「おやおや、どこの誰かと思ったら昭和野郎じゃねえかぁ。推薦取ったんだって?良いご身分だねえ。こんな時間からブラブラとして。」
へらへらと引きつった笑いをしながら太田と若林と武元は僕を囲んだ。こいつらも塾帰りなのだろうか。ショルダーバッグを提げている。
「お前らこそこんなとこで。仲良く3人でお勉強ごっこでもしてたのか?」
僕はなるべく平静を装う為に頭をボリボリ掻きながら言った。
「心配するな。てめぇより偏差値の高い大学俺ら受けるつもりだからよぉ。そんなに羨ましがらなくてもいいんだぜ?」
「その干からびた脳みそじゃどの大学行っても着いていけないだろうよ。まずはそのほっぺの鼻くそ・・・そばかすとれよ。」
太田はワックスで加工した髪をいじりながらふんっ、と鼻を鳴らした。
「今日はなぁ、何言っても無駄だからなぁ。お前を可愛がりに来たわけじゃないんだよねー。」
「じゃぁ何のつもりで来たんだ。」
太田はポケットに手を突っ込み、得意な顔をする。そして僕をいやらしい笑顔で見てから突然叫んだ。
「先生ぇー、恋人いるのか教えてくださいよぉー!」
僕は一瞬何を言ってるのか分からなかったが、僕にはそのセリフに覚えがあった。それを思い出した瞬間、顔から血の気が引く思いがした。
「・・・・。」
太田は僕の表情を見てチャンス、という顔をした。
「俺は知ってんだぜ。お前が夏、塾の教師とイチャついてることをさ。」
僕は急に恥ずかしくなった。
「な、何のことだよ?」
「お前市谷スクールだろ?実はさぁ、俺の中学時代の後輩が市谷に通ってんだよ。そいつらがさ、可愛い女子大生と仲良くやってる男ががいるって聞いてよぉ、よくよく話を聞いてみたらお前だったわけ。」
「・・・・。」
「しかもある日電車に乗って前の席を見たら、いちゃいちゃしているやつらがいると思ったらてめぇと女子大生だったってわけよ。」
僕はハッとした。あの夏の日、先生と話していると他校の生徒が乗ってくるのが見えた。羨望の眼差しで見ていた彼らはそうか、こいつの・・・。
「お前ぇはともかく、すげぇなお前の淫乱講師。生徒に手を出すとはね。教師と生徒の秘め事・・・、羨ましいよぉ、こんな受験のシーズンに羽目を外せるなんて・・・。」
本当に、僕はどうでもいい。いつものことだ。こいつらが僕を目の敵にするのは。でも、先生にそんなこと言うのはどうしても納得がいかない。
「先生とはそんなんじゃない!!」
僕の怒りを無視して太田は続ける。
「先生っ、僕とヤってください!・・・あんっ駄目よ田中君こんなとこで!ああーん!!」
太田は僕と先生役の二役をやって、大げさな動きをしている。若林と武元は爆笑していた。僕は拳を握ったが、太田を殴る勇気がなかった。だから悔しくてもただ言われるがままで、拳をずっと握ってた。自分が言われる以上に先生にそんなこと言うのが許せなかったというのに。
「おっぱい触らせて先生ぇ!・・・いやん駄目よーん!!!先生オカシクなっちゃうううう!!」
若林がもっとセックスしろー、とはやし立てる。
「・・・・。」
僕は、どこかで頭の中で何かがプツンと切れた。怒りは頂点に達し、頭の中はもはや空っぽで、清々しささえある。沸点を超えた怒りは僕の右手に乗り移ったのだった。拳を上げるのと同時に太田の胸ぐらを掴んだ。
「てめええええええ!!!!!!!!!」
拳が太田の顔面に向かって突進しようとした。あの人の何が淫乱なんだよ、僕は心の中で叫びながら何も考えず拳を飛ばそうとした。その時だ。
チリリン・・・・。
下から高い鈴の音がしたが、拳が太田の顔面に行く寸前に僕はその音に気付いた。僕は我に返った。この鈴の音。知ってる。僕は知ってる。お守りの鈴の音だ。
無事に合格しますように・・・。
一緒に頑張ろうね。
集中しろっ、受験生っ!
大学に行ってもちゃんとやっていけますようにって。
気を付けて帰ってね。
先生、僕はなんて馬鹿なことをしたんだろう。ごめんなさい。危うく推薦の話が駄目になるところだった。これが狙いだったんだろうなこいつらは。僕の拳は見事に太田を顔面すれすれで避けた。僕は拳の勢いが余って、前に転びそうになったが立て直して身を翻し、僕は坂を全力で下って行った。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
僕はただ、家まで走り抜けた。