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七の息女は寝台に横になりながら、何度もため息をついていた。
わからない。
どうして自分は、あの鎧のひとのことが気になっているのだろう。
あのひとは人間界から来た。少なくとも魂は人間のものだ。確かに最初こそ『かわいそう』という気持ちもあったが、彼を狩り、魂を鋳魂炉へと導くのが正しいあり方だと思っていた。戦人として、そうあらねばならないと。
一度は刃を向けたはずなのに、いつの間にか自分は彼を助けるように行動している。それどころか、一緒にいて欲しいとさえ願ったのだ。それが、わからない。
本当に彼の魂を狩っていいものかどうか。
いや、それ以前に――自分は彼の魂を奪いたいと心から思っているのだろうか。
「ふう……」
再び漏れるため息。不意に、とある場面が頭に甦ってきた。
「そういえば、お礼なんて言ったの久しぶりだったな……。いつも謝ってばかりなのに」
七の息女はぼそりとつぶやくと、枕を胸に抱いて寝返りを打った。もしヴァルガがこの部屋にいてくれたら、もっとたくさんのことを伝えられるだろう。町のこと、仕事のこと、普段の生活のこと。ヴァルガが人間界にいた頃の話を聞いてもいい。人間界へはほとんど行ったことがないし、行けたとしても戦場で理性を保つのに必死で見学どころではなかった。ヴァルガは渋るかもしれないが、少しだけでいいのだ。お話ができれば、きっと楽しい。
……やっぱり、行こうかな。
ヴァルガはこの世界に来たばかり。まだまだ知りたいことはたくさんあるはず。たった五十日程しか時間はないのだ。ならば、自分のできることをしてあげよう――七の息女はそう思った。彼女は勢いよく寝台から起き上がった。
そのとき、かすかに風切り音が聞こえてきた。
「え……」
直後。古びた窓が壁ごと粉砕された。凄まじい衝撃音とともに辺りが土煙に包まれる。
悲鳴を上げた七の息女の前に巨大な影が立ちふさがる。身の丈は彼女の一・五倍ほど。頭部は天井に接し、体付きは岩のように硬く隆起している。特に両腕はそれだけで凶器となり得るような太さを持っていた。
だが七の息女に、突然の侵入者を誰何する時間はなかった。
隆起した腕が七の息女へと伸びる。土煙を突き破って、人の頭ほどある拳が正確に腹部へとめり込んだ。
「が……ふっ……!?」
浮き上がった身体は天井に激突し、さらに跳ね返って扉を粉砕した。
びくん、びくんと痙攣する。一撃で身体が言うことを聞かなくなっていた。回る景色の中で、巨漢の侵入者は両手を広げた。次の瞬間、風が空気の壁となって七の息女を押しつぶす。加速度的に増していく圧力に息をすることもできない。苦しさと激痛で涙が溢れた。
「アァ……イ、ギギ……」
意味不明の呻きを漏らす侵入者。目は血走るだけでなく、左右の眼球があらぬ方向へ向いていた。
「ルル……ミギ、ィ、ガラア、ダ、ダ……」
完全に壊れていながら、攻撃の手は一切緩めない。これだけの膂力を持つのは戦人にしかありえないはずであった。
混乱する思考の中で、ひとつの考えが脳裏に浮かぶ。ああ、とうとうこのときが来たのだな――と。役立たずの自分が一足早くこの世界から排除される、その瞬間が。
鋳魂人は死ぬと純度の高い活力に変換される。人間の魂と同じだ。それは天上界を形作る不可欠な材料として、かの世界へと送られる。それだけではない。変換された活力を鋳魂炉に集約し再利用することも可能だ。中でも戦人は変換される活力の量が多い。
自分が世界のためにもっとも役立つことと言えば、それは自分の命を差し出すことだ。
わかっていたことだ。けれど。
侵入者が近づいてきた。再び襲いかかる拳の嵐。七の息女は文字通り磔にされ、やむことのない連打にさらされた。彼女はぼんやりと思った。
ヴァルガさん、ひとりで大丈夫かな。
研究者のひとに、ひどいことされないかな。
やっぱり、もう少しだけ生きていたかったな。
そうすれば、もっとお話ができて……きっと、楽しく……
ずる……と崩れ落ちる。上から振り下ろされる拳。衝撃を覚悟して、目を閉じる。
だがその瞬間は、いつまで経っても訪れなかった。
金属の擦れるような音が遠く、耳に届く。
『まさかお前の方が、命を狙われていたなんて』
「……!」
信じられない思いで顔を上げた。
赤い外衣(マント)が見えた。漆黒の表面に時折、紫電の煌めきが映る。振り下ろされた侵入者の拳を、真正面から受け止めていた。
「ヴァルガ、さん……!」