僕は手に持ってたビニール袋を掲げた。中には買った弦とピックが入ってる。
「楽器店に買い物です。裏参道の表通りの。」
先生はああ、あそこねと答えた。それからちょっとの間だけ先生と僕の会話は途切れた。先生は足元に視線を落とし、僕は中吊り広告をまた読んでいた。電車は走るたびにわずかな振動がしている。天井の冷房の風の影響もあってか、中吊り広告の紙がユラユラと下の方だけ揺れている。
車内は本当に静かで、電車の音くらいしか耳に入らない。僕は静かに中吊りの見出しを見ていたが、先生に話しかけた。
「週刊誌ってなんか俗悪な感じですよね。」
「ん?」
先生が靴の方から僕に視線を変えた。僕は中吊りの見出し記事を指差した。先生も中吊りを見た。
「お泊り愛とか、レベルが低すぎですよ。」
「新聞記者にとって芸能人のプライバシーは商品扱いだから、色恋ごともネタにされちゃう。確かにああゆうのを見て決して高尚なものだとは思わないわよね。」
「本当ですよ。恋愛したからって別に特別なことじゃないのになぁって思うんですけど。人間ですし。」
「そうね。」
ささやかな怒りを吐く僕を見て、先生は自分の膝の上に手を重ねて置いて、僕に話しかけた。
「・・・ねぇ、田中君って今恋人さんとかいるの?」
僕は人に言われたことを理解するのに数秒時間がいる。タイムラグか。その言葉を理解して僕は先生を慌ててみた。先生は小首を傾げて例の微笑を浮かべながら僕の顔を見ていた。僕は顔の前で手を振って否定した。
「いやいや。僕なんか相手にされませんよ。イケメン至上主義の時代に。」
「あはは・・・、イケメン至上主義ってそんな大げさな。」
あまり賛同してない先生に僕は付け加えた。
「それに僕、実は人を好きになったことないんですよ。」
先生は露骨にびっくりしたという顔を見せた。
「えっ、そうなの?」
「はい。みんなこれ見よがしに彼氏彼女とルンルン歩いてますけど、それに至る過程がよく分からなくて。どうしてあんな恥ずかしいことできるんだろうなって。過去を振り返っても人を好きになる経験・・・もちろん覚えてないだけであったかもしれないですけど。」
ふーん、そうなんだと先生は多分納得した感じだった。そうゆう子もいるんだなみたいな。
「まぁでも、恋愛感情ってそうそう簡単に湧き出るものじゃないから、いずれ田中君を夢中にさせる人と出会えるはずだよ。」
「・・・そうゆうことが分かってるってことは、先生も夢中にさせられた経験があったんですか?」
先生は僕を見て、ニヤニヤしながら天井に目をやった。僕は直感的にあっ、誤魔化してると思った。さらに追及してみた。
「どうなんですか?先生。」
先生は腕を組んでおどけた笑顔をしてみせた。
「さぁ、どーなんでしょー?」
先生の態度に僕は笑いながら反論した。
「どうなんでしょうって、教えてくださいよ。僕言ったんですから。」
「・・・ふふーん。」
「うわっ、だんまりを決め込むなんて・・・意地悪だなぁ。」
先生の可愛い意地悪を、僕はどうすることもできなかった。会話している僕と先生をよそに、電車は地下のトンネルの入り口付近まで近づいて行った。