ゆうちゃんは事情は知らなかったが、高知と東京を行き来していた。
Yで遊ぶようになってから、しばらくして東京に行ってしまった。
私はもう一人の友達、なべちゃんと遊んでいた。
なべちゃんのためにセーターの編み方を教えたり、ゲームをしたりしていた頃、ゆうちゃんが帰ってきた。
その頃から、私は何故かYの仲間の悩み聞きになっていた。
年上だし、結婚しているし、人生経験豊富だと思ったのだろう。
もちろん私も真剣に答えを考えたりしたものだが。
「奥さん〜」ときたら「またか」と思っていたものだった。
今思えば、相談料の100円ぐらい取ってやっても罰はあたるまい。
そういえば、簡単にバーチャーファイターと書いているが、この頃は当たり前だが、2になっていた。
今でも覚えている。
高知で一番最初に搬入されると、情報を得ていた博久くんと私達夫婦三人で土佐セガに行き、筐体の搬入から全てを見ていた。
初めて画面を見た時は、三人ともカルチャーショックを受けた。
「なにこれ?ぜんぜんポリゴンじゃないみたい」
「すげーな!早くプレイしたいにゃ」
「うん、みんな、かっこよすぎる!見に来てよかったな」
私達はすでにお金を構えて、いつプレイ開始なのだろうと延々待っていたものだった。
あの時ほど、セガの店員になりたかったことはない(笑)
あの時だけね。