。お互いに真剣に考えてたから、食い違ってぶつかったんだと思うし」
「だけど、やっぱり叩いたりしたのは良くない、でしょ」
「そりゃまあ、そうだけど……良いよ、別に」
 気にしていなかったと言えば嘘になるが、余程の理由があった事は彼にも想像がついていた。我を忘れる程の激情。彼女の心の傷に触れてしまったのだろう。それならば、謝らなければならないのは自分だったのかもしれない。落ち込んだ様子の彼女を見て、シジマはそう思っていた。
 犬を連れた青年が二人の側を通り過ぎる。一瞬、犬がこちらを見た。まさか自分達が見えるのだろうかとシジマは手を伸ばしかけるが、犬はそれを無視し何事も無かったかのように主人の横で尻尾を振っていた。予想していたとはいえ、一抹の寂しさが胸をよぎる。
「生きてた時の私みたいだ」
 その様子を見ていたココウが呟いた。
「生きてた時の?」
「うん。さっきの犬みたいにちらっと私を見て、後は知らんふり。いつもそうだった」
 しかも自分の家族に、と彼女は肩をすくめる。
「昔のドラマとかでさ、お前は要らない子だって家族にいじめられる話、あるでしょう。あれと同じなのが、私の家族」
 物語の題材になりそうな、崩壊してしまった家族だった。それでも、体面だけは取り繕っていたのだろう。彼女の苦しみは、外に届く事は無かった。
 いつもは彼女を居ないかのように扱うが、あるきっかけで目を向ける。それは、自分達の機嫌が悪い時と、彼女が失態を犯した時だ。
 失態と言っても、ごく普通の家庭なら些細な問題だろう。テストの点数が少し悪かった、帰る時間が少し遅くなってしまった――その時は叱られるだろうが、必要以上に責め立てはしないはずだ。
「あんなの、家族じゃない」
 吐き捨てる彼女の言葉には、隠せない憎しみが混じっていた。
 褒められた記憶は無い。向けられる笑顔は嘲笑と優越。徹底的に彼女を貶め、反抗的だと取られれば力でねじ伏せる。唯一の救いの場は学校だった。学校だけでは、彼女は評価して貰えた。一人の人間として扱って貰えた。
「先生とかには、言ったの?」
「無理だよ。そんなの、言える訳無い」
 叶う事ならば、彼らの人生を滅茶苦茶にしてやりたかった。然るべき機関へ言えばそうなっただろう。だが、言えなかったのだ。怖かった、と彼女は言う。逆らえなくなっていたのだ。抑圧された生活がそうさせた事は、シジマにも理解出来た。
「学校に居れば、大丈夫だと思ってた。部活には入れなかったけど、図書館に居たり、先生の手伝いしたり出来たし」
 だが、そこも彼女から奪われてしまった。両親が退学届けを出したのだ。
 お前にかける学費は無駄だ。働ける年なんだから外に出ろ。元々要らない子なんだから少しは役に立て――泣いて通学を望む居彼女にそう言って、両親は笑ったという。
 事情を知らない友人達には何も話せなかった。それが憶測を呼び、あらぬ噂がそこかしこで囁かれた。弁明の機会も与えられなかった。絶望しきった彼女が辿り着いたのは、いつも通っていた池のほとりだ。
「ちょっと前に溺れて死んじゃった人が居たってニュースになってたの。だから、私もここなら死ねるんだって……そうしようって思ったの」
 水面に靴先が触れようとした時、センカが現れて契約を持ちかけてきた。願いを叶えると聞き、彼女はセンカと契約を交わした。自分を追い詰めて殺した家族に復讐するために。
「復讐、か」
「するつもりだったんだけどさ、そうい言えば遺書に洗いざらい書いたしって思って。それに……最後くらい、自分がちゃんと生きたんだって確かめたかったから」
 ココウは笑った。憑き物が落ちたように、晴れやかな微笑みだった。
 壮絶だ。持たざる者を「生きさせない方が良い」と断ずるのも当然だろう。シジマなら間違い無く耐えられないだろうし、他の者であっても多かれ少なかれ同じ道を選ぶのではないだろうか。安易に口を挟むべきではなかった。彼女の背景を知らず、やはり自分は軽率な事を言っていた――シジマの心を、後悔が塗り潰していく。
「あ、ごめんなさい。いきなり自分の事話しちゃって」
 頭を下げるココウに、シジマは首を振る。
「やっぱり、謝るのは俺の方だよ」
「どうして」
「そんな事全然知らないのに、偉そうな事ばっかで。自分達じゃ駄目でも持たざる者なら、なんて、言って良い事じゃなかったよ」
「でもそれは、そっちの方が正しかったよ。後からそう思ったし、決めつけちゃいけない事だから」
 同じ年頃のカップルが、じゃれあいながら歩いている。その視線がこちらを向き、歩みもそれに従った。ベンチに座るつもりだろう。シジマ達の姿が見えない以上、ここは「空席」なのだ。どちらともなく立ち上がり、カップルに席を渡す。
「場所、移ろうか」
 行こう、とココウがシジマを促した。

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