この世界には「男」と「女」と「女優」がいるといわれるくらい、
「女優」という人種は特殊な存在とされている。
自らが持つ外見の美しさ、立ち振る舞い、素質を生かして「恋する女性」の演技を難なくこなす彼女たちは一般的な女性とは少し違う領域にいるように思われることが多いのだろう。
女優にだって彼氏ができることがある。そして、結婚することだって。
でも、そういう時には、抱擁やキスくらいは済ませているものだろう・・・。
それくらいの演技をする覚悟がなくては、女優業は続けられないわけだし、当然そういった役柄のオファーが一度はある。
幸子もそういった女優の一人。仕事の後に誰にも見られない様に彼氏に車で捕まえてもらってレストランで彼氏と話をしているところだ。
「てっちゃんは、今回のドラマで私が恋人役の人と恋の演技していてもどうとも思っていない?」
「そういうことはもっと早く聞くものだろ?」
“てっちゃん”とは幸子の恋人の哲(てつる)のことである。
ワイングラスを揺らしながら幸子は哲の瞳を見つめ、それを口にあてて1/3ほど呑み込んで少し考えてから、
「だって、だめだって言われたら私どうすればいいか分からなくて。でも、どう思っているかどうかは恋人として聞いとかなきゃと思ったの」
とつぶやいた。
「君が女優ってことを認めているわけなんだから、今さらそんなことほじくり返すつもりはないよ」
「そう?」
「なに、俺がそんなことで幸子のことを嫌いになると思ったのか?」
「ううん、もしかしたら、私は愚痴りたいのかもしれない」
哲は不思議そうに幸子を見つめた。
「私、ホントはファーストキスくらい心から好きな人としたかったわ。普通の人より本物の恋の一コマ一コマでの感動が減っちゃうのよ」
「そりゃあ仕方ないよな、もしかして、辛いの我慢してまで演技をしているのか?」
「ううん、辛くはないわ」
「君のファーストキスは、そういえば、お笑い芸人だったよな」
「そうそう、ラブコメディで。誰があんなキス見て喜ぶっていうのかしら。世の自信の無い男性たちに希望を与えたのかしら?」
お酒の酔いが回ってきた幸子は、普段綺麗に作っている自分の顔のことなど一切気にすることなくしばらく声を出してケラケラと子供のようにナチュラルに笑っていた。
そして、幸子は急に真剣な顔になった。
「それから、私ね」
幸子の表情を見た哲の顔も真剣そのものになった。幸子がなにをいわんとしているのかとても気になったからだ。
「私は怖いの。私の演技のせいであなたの愛が消えてしまうじゃないかって。どんなに格好いい人格の素晴らしい俳優と共演することになって愛されたとしても、あなたの愛だけはどうしても手離したくないもの、いえ、手離せないもの」
その目はらんらんとして真剣そのものだった。
「その言葉信じていいんだね?」
「えぇ、もちろんよ」
彼らのいる席のそばの窓から伺える都会の景色が彼らのことを祝福しているようだった。
おわり