小説『Life Donor』
作者:bard(Minstrelsy)

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 良き人生を。
 別れの言葉をそう締めくくり、カクリは扉を閉めた。そして、先ほどまでみつきが居た場所に腰掛ける。
「お疲れ様。一仕事終えた気分はどうだい?」
「……気分?」
 にこやかなカクリに対し、シジマは苦しげな表情だった。問うまでもなかったか、とカクリは笑う。
「義務というものは、往々にして苦しみを伴うからね。君の場合は尚更だろう。なんせ彼女は、君とは正反対なのだから」
 見たくないものを見せられ、聞きたくない事を聞かされれば不愉快にもなるだろう。冷笑するカクリに、シジマはうつむくだけだった。
 生と向き合う事を余儀なくされ、自分が捨てた命を思わざるを得なかった。針のむしろに座らされたような苦しみに、シジマは耐えられなかった。そんな自分が、正しい判断を下せただろうか。みつきを生きさせると決めたのは、彼女の思いに応えたからではなく、ただ逃げたかっただけなのかもしれない。生きる事と同じように。
「しばらくは来客は無いはずだから、少しはゆっくり出来るはずだ。気分転換にお茶でも淹れてこようか? 好みがあるなら聞くけれど」
「それよりも、聞きたい事がある」
 シジマは湧き上がる陰鬱な気持ちを何とか抑え、カクリに問い掛ける。
「二十年って言ったよな、あの人が生き続けるために必要なのは」
「ああ。それがどうしたんだ」
「それはつまり、あの人が生きられるのは二十年って事なのか?」
 カクリは緩く首を振った。
「火種、とでも言えばいいのかな」
 狭間の部屋に辿り着く者は、普通であれば既に死んでいる者達なのだ。その消えたに等しい命を、生きたいという凄まじいまでの思いだけで繋ぎ止めている。
「だから、そのままでは生き続ける事は出来ない。生きるための力も時間も、もう無い訳だからね」
「時間も? 余命も無いのか」
「あるとも無いとも言えない。狭間の部屋に来た段階では、まだ不確定な状態だからね。君の判断が、ここに来る者の余命を決めると言っても過言ではないんだよ」
 その言葉に、今更ながら責任の大きさを思い知らされ、シジマは軽く身震いする。自分の判断は正しかったのだろうか。みつきを生きさせると決めて、本当に良かったのだろうか。
「どうした、シジマ。気分が悪いのか?」
「いや、大丈夫だ」
 シジマは惑いを気取られぬように無表情を装い、話の続きを促した。
「生きる時間は君の判断でどうにかなるが、生きるための力はそういかない。与えてやらなければならないんだ。例えるならば、そうだな……ロウソクだ。幾らロウソクは燃えると言っても、それだけで燃える訳じゃない。火を付けてやらなければ燃えないだろう?」
「その火が、俺の余命?」
「そんなところかな。最初の火さえ与えてやれば、命はまた生き始める。後はそれが尽きるまで、さ」
 みつきがどれくらい生きられるかは解らない。だが、彼女自身が言った通り、精一杯生き抜くだろう。カクリはそう言って穏やかに微笑む。
「しかし、二十年か。大体は五年程度なんだ。彼女はかなり死に近付いていた。それでも狭間の部屋に来られたのは、余程生きたいと望んでいたからだろう。シジマは、良い判断をしたと思うよ」
「そう、なのか」
「彼女にとってはね」
 カクリはシジマの瞳を見据える。口元だけに意味深な微笑みを残し、まじろぎもせずに。シジマが胸苦しさに視線を逸らすと、苦笑に似た溜め息をつき、まあ良いさと腰を上げた。
「これで君の余命は五十三年となった。長い付き合いか短い付き合いかは解らないけど、改めて、よろしく頼むよ」
 お茶にしよう。そう言って、カクリは部屋の奥へと消えた。

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